設計・開発とは? わかりやすく解説

設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:08 UTC 版)

国鉄80系電車」の記事における「設計・開発」の解説

島秀雄工作局長当時主導旅客車開発グループの手により、比較長時間にわたる乗車高速運転を配慮した構造念頭に置いた国鉄初の本格的長距離電車として設計・開発が行われた。実績のある既存技術加え鉄道技術研究所において研究進められていた新たな各種技術導入ふんだんに求められた。 本系開発以前日本では電車短編成運転が原則国鉄私鉄問わず運用上の小回りが利くように「電動車はすべて運転台付き」とされていたが、長大編成前提となる本系列は「電動車中間車のみとし、先頭車制御機能徹する中間電動車方式採用し乗り心地コスト面における改善実現した台車コロ軸受採用高速台車振動研究会研究成果取り入れた新設計の段階的な導入により乗り心地高速走行時振動特性改善図られた。さらにブレーキ制御在来自動空気ブレーキ電磁弁加え後部車で応答遅延最小限抑えることで、当時電車としては未曾有の長大編成となる16編成運転を可能とした。また大出モーター搭載長所活かし当初編成MT比電動車付随車比率)を「2:3」とする経済編成基本とした。 高速型台車中継弁・電磁給排弁付自動空気ブレーキなどを除けば関西私鉄各社戦前型電車比較してスペック自体優位ではないが、それらの技術開発成果影響散見される新京阪鉄道阪和電気鉄道参宮急行電鉄阪神急行電鉄などの関西私鉄では1930年代中期までに、6両以上の長大編成最高速度100 km/h超の高速性能計画。複雑精緻なU自在弁による長大編成自動空気ブレーキ(Uブレーキ)・比較的多段の自動加速制御器・大出主電動機など本系列を凌駕する高度な機器大量導入している。 本系列の真の革新性大局的な背景から捉えるべきものである技術面では大量増備考慮してコスト抑制した経済的かつ堅実な選択見受けられるが、全体では既成概念覆す大規模な総合システムとして現実成立させ、なおかつ集中的に運用したことに意義があった。

※この「設計・開発」の解説は、「国鉄80系電車」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「国鉄80系電車」の記事については、「国鉄80系電車」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/10 23:54 UTC 版)

サンダース・ロー SR.A/1」の記事における「設計・開発」の解説

SR.A/1は大日本帝国海軍二式水上戦闘機強風といった水上戦闘機成功着想得た。やや机上の話ではあるが、水上機戦域が海に囲まれ太平洋戦線での運用最適であると考えられ比較穏やかな海岸ならどのような場所でも発進基地として利用することができた。水上機大きな欠点は、浮子式の降着装置によって飛行性能陸上戦闘機に比べ劣化することであったサンダース・ロー当時新しく開発されターボジェットエンジンがこの欠点克服する手段になりうると考えたプロペラなければ水面までのクリアランス不要なので胴体をより水面接近させることができる、すなわちジェットエンジン浮子ではなく飛行艇式の艇体採用を可能とした。 サンダース・ローはこの青写真(SR.44)をイギリス航空省持ちかけ、仕様E.6/44として結実させた。そして1944年5月には原型機3機の開発契約取り付けることに成功した1号機1947年7月15日初飛行行った。続く2号機3号機によっても順次試験が行われそれぞれ性能取扱いともに良好な成績示したが、その頃には第二次世界大戦の終結によって需要は完全に消滅していた。さらに水上機用いずとも空母海上における航空兵力の基幹となりうることが太平洋戦線証明されていた。また、コックピット狭く小さキャノピー重厚枠組みされていたため視界不良であるという減点要素もあった。これらの要因重なり最終的に1951年5月計画中止された。 制式採用逃したため公式名称を与えられることがなかったが、開発関係者からはスクアートSquirt:水鉄砲・あるいは「生意気なでしゃばり屋」という俗語)と呼ばれていた。

※この「設計・開発」の解説は、「サンダース・ロー SR.A/1」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「サンダース・ロー SR.A/1」の記事については、「サンダース・ロー SR.A/1」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/26 15:24 UTC 版)

Mi-4 (航空機)」の記事における「設計・開発」の解説

Mi-4はアメリカシコルスキー S-55(H-19)の影響受けて朝鮮戦争最中設計され外見はH-19に似ており、大型重量物を持ち上げることが可能であった最初のモデル1952年就航しMi-1の後継機種にあたる.

※この「設計・開発」の解説は、「Mi-4 (航空機)」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「Mi-4 (航空機)」の記事については、「Mi-4 (航空機)」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 14:27 UTC 版)

CVR(T)」の記事における「設計・開発」の解説

1960年代初頭イギリス海外駐留駐屯地維持費などがかさみ防衛予算圧迫の元であると指摘された。そこでイギリス紛争地域へは兵力およびその装備ヨーロッパ基地から空輸し展開するという新たな戦略立てることにした。そのために空輸での展開が実用的なほどに軽量でかつ部隊に対装甲戦闘能力火力支援を提供可能なAFVが必要とされた。また、ちょうど同時期にFV601 サラディン後継車両も必要となっていたのである1960年にArmoured Vehicle Reconnaissance呼ばれていた計画開始された。この車両は76mmないし105mmの主砲砲塔搭載し車長運転手砲手三人運用される。対装甲火力は後に開発された(1966年)スウィングファイア対戦車ミサイル車体後部マウントして獲得するまた、装輪装軌式双方開発されFV432と同じエンジンステアリング共有する。しかしプロトタイプ最終モデルでも重量13トン超え空輸するとなれば許容重量超過してしまった。 重量軽減のために鋼鉄にかわりアルミニウム装甲導入することとなった。そのための研究砲兵火力砲弾破片に対してその密度をもって高い防御力得られることが判明した輸送機内部納めるために車高は2.5m以下、横幅2.102m以下にとどめることが必要とされた。さらには接地圧5psiの用件満たすため履帯幅は0.45mとされた。さらに幅の規定用いエンジン選定にも影響し冬季装備運転士のすぐそばに入る大きさである必要があった。このためエンジン区画はわずか0.6mにとどめられた。この条件適合する強力な装甲車両エンジン民生品転用しジャガー4.2リットル ガソリンエンジン除いてまだ開発されていなかった。 運転手席は車体前面エンジン区画すぐそばに存在しこのため砲塔車体後部配置される装甲化され76mm砲を装備した最初の火支援型であるスコーピオンはこの砲塔配置尻尾連想させたことによる命名である。サラディンスタルワートサラセンなどのような以前アルヴィス開発した車両同様に、"S"が頭文字単語という命名規則もある。よって他の車両ストライカー,スパルタン,サマリタン,サルタン,サムソンとすべてこれを反映している。加えて英軍幕僚この他に30mm砲搭載シミター注文している。 1967年アルヴィス30台の試作型CVR(T)生産契約与えられた。そのうちP1はP17スコーピオン試作型、I18からP30は他の六種類のCVR(T)規格車両だった。イギリス国防省課す厳しコスト制限の元での製造であり、1969年1月23日最初プロトタイプコスト時間制限をともに満たして生産された。その後あらゆる環境での活動に耐えられるノルウェーオーストラリアカナダアブダビ寒冷高温乾燥地帯テストされた。1970年5月CVR(T)イギリス陸軍への配備認められた。最初契約275両のスコーピオン288両のシミターである。最初スコーピオン完成したのが1971年で、イギリス陸軍への初期の配備1971年1月である。 1986年までにイギリス総計1,863両のCVR(T)受領した内訳スコーピオン313両、ストライカー89両、スパルタン691両、サマリタン50両、サルタン291両、サムソン95両、シミター334両である。

※この「設計・開発」の解説は、「CVR(T)」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「CVR(T)」の記事については、「CVR(T)」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 22:02 UTC 版)

CASA CN-235」の記事における「設計・開発」の解説

スペインCASAインドネシアIPTN合弁事業計画され計画管理のためエアテック社 (Airtech) が作られた。設計と製造責務は、2社で半分ずつ担当された。後のバージョン各々独立して開発され実質的に協力して設計されたのはシリーズ 10シリーズ 100/110のみであった設計1980年1月から始まり1983年11月11日初め飛行したスペインインドネシア1986年6月20日認可された。量産機初飛行1986年8月19日であった。そして、連邦航空局承認1986年12月3日与えられた。CN-235メルパチ・ヌサンタラ航空1988年3月1日に初運航したCN-235アメリカ沿岸警備隊中距離監視海洋哨戒機 (MRSMPA) プログラムとして選定された。2004年ロッキード・マーティンを主請負業者契約された。採用されたHC-144A オーシャン・セントリー (Ocean Sentry) は2006年12月ミッション・パッケージ導入するため、EADS CASAからロッキード・マーティン届けられた。2009年4月2日初期作戦能力IOC)を達成し2009年7月1日までに8機が引き渡された。 2008年7月メキシコ海軍は6機のCN-235注文する発表した2006年8月アフリカ航空会社サファイア (Safair)とティコ (Tiko Air) が3機のCASA CN-235-10を運用している。アジアンスピリットフィリピン唯一のCN-235-220を運用していた。 1995年CASACN-235胴体引き延ばしたEADS CASA C-295開発開始している。

※この「設計・開発」の解説は、「CASA CN-235」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「CASA CN-235」の記事については、「CASA CN-235」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 08:33 UTC 版)

D-558-2 (航空機)」の記事における「設計・開発」の解説

D-558計画第2段階として、第1段階に当たるジェット機D-558-1に次いでジェットロケット2種エンジン搭載した機体である。 なお、実際に製造されることは無かった第3段階に相当するD-558-3は、第2段階までの研究結果反映した戦闘用機体として計画されモックアップ製造設計にまで至ったものであり、X-15似通った設計機体だった。 D-558-1は明らかにエンジン混載には適しておらず、D-558-2は全く異なった機体として考えられた。1947年1月27日行われた契約変更は、3機のD-558-1をキャンセルし新たにD-558-2として3機を発注するものであった主翼35度、尾翼40度の後退角付けられアルミニウム製となった機体マグネシウム主体として構築された。ジェットエンジンは、ウェスティングハウス・エレクトリック製のJ34-40(英語版)を採用しエアインテーク機体側面設けられた。ジェットエンジン役割は、離陸から上昇、そして着陸であった高速飛行には6,000lbf(27kN)の出力有するリアクション・モーターズのLR8-RM-6が採用された。燃料は、ジェット燃料250USガロン(950L)、アルコール195USガロン(740L)、液体酸素180USガロン(680L)が、機内燃料タンク収められた。 操縦席キャノピー機体外面そろえて一体化したものであり、視界貧弱だった。後に操縦席機体から張り出しキャノピー一般的な角形設計変更された。この変更により機体正面面積拡大しバランスを取るために垂直尾翼14インチ(36cm)高くなった。D-558-1と同様に操縦席を含む機体前方緊急時切り離すことが可能であり、パイロット切り離され前方部分からパラシュート使用して脱出する設計となっている。 1948年のD-558-2。キャノピー機体表面一体化している 1954年のD-558-2。操縦席機体上方張り出しキャノピー中央のある角形となっている。

※この「設計・開発」の解説は、「D-558-2 (航空機)」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「D-558-2 (航空機)」の記事については、「D-558-2 (航空機)」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/18 10:22 UTC 版)

マッキ M.C.72」の記事における「設計・開発」の解説

マッキはM.24(機関銃武装し雷撃可能な双発飛行艇)などの水上機製造してきた実績があったが、M.C.72もその系譜連なる機体である。1920年代マッキ速度性能重点絞りシュナイダー・トロフィー・レースでの勝利を目標据えた1922年には高速機開発のために設計技師マリオ・カストルディを雇い入れた1926年シュナイダー・トロフィー・レースでは同社のM.39が395.8km/h(246mph)を記録しイタリア次回大会までのトロフィー所有権獲得した。しかし、後継機としてM.52、M.52R、M.67が開発されたものの、M.39以降イタリア優勝逃してしまう。そこでカストルディは究極レーサーとしてM.C.72の設計を行うことにした。 M.C.72は双フロート備えた特徴的な単座機に仕上がったおおよそコックピット主翼)までの胴体金属製それより後部木製モノコックであり、両者4つ管状接続部ボルト締結された。オイルタンク流線型機首一部として外部露出しており、飛行中空気流に晒され表面冷却オイルクーラーとしても働く。主翼は全金属製であったが、表面にはエンジン冷却用の管状ラジエーター滑らかに一体化されていた。2基のフロートそれぞれの外面3箇所にもラジエーター組み込まれ最前部のものは冷却水用、中央部後部のものはオイルクーラーとして機能した。さらにフロートストラット支柱)にも冷却水ラジエーター存在し高温条件下ではコックピットから尾部にかけての胴体下部ラジエーター追加することも可能であった。こうして全ての熱交換器表面冷却式としたことで前面投影面積減らし空気抵抗抑えていた。なお、フロートラジエーター以外の大部分イタリアナショナルカラーである赤い鮮やかなカラーリング施されていた。 1931年、その年の大会向けて機体組み立てられたが、エンジン複数問題抱え出場することは叶わなかった。折しも同年イギリス3回連続優勝果たし最後大会となってしまった。しかし、マッキ記録達成のためM.C.72の開発継続した。なお、ベニート・ムッソリーニがこれに個人的な興味持ち、M.C.72の開発続行のため国家資産からマッキへの投資行っている。

※この「設計・開発」の解説は、「マッキ M.C.72」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「マッキ M.C.72」の記事については、「マッキ M.C.72」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 03:00 UTC 版)

フェリックストウ F5L」の記事における「設計・開発」の解説

ポートは、アメリカグレン・カーチス設計した飛行艇カーチス H-12をベースとし、フェリックストウ海軍工廠実用性高めて大型化させたF.5を開発した。これをさらに合理化し艇体素材として薬品処理したリネン代えてベニヤ使用することで強化するとともにエンジンに330hp (後に400hpに強化)を発揮するアメリカ製リバティ L-12Aを使用することとし再設計したのがF5Lである。イギリス試作機製造と試験が行われた後、量産設計フィラデルフィアアメリカ海軍航空工廠引き継がれ戦時下生産適するようさらなる変更加えられた。アメリカでは海軍航空工廠のほかカーチス生産を手がけたことからカーチス F5Lと呼ばれることもある。また、民間型はエアロマリン75としても知られる。 F5Lは、海軍航空工廠137機、カーチス60機、カナディアン・エアプレーンズで30機が生産された。その一部1919年にエアロマリン・プレーン・アンド・モーターで民間機型に改造された。

※この「設計・開発」の解説は、「フェリックストウ F5L」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「フェリックストウ F5L」の記事については、「フェリックストウ F5L」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 02:09 UTC 版)

T-7 (航空機・アメリカ)」の記事における「設計・開発」の解説

ボーイングT-X現在のT-7)は、単発エンジン備えた高等練習機であり、双垂直尾翼タンデム座席引き込み式三輪着陸装置備える。この機体ゼネラル・エレクトリック社のアフターバーナー付きF404ターボファンエンジン搭載している。双垂直尾翼良好な安定性制御提供しブームレセプタクル使用して飛行中燃料補給が可能である(別名フライングブームシステム) ボーイングT-Xとそれに関連する地上での訓練支援は、T-38代替するアメリカ空軍T-X計画のためにボーイングスウェーデン航空宇宙グループパートナーであるサーブにより開発提供されている。ボーイングサーブは、2013年12月6日アメリカ空軍T-X計画コンペティションのためのパートナーシップ契約締結した2016年9月13日発表され初飛行2016年12月20日行われた2018年9月27日に、ボーイングT-XT-38に代わってアメリカ空軍新し高等練習機になることが正式に発表された。導入予定351機とフライトシミュレータ46台であり、予算92USドルとされている。 T-38より高度なアビオニクス搭載しており、F-35への移行想定した訓練が可能である。2019年時点で、日本をはじめとした海外へ売り込み軽攻撃機COIN機)への転用視野入れている。

※この「設計・開発」の解説は、「T-7 (航空機・アメリカ)」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「T-7 (航空機・アメリカ)」の記事については、「T-7 (航空機・アメリカ)」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 23:30 UTC 版)

マクラーレン・F1」の記事における「設計・開発」の解説

F1の開発構想1988年9月11日開始され当時フォーミュラ1世界選手権1615勝という驚異的な成績収めていたマクラーレンチームリーダーであるロン・デニスデザイナーゴードン・マレーなどが、そのシーズン唯一勝利を逃したイタリアGP帰り空港雑談を交わすうちに車両発想生まれたという。ただし、その時点での計画は「世界最速最良市販車」という曖昧なものであった1990年1月イギリスサリー州ウォキングにあるマクラーレン施設原型となる計画始動したマレー設計進め同年3月には基本要件決定した設計にあたって従来スーパーカー性能特性分析した後、フォーミュラ1得られ技術経験を基に、開発チーム軽量化ダウンフォースの向上など、あらゆる視点車両の見直し図ったマクラーレン目標コンパクト軽量なオールラウンド性能発揮できる純粋なドライバーズカーを作ることだった。また、最先端技術ディティール品質なども重要視された。会社の設立やその準備車両開発のためにマレー獲得した予算850ポンドで、決し潤沢とは言えない額であったエクステリアインテリア担当したのはデザイナーのピーター・スティーブンスである。ピーターマクラーレン以前ロータス・エランや同エスプリジャガー・XJR-15設計に関わっており、その後F1の計画参加したロータス・カーズからも数名開発のために移籍している。 運転席中央にあるセンターシートのレイアウトフォーミュラ1得た経験反映したものとされ、ドライバー視覚的動的な情報即座に反映できるよう意図したものだった。マクラーレンによればマレー1969年からこの1+2のシートレイアウトの研究続けてきたという。運転席中央にあるため、フロントガラスには左右どちらにもバックミラーついている荷物入れトランクルームは、車体両側の助手席リアタイヤ中間のホイールベース内側存在している。良好なハンドリング操縦性追求しエンジンギアボックス燃料乗員荷物など、すべての重量物を重心近く集中させ重心高を低く抑えることで慣性モーメント抑制する設計となっている。 市販車では世界初となるカーボンファイバー製のシャシー採用している。車重は1 tを切ることを目標とし、エンジン出力は最低でも550 PS程度求められた。カーボン製のブレーキディスク開発していたが、公道での速度域や雨天時の低温状態で十分に作動させることが困難であったため、最終的にスチール製が採用された。軽量化のためパワーステアリングはなく、ブレーキにもサーボ機構ABSなどは装備されていない。 センターシートは構造的に乗降難しくなるため、ルーフ大部分が開く構造が必要であった採用されたディヘドラルドアはルーフだけでなく、足元部分スペース確保できるため乗降性問題解決した開発時には同様の機構を持つトヨタ・セラドア使い研究行ったまた、ピーター・スティーブンスはポルシェ・962開発に関わっていたこともあり、高速時でも頑丈なドア構造理解していた。 当初マクラーレンフォーミュラ1提携しエンジン供給受けていたホンダ対しV型10気筒またはV型12気筒エンジンの設計・開発と供給望んでいた。しかし、ホンダ将来マーケティング観点から、V型12気筒をはじめとしたオーバースペックエンジン製造不適当判断したためエンジン供給断ったいすゞ自動車3.5 L V型12気筒エンジン提案したが、レースでの実績が無いためマレー断られた。最終的に、かつてブラバムマレー付き合いがあり、BMW所属しているポール・ロッシュ(英語版)がV型12気筒エンジン手掛けたマレーはF1の乗り心地ハンドリング設計基準として、ホンダ・NSXの名を上げている。NSXサスペンション乗り心地良さ操縦性両立させるため、ホイール動き自由度持たせる縦型のコンプライアンス・ピボットを採用していた。マレーはこのサスペンションシステムから得たインスピレーションが、F1のサスペンション開発繋がった語っている。また、F1もNSX同様に当初から日常的に使用されることを想定し開発されていた。NSXの他にも、フェラーリ・F40ランボルギーニ・カウンタックBMW・M1ポルシェ・959ブガッティ・EB110などがF1のベンチマークとして上げられている。 トランスミッションシンクロメッシュ機構を持つ6速マニュアルトランスミッションMT)で、フォーミュラ1ル・マンインディカー勝利を収めているカリフォルニアのトラクション・プロダクツ社と共同開発した。当初軽量化のためマグネシウム製のトランスミッションハウジングを装備していたが、オーバーヒート問題のため最終的にアルミニウム製使用したギア比セッティングは、0-160 mph257 km/h)の加速用としたクロスレシオ1 - 5速と、クルージング高速走行考えたワイドレシオ6速組み合わせとなっている。 空力性能の面では、車両後部可変式リアスポイラー装備されている。このスポイラー走行時には収納されているが、ブレーキング時展開してエアブレーキとしても機能する他、ブレーキ冷却するためにエアインテーク内に空気取り入れられる仕組みになっている。F1はグラウンド・エフェクト利用してダウンフォースを得る構造となっており、その効果高めるためにボディ下面流れ境界層気流強制的に排気する電動ファン備える。マレー自身設計したブラバム・BT46で、既にこの気流強制排気する「ファンカー」と呼ばれる機構採用していた。これらの空力設計には、マクラーレンのフォーミュラー1マシン開発される風洞と同じ施設使われた。 電子制御システムは、マクラーレン関連会社フォーミュラ1電気系統担当するTAGエレクトロニック・システムズと共同開発した制御システムエンジン使用状況モニターし、温度変化回転数不十分な暖機運転時の負荷などを記録しメンテナンス時に不具合特定をすることができる。その他に車内モデム設置しマクラーレン情報直接送ることで車の故障個所特定しサポートを受けることなどができる。 視認性向上させるため、フロントサイドガラスには従来温風吹き付けるデフロスターではなく電気加熱するガラス採用することとした。この要求応じるためサンゴバン社と協力し専門チーム編成された。開発されラミネート加工ガラスは素早い霜取り除氷だけでなく、熱の侵入20%紫外線侵入85低減することができた。 専用音響機器開発を行うため、ケンウッド当初から計画参加している。ケンウッド当初音響システム重量を37.5 lb(約17 kg)と提案したが、マレーはその半分重量しか容認できないとした。最終的に開発されシステム重量は18.7 lb(約8.5 kgであった開発テストでは、最大1.5 G負荷かかっている状態でもシステム正常に機能した。 F1の搭載機器テストするためのプロトタイプ車両として、イギリスのアルティマスポーツ(英語版)社のキットカーであるアルティマMk3が2台購入された。この2台はシャシーナンバー1213で、ノーブルモータースポーツ社により供給された。アルティマMk3はF1の設計重量下回りプロポーション似ているために採用されたものである。この2台はテストのため車体大幅な改造施された。シャシーナンバー12車両にはマクラーレンにより「アルバート」というニックネーム与えられ、本来搭載するBMWV型12気筒エンジン代わりに同様のトルク有するシボレーV型8気筒エンジン使ってギアボックステストが行われた。この他にもセンターシートやカーボンブレーキのテストにも使用された。他方シャシーナンバー13車両には「エドワード」というニックネーム与えられBMWV型12気筒エンジンテストの他、エキゾースト冷却システムテスト使われた。なお、後にこの2台は機密保持のためマクラーレンによって破壊されている。この2台の他にもエンジンテストのため、BMW・M5ワゴンV型12気筒エンジン搭載したプロトタイプ作られた。 F1の本格的な試作車両としては、シャシーナンバーXP1からXP5の5台が製作され様々なテスト行ったそのうちXP1ナミビアでの猛暑環境テスト中に事故大破している。240 ㎞/h超えるスピード走行中に、車が側溝衝突したことが原因であったドライバー奇跡的に生還したが、XP1漏れ出たエンジンオイルエキゾーストマニホールド引火し焼失してしまった。XP2は衝突試験用に製作されXP1同様に大破し現存していない。プロトタイプ量産車にはデザイン上の違いいくつかあり、フロントフォグランプウインカーリアシングルタイプテールライトなどが異なっていた。量産車テールライトランボルギーニ・ディアブロ同一部品で、イタリアコボ社が製造担当したマクラーレンによると、新車購入した後の通常のメンテナンス間隔は9カ月18カ月であり、ダンパー10年燃料タンク5年交換時期定められている。将来的車両維持し続けるため、マクラーレンによりマグネシウムコーティングやブレーキパッド材質など、新たな技術用いたパーツ開発継続して行われている。ボディカラーインテリア装飾部品なども同様にオーナー好みに応じて新たなものに更新することが可能であるという。 1992年5月28日モナコGPにおいてマグネシウムシルバーで塗装されたF1が初公開された。その後生産第1号車がオーナー元へ納車されたのは1994年12月のことで、製造1998年まで続けられ

※この「設計・開発」の解説は、「マクラーレン・F1」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「マクラーレン・F1」の記事については、「マクラーレン・F1」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:57 UTC 版)

AJ (航空機)」の記事における「設計・開発」の解説

AJ サヴェージは、核兵器搭載可能な複合動力式の大型艦攻撃機として設計されたが、写真偵察機としても使用され、後には空中給油機としても使われた。AJ-1/2およびAJ-1/2Pは1948年から1956年掛けて存在した攻撃複合航空隊使用されたほか、写真偵察航空隊任務についた。重攻撃機型は、航空母艦から発着できる最初爆撃機だった。 その導入時期はアメリカ海軍が、発展途上ジェットエンジン装備始めた時期であるが、初期ジェットエンジン低速性能に難があり、空母からの離着艦には問題多く燃費も非常に悪かったしかしながらレシプロエンジンとは比較ならない高速性能には大きな魅力があった。サヴェージ場合、その妥協点は、2基のR-2800レシプロエンジンと、胴体後部アリソンJ33ターボジェット1基を混合装備することだった。興味深いことに、R-2800レシプロエンジンとJ33ターボジェットエンジンは同じ燃料使っていた。レシプロエンジンターボジェットエンジン組み合わせは、発艦時のパワー増大と、戦闘時ダッシュ速度獲得目的としていた。 サヴェージ最初生産型1949年5月初飛行し、1950年8月31日空母コーラル・シー」(CV-43)において、この種の機体として初めての着艦行った初期型AJ-1後日爆弾倉ホース燃料ポンプ電動機、それにドローグなどの必要機材満載し空中給油機となった必要な追加燃料落下タンクから供給された。 1953年2月19日初飛行したAJ-2は、エンジン高性能化し、垂直安定板高め水平尾翼の上反角を無くしていた。 AJ-2Pサヴェージ写真偵察機型である。そのほとんどは自動的に稼働する18台のカメラ装備しており、夜間および低高度での任務遂行可能だった夜間ミッション場合閃光弾携行した。-2Pまた、追加燃料積載可能だった

※この「設計・開発」の解説は、「AJ (航空機)」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「AJ (航空機)」の記事については、「AJ (航空機)」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/14 01:55 UTC 版)

45口径三年式12cm砲」の記事における「設計・開発」の解説

1914年大正3年)に設計され江風型駆逐艦樅型駆逐艦峯風型駆逐艦若竹型駆逐艦神風型駆逐艦 (2代)睦月型駆逐艦主砲として搭載された。 当初制式名称は、「四十口径三年式四吋七砲」とされたが、1917年に、メートル法準拠する十二糎砲」(12cm砲)に変更された。 1921年大正10年)には、本砲を高角砲化した四五口径十年式十二糎高角砲」が開発された。 1922年大正11年)には、本砲を改良した四五口径十一年式十二糎砲」が開発され鴻型水雷艇千鳥型水雷艇潜水艦掃海艇などに装備された。 占守型海防艦建造時には退役した駆逐艦の砲が流用された。 砲弾人力装填され、20.3kgの榴弾照明弾加えて1943年昭和18年)からは対潜弾が開発された。

※この「設計・開発」の解説は、「45口径三年式12cm砲」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「45口径三年式12cm砲」の記事については、「45口径三年式12cm砲」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 04:14 UTC 版)

エアバスA330neo」の記事における「設計・開発」の解説

従来機体構造軽量化させており、機体直径寸法A350型機の方が数センチ広い。エンジン2014年開催され第49回ファーンボロー国際航空ショーにて、ロールス・ロイス・ホールディングス製のトレント7000採用することが発表された。外観上の主な変更点は、A350機に採用され新設計の湾曲した主翼ウィングレット(エアバスWEBサイトではシャークレットと呼ぶ)を搭載したこと。また、A330ceoの主翼が60.3メートルなのに対しA330neoでは64メートル延長されたこと等が挙げられる2015年大韓航空航空宇宙本部サプライヤーとして決定しシャークレット供給行っている。 客室では、「Airspace by Airbus」を初導入客室階下にある既存貨物室エリア活用した航空貨物コンテナ、「LD-36」(318センチ×244センチ×163センチ)の中に乗客利用できるベッド並べることができる。乗客客室から階段降りて寝室モジュール利用でき、モジュール需要に応じて従来貨物コンテナとの積み替えも可能。これはゾディアック・エアロスペースとの提携開発されオプション採用できる2015年9月、A330neoの製造を仏トゥールーズナント工場始めた工場では最初の「メタルカット」が行われ、エンジンパイロンの加工中央翼の製造始まった2017年10月19日改良型A330型機であるA330neoのうち、A330-900「登録番号F-WTTN」が仏トゥールーズ・ブラニャック空港初飛行4時13分のテスト飛行をし、無事終えた2018年2月5日、A330neoファミリー2機種のうち、A330-800「登録番号F-WTTO」がロールアウト。A330-800とA330-900の2型式は99%の共通性保持をし、共通の機体構造エンジン乗務員訓練などが採用され路線ネットワークで2機種柔軟に運用可能としている。 2018年6月18日7月7日の期間TAPポルトガル航空引き渡しされる予定のA330-900「F-WWKM(エアバス登録)」で世界15都市路線実証(ルートプルービングテスト)飛行テスト実施2018年9月26日、A330-900について欧州航空安全庁(EASA)から型式証明取得テスト飛行では試験機2機で1,400飛行時間実施した発表米国連邦航空局FAA)からも近日中取得見込み2018年11月6日開発中のA330neoのうち、短胴型のA330-800「登録番号F-WTTO」が仏トゥールーズ・ブラニャック空港初飛行4時間4分のテスト飛行を無事終えた2018年11月26日TAPポルトガル航空世界初のA330-900「登録番号CS-TUB(元F-WWKM)」を納入2020年10月29日クウェート航空世界初のA330-800「登録番号9K-APF」を納入

※この「設計・開発」の解説は、「エアバスA330neo」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「エアバスA330neo」の記事については、「エアバスA330neo」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/08/04 00:27 UTC 版)

マルメ MFI-10」の記事における「設計・開発」の解説

民間軍用両方要求合致するようにMFI-10は、固定尾輪式降着装置パイロットと3人の要員収容できるキャビン持った支柱支持され高翼単葉機として設計された。 試作機機首に160 HP(119kW)を発生するライカミング O-320 エンジン装備し1961年初飛行行ったスウェーデン陸軍向けの2機の軍用試作機MFI-10Bがこれに続いた。 MFI-10Bは、180 HP(134kW)を発生するライカミング O-360 エンジン装備し1962年6月27日初飛行行った。より高出力エンジン装備したモデル造ることが計画されたが進まず、この機が量産に入ることは無かった

※この「設計・開発」の解説は、「マルメ MFI-10」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「マルメ MFI-10」の記事については、「マルメ MFI-10」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/21 15:11 UTC 版)

Hs 298 (ミサイル)」の記事における「設計・開発」の解説

Hs 298は特に爆撃機攻撃するために設計されており、空対空用途特化して設計され最初ミサイルである。それは、ドルニエ Do 217(5発)もしくはフォッケウルフ Fw190(2発)の専用発射レール運ばれ48キログラム106ポンド)の爆薬搭載していた。 Hs 298先端後退翼を持つ中翼の単葉機であり、対になった垂直安定板伴った1つ水平安定板を持つ。ヘンシェル設計のSchmidding 109-543ロケットエンジン動力としている。発射時には2段階の挙動示し始め高速段階では時速938キロメートル時速585マイル)で発射した航空機から離れるようになっており、次の段階でおよそ1.6キロ(1マイル)の最大射程を得るために時速682キロメートル時速425マイル)に減速するFuG 203電波誘導システム使用しており、機首取り付けられスクリュー駆動発電機によって電力供給されている。このミサイル航空機発射するために、2人乗員を必要とした。1人目標を狙うために反射器タイプ照準器使いもう一人始めのものと対になっているサーボシステムの付いたもう一つ照準器操縦桿使いミサイル飛ばした1944年12月22日ユンカースJu-88G搭載された3発のミサイルによって行われた試射が、知られている唯一の試射である。2発のミサイルだけが発射成功し一発失敗して発射レール残った発射成功した2発の内1発はすぐに爆発して地面急降下した1945年1月には大量生産に入る予定であったが、同じ空対空ミサイルであるルールシュタール X-4の方が支持集めたためプロジェクト断念された。

※この「設計・開発」の解説は、「Hs 298 (ミサイル)」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「Hs 298 (ミサイル)」の記事については、「Hs 298 (ミサイル)」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/13 22:58 UTC 版)

カプロニ Ca.90」の記事における「設計・開発」の解説

六発エンジン・逆一葉半の複葉機であるCa.90は、重爆撃機として設計され1929年初飛行した。Ca.90は2基が串型に配置された二組のイソッタ・フラスキーニ アッソ 1000イタリア語版W型18気筒レシプロエンジンを下翼の上部に配しており、前部エンジンには2翅プロペラを、後部エンジンには4翅プロペラ装備していた。残り一組2基のエンジン胴体の上部に装備されていた。このエンジンはCa.90専用エンジンとして作られたものだった1929年初飛行したドルニエ Do X飛行艇のほうが翼幅重量でCa.70を上回っていたが、1934年ツポレフ ANT-20登場するまで、Ca.90は最大陸上機だった。

※この「設計・開発」の解説は、「カプロニ Ca.90」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「カプロニ Ca.90」の記事については、「カプロニ Ca.90」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/20 13:39 UTC 版)

ロールス・ロイス クレシー」の記事における「設計・開発」の解説

英連邦航空研究諮問委員会 (ARC) 委員長であったヘンリー・ティザード卿は、1935年にはドイツ航空戦力脅威感じて強力な短距離走者(sprint )的なエンジン提唱しその必要性訴えた。この訴えはティザードの個人的友人のハリー・リカルドを感化しクレシーとして知られるものの開発つながった。この案が初めて公式に議論されたのは、1935年12月エンジン小委員会であった。 "議長もし空軍省が短距離走者的な国土防衛のためのエンジン欲したならば我々はどれだけ燃料軽視できるのか質問せねばならないと言ったリカルド氏はこの点について最近談話での要望で、一定の状況激し燃料消費許容されないかもしれず、もしそうならば魅力的な2ストローク・ガソリンエンジン可能性につながる研究必要だといった。" 1927年1930年用いられケストレルエンジン経験は、空軍省との契約通じて2ストロークスリーブバルブ設計研究価値証明したどちらも最初のうちは原型より低出力機械的故障顕著な増加見られるディーゼルスリーブバルブ式に換装された。 1937年にプロジェクトエンジニアのハリー・ウッドのもとで単気型の開発リカルド設計した試験ユニット用いて開始された。最初に考えられたのは、圧縮点火エンジンとしてであったが、ロールス・ロイス本腰を入れて開発始めると空軍省決定でより保守的な火花点火式に改められた。

※この「設計・開発」の解説は、「ロールス・ロイス クレシー」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「ロールス・ロイス クレシー」の記事については、「ロールス・ロイス クレシー」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/07 19:57 UTC 版)

ライアン ST」の記事における「設計・開発」の解説

機体設計者のT・クロード・ライアン(英語版)はチャールズ・リンドバーグ大西洋横断有名なスピリットオブセントルイス号機体は『ライアン NYP』)を製作したライアン・エアライナーズの創設者であった。ライアン・エアライナーズはライアン創始した最初会社で、ライアン・エアロノーティカルはライアン立ち上げ関わり彼の名を冠した4番目の会社であった以前一度同名企業起こしているが、ジーメンス買収されていた)。ライアン1933年同社での最初設計機としてST開発開始したSTもしくはS-T)とは Sport Trainer頭字語である。 ST金属製セミモノコック胴体開放式タンデム複座コックピット備えていた。胴体主翼荷重支え2つメインフレーム別の6つフレームから成りメインフレームのうち一方鋼製他方は鋼とアルミニウム合金製品名alclad)を半分ずつ含んでいた。その他のフレームおよび外殻alcladであった。内翼前縁単純な管であり、外翼との境目付近胴体上部一端固定され外部支柱接続していた。内翼後縁トラス構造有していた。一方、外翼部トウヒ厚板から作製された。小骨alclad製で、翼の捻れを防ぐために対し斜め方向にも支持棒が組み込まれた。前縁部の外皮alcladその他の部分は布羽張りであったまた、外翼は固定脚式降着装置胴体上部固定され複数の張線で支持された。 まず最初に5機のST製作された。続いてエンジンアップグレードしたST-AもしくはS-T-A)が開発された。ST-AのAはAerobatics曲技飛行)に由来する。また同時期にST-B呼ばれた単座機体が1機製作されている。これは撤去した前部コックピット燃料搭載したのであるが、後にST-A標準仕様戻された。その後ST-Aエンジンをさらに強力なものにした ST-A Special生まれた1937年ST-A Special軍用型であるSTMシリーズST-Mとも)へと発展するSTMではパイロットパラシュート装着したまま出入りしすいようコックピット内部広く改装された。また、一部では機関銃搭載想定していた。1挺の機関銃武装した単座STM-2PなどSTM各派生型は中華民国オランダ領東インドへと送られた。なお、STM-S2通常の車輪降着装置浮子降着装置製品名EDO Model 1965)に換装水上機とすることが可能であったSTMの後、1941年ST-3製作された。これは本質的に再設計であり、信頼性に劣るMenasco社製エンジン換装意図したものでもあった。ST-3開発アメリカ陸軍航空隊 (USAAC) の要求端を発するUSAAC数十機のSTM派生型購入し様々な制式番号の元で試験運用行ったが、この間にライアン・エアロノーティカルへ一部機体エンジンを Kinner R-440 (R-440は軍での制式番号であり、製品名B-5)へと換装させていた。陸軍はこの換装成功であったことを確認すると、R-440を標準エンジンとし、運用中得られいくつかの要求取り入れた改良型(すなわちST-3)の設計同社依頼したのであるST-3胴体従来より長く断面はより広い円形になった。これはR-440が星型エンジンのためである。また、方向舵再設計補助翼昇降舵バランス調整加えて降着装置伸長軌間拡張が行われた。なお、それまでSTシリーズ見られ流線型車輪覆いこの際撤去されている。ST-3陸軍およびアメリカ海軍 (USN) から発注され軍用ST基本形となった1941年から1942年初頭にかけてST-3を元としたST-3KR開発された(KRエンジン製造会社KinnerとエンジンRadialから)。ST-3KRはR-440 (B-5) よりも強力な Kinner R-5 を搭載し最多量産型となった第二次世界大戦中には1000機以上が生産されている。ST最終型ST-4で、これは戦時下資材枯渇備えてST-3胴体木製とした派生型であったが、そのような事態杞憂終わったため量産には至らなかった。

※この「設計・開発」の解説は、「ライアン ST」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「ライアン ST」の記事については、「ライアン ST」の概要を参照ください。


設計・開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/13 03:47 UTC 版)

サーブ 21」の記事における「設計・開発」の解説

推進式の利点は、前方視界妨げられないことと武装機首集中配置できる点にある。ただ1つ欠点としては、搭乗員脱出する際にプロペラ回転面巻き込まれる恐れがあることである。しかしこの問題初期射出座席進化させるに至りこの後いくつかの問題解決したマーチンベーカー・エアクラフト社は射出座席特許得たダミー人形使用しての、最初射出試験1944年2月に、サーブ 17用いて行なわれた。 着陸装置は、プロペラブレードと地面クリアランスすき間)を保つため、降着装置当時主流であった尾輪式ではなく現代のほとんどの飛行機と同じ前輪式にする必要があった。前輪激し首振り振動シミー)の防止などが必要であり、自動車後部から試験用台車曳航したり、ノースアメリカン NA-16-4M(英語版)を前輪式改造して試験などが行なわれた。 サーブ 211943年7月30日初飛行したが、このとき既に射出座席搭載していた。より短距離離陸できるとの考えから、離陸はフル・フラップ(フラップを完全に下げること。通常離陸時には半分ほどしか下げない)で行なわれたが実際に離陸滑走距離は伸びてしまい、フェンスに脚が接触した着陸時には車輪ブレーキ作動せず、テストパイロットスピン・シュートスピン回復パラシュート)をドラッグ・シュートとして利用した

※この「設計・開発」の解説は、「サーブ 21」の解説の一部です。
「設計・開発」を含む「サーブ 21」の記事については、「サーブ 21」の概要を参照ください。


設計開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 21:43 UTC 版)

東京エレクトロン デバイス」の記事における「設計開発」の解説

受託設計・開発や量産製造、及び自社ブランド(インレビアム)商品開発販売

※この「設計開発」の解説は、「東京エレクトロン デバイス」の解説の一部です。
「設計開発」を含む「東京エレクトロン デバイス」の記事については、「東京エレクトロン デバイス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「設計・開発」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「設計・開発」の関連用語

検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



設計・開発のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国鉄80系電車 (改訂履歴)、サンダース・ロー SR.A/1 (改訂履歴)、Mi-4 (航空機) (改訂履歴)、CVR(T) (改訂履歴)、CASA CN-235 (改訂履歴)、D-558-2 (航空機) (改訂履歴)、マッキ M.C.72 (改訂履歴)、フェリックストウ F5L (改訂履歴)、T-7 (航空機・アメリカ) (改訂履歴)、マクラーレン・F1 (改訂履歴)、AJ (航空機) (改訂履歴)、45口径三年式12cm砲 (改訂履歴)、エアバスA330neo (改訂履歴)、マルメ MFI-10 (改訂履歴)、Hs 298 (ミサイル) (改訂履歴)、カプロニ Ca.90 (改訂履歴)、ロールス・ロイス クレシー (改訂履歴)、ライアン ST (改訂履歴)、サーブ 21 (改訂履歴)、東京エレクトロン デバイス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS