第一次世界大戦およびその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/31 17:01 UTC 版)
「ハーバード (補助巡洋艦)」の記事における「第一次世界大戦およびその後」の解説
ハーバードは再びニューヨーク (SS New York) へ名前を変え、アメリカン・ラインで大西洋横断に従事した。この間1903年に広範囲な改修が行われ、3本の煙突の内1つが撤去された。アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦すると、ニューヨークは輸送船として1918年5月9日に再び海軍に徴用され、5月24日にクロード・C・ブロッホ艦長の指揮下就役、艦名はプラッツバーグ (USS Plattsburg, SP-1645) と変更された。 プラッツバーグはニューヨークからリバプールへの4度の航海を行い、アメリカ派遣軍の輸送を担当、戦後は7度の航海を行い、24,000名以上の帰還兵を帰国させた。1919年8月29日に最後の航海を終え、ニューヨークに戻り10月6日に元の所有者に返還された。 返還後は再びニューヨーク (SS New York) の船名で大西洋航路に就役したが、もはや一線級のライナーではなく、1920年に貨客航路から撤退、ポーランドの船会社に売却された。その後2度の航海を行ったが、会社は間もなく倒産し、船は1923年に廃棄された。
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