砂利軌道線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 01:45 UTC 版)
当駅の西方、東上本線と越生線が分岐する中間にもう一本の線路が存在するが、これはかつて高麗川の河原で採取された砂利をトロッコなどの簡易的な方法で運搬していた軌道跡である。1926年国土地理院発行の5万分の1地形図にはこの軌道がすでに記載されており、越生線よりも先に存在していたことになる。軌道は西方へ真っ直ぐ延び、現在の坂戸市立浅羽野中学校の敷地をかすめるように通って高麗川の河原へと進んでいた。1926年当時は更に高麗川沿いに先へ延びて、埼玉県道114号川越越生線の万年橋の近くまで達していた。後に途中の、現在の坂戸市三光町の地内に工場が設けられ、その専用線としての機能も有していた。 1960年頃には、前述の浅羽野中学校の先の河原までに軌道が短縮されている。全廃となった現在では、埼玉県道74号日高川島線の手前で線路は途切れ、その先は一部道路に転用されているが、一部は区画整理により廃線跡は消滅している状態である。 砂利軌道線跡 砂利軌道線跡(終端付近)
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