砂利輸送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 07:16 UTC 版)
発送貨物(トン)年度多摩川→武蔵多摩川拝島多摩川1926 1,720 1927 4,535 1928 10,101 1929 2,530 1930 80 1931 125 1932 - 14,501 1933 162 10,974 1934 - 16,156 1935 15,283 東京や横浜向けの砂利の供給はほぼ関東一円の河川から採取される川砂利によったがとりわけ多摩川と相模川が群を抜いて大きかった。東京周辺では1907年(明治40年)開業した玉川電気鉄道がはじめて砂利輸送を目的にした鉄道とみられ、大正末期から昭和初期にかけて多数の砂利鉄道が開業した。多摩川の砂利採取に深くかかわっていたのが重役の紅林七五郎であった。先代の徳五郎が甲武鉄道線の多摩川橋梁付近から福島村までの砂利専用線を敷設したのが紅林家と多摩川の砂利採掘業のはじまりでこの砂利専用線は甲武鉄道が買収したのち国有化され中央線の支線となった。七五郎は東京市の砂利採掘の委託をされ、さらに1918年(大正7年)に砂利専用線を出願しているが、のちの多摩川砂利木材鉄道であった。五日市鉄道も多摩川の砂利輸送のため1926年(昭和元年)7月に多摩川東岸に多摩川駅(→武蔵多摩川駅)を、1931年(昭和6年)12月に貨物線を敷設し拝島多摩川駅を開業した。しかし不況により砂利の需要が落ち込み1930年(昭和5年)以降は関東の砂利業者は2/3に減少しており、生産量の大きかった多摩川では乱掘のため川床の低下による橋脚崩壊の恐れや用水取り入れが不可能になるなど治水上の障害がおこったため1934年(昭和9年)に機械掘り禁止、1936年(昭和11年)新規採掘船禁止と採取制限が行われた。
※この「砂利輸送」の解説は、「五日市鉄道」の解説の一部です。
「砂利輸送」を含む「五日市鉄道」の記事については、「五日市鉄道」の概要を参照ください。
- 砂利輸送のページへのリンク