第一次上田合戦とは? わかりやすく解説

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第一次上田合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 03:01 UTC 版)

上田合戦」の記事における「第一次上田合戦」の解説

この戦い限り神川合戦上田神川合戦とも呼ばれる天正10年1582年3月織田信長が行った甲州征伐により武田氏滅亡甲斐から信濃上野及んだ武田遺領織田氏家臣分与され、武田旧臣信濃国衆ら織田政権臣従した。同年6月京都織田信長横死本能寺の変)し、織田氏友好関係だった北条氏が、北条氏直指揮執る5万6,000の兵で織田氏上野侵攻し織田政権関東守護目される滝川一益率い2万神流川の戦い撃破し滝川一益領地伊勢まで敗走する。これに前後して甲斐河尻秀隆国人一揆により戦死北信濃森長可旧領美濃撤退し南信濃毛利秀頼尾張へと撤退すると、織田領である信濃甲斐上野一気空白態となり、越後の上景勝相模北条氏直三河徳川家康など近隣勢力侵攻し、旧織田領を巡る天正壬午の乱が起こる。 甲斐制圧した徳川家康南信濃へ、上杉氏北信濃へ、そして北条氏上野国から碓氷峠越えて東信濃へと侵攻した。このとき東信濃から西上野に勢力保っていた真田昌幸北条氏方に属していたが、徳川氏方の依田氏工作により離反する。 10月には徳川北条の間で和睦成立するが、その和睦条件として徳川傘下となっていた真田氏の上沼田領と北条氏制圧した信濃佐久郡交換することとした。 翌天正11年1583年)から昌幸は上田城築城着手しており、沼田領や吾妻領を巡り北条氏争っていた。 天正13年1585年)には家康甲斐へ着陣して昌幸に沼田領の北条氏への引き渡し求めるが、昌幸は徳川氏から与えられ領地ではないことを理由にして拒否し、さらに敵対関係にあった上杉氏通じた同年7月浜松帰還した家康は昌幸の造反を知ると八月真田討伐起こし家臣鳥居元忠大久保忠世平岩親吉ら約7000の兵を真田氏本拠上田城派遣する徳川軍甲斐から諏訪道を北国街道進み上田盆地信濃国分寺付近に兵を展開。これに対して真田方は約1200であったと言われ、昌幸は上田城に、長男の信幸は支城戸石城篭城した。また支城矢沢城には、昌幸の従兄弟矢沢頼康上杉援兵と共に篭城した。 閏8月2日上田城攻め寄せた徳川方は、二の丸まで進むがここで反撃を受け撃退される。更に後退の際に城方追撃を受け、戸石城の信幸も横合いから攻めるに及びついに壊乱し、追撃戦には矢沢勢も加わり神川多数将兵溺死した。この真田方の地の利活かした戦法により、徳川軍1300人もの戦死者出したと言われる一方真田軍40人ほどの犠牲ですんだ。 翌日徳川方近隣の小豪族真田氏味方した丸子氏(後、真田氏臣従)の篭る丸子城攻めるが、これも要害頑強な抵抗阻まれ攻略できず、以後20日間程対陣続ける(丸子表の戦い)。この間上杉勢援軍との小競り合い更なる増援の報に接し家康援軍井伊直政一部部隊当初より参陣)、大須賀康高松平康重5000)を出すと共に一時撤退下令、これを受け徳川軍28日上田より撤退したその後も、大久保忠世諸将小諸城留まり真田勢と小競り合い繰り返すも、11月には譜代重臣石川数正豊臣家出奔する事態至り、完全に撤退することになる。 合戦記録真田家の『真田軍記』ほか、徳川方『三河物語』にも記されている。この戦いで昌幸は優れた智謀であると評されることとなる。また、この合戦によって徳川家康真田氏対す評価高まり結果として本多忠勝の娘である小松姫真田信幸へ嫁がせて懐柔するきっかけともなった真田氏その後豊臣政権臣従しており、上田合戦に至るまでの諸勢力との外交や数ヶ郡を支配する勢力拡大は、真田氏小領主から大名化していく過程であると指摘される上田市立博物館には、神川合戦合戦図が所蔵されている。 なお、この上田合戦に連動して天正13年1585年9月から天正14年1586年5月まで間、沼田城にも北条氏数回渡って攻撃仕掛けていたが、昌幸の叔父にあたる城代矢沢頼綱矢沢頼康の父)が撃退成功している。 徳川家康戦い 桶狭間 善明堤 藤波三河一向一揆 姉川 一言二俣城 三方ヶ原 野田城 長篠 高天神城 甲州征伐 伊賀越え 甲州発向 小牧・長久手 上田 小田原 関ヶ原 大坂

※この「第一次上田合戦」の解説は、「上田合戦」の解説の一部です。
「第一次上田合戦」を含む「上田合戦」の記事については、「上田合戦」の概要を参照ください。

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