ムフ島とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > ムフ島の意味・解説 

ムフ‐とう〔‐タウ〕【ムフ島】

読み方:むふとう

Muhuエストニア西部バルト海にある島。サーレマー島本土の間に位置し、狭い水道隔てられている。主な町クィバストゥ西部コグバには、18世紀から19世紀頃の民家保存され、現在も村民暮らしているムフ野外博物館がある。


ムフ島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/08 14:22 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
サーレマー島(黄)とムフ島(赤)の位置
ムフ島
所在地  エストニア
所在海域 バルト海
座標 北緯58度35分00秒 東経23度10分00秒 / 北緯58.58333度 東経23.16667度 / 58.58333; 23.16667
面積 198 km²
プロジェクト 地形
テンプレートを表示

ムフ島(ムフとう、エストニア語: Muhuドイツ語: Mohn / Moonムーン)は、エストニアの島。バルト海に浮かぶサーレマー島の近くに位置し、エストニアの島として三番目に広い面積を持つ。

近隣の小島と共に、サーレ県内のムフ市(基礎自治体)を形成する。市の人口は1,697人(2010年4月19日現在)、面積は206.12km2である。

エストニア本土およびサーレマー島とは狭い水道で隔てられている。本土のヴィルトスからフェリーが運航され、サーレマー島とは細い土手道でつながっている。冬期になると、本土との間の海が氷結し陸路での往来ができる。

1227年1月、ヴィルヘルム・フォン・モデナ率いる20,000人のリヴォニア帯剣騎士団が凍った海を渡り、異教徒のエストニア人最後の牙城であったサーレマー島を攻撃した。エストニア人はムフ島の円状の砦で降伏した。この砦は今も、島と島をつなぐ土手道の近くに保存されている。リヴォニア十字軍(en:Livonian Crusade)はこれで終了した。

さらにムフ島は、エストニア全土において数少ない稼働する風車があることで有名である。1917年にはドイツ帝国の実施したアルビオン作戦により、ロシア共和国海軍とドイツ帝国海軍とのあいだでムフ水道の戦い(またはムフ海峡の戦い;en)が起きた。

ギャラリー

外部リンク

座標: 北緯58度36分 東経23度15分 / 北緯58.600度 東経23.250度 / 58.600; 23.250



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ムフ島」の関連用語

ムフ島のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ムフ島のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのムフ島 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS