Mark I
Mark I
- Harvard Mark I
- Manchester Mark I
- Mark I 戦車 - 第一次大戦時に活躍した戦車
- Mark I - 第一次大戦時に英海軍で採用された大口径砲(口径381mm)
- 巡航戦車 Mk.I - イギリスが戦間期に開発した歩兵戦車。
- マーク I 射撃統制コンピューター - 第二次大戦時に米海軍が使用した射撃指揮装置、Mk37に用いられた機械式計算機。
- Mark I (格納容器) - GE(ゼネラル・エレクトリック)が、1960年代に発表した沸騰水型軽水炉の格納容器型式。
- Mark I - GEが1960年代に開発したタイムシェアリングシステム。
- 仙台マークワン - 東日本旅客鉄道(JR東日本)仙台駅西口北側にある再開発ビル。
関連項目
マークI
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/02 14:18 UTC 版)
オリジナルの形式。四輪駆動のステアリングと滑動式の天井を備える。
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マークI(1940)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 01:10 UTC 版)
「マーモン・ヘリントン装甲車」の記事における「マークI(1940)」の解説
駆動力は2輪のみ配分。7.7mmヴィッカース機銃2挺を持ち、1挺は円筒形の銃塔に装備、もう1挺は車体後方左側に装備。113輌生産。
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マークI
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/13 01:55 UTC 版)
原型車両。ガイ装甲車の車体をベースにしている。口径15mmと7.92mmのベサ機関銃を装備している。搭乗員は3名で、車長、操縦手、銃手から成る。300輌が生産された。
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マークI
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 15:08 UTC 版)
プロトタイプ製作の翌年の1965年から製作された量産モデル。このマークIからシャーシナンバーにGT40と刻まれ、正式に車名は"GT40"となった。ボディ形状が改められ、エンジンはプロトタイプと同じ4.7LのV8だが、出力は向上し、FZ社の5速トランスミッションを搭載している。プライベーター(個人参加者)からの要望により、多くの車両が販売された。プロトタイプから改善が行われたが、依然として信頼性の問題は残っており、レースではリタイヤが多く活躍することは少なかった。 マークIはグループ4スポーツカーとして参戦の承認を得るためのホモロゲーションモデル(FIAの認証を取得した車両)として50台製造され、そのうち半数程度が公道走行可能なロードバージョンであった。ワイヤーホイールやカーペットなどの細かい変更以外はレース仕様車とほぼ同一のものだった。 1966年にはイギリスのアラン・マン・レーシングにより、下記のマークIIのバックアップとしてボディとシャシーに軽合金が使用されたライトウェイト仕様が製作された。
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マークI (1958-1962年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/01 05:44 UTC 版)
「ローバー・P5」の記事における「マークI (1958-1962年)」の解説
1958年に「ローバー・3リッター」として登場した最初のモデルである。 エンジンは直列6気筒2,995cc106馬力で、P5発売後も並行生産された従来型のローバー・P4のトップモデル「ローバー・95」の2,600ccエンジンを拡大したものであった。このエンジンは吸気側がOHV、排気側がサイドバルブ(SV)と異なる構造を持つIOE(intake/inlet over exhaust)エンジン(米国などでは「Fヘッド」と呼称)と呼ばれるSVとOHVの折衷的なレイアウトをもつエンジンであった。IOE自体は20世紀初頭から例が見られ、OHVが市場で全盛となっていた1950年代にはすでに前時代的なレイアウトとされるものであった。しかしローバーIOEエンジンは「燃焼の魔術師」と謳われた英国人エンジニア、ハリー・ウェスレイク(en:Weslake)によってデザインされ、内容は一般的なFヘッドと呼ばれるエンジンとは大きく異なっていた。傾斜したシリンダーヘッド、独特な形状のピストントップと燃焼室などを持ち、バルブの配置を含めFヘッドとは形容しがたいレイアウトをとっており、それらから構成される燃焼室形状はHEMIエンジンなどにみられる半球形(正確には逆半球形)となっていた。実用性能は当時において必要充分であった。動力性能は当時の英国の自動車雑誌・ザ・モーターのテストによると、最高速度152.9km/h、0-60マイル加速17.1秒であった。 初期型は4輪ドラムブレーキであったが、発売後間もなく前輪はサーボ付きディスクブレーキとなり、1960年5月以降のモデルには自動変速機、オーバードライブ付きマニュアルギアボックス、パワーステアリングも注文可能となった。サスペンションは前輪がウィッシュボーンとトーションバーによる独立懸架、後輪は半楕円リーフ支持リジッドアクスルで、当時のイギリス車ではごく一般的で堅実なレイアウトであった。 1961年には細部に変更を受け「マークI-A」と呼ばれる改良型に発展し、1962年にマークIIと交代するまでに20,963台が生産された。
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