鉄 生体内での利用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 04:30 UTC 版)

生体内での利用

鉄分の役割

鉄の生物学的役割は非常に重要である。赤血球の中に含まれるヘモグロビンは、鉄のイオンを利用して酸素を運搬している[26]。ヘモグロビン1分子には4つの鉄(Ⅱ)イオンが存在し、それぞれがポルフィリンという有機化合物と錯体を形成した状態で存在する[27]。この錯体はヘムと呼ばれ、ミオグロビンカタラーゼシトクロムなどのタンパク質にも含まれる[28]。ヘモグロビンと酸素分子の結合は弱く、筋肉のような酸素を利用する組織に到着すると容易に酸素を放出することができる[27]

フェリチンは鉄を貯蔵する機能を持つタンパク質ファミリーである。その核は鉄(Ⅲ)イオン、酸化物イオン水酸化物イオンリン酸イオンからなる巨大なクラスター(オキソヒドロキソリン酸鉄)で、分子あたり4,500個もの鉄イオンを含む[27]

おもな鉄含有タンパク質[27]
タンパク質名 1分子中の鉄原子数 機能
ヘモグロビン 4 血液中のO2輸送[26]
ミオグロビン 1 骨格筋細胞中のO2貯蔵[26]
トランスフェリン 2 血液中のFe3+輸送[29]
フェリチン 4,500以下 肝臓脾臓骨髄などの細胞中でのFe3+貯蔵[29]
ヘモシデリン 103 - 104 Feの貯蔵
カタラーゼ 4 H2O2の分解
シトクロムc 1 電子移動
鉄-硫黄タンパク質 2 - 8 電子移動

鉄分の吸収

肉や魚のミオグロビンヘモグロビンに由来するポルフィリンと結合した鉄はヘム鉄(おもに動物性)と呼ばれ、非ヘム鉄(おもに植物性)と比較して2 - 3倍体内への吸収率が高い。非ヘム鉄はビタミンCと一緒に摂取すると、水溶性の高いFe2+に還元されて体内への吸収が促進されるが、玄米などの全粒穀物に含まれるフィチン酸お茶野菜類に含まれるポリフェノールなどは非ヘム鉄の吸収を阻害する[30][31]。肉に含まれるヘム鉄は発がん性のあるニトロソアミンの生成を促し、さらに加工肉では亜硝酸ナトリウム硝酸ナトリウムがこれを生成する[32]

鉄分の吸収抑制による抗菌作用

ヘプシジン英語版は肝臓で産生される一種のペプチドホルモンであり、鉄代謝の制御を行っている。ヘプシジンは腸からの鉄の過剰な吸収を抑制する作用を有する。ヘプシジン産生障害は鉄過剰症を引き起こす。多くの病原体はその増殖に多量の鉄を要するため、ヘプシジンが血清鉄濃度を低下させることは炎症の原因となる菌の増殖を抑制して抗菌作用も発揮することになる[33]

ラクトフェリンは、母乳唾液などの外分泌液中に含まれる鉄結合性の糖タンパク質である。ラクトフェリンは、強力な抗菌活性を持つことが知られている。グラム陽性グラム陰性に関係なく、多くの細菌は生育に鉄が必要である。トランスフェリンと同様、ラクトフェリンは鉄を奪い去ることで、細菌の増殖を抑制する[34][35]

鉄分の不足

ヒトの場合、ヘモグロビンの原料である体内の鉄分が不足すると、ヘモグロビンが十分に合成できないため酸素の運搬量が不足し、鉄欠乏性貧血を起こすことがある。また鉄不足は疾病リスクの上昇につながることが示唆されてきており[36][37][38]、鉄分を充分に補充する必要がある。鉄分は、レバーホウレンソウなどの食品に多く含まれ、そのほかに鉄分を多く含む食品は、ひじき海苔ゴマパセリアサリシジミなどである。これらを摂取することで鉄分の不足が改善される。

また鉄の溶解度が小さい土壌で育てられる植物などでは、鉄吸収が不足することで植物の成長が止まり黄化することがある。この症状は、土壌に水溶性型の鉄肥料を与えるなどすると一時的に改善されるが、植物中に含まれる鉄量が増えるわけではなく、ビタミンAの含有量が増えることが分かっている。したがって、鉄肥料を与えることは植物中の鉄分ではなくビタミンAを増やすことに役立つ。植物の鉄欠乏を長期的に改善するには、土壌に大量の硫黄を投入するなどして、土壌質を変える必要がある。なお陸上植物に限らず、藻類も微量の鉄を必要とする。

鉄分の過剰

一方で、過剰な鉄の摂取は生体にとって有害である。ヒトでは食生活の問題による鉄の蓄積(バンツー血鉄症など)や、度重なる輸血による鉄の蓄積などが知られている。自由な鉄原子は過酸化物と反応しフリーラジカルを生成し、これがDNAタンパク質、および脂質を破壊するためである。細胞中で鉄を束縛するトランスフェリンの量を超えて鉄を摂取すると、これによって自由な鉄原子が生じ、鉄中毒となる。余剰の鉄はフェリチンヘモジデリンにも貯蔵隔離される。過剰の鉄はこれらのタンパク質に結合していない自由鉄を生じる。自由鉄がフェントン反応を介してヒドロキシラジカルなどの活性酸素を発生させる。発生した活性酸素は細胞のタンパク質やDNAを損傷させる。活性酸素が各臓器を攻撃し、肝臓には肝炎肝硬変肝臓がんを、膵臓には糖尿病膵臓癌を、心臓には心不全を引き起こす[39]脂肪肝においては、血清フェリチンの増加がしばしばみられ、脂肪肝の中でも非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)を含んだ非アルコール性脂肪性肝疾患では、肝組織内の鉄の過剰が肝障害の増悪因子と考えられている[40]ヒトの体には鉄を排出する効率的なメカニズムがなく、粘膜や粘液に含まれる1 - 2mg/日程度の少量の鉄が排出されるだけであるため、ヒトが吸収できる鉄の量は1 - 2mg/日程度と非常に少ない[39]。しかし血中の鉄分が一定限度を超えると、鉄の吸収をコントロールしている消化器官の細胞が破壊される。このため、高濃度の鉄が蓄積すると、ヒトの心臓肝臓に恒久的な損傷が及ぶことがあり[41]、致死性の中毒症状を発症する。

鉄分の許容量

米国科学アカデミーが公表しているDRI指数によれば、ヒトが1日のうちに許容できる鉄分は、大人で45mg、14歳以下の子どもは40mgまでである。摂取量が体重1kgあたり20mgを超えると鉄中毒の症状を呈する。鉄の致死量は体重1kgあたり60mgである。6歳以下の子どもが鉄中毒で死亡するおもな原因として、硫酸鉄を含んだ大人向けの錠剤の誤飲である。

なお、遺伝的な要因により、鉄の吸収ができない人々もいる。第六染色体のHLA-H遺伝子に欠陥を持つ人は、過剰に鉄を摂取するとヘモクロマトーシスなどの鉄分過剰症になり、肝臓あるいは心臓に異変をきたすことがある。ヘモクロマトーシスを患う人は、白人では全体の0.3 - 0.8パーセントと推定されているが、多くの人は自分が鉄過剰症であることに気づいていないため、一般に鉄分補給のための錠剤を摂取する場合は、特に鉄欠乏症でない限り、医師に相談することが望ましい。

乳児(7 - 12か月齢)、小児および成人における鉄の許容上限摂取量(mg/日)[42]
年齢 男性 女性 妊婦 授乳婦
7 - 12か月齢 40 40 N/A N/A
1 - 13歳 40 40 N/A N/A
14 - 18歳 45 45 45 45
19歳以上 45 45 45 45

鉄分の推奨量

鉄分の摂取についての必要量、推奨量は、以下の式で表される。

  1. 推定平均必要量=基本的鉄損失÷吸収率(0.15)
  2. 推定平均推奨量=推定平均必要量×1.2
  • 20歳前後の男性の鉄分損失量は0.9mg/日であるので、必要量は6.0mg/日、推奨量は7.2mg/日となる。
  • 20歳前後の女性の鉄分損失量は0.76mg/日であるので、必要量は8.7mg/日、推奨量は10.5mg/日となる。
  • 月経のある女性の鉄分の必要量は、以下の式で表される。推定平均必要量=(基本的鉄損失+月経血による鉄損失(0.55mg/日))÷ 吸収率(0.15)
  • 鉄分の耐用上限量は、0.8mg/kg体重/日とされる。70kgの成人で56mg/日が上限となる[43]

その他

鉄の同位体の1種である59Feは、鉄動態検査に用いられる。


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  2. ^ R. S. Ram and P. F. Bernath (2003). Journal of Molecular Spectroscopy 221: 261. http://bernath.uwaterloo.ca/media/266.pdf. 
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  4. ^ 東京大学海洋研究所 編『海洋のしくみ』 p.132 日本実業出版 1997年9月15日発行 ISBN 4-534-02675-7
  5. ^ Audi, Bersillon, Blachot, Wapstra. The Nubase2003 evaluation of nuclear and decay properties, Nuc. Phys. A 729, pp. 3-128 (2003).
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  7. ^ R. Nave, Carl (2005年). “The Most Tightly Bound Nuclei” (English). Hyperphysics. ジョージア州立大学(Georgia State University). 2008年2月17日閲覧。
  8. ^ A 'metallic' smell is just body odour Nature News
  9. ^ 鉄のにおいの正体
  10. ^ 萩原芳彦 監修『ハンディブック 機械 改訂2版』オーム社 2007年3月20日 p.93
  11. ^ 鄭州古栄鎮遺跡出土鋳造所
  12. ^ 翻道安『西域記』
  13. ^ ロジャー・ブリッジマン『1000の発明・発見図鑑』丸善株式会社 平成15年11月1日 p.89, ISBN 9784621073018
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  21. ^ 古尾谷知浩「文献史料からみた古代の鉄生産・流通と鉄製品の生産」奈良文化財研究所 編『官衙・集落と鉄』(クバブロ、2011年)、古尾谷『日本古代の手工業生産と建築生産』(塙書房、2020年)第一部第二章に所収(P37-74.)
  22. ^ 司馬遼太郎「この国のかたち」文春文庫 p.113-120
  23. ^ 太田弘毅「倭寇が運んだ輸入鉄―「鉄鍋」から日本刀製作へ―」(所収:明代史研究会明代史論叢編集委員会 編『山根幸夫教授退休記念明代史論叢』上巻(汲古書院、1990年) P521-538)
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  28. ^ 八木康一編著『ライフサイエンス系の無機化学』三共出版、p.95、1997年、ISBN 4-7827-0362-7
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