砂利運搬とレジャー輸送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 02:27 UTC 版)
「京王相模原線」の記事における「砂利運搬とレジャー輸送」の解説
相模原線は、京王電鉄の前身である京王電気軌道が1916年に開業させた調布駅 - 多摩川原駅(現・京王多摩川駅)間の多摩川支線(文献により多摩川原支線)に端を発する。当時、多摩川で採取された砂利を都心に運搬するための鉄道、いわゆる砂利鉄道が何本も敷設されており、多摩川支線もその一つとして開業した。1923年の関東大震災により東京の木造・レンガ建築が大被害を受け、その復興でコンクリート建築が急速に普及すると、原料である砂利は莫大な復興需要によりその産出量を急増させた。盗掘を含む余りの採掘は多摩川自体の環境悪化を招き、1934年に始まった採掘規制は第二次世界大戦後の戦災復興期による緩和を挟んだ後、1964年には同線周辺での砂利採取が全面禁止された。 また、1927年に京王は多摩川原駅前に京王閣を開業し、当時では珍しい施設を備えた東京近郊屈指の遊園地として繁栄した。1933年から1936年までは多摩川河川敷で花火大会も始められた。戦時色が強くなると徐々に京王閣の客足は減り、食糧増産のために芋畑などにも利用されていた同施設は戦後の1947年、当時は京王も合併していた東京急行電鉄(大東急)により売却されたが、その敷地の一部には1949年に京王閣競輪場が開設された。1954年には「全国輸出振興煙火競技大会」(調布市花火大会の前身)として河川敷での花火大会が復活し、京王も1955年に京王遊園を設置して遊園地事業を再開し、1956年に植物園である「京王菖蒲園」、1961年にはこれを改称した「京王百花苑」も開設して、多摩川支線は1駅間の短距離ながらも多様なレジャー輸送で重要な役割を果たしていた。
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