ヒラー
十九世紀、ピアニストは専らピアノ音楽にしか関心を示さないということはまずあり得なかった。「ピアノの詩人」と謳われるショパンでさえ室内楽を楽しみ、オペラに出かけ、自らも室内楽や歌曲を手掛けている。程度の差こそあれ、当時のピアニストは一様に身近に鳴り響く様々な音楽に身を浸し、演奏技術、音楽的教養、作曲技術、教授法をバランスよく身に着けた音楽家であった。このバランスの良さという点において、ヒラーの右に出る同世代のピアニストは見当たらない。ヒラーから発せられた創造力のベクトルはあらゆる方向に長く延びている。 演奏家としてはショパン、リスト、アルカンら当時最高の名手と並び称され、指揮者としてはヨーロッパ各地を巡り、作曲家としてはピアノ曲、交響曲、オペラ、室内楽、歌曲などあらゆるジャンルを追究し、教育者としてはケルン音楽院創設の指揮をとり自ら院長となった。ベルギーの手堅い音楽学者フェティスでさえ、自身の編纂した音楽家列伝のなかでヒラーを当代最高のドイツの音楽家として称揚するのを躊躇わなかった。
ピアニストや指揮者としても活動したドイツの作曲家。器楽作品の他、オペラやオラトリオ、合唱作品を創作した。A.シュミットとフンメルに師事し、ライプツィヒのケヴァントハウス管弦楽団の指揮やケルンの音楽院の院長を務めた。ショパンやリスト、ベルリオーズ、シューマン、メンデルスゾーン夫妻と親交があったことで知られている。
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