作品の時代背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 02:59 UTC 版)
明治期の日本の洋画壇を代表する画家の一人である藤島武二は、1905年(明治38年)11月、文部省から絵画研究のため4年間の欧州留学を命じられ、フランスへ旅立つが、本作品は藤島の渡欧以前の1902年に制作された、比較的初期の作品である。 明治30年代前半の日本の洋画壇は、いわゆる外光派的な作風、すなわちフランスから帰国した黒田清輝を中心とする白馬会系の画風が全盛であった。それは、目に見える世界をありのままに写し出すという傾向の強いものであった(ただし、黒田自身はそうした作風に必ずしも満足せず、西洋流の「構想画」を描きたいと願っていた)。これに対し、古代の伝説、神話、歴史などに題材をとった、浪漫的な絵画が明治30年代半ばからあらわれる。後に明治浪漫主義と称されるこうした傾向の先駆けとなったのが本作のような藤島の作品である。藤島は本作を描く前年の1901年から雑誌『明星』の装画を担当して、アール・ヌーヴォー様式の作品を手がけ、明星の浪漫派詩人たちとも交流をもった。
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