失踪後の消息
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 04:34 UTC 版)
1974年(昭和49年)前後の3カ月間、浅草にある知人の旅館で匿まわれていたという証言もある。また、1955年(昭和30年)に定は久遠寺(山梨県身延町)へ石田の永代供養の手続きをしたが、彼女の失踪後も、石田の命日には送り主不明の花束が届けられており、これは定によるものとする説もある。しかし、1987年(昭和62年)頃を境に贈られることがなくなった。睦月影郎によると、1992年(平成4年)頃、佐川一政が何らかの方法で定の居場所を突き止めて接触しており、睦月は佐川から「定は伊豆の老人保養施設にいる」と教えられたという。
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