貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:34 UTC 版)
2016年頃からJR貨物の車扱貨物取扱駅として扱われている。不定期列車ではあるが、東福山駅との間でレール輸送の高速貨物列車が運行されている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 17:50 UTC 版)
開業以来の一般駅であり、1981年(昭和56年)11月20日より専用線発着車扱貨物を取扱う駅となったが、日本貨物鉄道に経営移管後の1996年(平成8年)3月16日に車扱貨物の取扱は臨時化され、駅構内の貨物設備は全部撤去された。貨物臨時化以前には住友セメント西富山サービスステーション及び日本アルコール販売富山保管所への専用線が接続していた。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 新報国製鉄線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.5粁) 1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 呉羽製鉄線(第三者使用:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.5粁) 住友セメント線(動力:私有機関車、作業粁程:0.4粁) シェル石油線(動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.1粁、備考:国鉄側線) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 呉羽製鉄線(通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.5粁、総延長粁程:0.9粁) 住友セメント線(動力:私有機関車、作業粁程:0.4粁、総延長粁程:0.6粁) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日本アルコール販売線(真荷主:内外輸送、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 住友セメント線(動力:私有機関車、作業粁程:0.4粁、総延長粁程:0.6粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 15:41 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は臨時車扱貨物の取扱駅となっており、貨物列車の発着はなくなっている。かつては、駅の南東にある日本アルコール販売新潟保管庫の荷役線(専用線)が駅に接続し、同所へのアルコールが浮島町駅から到着していたが、1995年(平成7年)9月限りで廃止された。また、三菱ガス化学の専用線も接続しており、同社新潟工場から出荷される液体アンモニアやメタノールなども取り扱っていたが、1995年に新潟臨海鉄道藤寄駅に集約され取扱を終了している。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 16:57 UTC 版)
JR貨物の駅は臨時車扱貨物の取り扱い駅で、新潟トランシスで製造された鉄道車両を、当駅に接続する黒山駅分岐新潟東港専用線(新潟東港鉄道、専用線)を経由して輸送する甲種車両輸送列車のみである。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 15:54 UTC 版)
JR貨物の駅は、コンテナ貨物(12フィートコンテナのみ)と、臨時車扱貨物の取扱駅となっている。コンテナ輸送はトラック便によって行われる。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 15:48 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は臨時車扱貨物の取扱駅となっており、貨物列車の発着がなくなっている。 かつては、3番線外側にある側線から駅の東にある電気化学工業新発田サービスステーションへ至る専用線が分岐していた。そのため当駅には青海駅からセメントが到着していたが、2002年(平成14年)3月ごろに廃止された。 また駅舎北側の線路に沿った場所には、有蓋車用の貨物ホームが1980年代まで置かれていた。 その他、以下の専用線が存在していた。 大平洋金属専用線 新発田ガス専用線 出光興産専用線
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 06:53 UTC 版)
車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着もなかった。貨物設備はなく、専用線も当駅には接続していない。なお鉄道貨物協会「貨物時刻表」においては、2019年度版から「社線接続駅・旅客駅」として表記されており、登記上でも貨物駅としての営業は既に廃止されている模様。 貨物列車の発着は、国鉄分割民営化前の1986年まであった。貨物取扱の大半は八戸貨物駅開業により同駅に移管されたが、最終期まで日本飼料ターミナルの営業所を発着する飼料の取扱を行っていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 21:19 UTC 版)
JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着はない。貨物設備もなく、専用線も当駅には接続していない。 かつては、正式な貨物駅を兼ねる駅で北陸本線と三国線と京福電鉄永平寺線との貨車の受渡しが行われていた。また、駅北側にあった明星セメントのセメントサイロへ続く三国線と並行する専用線があり、セメント輸送が行われていたが、1988年(昭和63年)に廃止された。それ以外に駅東側にある福井化学工業(旧・西野製紙)金津工場への専用線が伸びており、化学薬品の輸送を行っていたが、1982年(昭和57年)に廃止された。この専用線は1969年(昭和44年)に廃止された京福電鉄永平寺線の線路の一部を転用したもので、永平寺線時代は京福金津付近の専用線を介して行われていたが、永平寺線廃止以降は、京福金津駅構内の線路も含め専用線に転用された。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 07:38 UTC 版)
1981年(昭和56年)まで一般向けの車扱貨物を、1996年(平成8年)まで専用線発着の車扱貨物を取り扱っていたが廃止され、現在は臨時車扱貨物のみを取り扱っている。当駅で荷役作業を行う貨物列車は無く、荷役設備や専用線は存在しない。 かつては鉄道貨物輸送の拠点駅の一つであり、駅西側に有蓋車用貨物ホームや車運車用自動車荷役ホームが存在した。また、大同特殊鋼星崎工場や三井東圧化学(現在の三井化学)名古屋工場、住友セメント(現在の住友大阪セメント)サービスステーション、帝人名古屋工場へ続く専用線があった。 なお名古屋臨海鉄道に継走する貨物列車の発着があり、機関車交換も行われている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 16:11 UTC 版)
当駅では臨時車扱貨物のみを取り扱っており、定期貨物列車の発着はない。まれに発着する臨時貨物列車は、東急系列の車両搬入・搬出や他社譲渡・譲受する車両の搬出、東京メトロや伊豆急行、相模鉄道など関係各社の車両を搬入搬出する車両輸送列車である。但し埼玉高速鉄道と都営地下鉄三田線の車両搬入搬出は綾瀬駅や越谷貨物夕で行っているので当駅では行なっていない。 近年の年間発着トン数は下記の通り。 年度発送トン数到着トン数出典1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 4,800 2003年 4,000 2004年 1,600 2005年 1,600 2,800 2006年 1,200 5,200 2007年 800 5,000 2008年 2009年
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 14:29 UTC 版)
当駅における貨物取扱は臨時車扱貨物のみで、定期貨物列車の発着はない。臨時車扱貨物は甲種車両輸送列車がまれに運行されるのみである(路線記事を参照)。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 09:34 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1980年(昭和55年)9月25日に廃止された。かつて当駅に接続していた川田工業専用線は一部が残存している。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 北陸車両線(動力:手押、作業粁程:0.2粁、備考:同専用線は加越線より分岐する) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 川田工業線(動力:加越能鉄道所有機関車及び手押、作業粁程:0.4粁(第1積卸線)・0.2粁(第2積卸線)、総延長粁程:0.6粁、備考:同専用線は加越線より分岐する)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 09:30 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1980年(昭和55年)9月25日に廃止された。 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 橋本木工線(動力:手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.2粁、備考:国鉄側線)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 13:50 UTC 版)
2017年4月1日までは日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅でもあった。当駅における取扱貨物は、専用線発着コンテナ貨物であった。 当駅から庄川に面する中越パルプ工業二塚工場までは、全長1.4 kmの専用線が続いており、2015年(平成27年)9月30日まで主に同社より新聞用紙が運搬されていた。2015年(平成27年)のダイヤ改正以降、当駅発着の貨物列車の列車番号は、臨時列車に割り当てられる9000番台に変更されており、鉄道貨物協会『貨物時刻表』には運行時刻が掲載されなくなっていた。中越パルプ工業二塚工場への専用線は、同年9月30日午前8時30分頃に同工場を出発し、当駅で貨車を切り離した後、9時30分頃に機関車が当駅から工場へ折返したのを以て貨物列車の発着を休止し、貨物取扱は高岡貨物駅に移管された。なお最終列車は10両編成であった。なお、当駅までのJR貨物の第二種鉄道事業免許も、2017年4月1日付で正式に廃止された。 1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 砺波製紙線(第三者使用:日本通運及び中越運送、動力:私有機関車、作業粁程:1.4粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 礪波製紙線(通運事業者:日本通運及び中越運送、動力:私有機関車、作業粁程:1.4粁、総延長粁程:2.5粁) 大門土石線(動力:私有機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁、備考:国鉄側線)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 09:39 UTC 版)
JR貨物の駅は現在、臨時車扱貨物のみを取り扱っており貨物列車の発着はない。 1996年(平成8年)2月まで、駅西側にある日本たばこ産業磐田倉庫へ続く専用線が存在した。1995年(平成7年)10月に日本たばこ産業向けの有蓋車による製品輸送は廃止されたが、最後まで日本アルコール産業磐田工場で生産されたアルコールの輸送が行われていた。 また国鉄分割民営化のしばらく後まで駅舎東に有蓋車用貨物ホームがあったほか、1980年代まで駅南側にあった遠州日石磐田油槽所や富士製粉(現・日東富士製粉)磐田工場(1990年閉鎖・メルシャン磐田工場東隣)へ続く専用線も存在した。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 14:57 UTC 版)
JR貨物の駅は現在、臨時車扱貨物のみを取り扱っており、貨物列車の発着は無くなっている。 最後まで使用されていた専用線は、稲沢線から分岐し、同線東側に沿って南下し電気化学工業名古屋サービスステーションへ続くものであった。この路線はセメント輸送に使用され、2007年12月現在も荷役設備と共に残っている。 1997年頃までは、本線東側の駅北側にあった秩父セメントサービスステーション(既に閉鎖)へ続く専用線も存在し、この路線もセメント輸送に使用されていた。また1984年頃までは、稲沢線東側に沿って南下し、枇杷島駅近くにある麒麟麦酒名古屋工場へ続く3kmほどの専用線もあり、原料の麦芽や製品輸送に使用されていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 01:05 UTC 版)
2012年現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着はない。貨物設備はなく、専用線も当駅には接続していない。 かつては、駅から分岐し三菱製紙白河工場へ至る専用線があった。この線は紙製品や工場燃料の石油、化学薬品などの輸送に使用されていたが、工場の減産に伴い1994年4月ごろに廃止された。紙製品輸送は、コンテナや有蓋車を用いていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 17:11 UTC 版)
2011年度は、コンテナ貨物の取扱量が発送19,996トン、到着64,405トン、車扱貨物の取扱量が発送37,849トン、到着394,361トンだった。近年の年間発着トン数は下表の通り。 年度総数車扱貨物コンテナ貨物出典発送トン数到着トン数発送トン数到着トン数発送トン数到着トン数1990年(平成02年) 95,912 494,866 60,593 394,820 35,319 100,046 1991年(平成03年) 91,964 485,467 57,641 403,750 34,323 81,717 1992年(平成04年) 92,636 415,540 55,802 378,706 36,834 36,834 1993年(平成05年) 67,450 401,304 33,583 317,773 33,867 83,531 1994年(平成06年) 64,707 403,226 32,728 319,083 31,979 84,143 1995年(平成07年) 69,945 390,958 36,437 316,238 33,508 74,720 1996年(平成08年) 64,779 390,382 31,583 309,121 33,196 81,261 1997年(平成09年) 62,317 372,827 29,343 289,327 32,974 83,500 1998年(平成10年) 52,278 263,191 19,465 193,061 32,813 70,130 1999年(平成11年) 62,312 388,387 31,190 314,796 31,122 73,591 2000年(平成12年) 76,976 451,794 38,856 379,037 38,120 72,757 2001年(平成13年) 77,613 432,963 33,736 355,016 43,877 76,747 2002年(平成14年) 84,632 497,604 42,580 423,808 42,052 73,796 2003年(平成15年) 90,643 498,070 42,788 406,782 47,855 91,288 2004年(平成16年) 83,878 541,730 45,704 452,825 38,174 88,905 2005年(平成17年) 88,426 545,413 45,778 467,313 42,648 78,100 2006年(平成18年) 79,027 527,053 42,927 442,358 36,100 84,695 2007年(平成19年) 77,474 522,163 42,812 441,056 34,662 81,107 2008年(平成20年) 75,268 470,328 42,812 381,218 32,456 89,110 2009年(平成21年) 63,355 465,074 37,804 387,034 25,551 78,040 2010年(平成22年) 59,811 463,064 38,430 389,889 21,381 73,175 2011年(平成23年) 57,845 458,776 37,849 394,361 19,996 64,405
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 23:46 UTC 版)
当駅における貨物取扱は1969年(昭和44年)6月1日に廃止された。当駅接続の北陸電力専用線からは有峰ダム建設に用いられたセメントが、1958年(昭和33年)4月9日までは富山港線大広田駅に接続し、1958年(昭和33年)4月10日からは同線蓮町駅の管轄となった小野田セメント専用線より輸送されていた。セメント輸送は1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて一日平均700から800トンに及ぶ最盛期を迎え、それまでの一日一列車から二日当たり三列車に増便された。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 東邦製鋼所線(動力:富山地方鉄道所有機関車、作業粁程:0.7粁) 1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 北陸電力線(第三者使用:日本通運、動力:富山地方鉄道所有機関車、作業粁程:0.9粁) 当駅構内に設けられたセメントサイロ 当駅北陸電力専用線における重量物荷卸 常願寺川鉄橋上を行くセメント輸送貨物列車
※この「貨物取扱」の解説は、「有峰口駅」の解説の一部です。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:31 UTC 版)
2009年現在は臨時車扱貨物のみを取り扱っており、貨物列車の発着はない。これは一旦廃止された貨物取扱を、将来貨物施設が整備されることに備え、国鉄分割民営化直前に「開閉期間・取扱範囲は別に定める」として再開したものである。なお、西湘貨物駅が1970年に開業してから当駅の貨物列車の発着はないものの、そこから伸びる貨物側線が存在し、1994年頃まで当駅の先にあったゼネラル石油の油槽所で貨物の取り扱いがあった。
※この「貨物取扱」の解説は、「鴨宮駅」の解説の一部です。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 14:46 UTC 版)
JR貨物の2008年度車扱貨物の取扱量は、発送7,200トン、到着が61,417トンである。コンテナ貨物の取扱はない。各年度の年間発着トン数は下表の通り。 年度総数車扱貨物コンテナ貨物出典発送トン数到着トン数発送トン数到着トン数発送トン数到着トン数1990年(平成02年) 15,452 119,640 15,452 119,640 1991年(平成03年) 15,508 130,668 15,508 130,668 1992年(平成04年) 16,972 131,096 16,972 131,096 1993年(平成05年) 17,856 135,022 17,856 135,022 1994年(平成06年) 20,492 156,154 20,492 156,154 1995年(平成07年) 16,712 138,464 16,712 138,464 1996年(平成08年) 16,532 133,146 16,532 133,146 1997年(平成09年) 135,608 135,608 1998年(平成10年) 14,940 128,520 14,940 128,520 1999年(平成11年) 14,664 124,134 14,664 124,134 2000年(平成12年) 15,152 128,758 12,152 128,758 2001年(平成13年) 8,152 69,802 8,152 69,802 2002年(平成14年) 8,628 73,678 8,628 73,678 2003年(平成15年) 11,932 101,932 11,932 101,932 2004年(平成16年) 10,424 89,556 10,424 89,556 2005年(平成17年) 10,792 92,242 10,792 92,242 2006年(平成18年) 8,644 74,460 8,644 74,460 2007年(平成19年) 7,200 61,200 7,200 61,200 2008年(平成20年) 7,200 61,417 7,200 61,417 2009年(平成21年)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 08:29 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1978年(昭和53年)3月1日に廃止された。 1923年(大正12年)1月23日付『鉄道公報』号外によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 立山鉄道線(動力:手押、作業哩程:1哩) 北陸電気工業線(動力:手押、作業哩程:1哩) 1930年(昭和5年)12月5日付『鉄道公報』附録通報「専用線一覧(運輸局)」によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 立山鉄道線(第三者使用:滑川合同運送、動力:手押、作業粁程:0.2粁) 北陸電気工業線(動力:手押、作業粁程:0.2粁) 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 中越電機工業線(動力:私有機関車、作業粁程:0.2粁) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 東海電極製造線(第三者使用:日本通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.2粁) また1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 富山電工線(真荷主:東海電極製造、通運事業者:日本通運、動力:国鉄動車及び私有機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.4粁) 日通商事線(動力:国鉄動車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 10:20 UTC 版)
「小杉駅 (富山県射水市)」の記事における「貨物取扱」の解説
当駅は国鉄分割民営化後も日本貨物鉄道の専用線発着車扱貨物取扱駅であったが、1996年(平成8年)7月25日にこれを廃止した。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表には当駅接続の専用線の記述はない。 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 北酸線(通運事業者:日本通運、動力:国鉄動車及び手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 笹谷工業線(真荷主:太陽興産、通運事業者:日本通運、動力:国鉄動車及び手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.4粁) 日本セメント線(動力:私有機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.3粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 14:37 UTC 版)
臨時車扱貨物を取り扱っており、流鉄の新車を搬入するために使われる。このため、日暮里方で流鉄線とJR常磐線快速下り線の線路が接続されている。JR武蔵野線馬橋支線 - JR常磐快速線下り線 - 流山線引上線 - 流山線1番線の順に転線し入換を行う。 現在のJR常磐線の複々線化までは、貨物の取り扱いが行われていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 14:52 UTC 版)
臨時車扱貨物のみを取り扱っており、定期貨物列車の設定は無い。 2003年までは専用線発着の車扱貨物を取り扱っていた。かつて駅北西に三菱製紙中川工場があり、そこへ続く専用線が存在していた。工場内にあった倉庫へ紙製品を輸送するため八戸臨海鉄道北沼駅 - 八戸貨物駅 - 当駅間に有蓋車(ワム80000形)で組成された貨物列車が運行されていたが、工場の閉鎖に伴い同年3月18日限りで廃止された。それ以前は三菱製紙中川工場の北側にある三菱ガス化学東京工場へ続く専用線もあった。現在はその跡地が遊歩道となりイトーヨーカドー金町店の敷地や建物の形状にもその名残がある。 新金線を経由する貨物列車は側線で待機することがある。JR貨物の車扱貨物の取扱量推移は下記の通り。 年度総数車扱貨物コンテナ貨物出典発送トン数到着トン数発送トン数到着トン数発送トン数到着トン数1990年(平成02年) 818 118,437 818 118,437 1991年(平成03年) 1,548 107,735 1,548 107,735 1992年(平成04年) 1,939 102,747 1,939 102,747 1993年(平成05年) 1,715 94,864 1,715 94,864 1994年(平成06年) 2,186 83,371 2,186 83,371 1995年(平成07年) 7,926 121,944 7,926 121,944 1996年(平成08年) 9,317 128,974 9,317 128,974 1997年(平成09年) 10,212 134,232 10,212 134,232 1998年(平成10年) 13,924 128,459 13,924 128,459 1999年(平成11年) 21,576 117,630 21,576 117,630 2000年(平成12年) 20,999 122,942 20,999 122,942 2001年(平成13年) 22,275 115,177 22,275 115,177 2002年(平成14年) 31,570 96,099 31,570 96,099 2003年(平成15年) 0 0 0 0
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 21:06 UTC 版)
現在、JR貨物の駅としては車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着はない。貨物設備はなく、専用線も当駅には接続していない。 最後まで使用されていた専用線は、東洋紡へ続くものであった。この路線は、浮島町駅から当駅まで輸送されてきたエチレングリコールを輸送するために使用されていたが、1996年頃に廃止された。また、当駅東側にあるJX金属敦賀リサイクル(当時は日鉱亜鉛敦賀製錬所)へ続く専用線もあり、黒部駅へ輸送する亜鉛焼鉱の搬出に使用されていたが、亜鉛製錬終了に伴い1995年10月頃に廃止された。 なお、日鉱亜鉛から東洋紡績へ、といった同一駅構内間の輸送が行われていたこともあった。 当駅から南に敦賀運転センター車両管理室がある。車両基地である敦賀運転センター車両管理室の隣接地には、JR貨物関西支社の乗務員基地である敦賀機関区が置かれている。これらは、国鉄分割民営化を前に1987年(昭和62年)3月1日付で敦賀機関区が分割されたもので、敦賀機関区は貨物関係の乗務員基地となり、車両検修部門および旅客関係の乗務員部門は敦賀運転所として分離され、後に福井地域鉄道部敦賀運転派出を経て敦賀地域鉄道部・敦賀運転センター車両管理室となった。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 15:36 UTC 版)
2016年頃からJR貨物の車扱貨物取扱駅として扱われている。不定期列車ではあるが、相模貨物駅からレール輸送の高速貨物列車が運行される(返空列車は梶ヶ谷貨物ターミナル駅行き)。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:59 UTC 版)
JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着はない。 かつては駅の側線から分岐し、駅の西側にある日本セメント甲府サービスステーションへ至る専用線があった。この専用線はセメント輸送に使用されていたが、1999年(平成11年)に廃止された。また、駅北側の平等川を渡った先にあった秩父セメント石和サービスステーションへ続く専用線もあり、同様にセメント輸送に使用されていた。また、国鉄分割民営化前までは、駅舎の西側に有蓋車用の貨物ホームが設置されていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 02:05 UTC 版)
JR貨物の駅は、コンテナ貨物の取り扱い駅であったが、既に貨物列車・トラック便ともに定期便の発着はなくなっている。 本線の西側に沿って北進する側線が1本あり、その終端付近はコンテナの荷役線となっている。コンテナホーム(ヤード)はサッポロビール仙台工場の敷地内に1面設置されている。このため当駅ではサッポロビール発着のコンテナのみを取り扱っている。 かつては、工場の中まで専用線が敷設されており有蓋車による製品輸送が行われていた。これは1989年(平成元年)8月限りで廃止され、専用線の跡地にコンテナホームが設置された。 貨物列車は高速貨物列車が2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正まで、1日1往復仙台貨物ターミナル駅との間で運行されていた。1990年(平成2年)3月10日のダイヤ改正で臨時高速貨物列車が1往復同じ区間に追加されたが、2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正で設定が廃止された。 2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正により、貨物列車の停車設定が無くなった。以降は名取オフレールステーション(略称、名取ORS)が開設され、仙台貨物ターミナル駅との間で1日2往復のトラック便が運行されていたが、これも2016年(平成28年)9月には廃止された。 なお、2017年度(平成29年度)の『貨物時刻表』および『鉄道要覧』においては路線図から表記は無くなったものの、時刻表本文には引き続き「コンテナ扱いのみの駅」として表記されている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 03:34 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1982年(昭和57年)11月15日に廃止された。廃止時には専用線発着車扱貨物に限定されており、全盛期の1970年(昭和45年)度においては発着合計3万4821トンであったが、1981年(昭和56年)度には6295トンまで減少していた。廃止後の貨物は富山駅か富山港駅で取扱うこととされた。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 道益産業線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 大谷製鉄線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.4粁) 富山化学工業線(通運事業者等:富山通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.3粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:32 UTC 版)
JR貨物の駅は車扱臨時取扱駅となっている。 1984年1月までは小田急電鉄との貨物列車の連絡があり、それ以降も、1994年まで小田急電鉄や箱根登山鉄道の車両の搬入や搬出が当駅で行われていた(その後松田駅 - 新松田駅を結ぶ連絡線に変更)。 2018年現在、定期での貨物列車の発着はないが、伊豆箱根鉄道大雄山線で使用されている車両を検査などで大場工場との間で回送させるため、当駅と三島駅の間で東海道本線を経由して甲種輸送列車がまれに運行される。三島駅では、大場工場へ通ずる駿豆線に接続している。 特筆すべき点として、当駅にはJR線と大雄山線を介する授受線がなく、直接東海道貨物線の本線と大雄山線の線路が渡り線で繋がっているだけである。この間には無架線地帯が存在するため、甲種輸送の際に電気機関車と輸送車両との間に控車となる空のコンテナ車3両(2012年までは有蓋車)を連結し、輸送車両を相手方の線路に押し込み、相手方の機関車もしくは電車がそれを受ける形で授受が行われる。これにより、電気機関車および電車が無架線地帯に侵入することなく授受を行うことができる。ただし、東海道貨物線および大雄山線の線路を長時間ともに支障するため、JR側では貨物列車の時刻変更、伊豆箱根鉄道側では小田原駅を発着する列車の着発線変更および一部運休が実施される。 なお、東海道貨物線の上りから大雄山線へ通ずる東海道貨物線下り本線への転線は不可能なため、大場工場を出場して当駅まで輸送される列車については一度相模貨物駅まで運行され、機関車を反対に付け替えたあとに当駅まで輸送される。このため、控車となる貨車は相模貨物駅からの連結となる。小田原駅までの輸送完了後はやはり東海道貨物線上り本線へ転線が不可能なため、沼津駅まで控車を輸送する。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 03:25 UTC 版)
「蓮町(馬場記念公園前)駅」の記事における「貨物取扱」の解説
当駅においては1945年(昭和20年)7月6日より専用線発着車扱貨物の取扱が開始されたが、1949年(昭和24年)2月11日に一旦廃止された。その後、1958年(昭和33年)4月10日より北陸本線富山駅 - 東富山駅間から分岐し、当駅に至る貨物支線の開業と同時に専用線発着車扱貨物の取扱を再開したが、結局1982年(昭和57年)11月15日に廃止された。また、北陸本線富山駅 - 東富山駅間から分岐し、当駅に至る貨物支線は1986年(昭和61年)11月1日を以て廃止された。 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 クラレ線(通運事業者等:日本通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.6粁、総延長粁程:1.1粁) 小野田セメント線(通運事業者等:富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:1.3粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/20 16:21 UTC 版)
1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 昭和電工線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.7粁) 日本海船梁工業線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.4粁) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 昭和電工線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.8粁) 日本海船梁工業線(第三者使用:日本通運、富山通運及び日本海コンクリート工業、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.4粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 昭和電工線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.8粁、総延長粁程:2.2粁) 日本海重工業線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車及び移動機関車、作業粁程:0.5粁(0.4粁(機))、総延長粁程:0.6粁) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 富山昭和電工線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、作業粁程:日本通運所有機関車、作業粁程:0.8粁、総延長粁程:2.0粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 08:14 UTC 版)
当駅は山梨県唯一の定期貨物列車発着駅となっている。JR貨物の設備は旅客駅南口の西側にあり、1面2線のコンテナホーム(ヤード)が設置されている。ホームは小さく、荷役線も100メートルほどと短い。駅の着発線と荷役線は、塩崎駅方に伸びる引き上げ線を介して繋がっている。また、構内の入換作業は本線牽引機が行う。 コンテナホームと本線を挟んで向い側には、ENEOS甲府油槽所が置かれ、その荷役設備へ続く専用線が敷設されている。この専用線と駅の側線は、甲府駅方の引上線を介して接続している。 取扱貨物コンテナ貨物 - 12ftコンテナのみを取り扱う。 専用線発着の車扱貨物 - ENEOS専用線発着の石油のみを取り扱う。 産業廃棄物の取扱許可を得ている。 貨物列車当駅を発着する貨物列車はすべて高速貨物列車。1日2往復根岸駅との間に石油輸送列車が運行されている。うち1往復が途中梶ヶ谷貨物ターミナル駅に停車し当駅発着のコンテナ車を連結・解放する。 貨物駅構内(2018年4月) コンテナホーム(2018年4月)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 15:55 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっている。貨物列車の発着はなく、貨物設備や接続する専用線もない。 かつて、駅南東に住友石炭鉱業赤平鉱業所があり、この工場へ至る専用線が駅から分岐していた。専用線上には、石炭を貨車に積み込むためのホッパーが設置されていた。工場の閉鎖に伴い1989年(平成元年)に専用線が廃止されると、当駅の貨物列車発着はなくなった。最終期の1988年(昭和63年)3月時点では、石炭は滝川駅と東室蘭駅へ輸送されていた。 また、1960年(昭和35年)度には貨物発送量が梅田駅を抜き日本一であった。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 14:27 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着は無い。貨物設備は無く、専用線も本駅には接続していない。 かつては駅から分岐し本線の西側に沿って、駅の南側にある太平洋セメント安積永盛倉庫へ至る専用線があった。そのため、本駅は大越駅(住友大阪セメント田村工場)からセメント輸送列車が到着していたが、1999年(平成11年)6月に廃止された。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 15:47 UTC 版)
かつて併設されていた日本貨物鉄道(JR貨物)の駅は、取扱廃止時点で車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着もなかった。貨物設備はなく、専用線も当駅には接続していなかった。 かつては、駅から分岐し在日米軍三沢基地へ至る全長7.9kmの専用線があった。通常は八戸線の本八戸駅から米軍向けの石油輸送が行われていたが、1969年12月までは福岡県の山田弾薬庫から弾薬も運ばれていた。三沢基地への輸送は2006年6月に終了し、終了後専用線は北側を跨ぐ青森県道170号天ケ森三沢線陸橋の先で断線している。 また太平洋戦争前までは、上記の専用線は基地の先、三沢市五川目付近まで伸びており、三沢鉱山からの砂鉄搬出のために使用されていた。廃線跡は、岡三沢8丁目付近から三沢空港前、サークルK浜三沢店前にある青森県道170号天ケ森三沢線と交差し、田園地帯を北東方向へ斜めに横切る道路が該当する。ただし、廃線跡の遺構はほとんど残っていない。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 13:50 UTC 版)
日本貨物鉄道(JR貨物)の駅としては、車扱貨物の臨時取扱駅となっている。当駅には貨物列車の発着は無く、貨物設備や専用線も接続していない。最盛期の1970年(昭和45年)には、26社28本の専用線が当駅から分岐していた。1986年(昭和61年)までは、駅東側にある日本セメント(現在の太平洋セメント)札幌サービスステーションや、駅北側にあったサッポロビール札幌工場へ続く専用線もあった。また、駅西側にあった北海道ガス札幌工場へ続く専用線は都市ガスの液化石油ガス(LPG)を輸送するために使用していたが、天然ガスへの転換に伴って2001年(平成13年)3月15日の本輪西駅発送分の到着を以って廃止となった。これ以降の貨物列車の発着はない。
※この「貨物取扱」の解説は、「苗穂駅」の解説の一部です。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 21:05 UTC 版)
JR貨物の駅は、専用線発着コンテナ貨物・専用線発着車扱貨物の取扱駅となっているが、2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正で貨物列車の設定が廃止された。旅客駅がトキめき鉄道へ転換された後も、登録抹消は行われていない。 2007年末に列車の運行が廃止される前は、駅北側にあるダイセル新井工場へ専用線が続いており、コンテナやタンク車による原料・製品の輸送が行われていた。酒田港駅から液化塩素や苛性ソーダなどが到着していたほか、化学薬品の発送も行っていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 15:20 UTC 版)
JR貨物の駅は、車扱貨物の臨時取扱駅とされているが、貨物列車の発着はない。ただし、『鉄道要覧 平成28年度』所収の路線図からは当駅の記述が削除されている。貨物の荷役設備は特に設けられておらず、専用線も当駅には接続していない。1987年(昭和62年)4月1日のJR貨物発足当時は、車扱貨物を取扱う駅であったが、その後1996年(平成8年)3月16日より車扱貨物の取扱は臨時となった。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 不二越鋼材工業線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 不二越鋼材工業線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 不二越東富山製鋼所線(通運事業者:日本通運及び富山通運、動力:富山通運所有機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁) 大協石油線(通運事業者:富山通運、動力:富山通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.4粁、総延長粁程:0.4粁) 岩谷産業線(通運事業者:富山通運、動力:富山通運所有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.1粁、備考:当専用線は大協石油線に接続する) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 不二越東富山製鋼所線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:富山通運所有機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁) 四日市油槽線(通運事業者等:富山通運、動力:富山通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.4粁、総延長粁程:0.4粁) 岩谷産業線(通運事業者等:富山通運、動力:富山通運所有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.1粁、備考:当専用線は四日市油槽線に接続する。但し使用休止中。) なお上掲の専用線は1990年代までにすべて廃止され、当駅構内の貨物用側線は撤去されている。
※この「貨物取扱」の解説は、「東富山駅」の解説の一部です。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 15:12 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっている。貨物列車の発着はなく、貨物設備や接続する専用線もない。 かつては、駅構内からホクレンくみあい飼料旭川工場やシェル石油の油槽所、化学薬品販売業者などへ続く専用線が存在していた。これらは1996年までに全廃されている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:50 UTC 版)
現在JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅であり、貨物列車の発着は無い。貨物設備は無く、専用線も当駅には接続していない。 1997年までは、専用線発着車扱貨物を取扱っていた。駅からは、西側にあった秩父セメント川中島サービスステーションへ至る専用線が分岐し、セメント輸送が行われていた。鉄道輸送終了後もセメント貯蔵サイロは使用されていたが、2008年に更地化され、現在は住宅が建っている。また、国鉄分割民営化前までは、旧駅舎の南側に貨物ホームが存在した。その後、この場所には住宅と新幹線の高架橋および新幹線へのレール授受施設があり、そこへ側線が伸びている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 00:58 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取り扱い駅となっている。貨物列車の発着はなく、貨物設備や接続する専用線もない。 駅の東側にはニッケ印南工場・加古川工場(加古川工場へは専用の鉄橋で渡っていた)までの専用線があったが、1960年ごろに廃止になった。西側には、セメント輸送のために住友セメント宝殿梱包所までの専用線があり、西浜 - 当駅間でセメント輸送を行う貨物列車が1往復設定されていたが、1997年に廃止となった。また、駅構内南側に有蓋車用車扱貨物ホームが設けられていたが、現在は駐車場に転用されている。 住友セメント専用線配線図凡例 ↑宝殿駅 ↓曽根駅 日本毛織専用線開業 - 廃止時期 1923年ごろ(1921年1月13日免許) - 1960年ごろ 契約相手方 日本毛織株式会社 作業キロ 3.2km(2マイル)(1923年)/1.8km(1930年) 種別 鉄道線(1923年)/側線(1930年) 作業方法 社機関車(ガソリン機関車) 住友セメント専用線開業 - 廃止時期 1966年 - 1997年 専用者 住友セメント株式会社 作業キロ 0.3km(貨物注入)、0.4km(貨物引出) 総延長キロ 0.8km 作業方法 国鉄(JR)機(1970年頃ディーゼル機関車(1966年日立製作所製 形式HC-10B)所有)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 21:26 UTC 版)
現在[いつ?]、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅(事実上の休止駅)となっている。貨物列車の発着はなく、貨物設備や接続する専用線もない。 かつては日鉄鉱業東鹿越鉱業所へ続く専用線があった。この専用線は、ホクレン農業協同組合連合会中斜里製糖工場において砂糖の製造過程で使用される石灰石を発送するために使用されており、そのため中斜里駅との間に1日1往復(末期の本数)の石灰石輸送列車が運行されていたが、1997年(平成9年)3月に廃止された。 また、王子木材緑化鹿越鉱業所へ続く専用線も存在していた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:13 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1972年(昭和47年)10月2日に廃止された。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 日東紡績線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.3粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日東紡績線(通運事業者:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.2粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 16:22 UTC 版)
1997年に貨物列車の発着がなくなって以降は、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっている。貨物用の設備は設置されていないほか、専用線も当駅には接続していない。 かつては、駅周辺にある日本重化学工業盛岡事業所へ続く専用線があった。工場で使用する濃硝酸の搬入で使用されていたが、1997年(平成9年)3月に廃止された。また、国鉄分割民営化のしばらく後まで、北日本くみあい飼料花巻工場へ続く専用線も存在し、石巻埠頭駅から飼料が輸送されていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 02:52 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1974年(昭和49年)7月1日に廃止された。 1930年(昭和5年)12月5日付『鉄道公報』附録通報「専用線一覧(運輸局)」によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 大同電力線(第三者使用:黒川由次郎、動力:省機関車及び手押、作業粁程:0.2粁) 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 日本発送電線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 関西電力線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁) 1970年(昭和45年)10月1日時点における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 関西電力線(通運事業者:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁、備考:使用休止)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:27 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1978年(昭和53年)3月1日に廃止された。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 中越電化工業線(第三者使用:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.7粁) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 小松製作所線(第三者使用:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.7粁、備考:当専用線は氷見駅 - 島尾駅間より分岐する) 1970年(昭和45年)10月1日時点における当駅所属の専用線は以下の通りであった。 小松製作所線(通運事業者:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.7粁、総延長粁程:0.4粁、備考:当専用線は氷見駅 - 島尾駅間より分岐する)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 07:37 UTC 版)
JR貨物の駅は、車扱貨物の臨時取扱駅となっている。定期の貨物列車の発着はないが、関東鉄道常総線や真岡鐵道への車両を輸送する甲種輸送列車が発着する。 かつては駅東側にミツウロコ専用線があった。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 13:42 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物設備はなく、専用線も接続していないため定期貨物列車の発着はない。屋代線廃止までは長野電鉄向けの甲種車両輸送の終着駅となっていた。屋代線廃止後、長野電鉄の車両搬入は北長野駅より陸送される形態に変更されている。 1993年(平成5年)ごろまで、現在長電テクニカルサービス屋代工場となっている場所にあったシェル石油の油槽所へ至る専用線があり、油槽所向けの石油の取扱いがあった。また国鉄分割民営化前までは、駅舎の北側に有蓋車用の貨物ホームが1面設置されていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 09:22 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっている。貨物列車の発着はなく、貨物設備や専用線も当駅には接続していない。 1997年3月頃までは、駅の西側にあった日本石油札幌油槽所の荷役設備へ続く専用線があり、石油の入荷が行われていた。そのため、本輪西駅と当駅の間に石油輸送貨物列車が運行されていた。また1970年代までは、陸上自衛隊島松駐屯地へ続く専用線も存在していた。この路線は駅の北西に向かって分岐後、大きなカーブを描き南へ進路を変え駐屯所へ向かう、逆U字形の線形となっていた。その廃線跡が道路となり残っている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:46 UTC 版)
JR貨物の駅は、臨時の車扱貨物の取扱駅である。2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正で、貨物列車の設定(末期は臨時専用貨物列車のみ)が廃止された。 列車設定廃止まで、旅客ホーム脇の側線から分岐し駅東側の昭和電工川崎事業所へ至る専用線が存在した。液体塩素を積むタキ5450形が扇町駅から工場へ輸送されていた。末期は週に2・3回、1回につき2両程度の到着があった。入換作業は、配線の都合上「手押し」で移動させるという珍しい手法をとっていた。作業は神奈川臨海鉄道がJR貨物より受託して行っていた。貨車の入換作業を間近に見ることのできるスポットとして人気があった。 また、駅西側にある日清製粉鶴見工場へ至る専用線も存在した。同工場で生産された小麦粉の発送をタキ24700形を用いて輸送していたが、専用トラック輸送に順次切り替えられ、1997年6月30日の岩沼駅への発送をもって廃止された。最盛期には、高崎駅、宇都宮駅、館林駅などの駅に隣接する工場へ、ホキ2200形を使用する穀物輸送も行われていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:34 UTC 版)
JR貨物の駅は、コンテナ貨物(12ftコンテナのみ)と車扱貨物の取扱駅となっている。車扱貨物を輸送するための貨物列車は設定されているが、コンテナ輸送はすでにトラック代行化されている。駅の業務は神奈川臨海鉄道が受託している。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 19:43 UTC 版)
開業以来一般駅であり、1981年(昭和56年)11月20日より専用線発着車扱貨物を取扱う駅となったが、1987年(昭和62年)3月31日よりコンテナ貨物の取扱が開始され、1987年(昭和62年)4月1日の日本貨物鉄道への経営移管後もその営業範囲が維持されている。高山線唯一の貨物扱いがある駅である(西富山駅は登録のみ残っている) 駅構内から日産化学富山工場へ専用線が接続されており、タンクコンテナやタンク車による化学薬品の受発送が行われている。富山駅より当駅まではDD200形が列車を牽引するが、専用線内においては25噸の小型ディーゼル機関車がその入換及び牽引を行う。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 日産化学工業線(第三者使用:大正運送、動力:私有機関車、作業粁程:0.6粁(製品線)・1.0粁(ガス線)・1.2粁(ボイラー線)) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日産化学工業線(真荷主:日産建材及び日産ケメトロン触媒、通運事業者:大正運送、動力:私有機関車、作業粁程:0.8粁(製品線)・1.2粁(ガス線)・1.4粁(ボイラー線)・0.3粁(製品6番線)、総延長粁程:9.3粁) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日産化学工業線(真荷主:日産建材・日産ガートラー触媒、通運事業者等:日産輸送、動力:私有機関車、作業粁程:0.8粁(製品線)・1.2粁(ガス線)・1.4粁(ボイラー線)・0.3粁(製品6番線)、総延長粁程:8.8粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 19:37 UTC 版)
当駅は貨物列車廃止直前の岳南鉄道で運行されるすべての貨物列車の始発・終着駅であり、専用線発着のコンテナ貨物・専用線発着の車扱貨物の取扱駅となっていた。 日本製紙吉永工場(旧・大昭和製紙吉永工場)へ専用線が続いており、コンテナや有蓋車(ワム80000形貨車)を用いた製品輸送などが行われていた。有蓋車の発送先は越谷貨物ターミナル駅と梅田駅であった。 なお、同工場の貨物取扱は隣の岳南原田駅でも行われていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:05 UTC 版)
JR貨物の駅は、専用線発着車扱貨物の取扱駅となっている。 側線から分岐する専用線は、本線北側に沿って東進、電気化学工業富山サービスステーションへ至っている。専用線の終端部分にセメント荷役施設が設置されており、この路線は富山サービスステーション向けのセメント輸送で使用されていたが、現在定期列車の運行はない。貨物ホームや上屋、倉庫も現存している。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 大門土石線(動力:手押及び国鉄機関車、作業粁程:0.6粁、備考:国鉄砂利線発送に限る) 日本電気冶金線(第三者使用:日本通運、動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.2粁) 呉羽紡績線(動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.8粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日本電工線(通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.4粁) 日本電工二号線(通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:上掲に同じ) 東洋紡績線(真荷主:大島砕石、通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.8粁、総延長粁程:1.0粁) 電気化学工業及び橋本産業共用線(通運事業者:デンカセメント北陸サービス(但し電気化学工業に限る)及び日本通運(但し橋本産業に限る)、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.7粁) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日本電工線(通運事業者等:日本通運、動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.4粁) 東洋紡績線(真荷主:大島砕石、通運事業者等:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.8粁、総延長粁程:0.9粁) 電気化学工業及び橋本産業共用線(通運事業者等:デンカセメント北陸サービス(但し電気化学工業に限る)及び日本通運(但し橋本産業に限る)、動力:デンカセメント北陸サービス所有機関車及び日本通運所有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.7粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 14:07 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着はない。貨物設備もなく、専用線も当駅には接続していない。 2000年3月まで旧駅跡地の「塩尻大門」から分岐し、その西側にある昭和電工塩尻事業所へ至る専用線があった。新興駅発送の酸化アルミニウム(アルミナ)輸送が行われていたが、3月17日の新興駅発送をもって廃止された。 また、有蓋車用の貨物ホームも設置されていたが、駅移転に伴い1982年に廃止された。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 04:25 UTC 版)
1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 富山煉炭工業線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.1粁) 日曹製鋼線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.5粁) 興国人絹パルプ線(第三者使用:日本通運、富山港湾運送及び富山通運、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.7粁(製品線)・1.3粁(木材線)) 日本発送電線(動力:手押、作業粁程:0.8粁) 富山県官材作業林産組合線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.2粁、備考:富山駅 - 奥田駅間において途中分岐する。) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 富山煉炭工業線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.1粁) 日曹製鋼線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.7粁) 興国人絹パルプ線(第三者使用:日本通運、富山港湾運送及び富山通運、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.7粁(製品線)・1.3粁(木材線)) 北陸電力線(動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.8粁) 富山県官材作業林産組合線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.2粁、備考:富山駅 - 奥田駅間において途中分岐する。) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 橋本産業線(通運事業者等:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 大平洋金属線(真荷主:興人、通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.8粁、総延長粁程:1.1粁) 興人線(真荷主:興人石綿工業及び興人建材工業、通運事業者等:日本通運、富山港湾運送及び富山通運、動力:富山港湾運送所有機関車及び移動機関車、作業粁程:0.7粁(製品線)・1.6粁(材木線)・0.8粁(火力線)、総延長粁程:3.6粁) 富山県木材倉庫協同組合線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁、備考:富山駅 - 奥田駅間において途中分岐する。) 小池木材線(通運事業者等:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁、備考:富山駅 - 奥田駅間において途中分岐する。) 蔵島木材線(通運事業者等:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁) 日本通運線(動力:私有機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 十全化学線(通運事業者等:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 富山製紙線(通運事業者等:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 橋本産業線(通運事業者等:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 大平洋金属線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.5粁、総延長粁程:0.4粁) 富山県木材倉庫協同組合線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁、備考:富山駅 - 奥田駅間において途中分岐する。使用休止中。) 小池木材線(通運事業者等:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁、備考:富山駅 - 奥田駅間において途中分岐する。使用休止中。) 富山中央木材線(通運事業者等:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁、備考:使用休止中。) 日本通運線(動力:私有機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 十全化学線(通運事業者等:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 富山製紙線(通運事業者等:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/16 16:14 UTC 版)
1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 津沢倉庫線(動力:手押、作業粁程:0.1粁)
※この「貨物取扱」の解説は、「津沢駅」の解説の一部です。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 05:49 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっている。貨物列車の発着はなく、貨物設備や接続する専用線もない。 かつて、駅の東側には新日本石油美唄油槽所があり、その荷役設備へ続く専用線もあった。この路線は石油輸送に使用されていたため、本輪西駅と当駅の間に石油輸送列車が運行されていた。統廃合により油槽所が閉鎖されることになったため、2002年(平成14年)6月3日の到着、翌4日の貨車の返送を最後に専用線は廃止された。
※この「貨物取扱」の解説は、「茶志内駅」の解説の一部です。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 07:32 UTC 版)
JR貨物の駅は、専用線発着のコンテナ貨物・専用線発着の車扱貨物の取扱駅となっているが、2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正で貨物列車の設定が廃止された。 貨物列車の設定があった2008年(平成20年)3月13日までは、北吉原駅裏手にある日本製紙白老工場へ続く専用線を有していた。当駅の専用線を通じて、陣屋町駅発送の木材チップ(紙の原料)が搬入されていたほか、コンテナによる紙製品の発送が行われていた。かつては紙製品を有蓋車に積みこみ、東京都の飯田町駅まで輸送する「紙列車」もあった。また2007年(平成19年)までは、本輪西駅発送の石油も工場に搬入されていた。
※この「貨物取扱」の解説は、「萩野駅」の解説の一部です。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 06:34 UTC 版)
当駅においては呉羽紡績(後の東洋紡績)井波工場や大建木材工業に対する専用線発着の貨物に加え、東洋ナイロン編物や三田製薬などの工場からも繊維加工品や医薬品が発送されていた。また、当駅には構内入替機関車が常備されており、専用線発着貨物の入替を行っていた。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 呉羽紡績線(動力:加越能鉄道所有機関車、作業粁程:0.3粁) 大建木材工業線(動力:加越能鉄道所有機関車、作業粁程:0.1粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 呉羽紡績線(動力:加越能鉄道所有機関車、作業粁程:0.3粁) 大建木材工業線(動力:加越能鉄道所有機関車、作業粁程:0.1粁)
※この「貨物取扱」の解説は、「井波駅」の解説の一部です。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 15:57 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1984年(昭和59年)2月1日に廃止された。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 日曹製鋼線(第三者使用:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.6粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 大平洋金属線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車、移動機関車及び手押、作業粁程:0.7粁・0.4粁(機関車)、総延長粁程:0.8粁) 富山港湾運送(動力:国鉄機関車及び私有機関車、作業粁程:1.0粁・0.4粁(機関車)、総延長粁程:0.7粁、備考:大平洋金属線に接続する) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 大平洋金属線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:国鉄機関車、移動機関車及び手押、作業粁程:0.7粁・0.4粁(機関車)、総延長粁程:0.8粁) 富山港湾運送(動力:国鉄機関車及び私有機関車、作業粁程:1.0粁・0.4粁(機関車)、総延長粁程:0.7粁、備考:大平洋金属線に接続する)
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貨物取扱
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かつて当駅では貨物の取り扱いがあり、2002年まで日本貨物鉄道(JR貨物)の駅だった。晩年は車扱貨物のみの取り扱いで、最後まで行われていたのは武田薬品工業の化学薬品の取り扱いで、新南陽駅から輸送されたポリプロピレングリコール(PPG) を当駅でタンクローリーに詰め替えていた。 2001年(平成13年)6月末まで、現在も駅北東にある東燃ゼネラル石油(現・ENEOS)清水油槽所の荷役設備へ専用線が続いており、潤滑油発送が行われていた。晩年の発送先は汐見町駅や安善駅であった。1980年代までは駅南東にある豊年製油静岡工場(現・J-オイルミルズ静岡事業所)へ続く専用線もあり、接着剤などの発送が行われていた。 国鉄分割民営化前には、駅舎北に複数の有蓋車用貨物ホームが、駅東南(現在の清水テルサ付近)に1面1線のコンテナホームがあったが、1984年(昭和59年)1月に東静岡駅に集約され廃止された。現在コンテナホーム跡は保線車両の留置線及び資材積み込み所となっている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 16:07 UTC 版)
当駅においては1945年(昭和20年)1月11日より専用線発着車扱貨物の取扱が開始されたが、1947年(昭和22年)6月1日に一旦廃止された。その後、1950年(昭和25年)2月10日より専用線発着車扱貨物の取扱が再開された。当駅に接続していた小野田セメントの専用線からは、有峰ダム建設に要するセメントが富山地方鉄道立山線経由で小見駅に輸送されていたが、当駅における貨物取扱は1958年(昭和33年)4月10日に蓮町駅より富山操車場へ至る北陸本線の貨物支線が開業するに伴い廃止され、接続していた専用線は蓮町駅に移管された。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 倉敷レイヨン線(第三者使用:日本通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.6粁) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 倉敷レイヨン線(第三者使用:日本通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.6粁) 1957年(昭和32年)3月27日付『鉄道公報』第2258号の専用線一覧によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 倉敷レイヨン線(第三者使用:日本通運、作業粁程:0.6粁) 小野田セメント線(第三者使用:日本通運、作業粁程:0.3粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 10:03 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1981年(昭和56年)11月20日に廃止された。 『鉄道局要覧 昭和24年度』所収「専用線一覧表」記載の当駅接続専用線は次の通りであった。 昭和電工線(作業粁程:0.1粁、発送車数:266、発送屯数:18503、主要貨物:石灰石) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 昭和電工線(動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁) また1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 昭和電工線(動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁、備考:使用停止中)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 13:41 UTC 版)
臨時車扱貨物のみを取り扱っており、そのため貨物列車の設定はない。 2000年(平成12年)まで専用線発着の車扱貨物を取り扱っており、貨物列車の設定があった。専用線が駅西側にある太平洋セメント水戸サービスステーションの貨車用荷役設備へ続いており、ここまでセメントを輸送するために小名浜駅から貨物列車が運行されていたが、同年3月7日限りで廃止された。なお,同線の運行管理は小名浜臨海鉄道(福島臨海鉄道)が行っており,同鉄道所属の機関車が交代で入換を行っていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 07:31 UTC 版)
JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅であり、定期貨物列車の発着はない。 かつては、駅北方に位置する日本コンクリート工業(分社化により現:NC東日本コンクリート工業)川島工場・日本セメント川島SSへ「上河原線」と呼ばれる専用線が続き、秩父鉄道武州原谷駅よりセメント輸送貨物列車が1997年3月19日まで運行されていた。主にセメント用ホッパ車が使用され,最盛期には3線ある駅留置線が満杯になるほどであった。また架線が張られており電化されていたと思われるが入換には専ら東洋20t機や協三10t半キャブ,協三25t3軸機などが使用されていた。現在軌道は単線となっているが運行が行われていた当時は複線であった。1980年代頃まではさらに北方の鬼怒川河川敷に近い工場敷地内,砕石用ホッパー場まで専用線が続いていた。かつては駅西方踏切先にある保守用側線が北方の専用線に向かってデルタ線を形成していた。 戦前には駅南方に鬼怒川での砂利採取を目的とした専用線が存在したが,戦局の悪化に伴い休止され,戦後も復活することなく廃止に至った。現在は道床跡に境界杭,犬釘等が残る。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 02:19 UTC 版)
2009年までは日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅でもあったが、臨時車扱貨物のみの取り扱いであり、最後まで貨物列車の発着はなかった。これは一旦廃止された貨物取扱を、国鉄分割民営化直前に将来の貨物取扱再開に備え「開閉期間・取扱範囲は別に定める」として再開させたものであった。 民営化前の1986年まで旅客駅西口の北側に有蓋車用の貨物ホームが存在した。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 03:33 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1984年(昭和59年)2月1日に廃止された。かつて当駅に接続していた北陸製塩工業専用線は、1961年(昭和36年)4月から工費約1億円を以て中部建設工業により建設され、1963年(昭和38年)3月29日に完成した。専用線建設地となった荒俣部落においては当初用地買収への反対運動が行われたが、北陸製塩工業が部落に通ずる道路を整備し、公民館改築のために資金を提供し、専用線建設に並行して農道や用水の整備に努めたことによって土地改良が進み、結果として地元住民はこの専用線開通を大きく祝ったという。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表に当駅接続の専用線は記載されていない。 1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 北陸製塩工業線(通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:2.0粁) 日本塩回送線(動力:日本通運所有機関車、作業粁程:2.2粁、備考:当専用線は北陸製塩工業線に接続する) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 北陸製塩工業線(通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:2.0粁、総延長粁程:3.3粁) 日本塩回送線(動力:日本通運所有機関車、作業粁程:2.2粁、総延長粁程:0.3粁、備考:当専用線は北陸製塩工業線に接続する) 日本配合飼料線(動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.5粁、総延長粁程:0.2粁、備考:当専用線は北陸製塩工業線に接続する) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 吉田工業線(通運事業者等:日本通運、動力:国鉄動車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:1.0粁) 日本配合飼料線(動力:国鉄動車、作業粁程:0.6粁、総延長粁程:0.2粁、備考:当専用線は吉田工業線より分岐する)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 03:55 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1984年(昭和59年)2月1日に廃止された。 1923年(大正12年)1月23日付『鉄道公報』号外によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 北国製紙線(動力:省機関車、作業哩程:1哩) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 富山化学工業線(第三者使用:日本通運及び北陸化学食品、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.8粁(機関車)、0.9粁(貨車)) 屋敷外吉線(動力:国鉄機関車、作業粁程:0.8粁、備考:国鉄砂利線発送に限る) 1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 サクラ木工所線(動力:国鉄機関車及び国鉄動車、作業粁程:0.6粁、備考:国鉄砂利線に接続する。ただし使用休止中。) 屋敷正英線(動力:国鉄機関車及び国鉄動車、作業粁程:0.5粁、備考:国鉄砂利線) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 朝日ケイカル工業線(動力:国鉄機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.2粁) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 朝日化工線(通運事業者等:日本通運、動力:国鉄動車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.2粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 09:15 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1984年(昭和59年)2月1日に廃止された。 1970年(昭和45年)10月1日時点における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 鉄興社線(通運事業者等:日本通運、動力:移動機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.3粁) 富山造船線(通運事業者等:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.2粁) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 東洋曹達工業線(真荷主:錦商事、通運事業者等:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:1.0粁) 富山造船線(通運事業者等:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.2粁) 新日本化学工業線(真荷主:日新苦土肥料、通運事業者等:日本通運及び富山港湾運送、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:1.1粁、総延長粁程:0.9粁、備考:同専用線は東洋曹達工業線に接続する。富山港湾運送の取扱う貨物は日新苦土肥料の発着に限る。使用休止。)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 15:25 UTC 版)
JR貨物の駅は臨時車扱貨物のみを取り扱っており、定期貨物列車の発着はない。しかし、稀に小田急電鉄ならびに箱根登山鉄道向けの甲種車両輸送列車が発着し、JR貨物の電気機関車が連絡線を通り越して新宿方面で折り返し、小田急線の新松田駅構内まで乗り入れている。その間は電気機関車の運転資格を持つ小田急の運転士が乗務する。この列車は従来小田原駅発着であったが、1994年(平成6年)10月以降当駅発着に変更された。なお、これらの列車はすべて沼津方面からの発着となっている。 貨物営業は国鉄時代にも行われていたが、国鉄分割民営化前の1982年(昭和57年)11月に廃止された。実施時には駅舎東側に貨物ホームがあった他、酒匂川岸まで伸びる砂利採取線があった。砂利採取線では国府津機関区(現・JR東日本国府津車両センター)所属のC11形蒸気機関車が使用されていた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 14:37 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は臨時の車扱貨物のみを取り扱っており、定期貨物列車の発着はない。かつては太平洋セメント(旧・秩父セメント)小田原サービスステーションや住友大阪セメント(旧・住友セメント)下曽我サービスステーション(いずれも現在は閉鎖)のセメント荷役設備へ続く専用線が駅から分岐しており、当駅にセメントが到着していた。末期は太平洋セメント専用線のみ使用され、武州原谷駅発送のセメントが到着していたが、1998年にセメント輸送は廃止された。 また、1960年代までは駅西にある酒匂川へ向かう砂利採取線が分岐していた。3km余りのこの砂利採取線は譲原砂利株式会社が使用し、廃線跡の大部分は道路に転用されている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 02:18 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1984年(昭和59年)2月1日に廃止された。1945年(昭和20年)8月1日には昭和運輸と日本通運の合併により、日本通運笹津営業所が開業し、1946年(昭和21年)5月1日には支店へと昇格した。同支店においては主として笹津駅に接続する各専用線における貨物取扱に従事していたが、1952年(昭和27年)8月から開始された北陸電力の電源開発工事の関係によって、その工事完了の1955年(昭和30年)3月までは大量のセメントや工事資材の取扱に繁忙を極めたという。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 敷島紡績線(第三者使用:日本通運、動力:私有機関車、作業粁程:1.0粁) 日本カーボン、日本マグネシューム及び日本化学肥料線(第三者使用:日本通運、動力:私有機関車、作業粁程:1.9粁(日本カーボン)・2.1粁(日本マグネシューム)・2.1粁(日本化学肥料)) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 日本カーボン及び三井金属鉱業線(第三者使用:日本通運、動力:私有機関車、作業粁程:1.9粁(日本カーボン)・2.1粁(三井金属鉱業)) 北陸電力線(第三者使用:日本通運、動力:手押及び日本通運借入機関車、作業粁程:0.1粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日本カーボン線(通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:1.8粁、総延長粁程:2.1粁) なお敷島紡績専用線は、上述のように富山地方鉄道笹津線の開業と共に同社の管轄下となり、笹津線には敷島紡信号場が設けられ、その先の敷島紡績工場内に敷島紡駅が開業した。 1970年(昭和45年)10月1日現在における敷島紡駅接続の専用線は以下の通りであった。 敷島紡績線(通運事業者:日本通運、動力:富山地方鉄道所有機関車、作業粁程:0.5粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 14:44 UTC 版)
国鉄時代の1969年(昭和44年)から1982年(昭和57年)まで、当駅でも貨物営業を行っていた。 1966年(昭和41年)10月から本格的に開始された鉄道(車運車)による自動車輸送の一つ基地として、1968年(昭和43年)10月に沼津駅に自動車輸送基地が新設された。1969年7月には、当駅に接続するトヨタ自動車の専用線が建設され、沼津駅の基地は廃止された。 トヨタ自動車の専用線は、岩波駅の北1kmほどの場所で御殿場線から分岐し、カーブを描きトヨタ自動車の敷地へ入っていた。途中には、川を渡る橋や東名高速道路の高架下を潜る場所があり、線路の終点はトヨタ自動車東日本(旧関東自動車工業)東富士工場の裏側(駅反対側)辺りにあった。1970年の「専用線一覧表」によれば、専用線の作業キロは0.9km、総延長は2.2kmで、構内作業は国鉄の機関車によって行われていた。このトヨタ自動車専用線は、1982年11月に廃止されている。
※この「貨物取扱」の解説は、「岩波駅」の解説の一部です。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 08:03 UTC 版)
現在は臨時車扱貨物のみを取り扱っており貨物列車の発着が無い。 駅南西に日本石油穂積油槽所があり、そこへ続く専用線が1997年頃まで存在していた。専用線には、汐見町駅発送の石油が到着していた。またそれ以前は、駅東にある砕石工場まで続く専用線も存在あり、現在もその名残がわずかに残っている。
※この「貨物取扱」の解説は、「穂積駅」の解説の一部です。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 16:58 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1980年(昭和55年)9月25日に廃止された。 1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 中越木材線(第三者使用:日本通運、動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.3粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 中越木材線(通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.2粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 09:07 UTC 版)
当駅を発着する定期貨物列車の設定はないが、東京メトロ・東葉高速鉄道発着の甲種車両輸送列車が当駅を経由する。 2008年度の車扱貨物の取扱量は、発送400トン、到着なしであった。近年の年間発着トン数は下表の通り。 年度総数車扱貨物コンテナ貨物出典発送トン数到着トン数発送トン数到着トン数発送トン数到着トン数1990年 1991年 1992年 800 800 1993年 1,200 1,200 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 400 400 1999年 1,200 1,200 2000年 2001年 1,200 1,200 2002年 2003年 1,200 1,200 2004年 2,800 2,800 2005年 1,600 1,600 2006年 2,000 3,200 2,000 3,200 2007年 400 400 2008年 400 400 2009年
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 03:24 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっている。定期貨物列車の発着はなく、貨物設備や接続する専用線もない。 かつては、日本製紙旭川工場(現:北海道工場旭川事業所)へ続く専用線が駅から分岐していた。この専用線は、コンテナによる紙製品の発送や、工場で使用する液体塩素や石油の輸送に使用されていたが、1997年9月に廃止された。なお、コンテナ輸送は1988年3月から行われ、1994年10月に有蓋車輸送を完全に置き換えた。 1980年代までは、周辺の製材業者や、出光興産や共同石油(現:ENEOS)などの油槽所へ続く専用線も存在していた。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 14:17 UTC 版)
1930年(昭和5年)12月5日付『鉄道公報』附録通報「専用線一覧(運輸局)」によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 中伏木合同運送線(動力:手押、作業粁程:0.1粁) 荻布宗四郎線(動力:手押、作業粁程:0.1粁) 樺太木材紙料線(第三者使用:三井物産、動力:手押、作業粁程:0.1粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 14:17 UTC 版)
1923年(大正12年)1月23日付『鉄道公報』号外によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 三井物産線(動力:手押、作業哩程:1哩) 1930年(昭和5年)12月5日付『鉄道公報』附録通報「専用線一覧(運輸局)」によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 三井物産線(第三者使用:北陸石炭、越中石炭、神保石炭、富山鉄道、能登鉄道、加越鉄道、立山鉄道、南越鉄道及び金名鉄道、動力:手押、作業粁程:0.3粁) 中伏木合同運送線(動力:省機関車及び手押、作業粁程:0.2粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 15:39 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっている。貨物設備はなく、専用線も当駅には接続していない。そのため貨物列車の発着はないが、金沢総合車両所で検査を受けるため、配給列車で回送された私有貨車やコンテナ車が当駅でJR西日本に引き渡されている。 国鉄分割民営化前までは、ニッコー松任工場や、日本石油松任油槽所・住友セメントのセメントサイロ(いずれも閉鎖)などへ続く専用線が存在した。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 09:57 UTC 版)
「赤羽線#貨物輸送」も参照 開業時から旅客、貨物両用の駅であった当駅は、国有化、国鉄分割民営化後も連綿と貨物取扱が行われ、当駅を起点とした貨物列車が最盛期には1日4往復運行されていた。 当駅の池袋駅寄り東側には、住友セメント(現・住友大阪セメント)の工場(池袋包装所)があり、当駅からの引き込み線 (0.3 km)を介してセメントや砕石・砂利の輸送が行われていた。また、池袋駅寄り西側には、日本食糧倉庫が、赤羽駅寄りには、紙倉庫があり、それらの専用線が設置され、それらに普通貨物列車として1日3往復運行されていた。 ホームからは、牽引機関車(EF65形など)や、当駅までの牽引及び構内入換に使用するDD13形(→DE10形)、専用線には、有蓋車や私有のセメントタンク車などの国鉄運用の貨車や、東武鉄道や西武鉄道から乗り入れる貨車などを見ることができ、ときには東武の電車を出搬入する際にも当駅を使用していたことがあった。 1984年2月のダイヤ改正以降、国鉄の貨物輸送システム再構成による、直行列車体系の再編成などから、板橋駅への貨物列車が、セメント輸送と砕石・砂利輸送のみとなったため、普通貨物列車は廃止された。砕石・砂利輸送は、東武鉄道向けと西武鉄道向けから、後年は初狩駅へのトキ25000形が専用列車として運行された。その後、当駅の貨物列車はセメント輸送だけが残り、東武会沢線上白石駅にあった住友セメント栃木工場からのタキ1900形のセメント専用貨物列車が1日1往復のみ運行されていたが、1996年3月16日に運行を終了した。 折しも、隣の池袋駅では列車増発のための線形改良事業が構想されていたが、貨物列車の運転終了により同線の勾配に関する制約が緩和されたことから、当初は池袋駅の南側で当線と山手貨物線が立体交差する構想を、同駅の北側で交差する構造に変更した。この事業の完了に伴い、両線の平面交差支障解消および、埼京線と湘南新宿ラインの同一方向同一ホーム化が実現した。 池袋駅の線形改良の詳細については「池袋駅#日本鉄道・国鉄・JR線ホームの変遷」を参照 貨物列車が発着していた2番線隣接部は、貨物取扱廃止後に一部のレールが撤去されたが、側線の一部やクロッシングポイントの一部、入換用の表示機など設備の一部が残されていた(2012年2月時点)。この跡地が電留線として活用されることになる。これは品川駅改良工事に伴うもので、同駅の山手線電留線を廃止し、電留線を利用していた山手線車両の一部は池袋駅の電留線(池袋運輸区)を使用することになった。このため本来池袋駅電留線に留置されていた埼京線・川越線車両のための留置スペースが必要となり、池袋駅から近くスペースが空いていた板橋駅の貨物取扱跡地が活用されたものである。この電留線は先述の品川駅電留線廃止に伴い、2019年3月ダイヤ改正から使用が開始された。
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貨物取扱
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1980年代まで貨物取扱が行われており、電鉄線沿線からの米の各地への輸送などが行われていた。
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貨物取扱
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当駅における貨物取扱は、1972年(昭和47年)10月2日に廃止された。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 呉羽紡績線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.3粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 東洋紡績線(通運事業者:日本通運、動力:国鉄動車、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁)
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貨物取扱
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「扇町駅 (神奈川県)」の記事における「貨物取扱」の解説
扇町駅は開業以来貨物の取り扱いを継続している。2009年現在は、JR貨物の駅は専用線発着車扱貨物の取扱駅となっている。業務はJR貨物グループの神奈川臨海鉄道が代行している。 2010年現在貨物輸送に使用されているのは、開業時からある三井埠頭の専用線のみであるが、かつてはそのほかにも専用線や貨物輸送に供される側線があった。 三井埠頭専用線 旅客ホームよりも南側へ向かう専用線である。扇町駅開業とともに敷設された。 埠頭で荷揚げした国内外産石炭や輸入糖蜜、セメント、重油、コークスなどを扱った。1984年(昭和59年)に開始されたホキ10000形貨車を用いる秩父太平洋セメント向け工場燃料用輸入コークスの輸送が行われていたが、2020年(令和2年)に廃止された。 2017年(平成29年)5月26日からは、中央新幹線建設工事に伴う梶ヶ谷貨物ターミナル駅発の残土輸送列車が三井埠頭へ到着している。 昭和電工専用線 駅の西側、昭和電工川崎事業所へ向かっていた専用線である。1930年(昭和5年)8月運転開始。向浜駅・塩浜駅・大川駅などへの液化塩素、岩沼駅への液化アンモニアの発送が行われていたが、2008年3月をもって停止され、その後線路も撤去された。塩素やアンモニアのほかにも、カセイソーダ液・プロピレンオキサイド・硫酸アンモニウムなどが発送され、硫化鉱・石炭・硫酸などが到着していた時期があった。 三菱石油(現・ENEOS)専用線 現在ENEOS川崎事業所となっている、旧・三菱石油川崎製油所への専用線もあった。1931年(昭和6年)に敷設。石油のほか、三菱液化瓦斯(現・アストモスエネルギー)による液化石油ガス (LPG) の発送もあった。川崎製油所が石油精製を終了したため、専用線は1999年(平成11年)に廃止された。 その他の専用線 上記3線の他に、昭和石油(旧・旭石油、現・昭和シェル石油)扇町輸送所の専用線、日本鋼管(現・JFEスチール)炉材工場の専用線があった。 国鉄発電所の側線 国鉄の火力発電所(現・JR東日本川崎火力発電所)への側線では、発電所自前の石炭埠頭からの石炭の発送(周辺地域向け)が行われていた。発電所の側線は、鶴見臨港鉄道時代から存在した。
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貨物取扱
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当駅は神岡鉄道唯一の貨物取扱駅として機能していた。駅北側、高原川右岸にある神岡鉱業(三井金属鉱業の子会社)へ専用線が続いていた。 工場で生産された濃硫酸を東北・関東・中部・関西地方へ私有貨車で発送していた。また1998年1月16日から、製品の地金や原料をコンテナ輸送するようになった。しかし私有貨車の老朽化により鉄道輸送を終了することとなったため、濃硫酸輸送は2004年10月15日限りで、コンテナ輸送は一足先の8月末にそれぞれ終了した。神岡線廃止後、高原川を渡る専用線の橋梁は撤去されている。
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貨物取扱
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当駅は1984年(昭和59年)2月1日に専用線発着車扱貨物の取扱を廃し一旦は旅客駅となったが、その後国鉄末期の1987年(昭和62年)3月31日より臨時に車扱貨物の取扱を開始し、同年4月1日発足の日本貨物鉄道においてもこれが継承されていた。その後、2006年(平成18年)4月1日に日本貨物鉄道が営業実態のない駅を廃止した際に当駅における貨物取扱は廃止された。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 鉄道機器線(第三者使用:日本通運、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁) 日大鋼業線(動力:手押、作業粁程:0.1粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 鉄道機器線(通運事業者:日本通運、動力:国鉄動車及び手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 富山製錬所線(通運事業者:日本通運、動力:国鉄動車及び手押、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.5粁) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 鉄道機器線(通運事業者等:日本通運、動力:国鉄動車及び手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁、備考:国鉄側線) いすみ化成線(通運事業者等:日本通運、動車:国鉄動車及び手押、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.5粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 08:56 UTC 版)
JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっているが、貨物列車の発着は無く、貨物設備や専用線も当駅には接続していない。ただし、『鉄道要覧 平成28年度』所収の路線図からは当駅の記述が削除されている。1987年(昭和62年)4月1日のJR貨物発足当時は専用線発着車扱貨物のみを取扱う駅であったが、1994年(平成6年)3月21日より営業範囲を改正して、専用線発着車扱貨物に加えて専用線発着コンテナ貨物の取扱を開始した。その後、1995年(平成7年)に当駅に接続していた日鉱亜鉛三日市製錬所(現・JX金属三日市リサイクル)専用線が廃止され、1996年(平成8年)3月16日に専用線発着貨物一切の取扱を廃し、車扱貨物臨時取扱駅となった。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 北日本鉱業線(動力:手押、作業粁程:0.3粁) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 日窒鉱業線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.3粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日本鉱業線(通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.4粁、総延長粁程:1.1粁) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日本鉱業線(通運事業者等:松井運輸、動力:私有機関車、作業粁程:0.4粁、総延長粁程:1.3粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 15:05 UTC 版)
JR貨物の駅は2018年現在、臨時車扱貨物の取扱駅となっており定期貨物列車の発着はなくなっている。 駅構内の東側(裏側)にセメントターミナル五日町営業所が、駅北側には住友大阪セメント五日町サービスステーションが設置され、それぞれの専用線を利用して青海駅からセメント輸送が行われていたが、前者は2006年(平成18年)に、後者は2001年(平成13年)3月に廃止された。 1997年(平成9年)3月までは、セメントターミナル五日町営業所の斜め向かいにあった日本石油五日町油槽所への石油が沼垂駅から輸送されていた。現在は2区画に分割され地元企業等の工場になっている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 15:00 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は臨時車扱貨物の取扱駅となっており、定期貨物列車の設定はない。[要出典] かつては、上越線東側に沿い北上した場所にある電気化学工業渋川サービスステーションへの専用線があり、青海駅からセメントが到着していたが、2000年3月に廃止された。以降、貨物列車の発着はなくなっている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 09:44 UTC 版)
「根岸駅 (神奈川県)」の記事における「貨物取扱」の解説
2009年度の年間貨物取扱量は、発送2,281,633トン、到着210,940トンであった。近年の年間発着トン数は下表の通り。 年度年間貨物取扱量発送(トン)到着(トン)1998年 2,275,037 222,868 1999年 2,473,782 240,761 2000年 2,661,654 256,311 2001年 2,578,607 244,626 2002年 2,809,927 265,135 2003年 2,814,896 264,565 2004年 3,074,405 289,142 2005年 3,042,638 285,893 2006年 2,790,397 264,670 2007年 2,638,710 249,505 2008年 2,247,864 208,485 2009年 2,281,633 210,940 2010年 2,353,182 218,580 2011年 2,990,851 221,942 2012年 2,469,370 228,357 2013年 2,555,996 236,725 2014年 2,588,177 239,883 2015年 2,524,820 233,672 2016年 2,378,987 220,058 2017年 2,570,877 238,371 2018年 2,452,899 227,269 2019年 2,155,655 199,389
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 16:37 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は臨時車扱貨物の取扱駅となっており、定期貨物列車の設定はない。 かつてはゼネラル石油(現・ENEOS)の専用線が接続し、浮島町駅から石油類の到着があった。また日本肥糧新町工場への専用線もあった。 なお、神流川からの砂利運搬専用線は、現在でも保線車両用の留置線として一部が利用されている。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 09:52 UTC 版)
JR貨物の駅は現在、臨時車扱貨物の取扱駅となっており、定期貨物列車の設定はない。ただし、稀に上信電鉄の車両を輸送する甲種輸送列車が発着することがある。 1994年9月までは上信電鉄に連絡する貨物列車が設定されていた。また、かつては駅の南側にある日本製粉高崎工場(後のニップン冷食高崎工場。2012年3月閉鎖、跡地は現・高崎アリーナ)へ続く専用線があり、穀物輸送などが行われていたが、1994年3月ごろに廃止された。また、駅北側にあった日清製粉高崎工場(1988年6月閉鎖)への専用線もあり、鶴見線大川駅から穀物輸送が行われていたが、工場の閉鎖に伴い廃止された。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 01:03 UTC 版)
かつては、当駅の北東側に隣接する橋本産業館林工場への専用線があり、神奈川臨海鉄道浮島町駅から石油やプロパンガスを積載するタンク車や同工場で製造された練炭や原料炭を輸送する有蓋車を連ねた貨物列車が発着していた。1997年にトラック輸送へ切り替えられ廃止された。廃止後もしばらく専用線や荷役設備は残されていたが、2009年1月にすべて撤去された。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 16:15 UTC 版)
当駅は日本貨物鉄道の車扱貨物臨時取扱駅となっている。また、当駅からは高岡貨物駅に通ずる新湊線が分岐している。かつて当駅に接続していた日本曹達専用線は、万葉線旭ヶ丘停留場 - 荻布停留場を平面交差して高岡工場へと通じていたが、2004年(平成16年)4月1日を以て休止された。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 日本曹達線(第三者使用:日本通運、動力:私有機関車、作業粁程:1.2粁、備考:小口扱も取扱う) 中越パルプ工業線(第三者使用:日本通運、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:1.0粁) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 日本曹達線(第三者使用:日本通運、動力:私有機関車、作業粁程:1.2粁、備考:急小(発)及び小口扱も取扱う) 中越パルプ工業線(第三者使用:日本通運、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:1.0粁) 1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日本曹達線(第三者使用:日本通運、日曹商事及び一之江化学工業、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:1.8粁) 日本ゼオン線(第三者使用:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:1.5粁、備考:当専用線は日本曹達線に接続する) 中越パルプ工業線(第三者使用:中越運送、動力:私有機関車、作業粁程:1.2粁) ゼネラル石油線(第三者使用:日本通運、動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.1粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 日本曹達線(真荷主:日曹商事、一之江化学工業及び丸正産業、通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:1.8粁、総延長粁程:3.4粁) 日本ゼオン線(真荷主:三菱商事、通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:1.5粁、総延長粁程:2.0粁、備考:当専用線は日本曹達線に接続する。また、コンテナによる小口扱貨物も取扱う) 中越パルプ工業線(通運事業者:中越運送、動力:私有機関車、作業粁程:1.2粁、総延長粁程:2.0粁、備考:コンテナによる小口扱貨物も取扱う) 島宇商店線(動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) 1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用鉄道及び専用線は以下の通りであった。 日本曹達線(真荷主:日曹商事、一之江化学工業、丸正産業、三井日曹ウレタン及び住友商事、通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:1.8粁、総延長粁程:3.8粁) 日本ゼオン線(真荷主:三菱商事、通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:1.5粁、総延長粁程:2.0粁、備考:当専用線は日本曹達線に接続する) 中越パルプ工業線(通運事業者:中越運送、動力:私有機関車、作業粁程:1.2粁、総延長粁程:2.0粁) 日本農産工業線(動力:手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁)
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貨物取扱(廃止)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:19 UTC 版)
築上地域の貨物取扱拠点として、農産品や肥料等を取扱っていたほか、宇島港に隣接していることから筑豊地域から産出される石炭の積出にも使用された。貨物取扱は1984年(昭和59年)までに廃止となった。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:07 UTC 版)
駅舎の東南側(旅客ホームの北東側)に、JR貨物が使用する1面2線のコンテナホームがある。貨物列車専用の着発線はなく、上下本線の外側にそれぞれ並行する線路はいずれも側線である。下り側の側線の1本がコンテナホームに接し、荷役線となっているほか、コンテナホームの外側にもう1本の頭端式の荷役線がある。これらの側線には引き上げ線を介して入線する。コンテナホームはコンテナ列車が編成ごと入線できる長さはなく、編成の分割や、荷役作業に合わせた編成の移動を要し、これらの作業に入換動車(小型ディーゼル機関車)が使用されている。2021年(令和3年)9月にはDB500形ディーゼル機関車51・52号機が配置され、それまでの入換動車が置き換えられた。 駅本屋上り方の構内には2階建ての総合事務所が設けられており、営業窓口であるJR貨物大分・宮崎営業所や、乗務員基地機能を有する大分総合鉄道部が入居する。 入換作業(入換動車の運転を含む)やコンテナ積み降ろし作業は、JR貨物グループ企業のジェイアール貨物・九州ロジスティクスが行う。 昭和40年代にコンテナ輸送が急激に伸び、活況を呈した。当時のコンテナ輸送のうち、発送貨物(36,000トン)は主に住友化学の薬品や昭和電工のポリエチレン輸送であり、到着貨物(58,000トン)は引越や合板、菓子類であった。 かつては、駅の南にある富士紡績大分工場(現・フジボウテキスタイル大分工場)への専用線があった。また、東側から分岐して大分港まで伸びる貨物線(大分港臨港線)も存在していた。大分港臨港線は西大分駅から大分港駅まで2.0kmを結ぶ貨物線であったが、1987年に撤去された。 下り方から見たコンテナホームと20t入換動車(1995年4月2日) 駅舎下り側にある、コンテナホームの入り口。画像右端のプレハブ小屋は入出荷の受付所。(1994年4月7日) 年度貨物取扱量推移(単位:t)発送到着出典1990年(平成2年) 162,322 94,980 1991年(平成3年) 130,301 100,794 1992年(平成4年) 137,994 99,809 1993年(平成5年) 109,576 92,791 1994年(平成6年) 91,557 87,215 1995年(平成7年) 100,405 86,341 1996年(平成8年) 114,877 90,233 1997年(平成9年) 118,203 95,020 1998年(平成10年) 117,476 82,962 1999年(平成11年) 117,476 82,962 2000年(平成12年) 118,794 87,851 2001年(平成13年) 118,899 85,399 2002年(平成14年) 113,349 81,738 2003年(平成15年) 122,201 86,509 2004年(平成16年) 114,232 88,848 2005年(平成17年) 105,961 84,138 2006年(平成18年) 95,743 80,508 2007年(平成19年) 93,019 79,740 2008年(平成20年) 81,022 76,464 2009年(平成21年) 83,708 75,922 2010年(平成22年) 90,113 78,744 2011年(平成23年) 84,407 78,775 2012年(平成24年) 81,801 78,049 2013年(平成25年) 82,302 78,736
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 13:53 UTC 版)
当駅における貨物取扱は、1986年(昭和61年)11月1日に廃止された。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 鐘淵紡績線(第三者使用:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:1.5粁(第1積卸場)、1.4粁(第2積卸場)、1.7粁(直通)、備考:当駅 - 二塚間より分岐) 荻布建材工場線(動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁) 1967年(昭和42年)7月1日時点における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 鐘淵紡績線(第三者使用:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:1.5粁、備考:当駅 - 二塚間より分岐) 荻布建材工場線(第三者使用:岩谷産業、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁) 1970年(昭和45年)10月1日時点における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 荻布建材工場線(真荷主:岩谷産業、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 15:50 UTC 版)
かつて当駅はJR貨物の駅(国鉄時代は貨物取扱駅)で、最盛期の1970年ごろは、身延線で最も貨物取扱量の多い駅であった。取扱品は石炭や石油、飼料、セメントなどで、複数の専用線が当駅に接続していた。最後まで使用されていた専用線は宇部三菱セメント甲府サービスステーションへ続く専用線であったが、施設の移転に伴い1997年10月に廃止された。それにより、当駅の貨物列車の発着が無くなった。 また専用線の他にも、駅舎の北側に1面1線の貨物ホームが存在していたが、1986年11月1日のダイヤ改正により使用されなくなり撤去された。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 21:57 UTC 版)
当駅における貨物取扱は1971年(昭和46年)10月1日に一旦廃止されたが、その後1984年(昭和59年)10月18日に神岡鉄道神岡線連絡車扱貨物の取扱を開始した。しかし、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化の際に当駅は日本貨物鉄道の管轄下とならず、以降は旅客駅として営業している。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 神岡鉱山線(動力:手押、作業粁程:0.3粁) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 三井金属鉱業線(動力:手押、作業粁程:0.3粁) 北陸電力線(第三者使用:日本通運、動力:日本通運借入機関車、作業粁程:0.3粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 北陸電力線(通運事業者:日本通運、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.4粁)
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 16:29 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着は無い。貨物設備は無く、専用線も当駅には接続していない。 かつては、駅西口の南側に日本石油北上油槽所があり、そこへ至る専用線が駅から分岐していた。施設へ石油を輸送するために、仙台北港駅から貨物列車が運行されていたが、油槽所の閉鎖に伴い2001年(平成13年)9月26日をもって廃止された。またメタノール荷役線が駅構内にあり、新潟臨海鉄道太郎代駅から輸送されたメタノールがタンク車からタンクローリーに移しかえられ東北ユーロイド工業の工場へ輸送されていた。この輸送は2001年(平成13年)6月19日の貨車返送を最後に廃止された。 なお、国鉄分割民営化前までは、駅西口の南に隣接して車扱貨物ホームがあった。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 11:26 UTC 版)
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着は無い。貨物施設は無く、専用線も当駅には接続していない。 国鉄時代の、1984年2月1日に、当駅での貨物取扱は廃止されたが、民営化直前に、名目上再開された。それ以来貨物列車は発着していないままである。廃止される前は、駅舎の北側などに有蓋車用の車扱貨物ホームが存在していた。
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貨物取扱
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当駅における貨物取扱は、1959年(昭和34年)11月1日に専用線発着車扱貨物に限定され、その後1960年(昭和35年)8月1日には配達取扱が廃止になり、1969年(昭和44年)10月1日に手荷物及び小荷物と共に取扱が廃止された。 1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった。 興国人絹パルプ線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.3粁) 日本発送電線(動力:手押、作業粁程:0.1粁) 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 興国人絹パルプ線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.3粁) 関西電力線(第三者使用:北陸電力及び日本通運、動力:手押、作業粁程:0.1粁) 北陸電力線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.1粁) 1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 北陸電力線(二号線)(第三者使用:日本通運、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.3粁) 日本国有鉄道貨物局が編纂した『専用線一覧表 昭和45年10月1日』には当駅接続の専用線は記載されていない。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 07:56 UTC 版)
JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっているが、貨物列車の発着はなく、専用線も接続していない。 JR貨物の施設として、八戸市城下三丁目に「本八戸駅貨物扱所」がある。この本八戸駅貨物扱所は、八戸線長苗代駅 - 本八戸駅間で分岐し、馬淵川沿いに500mほど北上する路線の終端にある。ただし2006年6月より貨物列車の発着はなくなり、休止されている。かつてはここへの路線は本八戸駅から分岐していたが、旅客駅の高架化により長苗代駅方からの分岐に変更された。なお分岐点より本八戸駅構内の扱いとなり、手前には場内信号機(本八戸方、貨物扱所方)が設置されている。 この貨物扱所から、馬淵川沿いにさらに北上する青森県営専用線が存在した。八戸港にあるこの路線の終点から、米軍油槽所へ至る専用線が分岐し三沢駅へ石油輸送貨物列車が運行されていた。さらに以前には、出光興産・新日本石油(現・JXTGエネルギー)・コスモ石油・ジャパンエナジー(現・JXTGエネルギー)の八戸油槽所への専用線もあり、航路継走石油輸送の拠点となっていたほか、大平洋金属八戸製作所への専用線もあった。
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貨物取扱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 08:38 UTC 版)
日立製作所笠戸事業所への専用線が敷設されており、甲種鉄道車両輸送列車の始発駅となっている。かつてはその専用線から東洋鋼鈑下松工場や日本石油精製下松製油所(現・JXTGエネルギー下松事業所)への専用線が分岐しており、車扱貨物廃止までは、駅構内にタンク車(潤滑油添加剤)・有蓋車(ブリキコイル積)の姿を見ることができた。
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