第一次世界大戦 1917年の戦闘

第一次世界大戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 03:52 UTC 版)

1917年の戦闘

潜水艦作戦の増強とアメリカ合衆国の参戦

1917年春、地中海でイギリスの貨物船に砲撃するドイツの潜水艦U-35。U-35は少なくとも船226隻を撃沈しており、史上最も「成功」した軍艦とされている。

1916年1月よりヴィルヘルム2世を説得していたドイツ最高司令部は1917年1月8日から9日にヴィルヘルム2世の許可を得て、2月1日に無制限潜水艦作戦を再開することを決定した。決定の背景には1916年12月の平和案とその拒否があった。1916年12月18日にアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンが連合国に対し秘密裏に仲介を打診していたが(仲介は後に断られた)、それが1月12日に明るみに出るとドイツ国内が無制限潜水艦作戦に対する協力ムードになった。ウィルソンは仲介の打診にあたって、連合国に戦争目標の開示を求めた[157]ベルリーナー・ターゲブラット英語版の編集長テオドール・ヴォルフ英語版は1月12日と13日に下記のように記述した:「連合国のウィルソンに対する返答文が公表された。それは連合国の戦争目標を告知していた。ドイツがそれまで征服した領土のドイツからの分離、民族自決に基づくオーストリア=ハンガリーの完全解体、トルコ(オスマン帝国)をヨーロッパから追い出すなど。影響は巨大であった。汎ゲルマン連盟英語版などの連中が大喜びした。連合国が絶滅戦争ドイツ語版を欲しくなく、交渉に前向きとは誰も言えなくなった。(中略)連合国の返答により、皇帝は人民に訴えた。誰もが無制限潜水艦作戦を準備した。」[158]。中央同盟国はウィルソンが提案した国民投票を拒否。2月3日にはドイツの無制限潜水艦作戦再開によりアメリカがドイツと断交した[159]

アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンの演説
ドイツとの外交関係断絶を発表している

ウィルソンはアメリカ合衆国議会で「平和を愛する」民主主義者の世界中の「軍事侵略的な」独裁主義者に対する十字軍に参加するよう呼びかけた。その4日後の1917年4月6日、アメリカがドイツに宣戦布告した。両院とも圧倒的多数で参戦を決議した[160]。参戦の裏には様々な理由があった。アメリカとドイツの戦後に対する構想はお互い相容れないものであり、ドイツが大陸ヨーロッパの覇権を握ろうとしたことと全世界においても野心を前面に出したことでアメリカの利益に適うことができなくなった。戦争以前でもアルフレート・フォン・ティルピッツティルピッツ計画英語版が長期的にはモンロー主義におけるアメリカの利益に反すると信じられており、また20世紀初頭のアメリカの政治家や学者はドイツの文化が優越しているとの主張やドイツ人のという思想に不信感を持っていた。開戦以降、アメリカと連合国の経済関係が緊密になり、ブライス委員会英語版などでドイツの陰謀が報告され、さらにルシタニア号が撃沈されると反独感情が高まった。しかし、第一次世界大戦の開戦後にアメリカが軍備拡張を行ったのは参戦のためではなく、終戦後に起こりそうな対独戦争に備えるためだった。1916年アメリカ合衆国大統領選挙(11月7日)の選挙運動においても、ウィルソンはアメリカの中立を強調したが、彼が当選した後もドイツの態度が強硬のままだったことは参戦を煽動するのに有利だった。そして、決定的となったのはウィルソンの講和仲介に対するドイツの返答だった。極秘で行われたドイツの講和条件についての返答は実質的には仲介を拒否する返事であり、ドイツの無制限潜水艦作戦再開宣言とほぼ同時になされた。これを聞いたウィルソンははじめはそれを信じられず、その後は深く失望した。ロバート・ランシングエドワード・M・ハウスなどウィルソンの顧問は参戦を推進したが、ウィルソンは2月3日にドイツと断交しただけに留まり、ドイツの脅しが現実になるかを見極めようとした。3月1日、『ニューヨーク・タイムズ』がツィンメルマン電報を公表した。電報の内容はドイツがメキシコに資金援助を与えて、テキサスニューメキシコアリゾナの領土を約束する代償としてメキシコがドイツと同盟を結ぶ、という提案だった。電報が公表されると、アメリカが戦争に参戦することに疑義を挟む人はいなくなり、また3月にはドイツの潜水艦攻撃で再びアメリカ人が死亡した。アメリカはドイツに宣戦布告した後、12月にはオーストリア=ハンガリーにも宣戦布告した[161]

日本海軍艦隊の欧州派遣

イギリスの兵員輸送船「トランシルヴァニア」から救出された乗員であふれる大日本帝国海軍駆逐艦」(1917年5月4日撮影)
Uボートの攻撃により戦死した駆逐艦「榊」乗員の遺骨が入った箱を持つ水兵たち(1917年12月2日)

このようにドイツ海軍による無制限潜水艦作戦を再開すると、イギリスをはじめとする連合国から日本に対して、護衛作戦に参加するよう再三の要請が行われた。1917年1月から3月にかけて日本とイギリス、フランス、ロシア政府は、日本がヨーロッパ戦線に参戦することを条件に、山東半島および赤道以北のドイツ領南洋諸島におけるドイツ権益を日本が引き継ぐことを承認する秘密条約を結んだ。

これを受けて大日本帝国海軍は、インド洋第一特務艦隊を派遣し、イギリスやフランスのアジアやオセアニアにおける植民地からヨーロッパへ向かう輸送船団の護衛を受け持った。1917年2月に、巡洋艦「明石」および樺型駆逐艦計8隻からなる第二特務艦隊をインド洋経由で地中海に派遣した。さらに桃型駆逐艦などを増派し、地中海に派遣された日本海軍艦隊は合計18隻となった。

第二特務艦隊は、派遣した艦艇数こそ他の連合国諸国に比べて少なかったものの、他の国に比べて高い稼働率を見せて、1917年後半から開始したアレクサンドリアからマルセイユへ艦船により兵員を輸送する「大輸送作戦」の護衛任務を成功させ、連合国軍の兵員70万人を輸送するとともに、ドイツ海軍のUボートの攻撃を受けた連合国の艦船から7000人以上を救出[162]した。

その結果、連合国側の西部戦線での劣勢を覆すことに大きく貢献し、連合国側の輸送船が大きな被害を受けていたインド洋地中海で連合国側商船787隻、計350回の護衛と救助活動を行い、司令官以下27人はイギリス国王ジョージ5世から勲章を受けた。連合国諸国から高い評価を受けた。一方、合計35回のUボートとの戦闘が発生し、多くの犠牲者も出した[162]

また、欧州の戦場から遠く造船能力に余裕があり、造船能力も高かったことから、1917年にはフランスが発注した樺型駆逐艦12隻を急速建造して、日本側要員によってポートサイドまで回航された上でフランス海軍に輸出している(アラブ級駆逐艦)。

カブラの冬

ドイツでは1916年から1917年にかけての冬、天候による不作などが原因となってカブラの冬が起きた。最高価格の定められた状況ではポテトや穀物をそのまま売るより、飼料として使ったり、蒸留所に売ったりした方が利益が出たため、状況はさらに悪化した。2月、毎日の食料配給が1,000kcal分まで下がり(成人が必要な生理的熱量は平均で毎日2,410kcal)、食料不足がさらに厳しくなった。カブラの冬により、ドイツの社会が団結していない状況(生産者と消費者の対立)、そして国が食料を提供する能力の不足が浮き彫りになった[163][164]

ロシア革命

ペトログラードの民衆デモにより二月革命が勃発した。

工業力が重点になったこの戦争は、工業化が緒に就いたばかりで未だ農業が主であったロシア帝国の力を大きく超え、既に厳しい社会問題をさらに悪化させた。さらに、バルト海ダーダネルス海峡が海上封鎖を受けたことで、戦前には7割の輸入がバルト海経由で3割が黒海経由だったロシアは大きく疲弊した。戦争の重圧、インフレ率の上昇、さらに厳しい食料不足により、労働者と兵士の妻、女性の農民たちが2月23日(ユリウス暦)/3月8日(グレゴリオ暦)に首都ペトログラードデモ行進を行った[注釈 9]。2月26日/3月11日にはデモがペトログラード駐留軍に広まり、やがて二月革命に発展した。1905年の革命と同じく、労働者たちはソビエトを結成、デモ参加者の要求を代弁してそれを政治的に実施しようとした。ソビエトの執行委員会は主にメンシェヴィキ社会革命党で構成された。3月1日(ユリウス暦)/3月14日(グレゴリオ暦)、ペトログラード・ソビエト英語版命令第一号英語版を発令し、政府命令のうちソビエトの命令と矛盾しないもののみ遵守するよう命じた。ドゥーマで代表を持つブルジョワゲオルギー・リヴォフ首相率いるロシア臨時政府を成立させ、2日後にニコライ2世を説得して退位させた。これによりロシア臨時政府とソビエトという「二重権力英語版」が成立した。ロシア民衆の大半が望んだのと違い、臨時政府は戦争継続を決定、当時のソビエトも継戦の決定を支持した。

連合国はロシア帝国が民主主義に反対したためプロパガンダに問題が生じていたと考え、ロシアで革命が起きる事態をむしろ歓迎した。ドイツは3月21日(ユリウス暦)/4月3日(グレゴリオ暦)にウラジーミル・レーニンボリシェヴィキ約30人をスイスからフィンランド経由でロシアに帰国させた(一部はドイツの鉄道を利用した)。ロシア社会民主労働党の一部であったボリシェヴィキ(「多数派」の意)は1905年革命以降、その指導層の大半が亡命していた。開戦からロシア政府の戦争政策に反対しており、「現在の帝国主義の戦争を内戦に」[165]転化しようとしたが、戦争初期では失敗した。ドイツ政府はアレクサンドル・パルヴスを仲介人にして当時スイスに住んでいたレーニンと接触。続いて大量の資金(数百万マルクとされる)をロシアの革命家に提供してロシアを不安定にしようとした[166]。レーニンは帰国直後の4月7日(ユリウス暦)/4月20日(グレゴリオ暦)に四月テーゼを発表。革命の進展についての見解を述べるとともに戦争の即時終結を要求、厭戦気分に満ちた民衆の支持を受けた。政府はちょうど労働者の日(4月18日(ユリウス暦)/5月1日(グレゴリオ暦))にミリュコーフ通牒英語版を送って、単独講和なしで戦争継続することを約束したため、民衆の怒りを買って四月危機英語版を引き起こしてしまった。その結果、ソビエトの中道左派が臨時政府に入閣した[167]

無人地帯にいる両軍の兵士。
両軍の兵士、1917年。

5月6日(ユリウス暦)/5月19日(グレゴリオ暦)に成立した第一次連立政府で陸海軍大臣に就任したアレクサンドル・ケレンスキーはペトログラード・ソビエトの副議長でもあった。彼は「敗北なしの平和」を達成すべく、ベレジャヌィ英語版リヴィウヴィリニュスを目標とした、後にケレンスキー攻勢と呼ばれた攻勢を命じた。攻勢は6月29日に始まり、まずスタニスラーウに対して、東部戦線でそれまでになかった激しさの砲火を浴びせた後、ロシア軍は7月11日にカールシュ英語版まで進軍したが、直後に敗走。他の前線でも敗れた。その結果、多くの兵士が脱走、ロシア軍が解体し始めた。ケレンスキーは7月25日に攻勢を中止した。中央同盟国は反撃に出て、8月3日までにタルノーポリチェルニウツィーまで進軍、東ガリツィアとブコビナを奪回した[168]。ロシアでもボリシェヴィキが七月蜂起を起こしたが鎮圧された。レーニンはフィンランドに逃亡した[169]。9月、ドイツ軍はリガを占領(リガ攻勢)。10月にはアルビオン作戦でバルト海のサーレマー島ヒーウマー島ムフ島を占領し、ロシア軍はほぼ完全に崩壊した[170]

9月末、ロシアのラーヴル・コルニーロフ将軍がクーデターを企図して失敗すると(コルニーロフ事件英語版)、ケレンスキーは革命を守るためにボリシェヴィキに頼らなければならず、ボリシェヴィキは名実ともに名誉回復した。そして、フィンランドから帰国したレーニンが10月24日(ユリウス暦)/11月6日(グレゴリオ暦)に十月革命を起こし、翌日には臨時政府が転覆されてボリシェヴィキが権力を奪取した。そのさらに翌日にはボリシェヴィキが平和に関する布告を発し、中央同盟国を東部戦線から解放する結果となった[171]

12月5日、中央同盟国とロシアの間で10日間の停戦協定が締結された。その後、停戦は数度延長され、12月22日にはブレスト=リトフスクで講和交渉が開始した。最終的には1918年3月3日にブレスト=リトフスク条約が締結された[172]

ドイツ、西部戦線で守勢に

フランス軍による、ドイツ軍への突撃が失敗した一幕。1917年のフランドル。
爆撃を受けた森、イーペル付近、1917年。

3月、ドイツ軍は西部戦線でアルベリッヒ作戦を発動して、16日から19日にかけてソンム川からヒンデンブルク線英語版に撤退した。1916年のヴェルダンとソンム会戦でドイツ軍が疲弊したことが撤退の理由だった。撤退はループレヒト・フォン・バイエルン王太子軍集団英語版が発案、ルーデンドルフの反対を押し切って実施した。ヒンデンブルク線の建築は第一次世界大戦最大の建築工事であり、主に捕虜と強制労働に駆り出された労働者によって行われた。ドイツ軍は焦土作戦を行って撤退直前に陣地を系統的に破壊して、住民を追放。一部地域では地雷ブービートラップも設置した。バポーム英語版などの地域が完全に破壊され、サン=カンタンの住民4万人など合計15万人が追放された。作戦自体はドイツ軍の前線を縮めて、守備の整ったヒンデンブルク線に撤退したことで一定の成功を収め、連合国軍が1917年春に計画した攻撃は無駄に終わった。しかし、作戦の「影響を受けた地域の民衆の生活を完全に破壊、歴史的な風景を荒れ地に変えた」ことで、国外の世論がドイツに不利になった[173]

フランス軍大本営があるシャンティイで行われた連合国の第二次会議(1916年11月)では再び合同攻勢が決定された。ソンム会戦で敗れた連合国軍は1915年の戦術に立ち返り、リールとヴェルダンの間にあるドイツの突起部を両側から攻撃して他のドイツ部隊からの切断を図る、という戦術を再び採用した。攻勢の最高指揮官ロベール・ニヴェルはフランス北部のアラスを攻撃の始点に選び、イギリス軍(カナダとニュージーランド部隊含む)が4月9日に攻撃を開始した(アラスの戦い英語版)。直後にはフランス軍もエーヌ川シャンパーニュで攻勢に出て(第二次エーヌ会戦英語版第三次シャンパーニュ会戦英語版)、シェマン・ド・ダーム英語版の占領を狙った。ルートヴィヒ・フォン・ファルケンハウゼン英語版将軍(後に罷免された)の部隊はアラスでの攻撃で奇襲を受け、兵士2万4千が出撃しなかったままとなったため、ドイツ軍は兵士への再教育を行った[174][175]。連合国軍の攻勢に使われた物資は前年のソンム会戦よりも多かった。カナダ師団はヴィミ・リッジの戦い英語版に勝利して戦略要地であるヴィミ・リッジを占領したが、その後は進軍できず、戦線が膠着した。フランス軍はヴィミ・リッジから130km南のところで攻撃を仕掛け、前線を押し出したがシェマン・ド・ダームの占領には失敗した。結局、連合国軍は大損害を出して5月には攻勢を中止した。フリッツ・フォン・ロスベルク英語版縦深防御戦術を編み出した後、ドイツ軍の防御の配置がより深く複雑になった。英仏軍の戦車(合計170台)は技術上の問題があり、しかも数が足りなかったため戦局に大きな影響を及ぼさなかった。また両軍とも毒ガスを使用した[176]

シェマン・ド・ダームへの攻勢が失敗した結果、フランス軍の68個師団で反乱がおきた(フランス軍200万のうち約4万が反乱)。イギリスがアラスの戦いで勝利したことで期待が高くなったことも一因であった。反乱に最も影響された5個師団はソワソンランスの間、シェマン・ド・ダームへの攻勢が行われた地域の南に配置されており、同地に配置されたロシア海外派遣軍英語版も同じような問題に遭った。反乱は前線では起きず、後方で休息をとっていて前線に戻る予定の兵士の間でおきた。兵士の要求は休暇を増やすこと、栄養状態を改善すること、兵士の家族の待遇を改善すること、「殺戮」の中止(戦略への反対を意味する)、そして「不正義」(戦争における正義ドイツ語版に関して)の中止、「平和」だった。「反乱した兵士の大半は戦争自体に異議を唱えたのではなく、無用の犠牲になることに反対しただけだった」[177]。4月29日、ニヴェルは更迭され、ヴェルダンの守備を指揮したフィリップ・ペタン将軍が後任になった。攻勢から守備に切り替えることで、ペタンはフランス軍の不安を和らげた。ペタンはドイツ軍の縦深防御と似たような戦術を編み出した。8月のヴェルダンの戦いフランス語版と10月のラ・マルメゾンの戦い英語版で限定的ながら成功を収めた(ドイツ軍がエレット川英語版の後ろまで押された)ほか、フランス軍は1917年6月から1918年7月までの間、攻勢に出なかった。ペタンは更に兵士の給食と休暇を改善した。反乱兵士の約1割が起訴され、うち3,427人が有罪判決を受けた。軍法会議により554人が死刑判決を受け、うち49人の死刑が執行された。兵士の反乱が頂点となった5月から6月にかけて、連合国軍に大きな動きがなかったが、ドイツ軍はその連合国軍が不活発な理由が分からなかったことと、他の前線に手間取っていることから、大きな動きに出なかった[178]

イーペルの塹壕でイギリス軍兵士が発行していた定期刊行物『ワイパーズ・タイムズ』。

5月21日から6月7日までのメッシーヌの戦い英語版において、イギリス軍はイーペルの南にある戦略的に重要な尾根を占領した。イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドは1年半をかけてドイツ軍の陣地の下に巨大な地雷21個を敷設して爆破。戦争史における核爆発以外の大爆発で「最も効果を上げた」結果となった(死者10,000人)。尾根を占領したことで連合国軍は右翼が安定し、イギリス軍が主導する第三次イーペル会戦(7月31日 - 11月6日)での攻勢に出ることができた。攻勢の目標はドイツの潜水艦基地オーステンデゼーブルッヘ英語版だった。しかし、いくらかの成功を収めた後、攻勢は10月9日にランゲマルク=プールカペレ英語版で膠着に陥り、戦力要地であるヘルフェルト高原 (Geluveld) への攻撃も失敗した。第二次パッシェンデールの戦い英語版でカナダ部隊が11月6日に廃墟と化していたパッシェンデールを占領した後、戦闘は自然と停止した。パッシェンデールでドイツ軍を押し返した連合国軍は前線を最大で8km前進したが、両軍の損害は合計で約585,000人だった[179]

11月20日から12月6日までのカンブレーの戦いで初めての大規模な機甲戦が行われた[180]。短期間の予備砲撃の後、王立戦車連隊英語版の戦車約320両は飛行機400機、6個歩兵師団、3個騎兵師団の援護を受けて、ヒンデンブルク線英語版上のアヴランクール英語版地域で15kmにわたる前線を突破、7km前進した。それまでは塹壕戦によりまず長期間の砲撃が行われることが予想されたため、連合国軍の攻勢は奇襲となったが、鉄道の中心地であったカンブレーまでの突破は失敗。戦車の3分の1が破壊された。さらに、ドイツ軍は11月30日に反攻に転じて、占領された地域の大半を奪還した。防衛の成功によりドイツ軍の首脳部は機甲部隊の重要性を誤認し、その整備を後回してしまうというミスを犯した[181]

日本のオーストラリア警備

ANZAC欧州派遣を護衛した伊吹
シドニー

イギリス海軍の要請により巡洋戦艦「伊吹」がANZAC軍団の欧州派遣を護衛することになった。伊吹はフリーマントルを経てウェリントンに寄港しニュージーランドの兵員輸送船10隻を連れ出発し、オーストラリアでさらに28隻が加わり、英巡洋艦「ミノトーア」、オーストラリア巡洋艦「シドニー」、「メルボルン」と共にアデンに向かった。航海途上で「エムデン」によるココス島砲撃が伝えられた。付近を航行していた艦隊から「シドニー」が分離され「エムデン」を撃沈した。

この際、護衛艦隊中で最大の艦であった「伊吹」も「エムデン」追跡を求めたが、結局は武勲を「シドニー」に譲った。このエピソードは「伊吹の武士道的行為」として賞賛されたとする記録がある一方で、伊吹艦長の加藤寛治は、エムデン発見の一報が伊吹にのみ伝えられず、シドニーによって抜け駆けされたと抗議している。

以後の太平洋インド洋における輸送船護衛はほぼ日本海軍が引き受けていた。ところが1917年11月30日に、オーストラリア西岸フリーマントルに入港する「矢矧」に対して、陸上砲台から沿岸砲一発が発射され、矢矧の煙突をかすめて右舷300mの海上に落下する事件が発生した。このような非礼を超えたオーストラリア軍の態度に大日本帝国海軍は激怒し、オーストラリア軍部隊の責任者は、矢矧に乗り込んだ水先案内人が適切な信号を発しなかったため「注意喚起のため」実弾を発射したと弁明したが、結果的に事件はオーストラリア総督とオーストラリア海軍司令官の謝罪により一応は決着した。

オーストラリアの日本人への人種差別を基にした、人命にさえ係わる差別的姿勢は戦争を通じて和らぐことがなく、また日英通商航海条約への加入拒否、赤道以北の南洋諸島の日本領有への反対などでも一切妥協しないANZACの態度は、アジア太平洋地域のみならず、第一次世界大戦全体を通じて日本の協力を必須なものと認識しているイギリス本国を手こずらせた。

その他の戦線

ガリツィア戦線のタルノーポリ攻勢ドイツ語版に参加したオスマン軍を視察するヴィルヘルム2世

1917年初、イギリス軍はメソポタミア戦役英語版を再開してバグダードへの進軍を試み、2月23日にはクートに到着した(クートの戦い英語版)。さらに雨季がはじまる前の3月11日にバグダードを占領(バグダード陥落英語版)、オスマン軍はモースルに撤退した。バグダードが陥落したことで東方における計画(バグダード鉄道など)が危うくなり、オスマン帝国ら中央同盟国は打撃を受けた。その結果、ドイツ軍はファルケンハインを任命して、エンヴェル・パシャとともにジルデリム (Jilderim) をコードネームとするバグダード再占領計画を準備した[182]

1917年6月29日、ギリシャ王国が連合国側で参戦した。連合国軍が1915年末にギリシャに上陸した以降、ギリシャ政界は分裂して、連合国を支持するエレフテリオス・ヴェニゼロスの暫定革命政府と、ドイツを支持する国王コンスタンティノス1世の両派に分けた。英仏の介入が日に高まったことにより、ヴェニゼロス側が優勢になり、さらに首都アテネを含むギリシャ国内の全ての戦略要地が連合国軍に占領され、フランスのシャルル・ジョナール英語版から最後通牒が突き付けられるにあたって、コンスタンティノス1世は1917年6月に退位、亡命した。ヴェニゼロスはテッサロニキからアテネに帰還、1915年に選出された国会を召集、政府を組織してすぐに中央同盟国に宣戦布告した。コンスタンティノス1世の息子アレクサンドロス1世が国王に即位した[183]

イタリア戦線では8月17日から9月12日まで第十一次イゾンツォの戦いが起き、オーストリア=ハンガリー軍が間一髪で大敗を回避した。オーストリア=ハンガリー皇帝カール1世はイタリアの次の攻勢に耐えられないことを危惧して、オーストリア軍最高司令部とともにドイツに支援を要請した。ドイツは第14軍英語版アルペン軍団英語版 (Alpenkorps) 含む)を再編成してオーストリア=ハンガリーに派遣した。こうして、中央同盟国は先制攻撃を仕掛け、10月24日にカポレットの戦いで攻勢に出た。中央同盟国は突破に成功して11日間で130km進み、ヴェネツィアまで後30kmのところまで進軍した。イタリア軍は305,000人以上を失い(うち265,000人は捕虜)、中央同盟国は7万人の損害を出した。中央同盟国の成功は主にドイツのエルヴィン・ロンメル、そして浸透戦術の功労だった。イタリア軍の戦線がようやく安定したのはピアーヴェ川モンテ・グラッパまで撤退したときであり、連合国からもイギリス軍5個師団とフランス軍6個師団が援軍として派遣されてきた。イタリアではストライキや兵士の大量脱走などがおきたが、「侵略戦争が防衛戦争に変わった」ことで革命前夜のような情勢は解消された[184]。カポレットの敗北により連合国は11月7日にラパッロ会議英語版を開き、またイタリアでは総指揮官のルイージ・カドルナが更迭され、アルマンド・ディアズが任命された[185]

パレスチナ戦役におけるオスマン軍、1917年。
1917年10月15日、イスタンブールに到着したヴィルヘルム2世と挨拶を交わすスルタンのメフメト5世。メフメト5世の左はオスマン駐ベルリン大使イブラヒム・ハッキ・パシャ英語版
エルサレム城内のドイツ兵、1917年11月。

1917年最後の大規模な攻勢はシナイ半島・パレスチナ戦役で行われ、軍事史上最後の大規模な騎兵突撃となった。1917年10月31日、エドマンド・アレンビー率いるオーストラリアの第4軽騎兵旅団英語版とイギリスの第5騎兵旅団英語版はオスマン軍とドイツ軍が占領していたベエルシェバに攻撃をかけ、占領に成功した(ベエルシェバの戦い英語版)。ファルケンハインは11月5日にエルサレムに移って死守しようとしたが、最高司令部は聖地エルサレムが破壊された場合の世論への影響を鑑みて撤退を命じた。その結果、トーマス・エドワード・ロレンス率いるアラブ反乱軍の進撃は12月9日に終結し、イギリス軍によるエルサレムの無血占領に終わった[186]

1917年の政治と講和の試み

Parlano di pace e nascondono il pugnale!(「彼らは平和を言い、短剣を隠す!」)、1918年のイタリアのプロパガンダ。

4月7日、ヴィルヘルム2世はイースター勅語ドイツ語版で、戦後に民主化改革を行うと曖昧な約束をした。11日、ロシア二月革命とドイツの四月ストライキドイツ語版によりドイツ社会民主党城内平和政策を引き締めたため、ゴータドイツ独立社会民主党が社会民主党から分裂した。1週間後の4月19日、社会民主党(ドイツ多数派社会民主党英語版と呼ばれるようになった)は平等な公民権利、議院内閣制への移行を要求。ペトログラード・ソビエトが3月末に宣言した「無併合、無賠償、民族自決」の要求を支持した。宰相ベートマン・ホルヴェークはそれまで戦争目的の見直しと政治改革に無関心な態度をとったが、多数派社会民主党の要求により最高司令部は彼が「社会民主党を支配下に置くことができなくなった」と考えた。ヒンデンブルクとルーデンドルフはヴィルヘルム2世にベートマン・ホルヴェークの解任を要求したが、ヴィルヘルム2世は拒否した。4月23日、ベートマン・ホルヴェークはクロイツナハ会議ドイツ語版で軍部に押されて議事録に署名した。ゲオルク・アレクサンダー・フォン・ミュラー英語版によると、その議事録は併合について「まったく貪欲な」文書であったという[187]

1917年初頭からオーストリアでも、カール1世がフランスとの単独講和交渉を極秘裏に行っていたが、これは失敗に終わっている[188](シクストゥス事件)。1917年春にもロシアとの講和交渉が試みられたが、ロシアがドイツの要求を受け入れられないとして、それをはねつけた[189]

7月6日、中央党マティアス・エルツベルガーが国会で演説を行った[190]。エルツベルガーは保守派の政治家であり、「勝利の平和」を支持したが、軍部が潜水艦作戦の有効性を偽ったとして、領土併合を諦める平和交渉を主張した。同日、多数派社会民主党、中央党、自由派の進歩人民党多党派委員会ドイツ語版で主要会派の調整を行うことに同意した。これはドイツの議会化の第一歩とされ、保守派からは「革命の始まり」とされた[191]。エルツベルガーの演説の後、ヒンデンブルクとルーデンドルフはヴィルヘルム2世に宰相の更迭を迫ったが、再び拒否された。ベートマン・ホルヴェークは7月10日にヴィルヘルム2世に謁見、戦後にプロイセンで普通選挙を行う保証を受けた(プロイセンではそれまで選挙が3等級英語版に分けられて行われた)。この保証は12日に公表されたが、同日の夜にはヒンデンブルクとルーデンドルフが再びヴィルヘルム2世に迫り、宰相を解任しなければ2人が辞任すると脅した。ヴィルヘルム2世は要求を受け入れ、ベートマン・ホルヴェークは翌朝にそれを知ると自ら辞表を提出した。後任の宰相は無名なゲオルク・ミヒャエリスだった[192]

7月19日、ライヒスターク平和議案英語版が議会を通過したが、外交には大きな影響はなかった。しかし、内政では9月2日に併合主義、民族主義のドイツ祖国党英語版が結成されるなどの影響があった[193]。8月1日、ローマ教皇ベネディクトゥス15世ド・ル・デビュードイツ語版という使徒的勧告英語版を出して、無併合無賠償の講和、公海の自由通航、国際法に基づく紛争解決を訴えた。この時は効果がなかったが、この勧告、カトリック教会の人道主義活動(負傷捕虜交換の提案、行方不明者の捜索事業など)、そして戦争を「無用な流血」だとして繰り返し批判したことは教皇の現代外交政策の始まりとなった[194]

ゲオルク・ミヒャエリスが軍部の言いなりなのは明らかだったため、議会の多数派は10月末より彼の追い落としに成功した。後任は11月1日に就任したゲオルク・フォン・ヘルトリングだった[195]

12月3日、ロシアと中央同盟国の単独講和交渉が開始。6日にはフィンランドがロシアからの独立を宣言した[196]


注釈

  1. ^ イギリス帝国の合計
  2. ^ 植民地との合算
  3. ^ ただし日本語訳の通り、「第一次世界戦争」(First World War) ではなく「初の世界戦争」(first world war) という意味である。
  4. ^ Uボート (U-Boot) はドイツ語で「潜水艦」(Unterseeboot) の略語である。
  5. ^ 4月24日は後にアルメニア人虐殺記念日英語版として祝日となっている。
  6. ^ フランス軍参謀本部英語版は1914年10月以降、シャンティイを大本営としていた。
  7. ^ ドイツの安売り肉店。品質が下級であるが食用に適する肉を販売する。
  8. ^ 訳注:ドゥオモン要塞がヴェルダンの東北にあるため、要塞の東は既にドイツ軍に占領されている。ドゥオモン要塞の位置については画像:Fort Douaumont location map 300px.jpgの地図を参照。
  9. ^ 女性の農民がこのようなデモ行進に参加したのはロシアでは初めてのことで、この事件を記念して3月8日が国際女性デーになっている。

脚注

  1. ^ British Army statistics of the Great War”. 1914-1918.net. 2011年12月13日閲覧。
  2. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 273
  3. ^ Evans, David. Teach yourself, the First World War, Hodder Arnold, 2004, p.188.
  4. ^ Keegan 1998, p. 8.
  5. ^ Bade & Brown 2003, pp. 167–168.
  6. ^ Willmott 2003, p. 307.
  7. ^ Willmott 2003, pp. 10–11.
  8. ^ a b c Willmott 2003, p. 15
  9. ^ 大戦終結100年の2018年11月11日、ベルギーアールスコートに平和を祈るカリヨンが設けられた。これに組み込まれたは51個で、参戦国や戦争に巻き込まれた国・地域の数を表している。第1次大戦終結から100年/平和を願う ベルギー「平和の鐘」『東京新聞』夕刊2018年11月21日(7面)掲載の共同通信配信記事
  10. ^ もとより、第二次世界大戦が勃発する前も、当然ながら、「最初」の世界大戦 (First World War) という観念はあり(本文のエルンスト・ヘッケルの用例)、また、「次の世界大戦」の勃発することを想定し、「第一次世界大戦」という言い方をすることもあった(例:石丸藤太「共産ロシア抹殺論」、1938年、142頁、131頁)。
  11. ^ a b “The war to end all wars”. BBC News. (1998年11月10日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/special_report/1998/10/98/world_war_i/198172.stm 
  12. ^ 山室信一『複合戦争と総力戦の断層』―日本にとっての第一次世界大戦(レクチャー第一次世界大戦を考える)p.17、人文書院、2011年
  13. ^ Were they always called World War I and World War II?”. Ask History. 2013年10月24日閲覧。
  14. ^ Braybon 2004, p. 8.
  15. ^ a b c d e 木村靖二 2014, pp. 20–22.
  16. ^ Shapiro & Epstein 2006, p. 329.
  17. ^ Fee, Margery; McAlpine, Janice (1997). Guide to Canadian English Usage. オックスフォード大学 Press. p. 210 
  18. ^ Treble, Patricia (2014年8月2日). “Maclean’s named the Great War”. マクリーンズ英語版. 2018年1月22日閲覧。
  19. ^ Waterloo: The Great War”. The History Press. 2017年10月14日閲覧。
  20. ^ Taylor 1998, pp. 80–93
  21. ^ Djokić 2003, p. 24.
  22. ^ タックマン『八月の砲声』
  23. ^ a b Levy & Vasquez 2014, p. 250
  24. ^ Evans 2004, p. 12.
  25. ^ Martel 2003, p. xii ff.
  26. ^ What new countries were created after World War I? - Updated” (英語). www.quora.com. 2017年12月15日閲覧。
  27. ^ <第1次世界大戦終結100年>戦場の理屈 大量殺害東京新聞』朝刊2018年8月19日(2018年11月18日閲覧)。
  28. ^ Clark 2014, pp. 121–152.
  29. ^ Keegan 1998, p. 52.
  30. ^ a b Willmott 2003, p. 21
  31. ^ Prior 1999, p. 18.
  32. ^ Fromkin 2004, p. 94.
  33. ^ Keegan 1998, pp. 48–49.
  34. ^ Willmott 2003, pp. 2–23.
  35. ^ Finestone, Jeffrey; Massie, Robert K. (1981). The last courts of Europe. Dent. p. 247. https://books.google.com/books?id=-1cvAAAAMAAJ&pg=PA247 
  36. ^ Smith 2010, p. 210.
  37. ^ European powers maintain focus despite killings in Sarajevo — History.com This Day in History”. History.com (1914年6月30日). 2013年12月26日閲覧。
  38. ^ Willmott 2003, p. 26.
  39. ^ Clark, Christopher (25 June 2014). Month of Madness. BBC Radio 4.
  40. ^ Djordjević, Dimitrije; Spence, Richard B. (1992). Scholar, patriot, mentor: historical essays in honor of Dimitrije Djordjević. East European Monographs. p. 313. ISBN 978-0-88033-217-0. https://books.google.com/books?id=CDJpAAAAMAAJ&pg=PA313. "Following the assassination of Franz Ferdinand in June 1914, Croats and Muslims in Sarajevo joined forces in an anti-Serb pogrom." 
  41. ^ Reports Service: Southeast Europe series. American Universities Field Staff.. (1964). p. 44. https://books.google.com/books?id=QGtWAAAAMAAJ 2013年12月7日閲覧. "... the assassination was followed by officially encouraged anti-Serb riots in Sarajevo ..." 
  42. ^ Kröll, Herbert (2008-02-28). Austrian-Greek encounters over the centuries: history, diplomacy, politics, arts, economics. Studienverlag. p. 55. ISBN 978-3-7065-4526-6. https://books.google.com/books?id=uJRnAAAAMAAJ 2013年9月1日閲覧. "... arrested and interned some 5.500 prominent Serbs and sentenced to death some 460 persons, a new Schutzkorps, an auxiliary militia, widened the anti-Serb repression." 
  43. ^ Tomasevich 2001, p. 485.
  44. ^ Schindler, John R. (2007). Unholy Terror: Bosnia, Al-Qa'ida, and the Rise of Global Jihad. Zenith Imprint. p. 29. ISBN 978-1-61673-964-5. https://books.google.com/books?id=c8Xb6x2XYvIC&pg=PA29 
  45. ^ Velikonja 2003, p. 141.
  46. ^ Stevenson 1996, p. 12.
  47. ^ Willmott 2003, p. 27.
  48. ^ Fromkin, David; Europe's Last Summer: Why the World Went to War in 1914, Heinemann, 2004; pp.196-197.
  49. ^ Preston, Richard (2014年8月1日). “First World War centenary: how the events of August 1 1914 unfolded” (英語). The Telegraph. http://www.telegraph.co.uk/history/world-war-one/11002644/First-World-War-centenary-how-events-unfolded-on-August-1-1914.html 2018年1月28日閲覧。 
  50. ^ McMeekin, Sean (2014). July 1914: Countdown to War. Basic Books. pp. 342,349. ISBN 978-0465060740 
  51. ^ Crowe 2001, pp. 4–5.
  52. ^ Dell, Pamela (2013). A World War I Timeline (Smithsonian War Timelines Series). Capstone. pp. 10-12. ISBN 978-1-4765-4159-4 
  53. ^ Willmott 2003, p. 29.
  54. ^ Daily Mirror Headlines: The Declaration of War, Published 4 August 1914” (英語). BBC. 2010年2月9日閲覧。
  55. ^ Strachan 2003, pp. 292–296, 343–354.
  56. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 172.
  57. ^ Schindler, John R. (2002年4月1日). “Disaster on the Drina: The Austro-Hungarian Army in Serbia, 1914”. Wih.sagepub.com. 2013年3月13日閲覧。
  58. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.834 f.
  59. ^ Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.108 f.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.606; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.242 ff.
  60. ^ Wolfdieter Bihl: Der Erste Weltkrieg. 1914-1918. Böhlau, Wien 2010, ISBN 978-3-205-78379-4, p.90; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.45, p.686 f.
  61. ^ John Horne, Alan Kramer: Deutsche Kriegsgreuel 1914. Die umstrittene Wahrheit. Hamburger Edition, Hamburg 2004, ISBN 3-930908-94-8, p.24 f.
  62. ^ John Horne, Alan Kramer: Deutsche Kriegsgreuel 1914. Die umstrittene Wahrheit. Hamburger Edition, Hamburg 2004, ISBN 3-930908-94-8, p.25 ff., p.120 ff., p.137 ff. Ulrich Keller: Schuldfragen: Belgischer Untergrundkrieg und deutsche Vergeltung im August 1914. Mit einem Vorwort von Gerd Krumeich. Schöningh, Paderborn 2017, ISBN 978-3-506-78744-6, p.131 ff., 169 ff.
  63. ^ Spencer Tucker (Hrsg.): The Encyclopedia of World War I. A Political, Social and Military History. Verlag ABC-Clio, Santa Barbara 2005, ISBN 1-85109-420-2, p.192. Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.46 f.
  64. ^ John Horne, Alan Kramer: Deutsche Kriegsgreuel 1914. Die umstrittene Wahrheit. Hamburger Edition, Hamburg 2004, ISBN 3-930908-94-8, p.21 ff. Ulrich Keller: Schuldfragen: Belgischer Untergrundkrieg und deutsche Vergeltung im August 1914. Mit einem Vorwort von Gerd Krumeich. Schöningh, Paderborn 2017, ISBN 978-3-506-78744-6, p.43 ff.
  65. ^ Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.202 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.136 ff.
  66. ^ Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.202 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.138 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.533 f.
  67. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.144 ff.
  68. ^ Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.208 f.
  69. ^ Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.59 ff.; Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.209.
  70. ^ Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.61 f.
  71. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.168 ff.; Holger Afflerbach: Die militärische Planung im Deutschen Reich. In: Michalka: Der Erste Weltkrieg. Wirkung - Wahrnehmung - Analyse. 1997, p.286.
  72. ^ Reinhold Dahlmann, Alfred Stenger: Die Schlacht vor Paris. Das Marnedrama 1914. 4. Teil (= Schlachten des Weltkrieges. In Einzeldarstellungen bearbeitet und herausgegeben im Auftrage des Reichsarchivs. Band 26). Gerhard Stalling Verlag, Oldenburg i.O./Berlin 1928, p.324 ff.
  73. ^ Holger Afflerbach: Die militärische Planung im Deutschen Reich. In: Michalka: Der Erste Weltkrieg. Wirkung - Wahrnehmung - Analyse. 1997, p.286.
  74. ^ Zit. nach Fritz Fischer: Krieg der Illusionen. Die Deutsche Politik von 1911-1914. 2. Auflage. デュッセルドルフ 1970, ISBN 3-7700-0913-4, p.776.
  75. ^ Holger Afflerbach: Die militärische Planung im Deutschen Reich. In: Michalka: Der Erste Weltkrieg. Wirkung - Wahrnehmung - Analyse. 1997, p.286; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.697 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.185 ff.
  76. ^ Holger Afflerbach: Die militärische Planung im Deutschen Reich. In: Michalka: Der Erste Weltkrieg. Wirkung - Wahrnehmung - Analyse. 1997, p.287; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.187 ff.
  77. ^ NYTimes Current History,p.83.
  78. ^ a b c NYTimes Current History, pp.185-189.
  79. ^ Bernd Hüppauf: Schlachtenmythen und die Konstruktion des „Neuen Menschen“. In: Gerhard Hirschfeld, Gerd Krumeich, Irina Renz (Hrsg.): „Keiner fühlt sich hier mehr als Mensch...“ Erlebnis und Wirkung des Ersten Weltkrieges. Essen 1993, ISBN 3-596-13096-4, p.47, 56 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.189 ff.; Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.216 f.
  80. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.249 ff.
  81. ^ Holger Afflerbach: Falkenhayn: Politisches Denken und Handeln im Kaiserreich. 2. Auflage. Oldenbourg Verlag, ミュンヘン、ISBN 3-486-56184-7, p.198 ff., 204 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.468.; Karl Dietrich Erdmann (Hrsg.): Kurt Riezler. Tagebücher-Aufsätze-Dokumente. Eingeleitet und herausgegeben von Karl Dietrich Erdmann. Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 1972, ISBN 3-525-35817-2, p.227.
  82. ^ Fritz Fischer: Krieg der Illusionen. Die Deutsche Politik von 1911-1914. 2. Auflage. Düsseldorf 1970, ISBN 3-7700-0913-4, p.779, 783; Holger Afflerbach: Die militärische Planung im Deutschen Reich. In: Michalka: Der Erste Weltkrieg. Wirkung - Wahrnehmung - Analyse. 1997, p.287 f.
  83. ^ Jürgen Mirow: Der Seekrieg 1914-1918 in Umrissen. Musterschmidt, Göttingen 1976, ISBN 3-7881-1682-X, p.22 f.; David Stevenson: 1914-1918. Der Erste Weltkrieg. Aus dem Englischen von Harald Ehrhardt und Ursula Vones-Leibenstein. Patmos Verlag, Düsseldorf 2010, ISBN 978-3-491-96274-3, p.298 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.1002 ff.
  84. ^ Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.93 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.762 ff., 919 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.203 ff.
  85. ^ Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.102 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.701 ff., 762 ff., 777, 783 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.219 ff.
  86. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.309 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.758; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.133 ff.
  87. ^ Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, S, 159 f.; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.127 f., 136 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.309 f.
  88. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.309, 312; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.163 ff.
  89. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.316 f.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.608 f., 768 f.
  90. ^ Farwell 1989, p. 353.
  91. ^ 我部 1982, p. 75.
  92. ^ Keegan 1998, pp. 224–232.
  93. ^ Falls 1960, pp. 79–80.
  94. ^ DONKO, Wilhelm M.: "A Brief History of the Austrian Navy" epubli GmbH, ベルリン、2012, p.79.
  95. ^ 「どこにいようとそこがドイツだ」ドイツ館資料研究会編、鳴門市ドイツ館、2000年、P4.
  96. ^ 「どこにいようとそこがドイツだ」ドイツ館資料研究会編、鳴門市ドイツ館、2000年、P13.
  97. ^ 『北欧の外交』、pp.27-35。少数のスウェーデン士官のフィンランド白軍への参加を黙認している。
  98. ^ 『北欧史』、pp.310-313。大戦中、様々な妨害を受けつつも、中立は維持された。1917年にもクリスチャニアで再び中立の維持を確認した。
  99. ^ Michael Jürgs: Der kleine Frieden im Großen Krieg. Westfront 1914: Als Deutsche, Franzosen und Briten gemeinsam Weihnachten feierten. C. Bertelsmann Verlag, München 2003, ISBN 3-570-00745-6; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.957 ff.
  100. ^ Jürgen Mirow: Der Seekrieg 1914-1918 in Umrissen. Musterschmidt, Göttingen 1976, ISBN 3-7881-1682-X, p.130 ff., 163; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.266; Werner Rahn: Strategische Probleme der deutschen Seekriegführung 1914-1918. In: Michalka: Der Erste Weltkrieg. Wirkung - Wahrnehmung - Analyse. 1997, p.354 f.
  101. ^ Der Große Ploetz. Freiburg i. B. 2008, p.774; Patrick O’Sullivan: Die Lusitania - Mythos und Wirklichkeit. Verlag E. S. Mittler & Sohn, Hamburg/ Berlin/ Bonn 1999, p.97 ff.
  102. ^ Patrick O’Sullivan: Die Lusitania. Mythos und Wirklichkeit. Verlag E. S. Mittler & Sohn, Hamburg/ Berlin/ Bonn 1999, p.85; Diana Preston: Wurden torpediert, schickt Hilfe - Der Untergang der Lusitania 1915. DVA, ミュンヘン 2004, ISBN 3-421-05408-8, p.318.
  103. ^ Justus D. Doenecke: Nothing Less Than War: A New History of America's Entry into World War I. University Press of Kentucky, 2011, ISBN 978-0-8131-4027-8, p.116 ff.
  104. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.689 f., 931; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.273 ff.; Karl Dietrich Erdmann (Hrsg.): Kurt Riezler. Tagebücher-Aufsätze-Dokumente. Eingeleitet und herausgegeben von Karl Dietrich Erdmann. Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 1972, ISBN 3-525-35817-2, p.276 ff.; Theodor Wolff: Tagebücher 1914-1919. Der Erste Weltkrieg und die Entstehung der Weimarer Republik in Tagebüchern, Leitartikeln und Briefen des Chefredakteurs am „Berliner Tageblatt“ und Mitbegründer der „Deutschen Demokratischen Partei“. Erster Teil, hrsg. von Bernd Sösemann. Boppard am Rhein 1984, ISBN 3-7646-1835-3, p.277 ff.
  105. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.246 f.
  106. ^ Münkler: Der Große Krieg. 2013, pp.292-295, 302-306.
  107. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.247, 324 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.531 f.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.221 ff.
  108. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.398 f., 531 f., 730, 753 f., 783 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.329 f.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.225 ff.
  109. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.409 f., 964; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.272 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.188 f.
  110. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.519.
  111. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.288.
  112. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.489 ff., 519 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.280 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.94 f.; Werner Bernhard Sendker: Auf Flanderns Feldern gefallen: Deutsche und ihr Verhältnis zum Ersten Weltkrieg. 2. Auflage. Der Andere Verlag, Tönningen 2005, ISBN 3-89959-366-9, p.79 ff.; Dieter Martinetz: Der Gaskrieg 1914/18. Entwicklung, Herstellung und Einsatz chemischer Kampfstoffe. Das Zusammenwirken von militärischer Führung, Wissenschaft und Industrie. Bernard & Graefe Verlag, Bonn 1996, ISBN 3-7637-5952-2, p.23 ff.
  113. ^ Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.223; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.283 f.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.195 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.349, 964.
  114. ^ Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.223.
  115. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.349 f., 410 f., 589; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.285 ff., 323 f.; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.221 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.203 ff., 258 f.; Ian Westwell: Der 1. Weltkrieg. Eine Chronik. Aus dem Englischen von Heiko Nonnenmann. Gondrom Verlag, Bindlach 2000, ISBN 3-8112-1748-8, p.76 ff.
  116. ^ Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.146 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.331 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.317 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.424 f., 517 f.
  117. ^ Karl Dietrich Erdmann (Hrsg.): Kurt Riezler. Tagebücher-Aufsätze-Dokumente. Eingeleitet und herausgegeben von Karl Dietrich Erdmann. Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 1972, ISBN 3-525-35817-2, p.239 f., 241, 256 f., 261 f., 272 ff.
  118. ^ Karl Dietrich Erdmann (Hrsg.): Kurt Riezler. Tagebücher-Aufsätze-Dokumente. Eingeleitet und herausgegeben von Karl Dietrich Erdmann. Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 1972, ISBN 3-525-35817-2, p.273.
  119. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.97 ff., 424, 515, 728, 810, 855 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.318 ff.
  120. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.100, 331 ff., 442 ff., 589 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.322 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.249 ff.
  121. ^ Wolfgang Gust (Hrsg.): Der Völkermord an den Armeniern 1915/16. Dokumente aus dem Politischen Archiv des deutschen Auswärtigen Amtes. Zu Klampen Verlag, Springe, 2005, ISBN 3-934920-59-4, p.170 f. (online: Bericht von Botschafter Wangenheim an Reichskanzler Bethmann Hollweg vom 17. Juni 1915).
  122. ^ Wolfgang Gust (Hrsg.): Der Völkermord an den Armeniern 1915/16. Dokumente aus dem Politischen Archiv des deutschen Auswärtigen Amtes. Zu Klampen Verlag, Springe, 2005, ISBN 3-934920-59-4, p.219; (online: Bericht von Vizekonsul Scheubner-Richter an Botschafter Wangenheim vom 28. Juli 1915).
  123. ^ Wolfgang Gust (Hrsg.): Der Völkermord an den Armeniern 1915/16. Dokumente aus dem Politischen Archiv des deutschen Auswärtigen Amtes. Zu Klampen Verlag, Springe, 2005, ISBN 3-934920-59-4, p.395 (online: Bericht von Botschafter Metternich an Reichskanzler Bethmann Hollweg).
  124. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.342 f.; Gunnar Heinsohn: Lexikon der Völkermorde. Rowohlt Taschenbuch Verlag, Reinbek bei Hamburg 1998, ISBN 3-499-22338-4, p.77 ff., 174; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.142 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.316 f.; Ernesti: Benedikt XV. 2016, p.260 f.
  125. ^ Richard C. Hall: The Balkan Wars, 1912-1913: Prelude to the First World War. Routledge, New York 2000, ISBN 0-415-22946-4, p.100.
  126. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.399 f., 535 f., 834 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.351 ff.; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.193 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.236 ff.
  127. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.316.
  128. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.768 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.312 f.
  129. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.709; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.418 f.; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.158 f.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.324 f.
  130. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.624 f.; François Cochet: 6-8 décembre 1915, Chantilly : la Grande Guerre change de rythme. In: Revue historique des armées. Nr. 242, 2006 (online)
  131. ^ Theodor Wolff: Tagebücher 1914-1919. Der Erste Weltkrieg und die Entstehung der Weimarer Republik in Tagebüchern, Leitartikeln und Briefen des Chefredakteurs am „Berliner Tageblatt“ und Mitbegründer der „Deutschen Demokratischen Partei“. Erster Teil, hrsg. von Bernd Sösemann. Boppard am Rhein 1984, ISBN 3-7646-1835-3, p.315.
  132. ^ Alexander Mayer: Fürth 1911-1914. Krieg der Illusionen - die lokale Sicht. Fürth 2000, ISBN 3-927347-44-2, p.94 f., 99.
  133. ^ Theodor Wolff: Tagebücher 1914-1919. Der Erste Weltkrieg und die Entstehung der Weimarer Republik in Tagebüchern, Leitartikeln und Briefen des Chefredakteurs am „Berliner Tageblatt“ und Mitbegründer der „Deutschen Demokratischen Partei“. Erster Teil, hrsg. von Bernd Sösemann. Boppard am Rhein 1984, ISBN 3-7646-1835-3, p.299, 315.
  134. ^ Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.117 ff. (Zitat: p.121.); Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.267 ff.
  135. ^ Theodor Wolff: Tagebücher 1914-1919. Der Erste Weltkrieg und die Entstehung der Weimarer Republik in Tagebüchern, Leitartikeln und Briefen des Chefredakteurs am „Berliner Tageblatt“ und Mitbegründer der „Deutschen Demokratischen Partei“. Zwei Teile. Boppard am Rhein 1984, ISBN 3-7646-1835-3, p.314 f., 318 f., 323; Susanne Miller, Heinrich Potthoff: Kleine Geschichte der SPD. Darstellung und Dokumentation 1848-1990. Verlag J.H.W. Dietz Nachfolger, Bonn 1991, ISBN 3-87831-350-0, p.76; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.856.
  136. ^ The Asinara Island” (英語). Stintino.net. 2012年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月19日閲覧。
  137. ^ a b Duthel, Heinz (2015) (ドイツ語). Weltwirtschafts & Finanzcrash 2015 - I. p. 347. https://books.google.com/books?id=qdGLBgAAQBAJ&pg=PA347 
  138. ^ Rauchensteiner, Manfried (2014) (英語). The First World War and the End of the Habsburg Monarchy, 1914-1918. p. 737. https://books.google.com.hk/books?id=ZEpLBAAAQBAJ&pg=PA737 
  139. ^ Erich von Falkenhayn: Die Oberste Heeresleitung 1914-1916 in ihren wichtigsten Entscheidungen. Berlin 1920, pp.176-184 (Reprint z. B. von Kessinger Publishing, Whitefish 2010, ISBN 978-1-160-86957-7).
  140. ^ a b c d Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.225 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.445 f., 942 ff., 959; Kurt Fischer, Stephan Klink: Spurensuche bei Verdun. Ein Führer über die Schlachtfelder. Bernard & Graefe Verlag, ISBN 3-7637-6203-5, p.20 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.390 ff.; Holger Afflerbach: Falkenhayn. Politisches Denken und Handeln im Kaiserreich. Oldenbourg, München 1996, ISBN 3-486-56184-7, p.360 ff., 543 ff.
  141. ^ Holger Afflerbach: Falkenhayn. Politisches Denken und Handeln im Kaiserreich. Oldenbourg, München 1996, ISBN 3-486-56184-7, p.363.
  142. ^ Vgl. Bernd Stegemann: Die Deutsche Marinepolitik, 1916-1918 (= Historische Forschungen. Band 4). Duncker & Humblot, Berlin 1970, p.32 ff. sowie M. Raffael Scheck: Alfred von Tirpitz and German Right-Wing Politics, 1914-1930 (= Studies in Central European Histories; 11). Humanities Press, Boston 1998, ISBN 0-391-04043-X, p.29 ff.
  143. ^ Karl Dietrich Erdmann (Hrsg.): Kurt Riezler. Tagebücher-Aufsätze-Dokumente. Eingeleitet und herausgegeben von Karl Dietrich Erdmann. Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 1972, ISBN 3-525-35817-2, p.342, p.338 f. Fn. 11.
  144. ^ Michael Epkenhans, Jörg Hillmann, Frank Nägler (Hrsg.): Skagerrakschlacht - Vorgeschichte - Ereignis - Verarbeitung. Oldenbourg, München 2011, ISBN 978-3-486-70270-5, p.139 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.50, 839 ff.; Jürgen Mirow: Der Seekrieg 1914-1918 in Umrissen. Göttingen 1976, ISBN 3-7881-1682-X, p.82 ff.; Michalka: Der Erste Weltkrieg. Wirkung - Wahrnehmung - Analyse. 1997, p.341 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.379 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.403 ff.
  145. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.276, 624 f.
  146. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.400 ff. (Zitat: p.425); Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.393 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.378 ff.
  147. ^ Gerhard Hirschfeld, Gerd Krumeich, Irina Renz (Hrsg.): Die Deutschen an der Somme 1914-1918. Krieg, Besatzung, Verbrannte Erde. Klartext Verlag, Essen 2006, ISBN 3-89861-567-7, p.87; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.240 f.
  148. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.400 ff. (Zitat: p.417); Gerhard Hirschfeld, Gerd Krumeich und Irina Renz (Hrsg.): Die Deutschen an der Somme 1914-1918. Krieg, Besatzung, Verbrannte Erde. Klartext Verlag, Essen 2006, ISBN 3-89861-567-7, p.79 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.851 ff.
  149. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.332, 442 ff., 589 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.419 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.391 ff.
  150. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.425 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.260, 399, 669 f., 804 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.387 ff.; Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.247.
  151. ^ John C. G. Röhl: Wilhelm II. - Der Weg in den Abgrund, 1900-1941. 2. Auflage. C.H. Beck, München 2009, ISBN 978-3-406-57779-6, p.1187 ff. (Zitat: p.1190); Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.468, 556 ff., 685, 755.
  152. ^ Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.369 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.400; Kurt Fischer, Stephan Klink; Spurensuche bei Verdun. Ein Führer über die Schlachtfelder. Bernard & Graefe Verlag, ISBN 3-7637-6203-5, p.38 ff.
  153. ^ Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.232; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.371.
  154. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.597 f., 743 f., 771 f.
  155. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.778.
  156. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.510; Sönke Neitzel: Weltkrieg und Revolution. 1914-1918/19. Be.bra verlag, Berlin 2008, ISBN 978-3-89809-403-0, p.98 ff.; Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.258 f.
  157. ^ Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.258 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.444 f.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.510, 933.; Karl Dietrich Erdmann (Hrsg.): Kurt Riezler. Tagebücher-Aufsätze-Dokumente. Eingeleitet und herausgegeben von Karl Dietrich Erdmann. Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 1972, ISBN 3-525-35817-2, p.324 ff., 387 ff.; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.276 f.; Jürgen Mirow: Der Seekrieg 1914-1918 in Umrissen. Göttingen 1976, ISBN 3-7881-1682-X, p.131 f.
  158. ^ Theodor Wolff: Tagebücher 1914-1919. Der Erste Weltkrieg und die Entstehung der Weimarer Republik in Tagebüchern, Leitartikeln und Briefen des Chefredakteurs am „Berliner Tageblatt“ und Mitbegründer der „Deutschen Demokratischen Partei“. Erster Teil, hrsg. von Bernd Sösemann. Boppard am Rhein 1984, ISBN 3-7646-1835-3, p.471 f.
  159. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.933.
  160. ^ Woodrow Wilson: War Messages, 65th Cong., 1st Sess. Senate Doc. No. 5, Serial No. 7264. Washington, D.C. 1917, pp.3-8, passim.
  161. ^ Ragnhild Fiebig-von Hase: Der Anfang vom Ende des Krieges: Deutschland, die USA und die Hintergründe des amerikanischen Kriegseintritts am 6. April. In: Michalka: Der Erste Weltkrieg. Wirkung - Wahrnehmung - Analyse. 1997, p.125 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.105 ff., 972; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.277 ff.; Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.276 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.487 ff.
  162. ^ a b 内藤泰朗 (2014年8月3日). “「地中海で戦ったこと忘れないで」甦る日本艦隊への評価 地中海の小国マルタ 第一次大戦開戦100年”. 産経新聞. オリジナルの2016年8月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160820235040/http://www.sankei.com/world/news/140803/wor1408030035-n1.html 2014年8月4日閲覧。 
  163. ^ Hew Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.266 ff.; Gerhard Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.461 ff., 565 f., 616, 787 ff.; Theodor Wolff: Tagebücher 1914-1919. Der Erste Weltkrieg und die Entstehung der Weimarer Republik in Tagebüchern, Leitartikeln und Briefen des Chefredakteurs am „Berliner Tageblatt“ und Mitbegründer der „Deutschen Demokratischen Partei“. Erster Teil, hrsg. von Bernd Sösemann. Boppard am Rhein 1984, ISBN 3-7646-1835-3, p.483 f.
  164. ^ Ein verhängnisvolles Jahr. In: Basler Zeitung. 2016年8月17日。
  165. ^ Heinrich August Winkler: Geschichte des Westens: Von den Anfängen in der Antike bis zum 20. Jahrhundert. C.H. Beck, 2011, p.1180.
  166. ^ Dimitri Wolkogonow: Lenin. Utopie und Terror. Econ, Düsseldorf 1994, ISBN 3-430-19828-3, p.110 ff.; Robert Service: Lenin. Eine Biographie. Beck, München 2000, ISBN 3-406-46641-9, p.387 f.
  167. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.807 ff.; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.289 ff.; Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.265 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.462 ff.; Manfred Hildermeier: Russische Revolution. S. Fischer Verlag, Frankfurt am Main 2004, ISBN 3-596-15352-2, p.17 ff., 28 f.
  168. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.612 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.470; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.483 ff.
  169. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.808; Dimitri Wolkogonow: Lenin. Utopie und Terror. Econ, Düsseldorf 1994, ISBN 3-430-19828-3, p.142 ff.
  170. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.472 f.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.487 ff.
  171. ^ Robert Service: Lenin. Eine Biographie. Beck, München 2000, ISBN 3-406-46641-9, p.405 ff.; Manfred Hildermeier: Russische Revolution. S. Fischer Verlag, Frankfurt am Main 2004, ISBN 3-596-15352-2, p.31 ff.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.474 f.
  172. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.506 ff.
  173. ^ Gerhard Hirschfeld, Gerd Krumeich, Irina Renz (Hrsg.): Die Deutschen an der Somme 1914-1918. Krieg, Besatzung, Verbrannte Erde. Klartext Verlag, Essen 2006, ISBN 3-89861-567-7, p.163 ff. (Zitat: p.178); Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.326 ff., 838 f., 1007 f.
  174. ^ Ville d´Arras (Hrsg.): La carrière Wellington. Mémorial de la Bataille d´Arras. 9 Avril 1917. Arras 2008, ISBN 978-2-9520615-1-3, p.12 ff.
  175. ^ Angelika Franz: Tunnelstadt unter der Hölle. In: Der Spiegel vom 16. 2008年4月 。
  176. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.448 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.411 f., 744 f.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.464 ff.
  177. ^ Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.242.
  178. ^ Becker, Krumeich: Der große Krieg. Deutschland und Frankreich 1914-1918. 2010, p.242 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.458 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.710 f.; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.300 ff.
  179. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.495 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.492 ff., 721; Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.308 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.468 ff.
  180. ^ Viscount Montgomery of Alamein: Kriegsgeschichte: Weltgeschichte der Schlachten und Kriegszüge. Aus dem Englischen von Hans Jürgen Baron von Koskull. Komet, Frechen 1999, ISBN 3-933366-16-X, p.479.
  181. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.512 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.403 f.
  182. ^ Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.341 f.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.709, 760; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.527 ff.
  183. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.534 ff.
  184. ^ Strachan: Der Erste Weltkrieg. Eine neue illustrierte Geschichte. 2006, p.315.
  185. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.405 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.481 ff.
  186. ^ Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.578 f.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.523, 768 f.; Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.575 f.; Stephan Bergdorff: Bratpfanne des Teufels. Wie ein preußischer General für die Türken Bagdad zurückerobern sollte und dabei Jerusalem verlor. In: Annette Großbongardt, Dietmar Pieper (Hrsg.): Jerusalem. Die Geschichte einer heiligen Stadt. Goldmann Verlag, München 2011, ISBN 978-3-442-10230-3, p.125 ff.
  187. ^ Ullrich: Die nervöse Großmacht 1871-1918. Aufstieg und Untergang des deutschen Kaiserreichs. 2010, p.514 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.400 ff., 667 f., 856 f.
  188. ^ 木村靖二 2014, p. 147-148.
  189. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.511.
  190. ^ Theodor Wolff: Tagebücher 1914-1919. Der Erste Weltkrieg und die Entstehung der Weimarer Republik in Tagebüchern, Leitartikeln und Briefen des Chefredakteurs am „Berliner Tageblatt“ und Mitbegründer der „Deutschen Demokratischen Partei“. Erster Teil, hrsg. von Bernd Sösemann. Boppard am Rhein 1984, ISBN 3-7646-1835-3, p.509.
  191. ^ Theodor Wolff: Tagebücher 1914-1919. Der Erste Weltkrieg und die Entstehung der Weimarer Republik in Tagebüchern, Leitartikeln und Briefen des Chefredakteurs am „Berliner Tageblatt“ und Mitbegründer der „Deutschen Demokratischen Partei“. Erster Teil, hrsg. von Bernd Sösemann. Boppard am Rhein 1984, ISBN 3-7646-1835-3, p.511.
  192. ^ Ullrich: Die nervöse Großmacht 1871-1918. Aufstieg und Untergang des deutschen Kaiserreichs. 2010, p.522 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.385, 465, 581 f., 711 f., 770 f.
  193. ^ Ullrich: Die nervöse Großmacht 1871-1918. Aufstieg und Untergang des deutschen Kaiserreichs. 2010, p.528; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.376, 437, 511.
  194. ^ Ernesti: Benedikt XV. - Papst zwischen den Fronten. 2016, pp.114-149.
  195. ^ Ullrich: Die nervöse Großmacht 1871-1918. Aufstieg und Untergang des deutschen Kaiserreichs. 2010, p.529; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.552 f.
  196. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.486, 506.
  197. ^ Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.949 f.
  198. ^ Hans-Peter Ullman Politik im deutschen Kaiserreich 1871-1918. R. Oldenbourg Verlag, München 2005, ISBN 3-486-57707-7, p.49.
  199. ^ Ullrich: Die nervöse Großmacht 1871-1918. Aufstieg und Untergang des deutschen Kaiserreichs. 2010, p.530 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.591 f.
  200. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.526 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.94 f., 368 ff., 506 ff., 762 ff.; Piekałkiewicz: Der Erste Weltkrieg. 1988, p.549 ff.
  201. ^ 瀬戸利春『歴史群像』No.77「カイザーシュラハト」pp.66-68。ドイツがロシアとの早期講和をしなかったため訓練中だったアメリカ軍の実戦投入を許し、また広大な占領地に28個師団(約100万人)を駐屯させる羽目になったために西部戦線への転出兵力が少なくなったと述べている。
  202. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.547 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.712 ff.; David Stevenson: 1914-1918. Der Erste Weltkrieg. Patmos Verlag, Mannheim 2010, ISBN 978-3-491-96274-3, p.472 ff.
  203. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.561.
  204. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.549 ff; Gerhard Hirschfeld, Gerd Krumeich und Irina Renz (Hrsg.): Die Deutschen an der Somme 1914-1918. Krieg, Besatzung, Verbrannte Erde. Klartext Verlag, Essen 2006, ISBN 3-89861-567-7, p.203 ff.; David Stevenson: 1914-1918. Der Erste Weltkrieg. Aus dem Englischen von Harald Ehrhardt und Ursula Vones-Leibenstein. Patmos Verlag, Düsseldorf 2010, ISBN 978-3-491-96274-3, p.484 ff.; Hirschfeld u. a. (Hrsg.): Enzyklopädie Erster Weltkrieg. 2014, p.712 ff.
  205. ^ Ayers 1919, p. 104.
  206. ^ Keegan: Der Erste Weltkrieg. Eine europäische Tragödie. 2001, p.562 ff; David Stevenson: 1914-1918. Der Erste Weltkrieg. Aus dem Englischen von Harald Ehrhardt und Ursula Vones-Leibenstein. Patmos Verlag, Düsseldorf 2010, ISBN 978-3-491-96274-3, p.489 ff.; Manfred Vasold: Die Spanische Grippe. Die Seuche und der Erste Weltkrieg. Primus Verlag, Darmstadt 2009, ISBN 978-3-89678-394-3, p.46, 58 f.; Manfried Rauchensteiner: Der Erste Weltkrieg und das Ende der Habsburgermonarchie 1914-1918. Böhlau Verlag, Wien 2013, ISBN 978-3-205-78283-4, p.956 ff.; Alfred Stenger: Schicksalswende. Von Marne bis zur Vesle 1918. (Schlachten des Weltkrieges. In Einzeldarstellungen bearbeitet und herausgegeben im Auftrage des Reichsarchivs. Volume 35), Gerhard Stalling Verlag, Oldenburg i.O./Berlin 1930, p.220 ff., (Zitate, p.226).
  207. ^ Schreiber, Shane B (2004) [1977]. Shock Army of the British Empire: The Canadian Corps in the Last 100 Days of the Great War. St. Catharines, ON: Vanwell. ISBN 1-55125-096-9. OCLC 57063659 
  208. ^ Rickard 2001.
  209. ^ Brown, Malcolm (1999) [1998]. 1918: Year of Victory. London: Pan. p. 190. ISBN 0-330-37672-1 
  210. ^ Pitt 2014, p. 198.
  211. ^ Terraine 1963, p. 461.
  212. ^ Pitt 2014, p. 203.
  213. ^ Nicholson 1962, p. 413.
  214. ^ Ludendorff 1919, p. 696.
  215. ^ a b Gray & Argyle 1990
  216. ^ McLellan, p. 49.
  217. ^ Christie, Norm M (1997). The Canadians at Cambrai and the Canal du Nord, August-September 1918. For King and Empire: A Social History and Battlefield Tour. CEF Books. ISBN 1-896979-18-1. OCLC 166099767 
  218. ^ Stevenson 2004, p. 380.
  219. ^ Hull 2006, pp. 307–10.
  220. ^ Stevenson 2004, p. 383.
  221. ^ Painter 2012, p. 25. Quote: Over the course of the war the United States supplied more than 80 percent of Allied oil requirements, and after US entry into the war, the United States helped provide and protect tankers transporting oil to Europe. US oil resources meant that insufficient energy supplies did not hamper the Allies, as they did the Central Powers.
  222. ^ 牧野雅彦 2009, pp. 43.
  223. ^ Stevenson 2004, p. 385.
  224. ^ Stevenson 2004, Chapter 17.
  225. ^ Clairière de l'Armistice” (フランス語). Ville de Compiègne. 2007年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月20日閲覧。
  226. ^ a b 1918 Timeline”. League of Nations Photo Archive. 2009年11月20日閲覧。
  227. ^ Andrea Di Michele (2014). “Trento, Bolzano E Innsbruck: L'occupazione Militare Italiana Del Tirolo (1918-1920)” (イタリア語). Trento e Trieste. Percorsi degli italiani d'Austria dal '48 all'annessione (Accademia Roveretana degli Agiati): 436-437. http://www.agiati.it/UploadDocs/12255_Art_20_di_michele.pdf. "La forza numerica del contingente italiano variò con il passare dei mesi e al suo culmine raggiunse i 20-22.000 uomini. [The numerical strength of the Italian contingent varied with the passing of months and at its peak reached 20-22,000 men.]" 
  228. ^ Baker 2006.
  229. ^ Chickering 2004, pp. 185–188.
  230. ^ Gerd Hardach, The First World War, 1914-1918 (1977), p.153, using estimated made by H. Menderhausen, The Economics of War (1941), p.305.
  231. ^ "France's oldest WWI veteran dies" Archived 2016-10-28 at the Wayback Machine., BBC News, 2008年1月20日。
  232. ^ Tucker, Spencer (2005). Encyclopedia of World War I. ABC-CLIO. ISBN 1-85109-420-2. https://books.google.com/books?id=2YqjfHLyyj8C&pg=PA273 
  233. ^ Hastedt, Glenn P. (2009). Encyclopedia of American Foreign Policy. Infobase Publishing. p. 483. ISBN 1-4381-0989-X 
  234. ^ Murrin, John; Johnson, Paul; McPherson, James; Gerstle, Gary; Fahs, Alice (2010). Liberty, Equality, Power: A History of the American People. II. Cengage Learning. p. 622. ISBN 0-495-90383-3 
  235. ^ Staff (1921年7月3日). “Harding Ends War; Signs Peace Decree at Senator's Home. Thirty Persons Witness Momentous Act in Frelinghuysen Living Room at Raritan.”. The New York Times. https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F10B13F63C5D14738DDDAA0894DF405B818EF1D3 
  236. ^ "No. 31773". The London Gazette (英語). 10 February 1920. p. 1671.
  237. ^ "No. 31991". The London Gazette (英語). 23 July 1920. pp. 7765–7766.
  238. ^ "No. 13627". The Edinburgh Gazette (英語). 27 August 1920. p. 1924.
  239. ^ "No. 32421". The London Gazette (英語). 12 August 1921. pp. 6371–6372.
  240. ^ "No. 32964". The London Gazette (英語). 12 August 1924. pp. 6030–6031.
  241. ^ Magliveras 1999, pp. 8–12.
  242. ^ Northedge 1986, pp. 35–36.
  243. ^ Morrow, John H. (2005). The Great War: An Imperial History. London: Routledge. p. 290. ISBN 978-0-415-20440-8
  244. ^ Schulze, Hagen (1998). Germany: A New History. Harvard U.P.. p. 204. https://books.google.com/books?id=B84ZaAdGbS4C&pg=PA204 
  245. ^ Ypersele, Laurence Van (2012). Horne, John. ed. Mourning and Memory, 1919 - 45. Wiley. p. 584. https://books.google.com/books?id=EjZHLXRKjtEC&pg=PA584 
  246. ^ The Surrogate Hegemon in Polish Postcolonial Discourse Ewa Thompson, Rice University”. 2018年1月21日閲覧。
  247. ^ Kocsis, Károly; Hodosi, Eszter Kocsisné (1998). Ethnic Geography of the Hungarian Minorities in the Carpathian Basin. p. 19. ISBN 978-963-7395-84-0 
  248. ^ Clark 1927, Chapter 17.
  249. ^ “Appeals to Americans to Pray for Serbians”. The New York Times. (1918年7月27日). https://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?_r=1&res=9406E4D8143EE433A25754C2A9619C946996D6CF 
  250. ^ “Serbia Restored”. The New York Times. (1918年11月5日). https://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?_r=1&res=990CEFDC113BEE3ABC4D53DFB7678383609EDE 
  251. ^ Simpson, Matt (2009年8月22日). “The Minor Powers During World War One - Serbia”. firstworldwar.com. 2018年1月21日閲覧。
  252. ^ “'ANZAC Day' in London; King, Queen, and General Birdwood at Services in Abbey”. The New York Times. (1916年4月26日). https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9400E1DD113FE233A25755C2A9629C946796D6CF&scp=12&sq=New+Zealand+anzac&st=p 
  253. ^ Australian War Memorial. “The ANZAC Day tradition”. Australian War Memorial. 2008年5月2日閲覧。
  254. ^ Canadian War Museum. “Vimy Ridge”. Canadian War Museum. 2008年10月22日閲覧。
  255. ^ The War's Impact on Canada”. Canadian War Museum. 2008年10月22日閲覧。
  256. ^ “Canada's last WW1 vet gets his citizenship back”. CBC News. (2008年5月9日). オリジナルの2008年5月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080511014947/http://www.cbc.ca/canada/ottawa/story/2008/05/09/babcock-citizen.html 
  257. ^ Documenting Democracy Archived 2016-05-20 at the Wayback Machine.. Retrieved 31 March 2012
  258. ^ Shariatmadari, David (2013年10月6日). “Middle East turmoil is fuelling Ottoman nostalgia. But it's a dead end” (英語). The Guardian. https://www.theguardian.com/commentisfree/2013/oct/06/middle-east-turmoil-nostalgia-ottomans 2018年2月10日閲覧。 
  259. ^ Muller 2008.
  260. ^ Kaplan 1993.
  261. ^ Salibi 1993.
  262. ^ Evans 2005.
  263. ^ Israeli Foreign Ministry.
  264. ^ Gelvin 2005, pp. 77–79.
  265. ^ Isaac & Hosh 1992.
  266. ^ Pogroms”. Encyclopaedia Judaica. American-Israeli Cooperative Enterprise. 2009年11月17日閲覧。
  267. ^ Jewish Modern and Contemporary Periods (ca. 1700-1917)”. Jewish Virtual Library. American-Israeli Cooperative Enterprise. 2009年11月17日閲覧。
  268. ^ "The Diaspora Welcomes the Pope" Archived 2012-06-04 at the Wayback Machine., Der Spiegel Online. 2006年11月28日。
  269. ^ R. J. Rummel, "The Holocaust in Comparative and Historical Perspective", 1998, Idea Journal of Social Issues, Vol. 3 no. 2.
  270. ^ Hedges, Chris (2000年9月17日). “A Few Words in Greek Tell of a Homeland Lost”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2000/09/17/nyregion/a-few-words-in-greek-tell-of-a-homeland-lost.html 
  271. ^ Kitchen 2000, p. 22.
  272. ^ Howard, N.P. (1993). The Social and Political Consequences of the Allied Food Blockade of Germany, 1918-19. 11. pp. 161-88. http://libcom.org/files/blockade%20Germany_0.pdf  table p 166, with 271,000 excess deaths in 1918 and 71,000 in the first half of 1919 while the blockade was still in effect.
  273. ^ Saadi 2009.
  274. ^ Patenaude, Bertrand M. (2007年1月30日). “Food as a Weapon”. Hoover Digest. Hoover Institution. 2008年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月14日閲覧。
  275. ^ Ball 1996, pp. 16, 211.
  276. ^ “The Russians are coming (Russian influence in Harbin, Manchuria, China; economic relations)”. The Economist (US). (1995年1月14日). http://www.highbeam.com/doc/1G1-16051029.html  (via Highbeam.com)
  277. ^ Tschanz.
  278. ^ Conlon, p. 15.
  279. ^ Taliaferro, William Hay (1972). Medicine and the War. pp. 65. ISBN 0-8369-2629-3. https://books.google.com/books?id=HcOAnAINJZAC&pg=PA65 
  280. ^ Knobler 2005, p. 256.
  281. ^ Kamps, Bernd Sebastian; Reyes-Terán, Gustavo. Influenza. Influenza Report. Flying Publisher. ISBN 3-924774-51-X. http://www.influenzareport.com/ir/overview.htm 2009年11月17日閲覧。 
  282. ^ 1918-19スペイン風邪の流行状況(労研図書館資料から)”. 財団法人 労働科学研究所. 2009年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月9日閲覧。
  283. ^ 20世紀のパンデミック(スペインかぜ) 中外製薬
  284. ^ "Balfour Declaration (United Kingdom 1917)". Encyclopædia Britannica.
  285. ^ Timeline of The Jewish Agency for Israel:1917-1919”. The Jewish Agency for Israel. 2013年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月29日閲覧。
  286. ^ a b Todman 2005, p. xi-xv.
  287. ^ Roden.
  288. ^ Tucker & Roberts 2005, pp. 1080–1086.
  289. ^ Kitchen, Martin. “The Ending of World War One, and the Legacy of Peace”. BBC. 2018年1月23日閲覧。
  290. ^ "World War II". Britannica Online Encyclopedia. Encyclopædia Britannica, Inc. 2008年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月12日閲覧 不明な引数|deadurl=は無視されます。(もしかして:|url-status=) (説明)
  291. ^ Baker, Kevin (2006-06). “Stabbed in the Back! The past and future of a right-wing myth”. Harper's Magazine. オリジナルの2006-07-15時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060715174503/http://www.harpers.org/StabbedInTheBack.html. 
  292. ^ Rubinstein, W. D. (2004). Genocide: a history. Pearson Education. p. 7. ISBN 0-582-50601-8. https://books.google.com/books?id=nMMAk4VwLLwC 
  293. ^ Henn, Peter (2015年3月9日). “Britain FINALLY pays off last of First World War debt as George Osborne redeems £1.9bn” (英語). Express. https://www.express.co.uk/news/uk/562830/First-World-War-debt-paid-off 2018年1月23日閲覧。 
  294. ^ Noakes, Lucy (2006). Women in the British Army: War and the Gentle Sex, 1907-1948. Abingdon, England: Routledge. p. 48. ISBN 0-415-39056-7 
  295. ^ Souter 2000, p. 354.
  296. ^ Tucker, Spencer (2005). Encyclopedia of World War I. Santa Barbara, CA: ABC-CLIO. p. 273. ISBN 1-85109-420-2. https://books.google.com/books?id=2YqjfHLyyj8C&pg=PA273 2010年5月7日閲覧。 
  297. ^ Green 1938, pp. CXXVI.
  298. ^ Anton Kaes et al., eds. (1994). The Weimar Republic Sourcebook. カリフォルニア大学 Press. p. 8. https://books.google.com/books?id=J4A1gt4-VCsC&pg=PA8 
  299. ^ Marks 1978, pp. 231–232.
  300. ^ a b Marks 1978, p. 237.
  301. ^ Marks 1978, pp. 223–234.
  302. ^ Stone, Norman (2008) (英語). World War One: A Short History. Penguin Adult. ISBN 9780141031569 
  303. ^ Marks 1978, p. 233.
  304. ^ Hall, Allan (2010年9月28日). “First World War officially ends”. The Telegraph. 2017年3月15日閲覧。 “The final payment of £59.5 million, writes off the crippling debt that was the price for one world war and laid the foundations for another.”
  305. ^ Suddath, Claire (2010年10月4日). “Why Did World War I Just End?”. Time. http://www.time.com/time/world/article/0,8599,2023140,00.html 2013年7月1日閲覧. "World War I ended over the weekend. Germany made its final reparations-related payment for the Great War on Oct. 3, nearly 92 years after the country's defeat by the Allies." 
  306. ^ “World War I to finally end for Germany this weekend”. CNN. (2010年9月30日). http://news.blogs.cnn.com/2010/09/30/world-war-i-to-finally-end-this-weekend/ 2017年3月15日閲覧. "Germany and the Allies can call it even on World War I this weekend." 
  307. ^ MacMillan, Margaret (2010年10月25日). “Ending the War to End All Wars”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2010/12/26/opinion/26macmillan.html 2017年3月15日閲覧. "NOT many people noticed at the time, but World War I ended this year." 
  308. ^ a b From Wristwatches To Radio, How World War I Ushered In The Modern World”. NPR. 2018年1月23日閲覧。
  309. ^ a b c 久保昭博 2011, pp. 56–59.
  310. ^ 久保昭博 2011, pp. 62–78.
  311. ^ a b c 古賀保夫 1974, pp. 112–113.
  312. ^ a b 林文代 1993, pp. 57–59.
  313. ^ a b c 河本真理 2011, pp. 9–12.
  314. ^ 河本真理 2011, pp. 102–104.
  315. ^ 河本真理 2011, pp. 106–115.
  316. ^ 河本真理 2011, pp. 115–117.
  317. ^ a b c 河本真理 2011, pp. 28–38.
  318. ^ 第一次世界大戦:不発弾1億発、処理に700年…フランス”. 『毎日新聞』 (2014年8月1日). 2014年9月7日閲覧。
  319. ^ <第一次世界大戦終結100年>毒ガス弾 世紀超え汚染東京新聞』朝刊2018年11月26日(2018年12月7日閲覧)
  320. ^ 「第一次大戦から1世紀 激戦地・仏ベルダン/祖父の遺骨と対面 戦争は終わらない」産経新聞』朝刊2018年11月3日(国際面)2019年1月11日閲覧。
  321. ^ 「クロード・チョールズ氏死去、第1次世界大戦で戦闘に参加した最後の生存者 110歳」フランス通信社(2011年5月6日)2018年11月18日閲覧。
  322. ^ 「第1次大戦100年式典/仏大統領演説 排他主義に警鐘」『読売新聞』夕刊2018年11月12日(3面)。日本政府は麻生太郎副総理を派遣した。
  323. ^ 第1次大戦終結から100年 マクロン氏「悪魔再び」『日本経済新聞』ニュースサイト(2018年11月11日)2018年11月18日閲覧。
  324. ^ Hartcup 1988, p. 154.
  325. ^ Hartcup 1988, pp. 82–86.
  326. ^ Sterling, Christopher H.; Military Communications: From Ancient Times to the 21st Century (2008). Santa Barbara: ABC-CLIO. ISBN 978-1-85109-732-6. p.444.
  327. ^ Mosier 2001, pp. 42–48.
  328. ^ Jager, Herbert (2001). German Artillery of World War One. Crowood Press. p. 224. ISBN 978-1861264039 
  329. ^ Hartcup 1988, p. 105.
  330. ^ Raudzens 1990, p. 421.
  331. ^ Edmonds & Wynne 1927, p. 217.
  332. ^ Heller 1984, Chapter 1.
  333. ^ 戦間期には未来の「ガス戦争」に対する想像としてReginald Glossopが1932年に出版したGhastly DewとNeil Bellが1931年に出版したThe Gas War of 1940といった小説がある。
  334. ^ "Heavy Railroad Artillery" - YouTube
  335. ^ Cornish, Paul (2016). Flamethrower (英語).
  336. ^ Saunders 1999, p. 145.
  337. ^ Lepage 2017, pp. 66–67.
  338. ^ International Railway Fuel Association (1919) (英語). Proceedings of the Annual Convention of the International Railway Fuel Association. p. 383. https://books.google.com/books?id=LMsYAQAAIAAJ 
  339. ^ Henry, Chris (2005) (英語). Depth Charge!: Mines, Depth Charges and Underwater Weapons, 1914-1945. p. 26. ISBN 9781844151745 
  340. ^ Marder, Arthur J (2014) (英語). From the Dreadnought to Scapa Flow: Volume IV 1917, Year of Crisis. Seaforth. p. 76. ISBN 9781848322011 
  341. ^ Akermann, Paul (2002) (英語). Encyclopedia of British Submarines 1901-1955. Periscope. p. 66. ISBN 9781904381051 
  342. ^ Lawson, Eric; Lawson, Jane (2002). The First Air Campaign: August 1914- November 1918. Da Capo Press. ISBN 0-306-81213-4. https://books.google.com/books?id=9PGHckhHiX0Cpg=PT123 
  343. ^ White, Jerry (2014) (英語). Zeppelin Nights: London in the First World War. Random House. p. 127. ISBN 9781448191932 
  344. ^ Cross 1991, pp. 56–57.
  345. ^ Winter 1983.
  346. ^ Johnson 2001
  347. ^ Simpson 2015, Chapter 9.
  348. ^ a b 暗号の歴史 STAGE3 第一次世界大戦”. 三菱電機. 2018年2月12日閲覧。
  349. ^ a b c Czak 2016.
  350. ^ Phillimore & Bellot 1919, pp. 4–64.
  351. ^ Cook 2006, pp. 637–665.
  352. ^ Ferguson 1999, pp. 368–9.
  353. ^ Ferguson 1999, Chapter 13.
  354. ^ Максим Оськин - Неизвестные трагедии Первой мировой Пленные Дезертиры Беженцы - стр 24 - Читаем онлайн”. Profismart.ru. 2013年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月13日閲覧。
  355. ^ Bass 2002, p. 107.
  356. ^ The Mesopotamia campaign”. British National Archives. 2007年3月10日閲覧。
  357. ^ Prisoners of Turkey: Men of Kut Driven along like beasts”. Stolen Years: Australian Prisoners of War. Australian War Memorial. 2009年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年12月10日閲覧。
  358. ^ ICRC in WWI: overview of activities”. Icrc.org. 2010年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月15日閲覧。
  359. ^ “GERMANY: Notes, Sep. 1, 1924”. Time. (1924年9月1日). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,768983,00.html 2010年6月15日閲覧。 
  360. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 1189.
  361. ^ a b Tucker & Roberts 2005, p. 1001
  362. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 117.
  363. ^ Mukhtar, Mohammed (2003-02-25). Historical Dictionary of Somalia. Scarecrow Press. p. 126. https://books.google.com/books?id=DPwOsOcNy5YC&pg=PA126&dq=iyasu+dervish&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjJjrCxr7LSAhVG4YMKHTEkDgwQ6AEIGjAA#v=onepage&q=iyasu%20dervish&f=false 2017年2月28日閲覧。 
  364. ^ “How Ethiopian prince scuppered Germany's WW1 plans”. BBC News. (2016年9月25日). http://www.bbc.com/news/world-37428682 2017年2月28日閲覧。 
  365. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 1069.
  366. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 884.
  367. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 335.
  368. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 219.
  369. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 209.
  370. ^ a b Tucker & Roberts 2005, p. 596
  371. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 826.
  372. ^ Dennis Mack Smith. 1997. Modern Italy; A Political History. Ann Arbor: The University of Michigan Press. p.284.
  373. ^ Aubert, Roger (1981). “Chapter 37: The Outbreak of World War I”. In Hubert Jedin. History of the Church. The Church in the industrial age. 9. London: Burns & Oates. p. 521. ISBN 0-86012-091-0 
  374. ^ Who's Who — Pope Benedict XV”. firstworldwar.com (2009年8月22日). 2018年2月10日閲覧。
  375. ^ "Merely For the Record": The Memoirs of Donald Christopher Smith 1894-1980. By Donald Christopher Smith. Edited by John William Cox, Jr. Bermuda.
  376. ^ Newton-Matza 2017, Timeline.
  377. ^ Pennell, Catriona (2012). A Kingdom United: Popular Responses to the Outbreak of the First World War in Britain and Ireland. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-959058-2 
  378. ^ Tucker & Roberts 2005, p. 584.
  379. ^ O'Halpin, Eunan, The Decline of the Union: British Government in Ireland, 1892-1920(ダブリン、1987)
  380. ^ Lehmann & van der Veer 1999, p. 62.
  381. ^ Brock, Peter, These Strange Criminals: An Anthology of Prison Memoirs by Conscientious Objectors to Military Service from the Great War to the Cold War, p.14, Toronto: University of Toronto Press, 2004, ISBN 0-8020-8707-8
  382. ^ Soviet Union - Uzbeks”. Country-data.com. 2013年3月13日閲覧。
  383. ^ Cockfield 1997, pp. 171–237.
  384. ^ a b Seton-Watson, Christopher. 1967. Italy from Liberalism to Fascism: 1870 to 1925. London: Methuen & Co. Ltd. p.471
  385. ^ Alan J. Ward, "Lloyd George and the 1918 Irish conscription crisis". Historical Journal (1974) 17#1 pp.107-129.
  386. ^ The Conscription Crisis”. CBC (2001年). 2018年2月10日閲覧。
  387. ^ J. M. Main, Conscription: the Australian debate, 1901-1970 (1970) abstract Archived 2015-07-07 at Archive.is
  388. ^ Havighurst 1985, p. 131.
  389. ^ Chelmsford, J. E. "Clergy and Man-Power", The Times 1918年4月15日。p.12.
  390. ^ Howard Zinn, People's History of the United States. (Harper Collins, 2003): 134
  391. ^ John Whiteclay Chambers, To raise an army: The draft comes to modern America (1987).
  392. ^ Hastings, Max (2013). Catastrophe: Europe goes to War 1914. London: Collins. pp. 30, 140. ISBN 978-0-00-746764-8 
  393. ^ David Stevenson, The First World War and International Politics (1988).
  394. ^ Z.A.B. Zeman, Diplomatic History of the First World War (1971)
  395. ^ See * Carnegie Endowment for International Peace. Official Statements of War Aims and Peace Proposals: December 1916 to November 1918, edited by James Brown Scott. (1921) 515pp online free
  396. ^ a b c d Heller 1984, Chapter 3.
  397. ^ a b 木村靖二 2014, pp. 22–25.
  398. ^ a b 木村靖二 2014, p. 26.
  399. ^ a b c 木村靖二 2014, pp. 25–27.
  400. ^ a b 木村靖二 2014, pp. 27–29.
  401. ^ a b c フォルカー・ベルクハーン 2014, pp. 12–15.
  402. ^ a b 木村靖二 2014, pp. 29–30.
  403. ^ 木村靖二 2014, pp. 30–31.






第一次世界大戦と同じ種類の言葉


固有名詞の分類

20世紀の戦争 バングラデシュ独立戦争  ノモンハン事件  第一次世界大戦  世界大戦  ベトナム戦争
フランスの戦争 パレストロの戦い  アロー戦争  第一次世界大戦  アルジェリア侵略  ベン・シェリーフ隊列の長距離打撃行軍
イギリスの戦争 インド大反乱  イラク戦争  第一次世界大戦  スペイン継承戦争  インディアン戦争
アメリカ合衆国の戦争 グレナダ侵攻  イラク戦争  第一次世界大戦  ベトナム戦争  アルーストック戦争
日本の戦争 西南戦争  ノモンハン事件  第一次世界大戦  日露戦争  元寇
イタリアの戦争 第二次世界大戦  ヴィットリオ・ヴェネトの戦い  第一次世界大戦  伊土戦争  第一次エチオピア戦争
中華民国の戦争 (1912年-1949年) 日中戦争  第二次世界大戦  第一次世界大戦  奉直戦争  安直戦争
オーストリアの戦争 四カ国同盟戦争  ヴィットリオ・ヴェネトの戦い  第一次世界大戦  スペイン継承戦争  イタリア戦争
オスマン帝国の戦争 第一次ウィーン包囲  フランス革命戦争  第一次世界大戦  リヴォニア戦争  アルジェリア侵略
カナダの戦争 カナダ侵攻作戦  ウィリアム王戦争  第一次世界大戦  米英戦争のカナダ戦線  アルーストック戦争
ロシア帝国の戦争 義和団の乱  フランス革命戦争  第一次世界大戦  カフカーズ戦争  ロシア・スウェーデン戦争
ドイツの戦争 義和団の乱  ラップランド戦争  第二次世界大戦  普仏戦争  第一次世界大戦

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

第一次世界大戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第一次世界大戦のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第一次世界大戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2022 GRAS Group, Inc.RSS