ウィリアム・エンプソンとは? わかりやすく解説

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エンプソン【William Empson】

読み方:えんぷそん

[1906〜1984英国批評家詩人ケンブリッジ大学在学中書いた評論曖昧七つの型」で、ニュークリティシズムへの道を開いた詩風難解日本の大学教鞭(きょうべん)をとったこともある。詩集吹き募る嵐」、評論集複合語構造」など。


ウィリアム・エンプソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/11 13:34 UTC 版)

ウィリアム・エンプソン
人物情報
生誕 (1906-09-27) 1906年9月27日
イギリス ヨークシャー州
死没 1984年4月15日(1984-04-15)(77歳没)
イギリス ロンドン
出身校 ケンブリッジ大学
学問
研究分野 英語学英文学
研究機関 東京文理科大学北京大学シェフィールド大学
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ウィリアム・エンプソン(William Empson 1906年9月27日 - 1984年4月15日)は、英国文学批評家詩人

経歴

1906年、ヨークシャー州に生まれた。プレパラトリー・スクールの頃から数学に関心を持っており、ウィンチェスター・カレッジへ奨学金を得て入学。1925年、ケンブリッジ大学へ入学して数学を専攻した。

のち文学批評に転じ、アイヴァー・リチャーズの影響を受ける。1930年『曖昧の七つの型』を発表。1931-1934年には、東京文理科大学で教え、帰国後、『牧歌の諸変奏』(1935)を発表。1937年北京大学に赴任し[1]、1940年戦争のため帰国。

戦後、1947年から1952年まで、再び北京大学で教鞭をとった。1953年、シェフィールド大学英文学教授に就任。1971年に同大学を退任後、名誉教授となった。

研究内容・業績

ニュー・クリティシズムの重要な批評家であった。自らも詩作し、詩集を出している。

邦訳された著書

  • 『曖昧の七つの型』星野徹武子和幸訳、思潮社 1972
  • 『曖昧の七つの型』岩崎宗治訳、研究社 1972、新版1985。岩波文庫(上下)2006。水声社 2022
  • 『牧歌の諸変奏』柴田稔彦訳、研究社出版 1982

関連書籍

  • 『エンプソン入門 Empson:Seven types of ambiguity 第一章の研究と注釈』早稲田大学エンプソン研究会編 北星堂書店 1972

参考文献

脚注

  1. ^ 1937年7月に盧溝橋事件が起こると、北京の大学は疎開し、西南聯合大学を形成した。


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