創価学会 概要

創価学会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 12:20 UTC 版)

概要

1930年(昭和5年)11月18日に『創価教育学体系』が発刊され、尋常小学校校長であった牧口常三郎と、戸田城聖ら当時の教育者などが集い、日蓮仏法精神に基づく教育者の育成と雑誌の発行を目的とする「創価教育学会」(初代会長:牧口常三郎、理事長:戸田城聖)を創立した。1937年(昭和12年)に、創価教育学会は日蓮正宗の1つとして位置付けられた[2]。この組織が創価学会の前身となる。

しかし、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法並びに伊勢神宮に対する不敬罪逮捕され、牧口は1944年(昭和19年)11月18日に獄死。1945年(昭和20年)7月3日、出獄した戸田は、組織名を「創価学会」に改称し組織を再建、1952年(昭和27年)、宗教法人の認証を得る。

1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長に就任した戸田城聖の下で、75万世帯を目標にした「折伏大行進」という名の大規模な布教活動が行われ、日本国内での創価学会の勢力は急拡大したが、強引な勧誘の手法は批判を呼び、社会問題化した[3]1958年(昭和33年)4月2日に戸田第2代会長が死去した後、1960年(昭和35年)5月3日に池田大作が第3代会長に就任した(現・名誉会長)。1991年(平成3年)11月に日蓮正宗宗門から「教義の逸脱」などを理由に破門される(後述)。

教義的には日蓮末法時代の本仏と定め、法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊を認定して掲げ、「南無妙法蓮華経」の唱題を実践し、「法華経」思想の布教を宣言(広宣流布)し、平和世界の実現を目標とするとしている[4]

1962年(昭和37年)には「公明政治連盟」を創設し、2年後の1964年(昭和39年)には日本の政党の要件を満たしている唯一の宗教政党として「公明党」を結成し、日本政治にも関わっている[5]。政治学者の中北浩爾は、「公明党は、宗教団体の創価学会を支持母体として、一九六四年に結成された。自民党が財界をスポンサーとしつつ農村部に主な支持基盤を築いたのに対し、公明党は高度経済成長に伴って都市部に流入した比較的貧しい人々を組織化した。日本政治の中枢に位置した自民党とは違い、公明党は周辺から生まれ、成長していったのである。」とした[6]











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