評価・分析とは? わかりやすく解説

評価・分析

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 17:11 UTC 版)

山野一」の記事における「評価・分析」の解説

青山正明 - 僕の頭の中では、山野一氏と根本敬氏は、ゲス漫画家双璧である。この世の、永遠になくなることなき悲劇照準合わせ日本現実踏まえたうえで徹底的にえぐっていく。短編好きだが、願わくば、もっとむごい大部長編作を描いてもらいたいのである高市俊皓 - ジョン・ウォーターズ山野一素晴らしいところは、山田花子の言う「常識の嘘」を徹底的に暴き出し木っ端微塵粉砕してしまうところだ。見ていて爽快な気分になる。 吉永嘉明 - 当時山野一さんの作品は、貧乏人愚かどうしようもない人たちの業が渦巻くベタベタリアルに描き込んだ世紀末煩悩漫画だった。「人とは、なんとどうしようもない存在なのだろう」ということを、これでもか描き諦めたような不条理な作風は、良識派からは評価されにくいタイプのもので、カルト人気の高い作家だった。そんな彼の漫画は、僕のような少数派自認しルサンチマン抱えた者には、独特の「癒し効果のようなものがあった。「ああ、やっぱりそうだよな……」山野一さんの漫画を読むと、いつもそうつぶやくのだった唐沢俊一 - だれもが知っている、しかし言葉にしたがらない本質その上に描き出される残虐性と、運命どうしようもない救われなさ。人間が、同じ人間の姿で最も見たくないと思っているような下劣な部分をこの作者容赦なく描きあばく。描いていて自分イヤにならないだろうかどういう精神構造をしているのだろうか。よほど、人間悪趣味な部分興味があるのだろう。見るのがイヤイヤだと思いながらも、しかしページをめくらざるを得ないという、マゾヒスティック感覚を味わわせてくれる。 永山薫 - イヤハヤ言語道断なマンガ家出現したものだ。その作品たるや気の弱い婦女子ならば一読三嘆三日三晩ウナされること確実の衛生博覧会因果物の見世物トッド・ブラウニングの『フリークス』とジョン・カーペンター『遊星からの物体X』濃縮混合エキス如き代物である。このキモチワルサは、只単にフリークスワケわからない蛆虫ミミズ、廻の類がワンサ画面あふれているからだけではない。キモチワルイ絵なら絵心さえあればサルだって描ける。山野のキモチワルサは、そのキモチワルサが常に人間肉体から発していると云う極めて生理的なキモチワルサなのだ。彼の本領、即ち生理的肉体対すこだわり。つまり人間肉体そのもの内在する気色悪さ、訳の判らなさ。つまり、外見はさほどではなくとも皮一枚下に、ドロドログニャグニャのハラワタミミズ如き血管神経さらにはサナダ虫、廻ぎょう虫包虫等々と云った考えるだにオゾケ立つキモチワルイモノを秘匿している肉体持って生きるコトのキモチワルサ。とにかくとんでもない想像力持ち主登場拍手贈ろうではないか大塚恭司 - レトリックのうまさだけが評価され氾濫する世の中で、山野氏の作品はいかに最短距離で本質到達するという事賭けている。そして「自分面白い」と思う感覚忠実である事に微塵揺らぎも無い。処女短編集夢の島で逢いましょう』では混沌としていた作風が、第二『四丁目の夕日』確立され第三作『ヒヤパカ』では「最短距離で本質到達する」という抽象性における特質見事に開花し、それは驚異的な完成度を持つ作品集仕上がっている。最新作混沌大陸パンゲア』は、その名の通りもう一度混沌とした世界立ち返っている様に見受けられ、それは山野氏が作家として螺旋状進化していく一過程の様で興味深い異色作品を創り出す氏だが、作家として進化は、非常にシンプル正統な道を歩んでいるのかも知れない或る作風驚異的完成度の域に到達した作家が、その後抽象性においてどんなひろがり見せていくのか? 『パンゲア』は、その可能性暗示する過渡期作品集であり、それ自体作品としての面白さ同時に作家山野一今後ゾクゾクする期待させるになっているブラフばかりで構築され世界。そしてブラフばかりで構築され人々世界観自分世界観あまりに下らないことに気づいた時こそ山野作品を読むのにふさわしい時である。山野作品は、その唾棄すべき世界観一気クラッシュしてくれる。

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岡田更生館事件」の記事における「評価・分析」の解説

本件国会で問題視され審議されることとなった事件発覚から2か月後の4月6日には、衆議院厚生委員会厚生事務次官木村二郎民主社会党所属堤ツルヨ議員からの質疑対し新聞紙面で騒がれているほどの実情はなかったと否定的な答弁行っている。その上で公的施設にも拘らず設備大きな問題抱えていた点を認めている。つまり、収容定員超過していることが最大問題だとの認識示した翌週4月14日参議院議員山下義信厚生委員会審議で、設備ではなく人の問題指摘している。岡田更生館職員過半数が「巡査」の職責にあるにもかかわらず、「誠に低級な者」だと評価した上で公益性の高い社会事業運営者には相当にしっかりした人物抜擢しなければならない見解示している。人選にあたって資格なり適格審査基準のようなものを設けるべきではないかとも指摘している。このような観点は、4月9日衆議院厚生委員会でも岡山県出身日本共産党所属議員苅田アサノからも言及されている。N館長が戦前満州長らく巡査務めていた経歴着目し、「こういう民主的な新し社会施設自分主宰しでやるには不適当な人だと思う」(原文ママ)と発言している。 同年4月には参議院議員姫井伊介現地視察行っており、その様子は1949年5月10日開催され参議院厚生委員会審議詳細報告されている。姫井報告によると、事件発覚によって岡田更生館からの逃亡者幾分増加して1日平均1人、また死亡者8日1人割合であった。これにより岡山駅には浮浪者増加したとして、地元からは不満の声が上がっている。収容室の拡張設備改造修理行われているが、辺鄙な立地であることから収容者働き口少なく別の地に移転するのが賢明ではないか、との見解述べている。 事件後、岡田更生館改組名称変更し岡山県吉備寮となるも、1955年昭和30年)に廃止1956年昭和31年)には更生施設から救護施設改組されたが1957年昭和32年)に廃止された。その後跡地には民間病院一時期開設されたが閉鎖されその後住宅地となっている。 岡山市内で浮浪者収容当たっていた県職員荻野半麓は事件後、職を辞した荻野著書浮浪児とともに』(1949年)の中で、収容者への暴力について「(統治手段として)この程度なら仕方がない」と考えていたと述懐、「良識鈍っていた当時自分をただ恥じる」と心情吐露している。 地元郷土史記した書籍では、県が主管する社会福祉施設で、人権もとより人命までもが全く軽んじられ運営が行われ、結果として非常に多数死者出た本件を、県の福祉行政の面でも前例のない汚点残した批判されている。

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不思議の国のアリス」の記事における「評価・分析」の解説

『不思議の国のアリス』とその続編『鏡の国のアリス』は、それまで旧弊教訓物語から脱し児童文学新し地平切り開いた作品として評価されている。ピューリタン的な伝統の強いイギリスでは、子供のための本はあってもそれは子供知識得させるため、信仰心道徳心植えつけるためのものであり、当時そうした子供対する「教訓」を内に含まない本は稀であった児童作家文章も型にはまったものが多く、しばしば不必要に飾り立てられ、また単音節の語を多用することによって単調になりがちになった。彼らにとって子供はあくまで教化対象であり、未完成な、知力感受性もない存在と見なされ、物語の中では子供はしばし無知病苦貧困セットにして描かれていた。 そうした中にあって、教訓いっさい含まず純粋に子供を愉しませるために書かれ『アリス』登場画期的なものであったキャロル読み手ある子供をあくまで自分と対等な存在として扱い、その文章それまで児童書約束事からはずれ、長い音節単語子供には難し概念を、分かりやすい冒険物語の流れ組み込むことによって躊躇なく使用した作中多用される言葉遊びパロディナンセンス要素また、旧来の児童文学伝統打ち壊すのに大きな役割担っているこうした言葉遊び純粋に言葉によって子供を愉しませる一方で当時よく知られていた教訓詩地口や意味のずらしによって馬鹿馬鹿しい詩に変えられ児童教育はびこる教訓主義はどんなことに対して教訓を見つけ出してみせる公爵夫人登場によって化され初等教育詰め込み主義代用ウミガメの語る学校思い出によって風刺される。こうした要素また、キャロル自身子供時代受けた苦痛反映でもあるが、キャロルナンセンス風刺の域を突き抜けて、ときに人間存在の暗い部分にまで届く。 二つアリス物語児童文学流れを語る上で欠くことのできない古典として確固とした位置をしめており、児童文学作品としては他に類を見ないほど多種類の批評研究対象とされてきた。作品の時代背景とともに作者実人生詳細に調べられ作品関連付けられ、キャロルだけでなくアリス・リデル伝記書かれているこうした歴史的伝記的解釈一方でアリス物語さかんにフロイト流の精神分析対象にもされた。こうした解釈においては、しばしば物語ヴィクトリア朝社会性道徳抑圧され作者性的欲求反映と見なされ、例え初期分析では、アリス落ちていく長い穴や廊下、そこで見つける鍵と扉、そこにかかっているカーテンはいずれ女性身体や服の象徴であり、長く伸びる首男性器象徴と見なされた。あるいはその長い穴が子宮であるとすれば、涙の池は羊水表し、そして大きくなって胎児のように部屋閉じ込められるアリスは「誕生トラウマ」の主題繰り返しているのかもしれないウィリアム・エンプソン)。 しかしこうした分析は、作品精神的な背景一面を示すことはあるものの、必ずしも常に作品本質つながりうるものではないし、また必ずしも作品全体的な理解につながるわけでもない『アリス』注釈マーティン・ガードナーは、アリス物語は(「あらゆる偉大な空想物語同様に」)どんな象徴的解釈類型にでも容易に当てはめることができるとして、こうした比喩的象徴的な解釈自身注釈から排除している。

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ねじ式」の記事における「評価・分析」の解説

高野慎三 - 初め構想出来上がった作品様相一変させており、その一件でも私は、つげの力量驚嘆せざるを得ない樋口和彦宗教心理学者) - 「ちくしょう目医者ばかりではないかと言いつつ医者探すときに、目医者看板6つ向いているが、この目は対人恐怖症世界をよく現している。この人は描くために絵を描くではなく自分癒しのために絵を描いたのだろう。だから寡作なのだ。どの絵もその人心と直接接触していると思える。この作品は、夢を元に描かれと言われるが、夢というのはそのデタラメさが本領であり、そのデタラメさの故にそれに束縛され迫力があるのだ。 福島章精神科医) - 『ねじ式』は、締め切り追われ、夢をそのままやけくそ描いた作者回想するが、『ねじ式』の夢と『夢日記』などの夢を比較すれば額面通りには受け取れない着想が夢であったとしても、その夢の内容をひとつの作品構成する意志存在が、この夢物語を「作品」にまで引き上げているのだから。 澁澤龍彦 - 『ねじ式』出たとき、大喜びして「これはいいんだー」と大騒ぎした押井守映画監督) - 『ねじ式』は、元々が「引用」の寄せ集め。だから引用しやすい。代表作とは必ずしも質的な最高傑作ではなく、どれだけ引用され語られたか、その数で決まるとも言える『ねじ式』は、解釈欲をそそる「解釈したくなる作品」。でも、深い意味があるよう思わせる傑作作者は「伏線張り裏読み仕掛けた」のでなく、これは所謂無意識の力」。この作品は、絵と言葉無意識のもと見事に合体した稀有な例。 池上遼一 - 背景見開き汽車の絵も水木プロダクションにいた時の経験生きているし、路地から汽車出てくるシーンも何となく水木しげるタッチだ。発想はつげ独自だが、絵のスタイル水木影響がある。椎名麟三の『深夜の酒宴』につげ作品似た雰囲気がある。だから小説でもストーリー性の強いものにはもう既にあまり興味はなかったんじゃないか赤塚不二夫旧友) - 完全なナンセンスとして成立していて、突出していた。だからって、この作品が、世に問うといった問題作でもないし、社会的な現象をとり入れてかかれたものでもなかった。むしろ、そういったものから完璧に孤立してるんだね。その孤立ぶりに衝撃受けたといっていだろう。これは結論的な作品だぜ。これをかいてしまったなら、あとがない。ぼくだったら、中にしまっておき、適度なナンセンス作品お茶をにごしておくよ。

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劇場 (モーム)」の記事における「評価・分析」の解説

行方昭夫本作長所女主人公であるジュリア集約されると指摘している。行方によるとジュリアは「モーム想像した忘れがたい女性像」のひとりであり、「内的独白」を用いてジュリア考え生き生き描写されており、「『劇場』の面白さはその大半を彼女の魅力ある性格依存している」ものであるモーム通常あまり難解なレトリック使用しないため、この内独白多用について、龍口直太郎は「この種の実験的小説技巧に対してはいつも批判的立場立ってきたモームとしては、ちょっと人を驚かすものがある」と述べている。一方ジュリアについては非常に魅力的かつ丁寧に描写されているが、息子ロジャーなどのキャラクターはあまりよく描きこまれていない評されている。 本作演劇主題としているだけあって演劇的な作品であると考えられており、「モームがこの物語十年二十年前書いたら、劇の形をとってあらわれただろう」とも言われている。ジュリアは「自分演技創造性開放感を味わう」人物であり、本作は「役者通して芸術家気質を描く」ことを目指し作品考えられるドリーレズビアンで、ジュリアに対して恋心抱いていると解釈される

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コインロッカー・ベイビーズ」の記事における「評価・分析」の解説

秋山駿は、「この小説は、コインロッカー赤ん坊死体発見相次ぐ頃、思いつかれたものであろう。私はそこがいいと思う。こういう現代的生存特徴的な急所を(しばしば犯罪の形が先行するもの)、真な一つ想像力発案として、小説世界挑むということ。それが現代文学前衛の場所のはずだが、そんなことを本当に試みている作家寡い」と評した住吉雅子は、コインロッカー捨てられた「ベイビー」を、「倫理観などを差し置いた経済最優先社会生じた歪の象徴」とし、「二人自分何者なのかを希求し先に都市への復讐を果たすことで「コインロッカー・ベイビーズ」という主体獲得したのである」と分析している。 吉本隆明は、ハシキクのような胎児嬰児を純粋理念上に存在させるとすればこういう胎児または嬰児は、やがて同性愛的な傾斜をもつようになるだろう」「何らかのきっかけさえあれば、被害妄想追跡妄想をこうじさせて、フロイト古典時代パラフレニー名づけたものの病像をたどるだろう」とし、「この作品捨て難い魅力があるとすれば作品主人公たちの織りなす物語が、胎児あるいは嬰児時期母性的なものとの接触決定的に障害され人間がたどる純粋理念的な必然を、いわばありあまるほど豊饒狂暴なイメージ情欲として展開しているからだとおもえる」と評した

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ひとりぼっち惑星」の記事における「評価・分析」の解説

配信後の2016年6月下旬には、多数ユーザーゲーム内受信した「こえ」のスクリーンショットを「#ひとりぼっち惑星」というハッシュタグをつけてTwitter投稿したことで話題となり、サーバーユーザー数増加による負荷に耐え切れず6月26日夕方から1日半に渡りメッセージ送受信機能など機能停止する措置取られた。2016年6月27日にはApp Store無料ゲームランキングで総合1位獲得した2016年12月1日Google発表したGoogle Playベストオブ 2016日本版ではベストインディーゲーム部門ノミネートされた。 ヒット要因について、どのようなメッセージが届くかわからないドキドキ感やワクワク感と、受信したメッセージ作りこまれたものが多く多岐にわたることに加え作品世界中で「ひとりぼっち」のプレイヤーにそのメッセージが届くことが「誰か共有したい」という想い掻き立てたことが挙げられている。2017年1月31日TBS放送された「マツコの知らない世界」では一人暮らしお助けアプリ独り身孤独癒してくれるアプリおひとりさまアプリ」の1つとして本作紹介された。メッセージに関する点以外にも、シンプル美しグラフィック寂しげBGM、そして独特の儚い世界観評価されている。

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ときめきアイドル」の記事における「評価・分析」の解説

ライター怪し隣人2018年3月25日ねとらぼ公開され記事において、本作についてストレスなく遊べる、ベーシックリズムゲーム」と評している。本作の特徴として「オートプレイ」と「15全員が踊るメロディアスライブ」を挙げており、前者によってリズムゲームにおける「周回が大変である」という問題解消されており、後者については今までリズムゲームでは見られなかった多人数ステージで踊る姿が見ものであり、他社作品をよく研究して作られているアプリであると述べている。また、マニア向けに濃い要素どっさり盛られている」点が本作面白いところであると指摘しており、例として更新データダウンロード中にバブルシステム起動時流れる曲が流れることや、伊澄いずみがコナミコマンドを口にしたり、イベントで『ラグランジュポイント』をプレイしていたりすることなどを挙げている。 CNET Japan佐藤和也2018年9月15日公開され記事において、リズムゲームとしての本作について、「昨今スマホゲームとしてオーソドックスシステムとなっており、遊びやすくとっつきやすいものとなっている」と評している。軽快さを感じられる曲が揃っており、リズムゲームとして親しみやすく、ステージ表現アイドルたちのダンス加えカメラワークにかなり動きがあり見ごたえのあるものになっている述べている。おまかせライブ存在遊びやすさのポイントであり、ただのオートプレイではなく自身プレイ結果によっておまかせライブ結果が変わるようになっているところがリズムゲームスキル要素をうまく落とし込んでいると評している。またリズムゲーム以外の部分について、学生寮アイドル達談笑している姿を見ることができたり、衣装アクセサリカスタマイズができたり、VRモードによって様々な距離からアイドル接することが可能な点を挙げ、「眺めて楽しむ」要素多数盛り込まれており、手軽にアイドルたちを身近に感じられる内容になっている述べている。そして、「少し高め年齢層を突く、ときめきメモリアルならびに往年のコナミゲームタイトルに関連したネタあらゆるところにちりばめられている」点が他のアイドルテーマとしたゲームコンテンツとの差別になっている述べ初代作のエンディングテーマ二人の時」やツインビーPARADISEオープニングテーマTwin memories」などのアレンジ楽曲実装されている点、オフボーカルの特別楽曲として『グラディウス』や『がんばれゴエモン』のBGMアレンジ楽曲実装されている点を挙げている。また楽曲以外についても下校イベント中に呼び名変更できたり、レッスンイベントにおける演出過去作踏襲したものになっていること、さらにはキャラクターのセリフについても過去作のキャラクターセリフ意識したものがあり、衣装ユニット名にもコナミタイトルに関係する名称がそれぞれ付けられており、「細かいところにまでシリーズやコナミタイトルのネタ使われている」と指摘している。キャラクターについては、15それぞれ個性的お気に入りメンバーを見つけて楽しむのも1つ楽しみ方であると評しており、伊澄いずみ、片桐奈々草壁野々香を紹介している。 一方で運営サービス終了後2019年1月22日公開され記事において怪し隣人は、運営サービス終了至った理由について宣伝不足を挙げており、『コンプティーク』誌での取り上げはあったものの、それ以外目立ったものがなく、出演声優によるライブイベントである「トキメキチャレンジ」を開催していたもの広報稚拙で、公式twitterアカウントでのつぶやき少なく「『声優ファン向けのアピール』『ゲーム外での活動アピール』が不足していた」と評しており、その結果往年のファン顧客中心に据えざるをえなくなったが、それでは採算取れなかったのではないか分析している。また、2018年5月末に開催されゲーム内イベント協力フェス」の出来悪く、「余計な要素入れて失敗した」と評しており、そのイベント向けの特攻ガチャ実装されたことで「突然締め付け厳しくなってきた」という印象感じその後8月末に開催されゲーム内イベントである「アイドル対抗フェス」はまっとうな内容であったものの、その時点ですでにモチベーション減衰していたと述べている。「キャラクター魅力的に見せようという努力感じられないゲームであったとも評しており、キャラクターとの交流コミュストーリー内容薄さ挙げ、「15人の魅力的なアイドルとの交流を楽しむゲームではなく一部懐かしコンテンツアイドルだけが目立つ」結果になってしまっており、アピール足りていなかったと指摘している。

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四丁目の夕日」の記事における「評価・分析」の解説

特殊歌人枡野浩一は「読むと心が傷つくように感動する素晴らし漫画だと思います」という推薦文扶桑社文庫二版以降の帯に寄稿しており、特殊漫画家根本敬も本書の「解説」で山野描き出す不幸のどん底を「逆に大乗仏教的ですらある」と評価している。 元『ガロ編集者浅川満寛は「この作品描かれ80年代後半は、日本全体実態のないバブル景気浮かれ拝金主義蔓延した時期である」と時代背景触れ、「そんな時代の中でひたすら社会底辺…というよりも、自己の精神深淵とことん覗き込み創作向かった結果山野のもとに降り立ったのが本作ではないだろうか。底無しの淵を覗き込む、いや、自ら進んで落ちてみるような創作態度持った作家筆者は他に知らない」と評している。また鬼畜系といわれるサブカルチャー元祖存在であった青山正明本作について飽食の時代に於ける異端としての貧困。そう、エンターテインメントとしての徹底した悲惨追及のである」との書評寄せており、これについてライターばるぼらは「90年代流行する悪趣味”の本質ズバリ言ってしまっている」と述べている。

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ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!」の記事における「評価・分析」の解説

谷岡ヤスジ へぇ、奇想天外動きますねぇ。僕自身作品描いているときは随分画面の飛躍動き意識しているつもりですけど映画になってみると予想外効果出てくる。それに映画になると一段とエロですねぇ。この映画黒澤明の『用心棒』を凌ぐ出来です。 田山力哉 面白いこと無類出し惜しみなくセックス描写どしどし見せてくれる。たっぷり楽しませる大人の大娯楽アニメまた、主婦連PTAというどうしようもない連中が、定りきった文句柳眉を逆立てるであろう光景が目に浮かぶよ。かまわないから、やっちまえ。 佐藤重臣 柄の悪さ日本一、バンカラポルノで世界一。と、フレコミ以上に凄い。ナマの裸のオンナがあえぐよりもポルノ度がずっと凄い気がする。とにかく、さすがの私もビックラした。少しぐらいの毒っ気なら、チート驚かない思っていた私が、ヤスジポルノラマ『やっちまえ』を見て唖然としてしまった。まさにポルノの壁を、この映画は完全にぶち破っているのである。これをPTA主婦連のおシャモジばあさん見せたら、半年ぐらいは月のモノなくなってしまうのじゃないか、と想像したくなるものだ。(中略)普通のお客さんには、とてもこの映画笑いきれないだろう。自分たちが、どうしようもないくらいにセックスに対して飢餓感に陥っている、という現実が、そのままぶつけられるからだ。なにしろ“キンタマ”なんて言葉出てくるのは映画史始めてのことじゃないかネ。(中略)このヤスジポルノラマは、映画コード週刊誌コードと同じレベルになったということ指し示すじゃないか。相当に問題になる映画だと思うけど、ポルノ・ユートピアを蹴っとばすようなパワーに、私は恐れ入っていたのである。(中略)そして、ポルノラマが、なによりいいのは、飢餓感ウンザリ感、排泄感、全部セックスに結びつけていることだ。 内田栄一 主人公は「やっちまえ!」と突進する限界感じ向こうの果てまで攻撃しつくせないのを知りながら、当面噴き出す鼻血止めるためにも目の前やら手近にいる女と“やる”ことの実現集中する。そこで理解できるのは、やることや性の遊びやその変化のしかただけに集中するような、そしてそのことを〈文化的〉に高いところで評価してもらおうと、いわば〈上昇志向〉にあふれている俗流ポルノもろもろとは違って、やったり遊んだりすることが谷岡ヤスジ作品においては少しも完結目標になっていないということだろう。(中略)そしてそのような一切リクツ抜きにしてもワイドスクリーンいっぱい何度も出てきて拡がるなつかしいオマンコマーク、それを目撃することができるだけでもぼくらは感動してしまうに違いない少なくともぼくの経験した範囲言えば、それは地上最大のオマンコマークであり、それを見るだけでも谷岡ヤスジ作品世界との、攻撃的破壊的な気配持っている共犯関係〉が成立するような気がする村上賢司 リミッターなしの狂気的に発情した描写とことん放出し続け精神構造同時開業元祖国際秘宝館と同じであり、終映後の疲労感同質なものであった。まさに時代がつくった怪作であり、このような映画もう二度と生まれないだろう。 石野卓球 萌えでもエロでもなくお色気! 宇川直宏 原作からセックス&バイオレンスだけを抜き取ってコラージュして、これ見よがし盛って盛って盛って過激メガ盛り過激つゆだく過激ネギ増し、みたいに作られアニメですよ。ただ、過激であることのみを追求し過ぎで、カオス痙攣起こしている。こんな映画ヘラルド当時7000予算投じたことが奇跡日本では1週間封印されましたがアメリカでは興行収入15億のヒット。謎を謎が呼ぶ、なぞなぞカルトがこの映画です。(中略ヤスジさんは同じハードコアでもポルノではなくパンクの側。社会風刺時代はオリジナル・パンクで、その後ソン)」を舞台にどんどんハードコア・パンクになっていくんです。『やっちまえ!!』には谷岡ヤスジハードコア以前ノーフューチャーニヒリズム発酵してお色気アニメとして、2019年の現在やっと有効になっている。石野卓球さんもそのことコメントされていましたね。そう2004年僕ら封印解いた時にはまだまだ発酵足りなかった。15年経ってお色気要素発酵、そして熟成して2019年、ようやく味わえ珍味となった。実はこの作品とんでもなく歴史的価値のある作品だったのです。 大槻ケンヂ エログロナンセンス、という表現手段全てこの1作に集約されたのではないかと思うほどの怪作。噂には聞いていたがこれほどとは。レベルが違う。下劣醜悪ギャグひとつひとつがいちいちまったく笑えないはっきり言ってゲンナリした! こんな映画体験人生初。観たい人は観ればいいし観てしまった人は後悔なり懺悔なりそれぞれにして「とにかくコレどうかしてるよー!」と言ってまわればいい。とにかくコレは、なんなんだ? すごかった掟ポルシェ グシャッドピンポ~ンッッ(破壊!!!!!! ヨル~ッとアサ~ッのあいだにーッ!!!!!! ドギツおマングワァのキョショー谷岡・F・ヤスジせんせワールドをおとなが見ル用のポルノラマしたったら、バッキバキサイケバイオレンスでガキ見た泡吹いてタオレルやつになったもんに!!!!!!!! ナゲーことフーインされてたけどフタタビ世にトキハナツっつーし、ドーナッテモしらんもん!!!!!!!! 小黒祐一郎 怪作です。カルトです。とにかくインパクトありました。僕がこの作品知ったのは『日本アニメーション映画史』(山口且訓・渡辺泰1977年)だった。「いつかは観たい」どころか一生観る機会はないだろう」と思っていた作品だった。内容はかなり無茶苦茶作り手意図して無茶苦茶なものを制作しているはずなので、これは悪口ではない。中盤からクライマックスにかけて「ええっ!」と驚く展開がいくつもあった。この作品自分の中でどう位置づけすればいいのかはまだ分からない眠田直 珍品。まさに珍品としかいいようがない。「幻の名作」ではないので、谷岡ヤスジファン以外は無理して観る要は無いよ。 藤本義一 絵に描いただけでも強烈なヤスジ・マンガが動き出すのだからもの凄い迫力だ! 金田益実 映画始まって数分「おい、これで全編いくの?!」という不安と期待! 壮絶なラスト! 想像の遥か上を行く長編カルト漫画映画! 春日太一 アバンギャルドという言葉すら生ぬるい狂気だけに貫かれ世界。よくも、この時代ソフト化できたものだ。 豊田夢太郎 これ相当なカルト作品なので半端な気持ち観る火傷するど。 穂積昭雪 一言でいうと70年代サイケ文化幼くして爆発したような怪作ではあるね。成人アニメという触込みではあるがエロというか演出が目に悪い。見どころ谷岡ヤスジ世界観最初貴重な作品ということもありストーリー追ってしまったが演出を楽しむ映画だと途中で気づいた。この作品歴史に残るとすればチキチキマシン猛レース音響監督高桑慎一郎さんがキレキレ演出見せてること。ラスト三島由紀夫イメージした(かなり生々しい切腹シーン締めるんだが、裏にかかってBGM「君が代」そっくりのアレンジソングで「うわ! 攻めてる」と思った直前には高倉健さんイメージの『昭和残侠伝パロディ出てきたし、ラストむちゃくちゃ。まあなんだかんだで楽しめたけど一度見れたなら、もういいかな?…ただ心に残るものがないだけで90分は丸々楽しめる作品浅野潜 映像処理が一番自由に出来、かなり制限大幅に許容されているアニメーションと言う事があったとしても、徹底して視点人間肉体一部でしか無いセックス絞った事は、原作が僅かでも持っていた精神を見失わせる結果となり、なにか、極端にまでデフォルメされた主人公空虚な残像だけが空しく残る結果となっている。もともと谷岡マンガはいくら爆発したところで所詮負け犬のでしかないというところに欠陥があった訳だが、そうした単細胞動物単純な行動羅列では、限られたコマ見せマンガとは違い何十、何百、何千、何万という原画組み合わせ見せ長編動画場合観客満足させることが出来ないのは、これまた当然でもあろう。「第一章私生活」の中でこそ、夢と現実混合中にまだしも強烈な自意識見せたプス夫が、父親と妻を殺したあげく自分の腹をかっさばいて、セックス乗って昇天するラストに、なんとも言えない70年代楽観主義」が後味悪く感じられ仕方がないのもそのためである。 渡辺泰 四十六年九月二十六日ママ封切の『DO IT! ヤスジのポルノラマ・やっちまえ!!』もお粗末作品であった東京テレビ動画製作、日本ヘラルド映画配給長編動画で、原作は“鼻血ブー”で売り出した谷岡ヤスジタイトルの“やっちまえ!!”はアメリカ黒人体制破壌〔ママ〕の言葉としている。“DO IT!”で、主人公プス夫が女を次々犯し「女はやってしまうものだ」と行動で示す。映倫クレームタイトルバック作り直し十一ヶ所のカット結婚という人生墓場プス夫が割腹自殺するラスト・シーン三島事件類推させるとのこと全面的な撮り直しとなった興行成績悪く二週続映一週打ち切られたそうだ。結局時流乗っただけの作品で、内容何もない愚作終わった天野ミチヒロ 不遇の作品ゆえ、いまだに40年前酷評独り歩きしているが、谷岡ヤスジ作品単なるエログロバイオレンスではない。その不条理さの中には、我々凡人考え及ばない哲学内包されている。天才谷岡ヤスジキャラクターアニメーションで動く、それだけでもアニメ史上に残る奇跡作品だ。今こそ再評価される時が来た。初ソフト化待たれるガンジー北京鼻血ブー」「アサー」など数々流行語生んだギャグ漫画鬼才谷岡ヤスジ原作劇場アニメスクリーンドアップで出る女性器マーク主人公の嫁は新婚初夜で「アサー」と叫ぶレイプされ、その赤ん坊母親犯す赤ん坊主人公の家育てられるが、隣家幼女エッチ三昧寝たきり父親姦通した嫁を日本刀殺した主人公は、動物園でメスゴリラと獣姦してから割腹自殺。よく公開できたと思うが(笑)、これでも映倫11所を削除され割腹シーン前年三島由紀夫自決事件連想させる撮り直し命じられていたというから、初号フィルムはもっと過激なのだろう。2014年谷岡作品の版権管理をしているソニー・デジタルエンタテインメント・サービスが行不明ネガ原盤発見し権利取得した作品2018年東京国立近代美術館フィルムセンター上映されたが、未だDVD未発売だ。ちなみに作品プロデューサー新倉雅美は、1973年日本テレビ『ドラえもん』制作したが、諸事情で現在も封印されたまま。新倉失踪後86年拳銃密輸逮捕された。 新倉雅美 われわれの製作意図は、既成歪んだエロティシズム、つまり、支配者目論んだ性の管理統制だ。(中略映画配給会社との契約決定もないまま、製作していた。このDo it宣言最初共鳴支持をよせたのが日本ヘラルド映画であった。まず、製作期間はまる六ヶ月要した。これに投入され延人数は二万一六百人になる。(中略東京テレビ動画は、常に未来むかって前進してます。エロス革命戦士として活躍するヤングウーマンを控えて未来むかってとどまることを知らない会社─は、きっと若者真の解放達成することでしょう安藤健二 勇ましい文句並んでいるが、東京テレビ動画が、未来向かって前進することはなかった。上映直後活動停止してしまったからだ。「製作期間はまる六ヶ月」という言葉から逆算すると、『男どアホウ!甲子園』が放送終了した直後に、「映画配給会社との契約決定もないまま」見切り発車で製作を開始したことになる。しかし、一週間打ち切りという結果を見るかぎり、新倉一世一代賭け失敗出たようだ。 鈴木ヤスシ 俺はこの作品、ほぼ叫びっぱなしだから疲れちゃってね。これ、1日で録ってるから。しかも長丁場で。でも、この映画さ、何が言いたいのかさっぱりわかんないんだよね。だから、こっちはストーリーわからないまま、1シーン1シーン自由に○○なんだもんねー! パックンパックン!」みたいな感じ喋り続けていたわけ。今観ると(演技が)ちょっと甘ったるい気がするよ。もっと激しくやりゃ良かったな、って思いましたね。絵だって、今だとまだまだ見せられたんじゃないかと思いますものね。例えば、セックスシーンだと、肝心のところで手が出てきたりして、見えなくなるじゃない。今だったらそのカットシーン復元できるんじゃないかな。そしたら、もっと面白くなっていたのかもしれないよね。もっとギリギリ内容にできると思ったんだけどなぁ。 mvunitサイト記憶のかさブタ管理人いろんな意味で狂った映画ではあります谷岡ヤスジというアナーキーな原作1970年代という時代アナーキー計らず融合した結果眩暈覚えるような狂気の作品に。端までデフォルメされた谷岡キャラは今の人が見ればさながらゆるキャラ」の如き愛らしさ感じるのかも知れませんが、それが狂気エロスバイオレンス限りを尽くすというあたりがひたすらシュール&ブラックアヴァンギャルドある意味今の人には新鮮すぎる作品に映るかもしれませんね。半世紀経てようやく熟成発酵成功した作品…なのかな?

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評価・分析

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 02:53 UTC 版)

ねこぢる」の記事における「評価・分析」の解説

知久寿焼 - にゃー子とにゃっ太表情微妙だの口もとが「ω」なのも手伝ってはいるが。そんな、キチガイのそれってい感じ表情のまんま、身のまわりで起こる出来事に対して情緒的なところをすこんと欠落させたみたいな単純でまっすぐな反応をする二匹──あれっ?やっぱりキチガイみたいだなぁ。そうか。そうです、ぼくは『ねこぢるうどん』の、この淡々としてキチガイなとこに感じちゃうんですよ。でも姉弟仲いいよね。 岡崎京子 - ゆかいにむじゃきに「ぶちゅう」とをふみしだいてゆく2匹の幼いねこ姉弟。働く職工黒こげの丸やきになって単々と死んでゆく、「ふーん」とみつめる2匹。いやな感じ。やだなぁ。でも私はこの「やだなぁ」という感じ人間生きてゆく上でとても大切なものだと思うし実は好きです唐沢俊一 - 幼児の持つ、プリミティブ残酷性これほど直観的に描き出した作品はないだろう姉弟基本的に無表情なままの残酷行為は、われわれが子供のころ、親に怒られても叱られても、なぜかやめられなかった、小動物虐待記憶まざまざとよみがえらせる。そして、それを一種痛快な記憶としてよみがえらせている自分に気がついてハッとさせられるのである速水由紀子 - 1970年代前後懐かしい家や街、家族メルヘン世界を、突如殺戮狂気スパッと切り裂く唐突さ。物置片隅ファンタジーお化けと殺意が同居していた、子供の頃記憶リアルに蘇ってくる。グリム童話無垢な残酷さにも通じるものだ。 ねこぢるy - その目を初め見たのは、彼女が暇を持てあまして書き殴っていた画用紙だ。魅力確かにあるのだが、その正体がよくわからない可愛いようで怖い。単純なようでもあり計り知れなくもある。原始人のケイブアート、あの半ば記号化されたような動物や人、あるいは六芒星ハーケンクロイツといったシンボリックな図形そういった要素が、描いた本人無自覚なうちに備わっているではなかろうか蛭子能収 - 最初はとにかく、ばっと飛ばして見てた。『ガロ』に載ってても、真面目に見たことなかったんですよ。あれはただの可愛漫画とばかり思っていたもんですから。見るとこんな残酷で。よくあれが受け容れられたと思いますよ。だから、不思議でたまらない。 柳下毅一郎 - ねこぢるあれほどポピュラリティー獲得できた理由も毒に満ち満ちた内容と、アンバランスな丸っこい描線可愛らしい絵柄ミスマッチとも言えそうだが、甘ったるい絵柄が毒をくるむ糖衣となったおかげでほど良く辛み効かせることになったのだ。これが山野一ではそうはいかない透明な抽象度の高い絵で生々しさ抜いたからこそ女子供にも愛されるねこぢるケータイストラップが作られたわけである。 村崎百郎 - ねこぢる漫画根底にあるのは何かに対立する“反”の意識などではなく、非倫理非道徳、非社会性ともいうべき、あらゆるものから隔絶し超然とした精神である。 青山正明 - ねこぢる創作する世界では凡百の残酷童話ありがちな説教めいた教訓などなく、強い動物は弱い動物にどんな暴力を振るおうが、その死肉を食らおうがお構いなしだ。ところが、その一方で主人公たる一家は、奇妙なところは多々あるとはいえとりあえ仲むつまじい家族である。いつも手をつないで歩く、強く怖い父、分別ある母。こうした家族のあり方は、今の世にあっては現実とは程遠いファンタジーと言えよう。 吉永嘉明 - ねこぢるは「おばさんになるぐらいなら死んだほうがいい」とよく話していた。ひょっとしたら生きることは、死ぬよりもつらいのではないか?と考えたこともある。それでも生きていく中に、きっと、ささやかな喜びがある。年を取ることを恐れないほしいし残された人のつらさも考えてほしい。 根本敬 - 大抵、自殺不幸なものだ。だが、例外もある。自殺した当人類い稀なキャラクター持ちその人らしい生き方選択肢ひとつとして成り立つ事もタマにはあるかと思う。ねこぢる場合がそうだ。死後つくづく彼女は「大物」で、そして「本物」だったと実感する。そのねこぢるが「この世はもう、この辺でいい」と決断してうなった以上、これはもう認める他ないのである年々盛り上る漫画家としての世間的な人気をよそに、本人は「つなみ」の様な世界で浮遊していたのではないか俗にいう“あの世”なんてない。丹波哲郎のいう“大霊界”などあってたまるか。だが、“この世以外の別世界”は確実にあると思う。ねこぢるは今そこにいる。ねこぢるy名義での諸作品を制作する過程山野さんは別世界にいる、ねこぢる交感し、精神安定得ていたのではなかろうか。『ねこぢるうどん』が真の評価を受けるのはまだ先の事だろう。何故ならこの作品はどこかへ向かうためのバルドっていうんですか、その途上にあるから。一体どこへ辿り着くのか? それは─山野さんの脳内行われる山野さんとねこぢるによる「脳内コックリさん」でコインがどの方向スーッと動くのか、それによって決まるだろうが、どちらが主導権を握るか、それによって道筋違って来る。が、いずれにせよ辿り着く先はひとつだろう。 山野一 - なぜ読者方々は、ねこぢる漫画安堵感覚えただろうか?…それは彼女の漫画がもつノスタルジック雰囲気のせいかもしれない…。しかしそれよりも自分と出会いとうの昔置き忘れてきた“自分自身”に再開したそういう懐かしさなのではないだろうか? まだ何の分別もなく、本能のままに生きていた頃の自分…。道徳良識や、学校教育による洗脳を受ける前の自分…。社会化される過程で、未分化なまま深層意識奥底幽閉されてしまった自分…。その無垢さ中には当然、暴力性非合理性・本能的差別性含まれる…。人間そういう性質が、この現代社会そぐわないことはよく解る。どんな人間であれ、その人生まれた社会順応することを強要されまたそうしないと生きてはいけない。しかし問題なのは、世の中都合はどうであれ“元々人間そのような存在ではない”ということだ。もって生まれた資質一部を、押し殺さざるをえない個々人間は、とても十全とはいえないし、幸福ともいえない…。ねこぢる漫画は、そういった問題潜在的にかかえ、またそれを自覚していない若者達に、カタルシス与えていたのだと思う。生前彼女はチベット密教行者レベルまでトランスできる、類いまれ才能持っておりましたお葬式お経上げていただいたお坊さまにははなはだ失礼ですが、少なくとも彼の千倍ステージ高かった思われるので大丈夫…今頃俗世界も私のことも何もかも忘れブラフマン同一化してることでしょう

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評価/分析

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 07:52 UTC 版)

変更管理 (ITシステム)」の記事における「評価/分析」の解説

次の重要な段階影響とリスク評価である。実行されたとき、提案され計画がうまく動かない場合があるかを評価するこの段階では、細部考慮する必要があるその後提案されそれぞれの変更リスク評価 (高、中、低) を割り当てる。高リスク変更には、管理者承認利害関係者への通知など、多く追加手順が必要であるが、低リスク変更には、プロジェクトマネージャ承認最小限ドキュメントのみで済む場合がある 。 計画/範囲対処されていない場合、特に重大な最悪のシナリオがあるリスクの高い変更については、変更取消作業計画考えておく必要がある

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