第一次世界大戦から戦間期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 14:26 UTC 版)
「ダニエル・J・キャラハン」の記事における「第一次世界大戦から戦間期」の解説
1916年11月、キャラハンは防護巡洋艦ニューオーリンズ (USS New Orleans, PG-34) に移る。1917年4月にアメリカが第一次世界大戦に参戦すると、ニューオーリンズは大西洋を渡る輸送船団の護衛に任じた。キャラハンはこの任務を通じて、のちに影響を受けることとなる外科医のロス・マッキンタイアと初めて出会う。キャラハンの伝記を著した伝記作家フランシス・マーフィーによれば、キャラハンはアイルランド沖で損傷したイギリス輸送船を発見し、「4回にわたってニューオーリンズの3倍ある輸送船を曳航しようとしたものの、4回ともケーブルが切れた。艦長は曳航を断念しかけたが、キャラハンは敢然と人並み外れた能力を発揮して部下とともに作業を継続し、最終的に曳航に成功した。ニューオーリンズは48時間かけて輸送船を北アイルランドの基地まで曳航し、タグボートに引き渡した。」。 大戦終結後、キャラハンはジョージタウンに2年にわたって、妻メアリーおよび息子ダニエル・ジュニアと居住した。戦間期の初めには、海軍内における人員再編成に取り組んだ。家族とともにオークランドに戻った1920年10月には、戦艦アイダホ (USS Idaho, BB-42) 配属となり、砲術管制担当士官となる。1923年6月にはアイダホを退艦し、一時中尉の位になったあと、1925年5月からは戦艦コロラド (USS Colorado, BB-45) 配属となる。コロラドはオセアニア巡航のついでにオーストラリアに金を輸送し、1926年にアメリカに戻った。帰国後、キャラハンは戦艦ミシシッピ (USS Mississippi, BB-41) に移って砲術長となった。後年アジア艦隊(英語版)司令長官や上院議員を務めたこともあるミシシッピ艦長のトーマス・C・ハート大佐(アナポリス1897年組)は、キャラハンについて次のように語った。「私がこの将校について好意的に報告することは難しいでしょうが、彼は一般的には優れていると評価されており、砲術長としては非常に優れた士官であるとは思うので、他所の艦にも薦めることができるでしょう。」 ミシシッピでの勤務は1928年7月に終わり、以降2年間は海軍の検査所に務めていた。その後は合衆国艦隊司令長官の首席補佐官を務め、1931年6月には中佐に昇級した。以降は、カリフォルニア大学バークレー校内の海軍予備将校訓練隊(英語版)副長を経て、重巡洋艦ポートランド (USS Portland, CA-33) 配属となる。1938年、時のルーズベルト大統領は主治医のマッキンタイアに、海軍補佐官としてふさわしい人物の推薦を依頼した。ここでマッキンタイアは旧知のキャラハンの名前を挙げ、キャラハンは1938年7月に海軍補佐官に任命されて3年間務めた。その間の1938年10月には大佐となった。
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