浅野潜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 02:28 UTC 版)
「ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!」の記事における「浅野潜」の解説
映像処理が一番自由に出来、かなり制限が大幅に許容されているアニメーションだと言う事があったとしても、徹底して視点を人間の肉体の一部でしか無いセックスに絞った事は、原作が僅かでも持っていた精神を見失わせる結果となり、なにか、極端にまでデフォルメされた主人公の空虚な残像だけが空しく残る結果となっている。もともと谷岡のマンガはいくら爆発したところで所詮負け犬のでしかないというところに欠陥があった訳だが、そうした単細胞的動物の単純な行動の羅列では、限られたコマで見せるマンガとは違い、何十、何百、何千、何万という原画の組み合わせで見せる長編動画の場合、観客を満足させることが出来ないのは、これまた当然でもあろう。「第一章・私生活」の中でこそ、夢と現実の混合の中に、まだしも強烈な自意識を見せたプス夫が、父親と妻を殺したあげく自分の腹をかっさばいて、セックスに乗って昇天するラストに、なんとも言えない「70年代の楽観主義」が後味悪く感じられて仕方がないのもそのためである。
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