失踪後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 08:28 UTC 版)
1905年(明治38年)日露戦争中波多野養作等により新疆で行方の調査が行われたが、手がかりはなかった。 1922,3年(大正11,12年)頃岡野増次郎が洛陽でアルシャー郡王(中国語版)と面会した際、過去に王府で日本人を一泊させたが、制止を振り切り新疆へ向かったとの証言を得た。 1935年(昭和10年)春台湾において祖父江某が敬一とミャンマーの豪族の娘との間に生まれた遺児を名乗り、敬一はミャンマーに移った後インドの革命運動で死去したと話し、篤志家の庇護を受けたが、その後上海に逃亡した。
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