浅野物産の再建とは? わかりやすく解説

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浅野物産の再建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 02:00 UTC 版)

橋本梅太郎」の記事における「浅野物産の再建」の解説

1918年大正7年3月設立され浅野物産は、終戦後不景気資本金の数倍の損失出した。その1920年大正9年)に橋本梅太郎取締役就任して従来思惑買いをやめて堅実なコミッションシステム経営方針にして、それ以後常に利益出した1923年大正12年)には関東大震災被害受けたが、翌日から業務再開し復興材料輸入全力注いで被害相殺した。1925年大正14年)に浅野物産精勤賞与を設けて半年皆勤5円一年皆勤10円半年毎に5円増額して5年50円その後半年毎に10円増額し、最高で百円支給する事にした。但し、一分でも遅刻するゼロ円に逆戻りするという罰則がある為、遅刻者皆無となり、浅野物産社員877人の内100人がこの百円になった。また社員休養必要性説いて一週間夏季休暇規定した。さらに、社員喫煙の害を説いて禁煙勧めた1925年大正14年)から1928年昭和3年)に、浅野物産金融恐慌にも影響されずに利益をあげて、無配から一割、二割、三割と配当増やした1930年昭和5年)の昭和恐慌では影響を受けたものの、一割の配当守った橋本梅太郎1931年昭和6年)に浅野物産副社長就任したが、満州事変為替低落すると、英国にみかんの缶詰雑貨米国缶詰、タイ・ペルシャ・ジャワにビール電球輸出してかなりの利益出した1932年昭和7年)に満州新京出張所設けて原油鋼材輸入請負工事行い利益をあげて配当を三割に戻した1934年昭和9年)には日本石油瀝青販売総代獲得し昭和鉄工株式会社投資し品川倉庫建設した1935年昭和10年下半期には資本金の三割の利益計上し新聞雑誌橋本梅太郎経営手腕賞賛された。同年資本金三倍三百万円にすると、そのうち五十万円基金にし、20年以上勤続して55歳定年達してから病気退職した者に、退職時の給料を死ぬまで支給するという恩給制度設けて毎期利益金の一割を恩給基金繰入れる事にした。これは他の民間企業には無い恩典で、賞賛羨望の的になったこの頃原油輸入浅野物産中心的な業務になったので、タンカー紀洋丸二代目)(11210トン)をノルウェーから購入したが、当時日本にはタンカーはこの一隻しかなかった。1936年昭和11年)に快速タンカー玄洋丸を発注し資本金六百万円増資した。1938年昭和13年)に資本金一千万円に増資した。1929年昭和4年)に日本ヴィクトリックを創立し1933年昭和8年)に日本舗道1934年昭和9年)に昭和鉄工1936年昭和11年)に岡野バルブ製造投資して浅野物産多角化した>。橋本梅太郎横浜正金銀行融資浅野物産経営したので、正金銀行東京支店長の命日には幹部社員率いて必ず墓参りをした。上海事変の頃に海軍省艦政本部三井物産三菱商事浅野物産注文した時に浅野物産には資本金一億円の正金銀行付いていると述べて三井三菱同等注文獲得した

※この「浅野物産の再建」の解説は、「橋本梅太郎」の解説の一部です。
「浅野物産の再建」を含む「橋本梅太郎」の記事については、「橋本梅太郎」の概要を参照ください。

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