万年橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 04:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動万年橋(まんねんばし)は橋の名。近代以前の橋は木造・石造などが主流で、ひとたび洪水等の災害が起これば大変壊れやすく、また修築にも多くの時間と費用を要したことから「万年」に渡って橋が長持ちするようにとの願いを込めた慶賀名として、全国各地で同様の橋名として採用されている。
- 万年橋 (然別川) - 北海道河東郡音更町において然別川に架かる橋
- 万年橋 (亀田川) - 北海道函館市万代町において(古)亀田川にかつて架かっていた橋。かつては字名にも用いられ、隣接する函館市吉川町には函館市立万年橋小学校が存在する。
- 万年橋 (荒川) - 埼玉県秩父市において荒川に架かる橋
- 万年橋 (高麗川) - 埼玉県坂戸市において高麗川に架かる橋[1]
- 万年橋 (中央区) - 銀座四丁目交差点と築地方面との間で晴海通りが首都高速都心環状線を越えている橋。もともとは築地川を越える橋であった。
- 万年橋 (築地川) - 東京都中央区において旧築地川(現首都高速都心環状線)に架かる橋
- 萬年橋 - 東京都江東区において小名木川に架かる橋
- 万年橋 (多摩川) - 東京都青梅市において多摩川に架かる橋
- 万年橋 (河内川) - 神奈川県平塚市において河内川に架かる橋
- 万年橋 (西寒多神社) - 大分県大分市の西寒多神社参道前の寒田川に架かる橋
他多数
脚注
関連項目
同様に慶賀名として橋名に多く利用されているもの。
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萬年橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/21 15:01 UTC 版)

萬年橋(まんねんばし)は、東京都の小名木川にかかる橋で第一橋梁である。江東区道第3124号線(萬年橋通り)を通す。北岸は江東区常盤一丁目、南岸は江東区清澄一丁目と二丁目を分かつ。当橋のすぐ西側で小名木川は隅田川と合流、東側には新小名木川水門が設置されている。
現在の橋の概要
- 構造形式: 1径間下路ブレースドリブタイドアーチ橋、鉄筋コンクリート床鈑
- 橋長: 56.25m
- 幅員: 17.2m
- 開通: 1930年(昭和5年)11月19日
- 施工主体: 東京市復興局、江東区
- 設計: 鹿島組
- 橋桁製作: 川崎造船所
- 施工: 鹿島組
歴史


萬年橋が架橋された年代は定かではないが、延宝8年(1680年)の江戸地図には「元番所のはし」として当所に橋の記載がある。江戸時代初期、この橋のすぐ北側に小名木川を航行する船荷を取り締まるために「川船番所」が置かれていたものの、この番所は明暦の大火後の江戸市街地の整備拡大に伴い、寛文元年(1661年)に中川口へと移されたため、付近が「元番所」と呼ばれていたことに由来する。慶賀名と考えられる「萬年橋」という呼称となった時期などは不明である。
小名木川は江戸市内へ行徳の塩や、近郊農村で採れた野菜、米などを船で運び込むための運河であり、架けられた橋はいずれも船の航行を妨げないように橋脚を高くしていたが、萬年橋は中でも特に大きく高く虹型に架けられていたことから、その優美な姿が人々に愛された。葛飾北斎は『富嶽三十六景』の中で「深川萬年橋下」として、歌川広重は『名所江戸百景』の中で「深川萬年橋」としてそれぞれ取り上げた。
萬年橋は江戸期を通じて4回の改架があったとされるが定かではなく、関東大震災の直前には木橋が架けられていた。震災時も被害はうけたものの耐え切ったが、老朽化とあわせて震災復興計画により現在の橋に架け替えられた。
松尾芭蕉
北岸は松尾芭蕉が居を構えた場所で、隅田川と小名木川の合流地点付近の住居跡は芭蕉歴史庭園として整備されている。また近隣に江東区芭蕉記念館がある。
ケルンの眺め
隅田川のすぐ南側にある清洲橋は萬年橋たもとからの眺めがもっとも美しく見える角度とされ、清洲橋のモデルとなったドイツ・ケルンのライン川に架かる吊橋を彷彿させることから「ケルンの眺め」と呼ばれている。
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隅田川テラスより(2008年5月)
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小名木川から見た萬年橋(2011年7月23日撮影)
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小名木川にある新小名木川水門(2011年7月23日撮影)
隣の橋
(隅田川へ)- 萬年橋 - 高橋 -西深川橋 -(上流)
脚注
座標: 北緯35度41分0.70秒 東経139度47分40.80秒 / 北緯35.6835278度 東経139.7946667度
万年橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 03:29 UTC 版)
万年橋(まんねんばし)は、西寒多神社の入口を流れる大分川水系寒田川(通称 みそぎ川)に架かる石造単アーチ橋である。昭和55年(1980年)4月8日に大分県の有形文化財に指定されている。 主構造がアーチであるだけでなく、路面も緩やかな弧を描く太鼓橋で、路面とアーチとの間の石組が狭いのが特徴である。江戸時代末の文久2年(1862年)に当時延岡藩領であった寒田村の庄屋らが発起し、岡藩領であった大野郡柴北村(現 豊後大野市犬飼町柴北)の石工2代目後藤郷兵衛ら20名によって同年に竣工した。 諸元 所在地:大分県大分市寒田 河川:大分川水系寒田川 形式:石造単アーチ橋 橋長:22.0メートル 橋幅:3.7メートル 径間:11メートル 拱矢(アーチ高):3.9メートル 竣工:文久2年(1862年) 石工:後藤郷兵衛(2代目) 文化財指定等:大分県指定有形文化財
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