神川合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 22:11 UTC 版)
「天正壬午の乱」および「上田合戦」も参照 天正13年(1585年)、上州沼田の帰属をめぐり徳川氏と真田氏が対立。徳川家康は真田討伐のため7000の兵を上田城に派遣する(第一次上田合戦)。 迎え撃つ真田昌幸は、2000余りの兵と城下の防御柵、山城などの地の利を活かして奮戦。撤退する徳川勢を追い詰め、増水した神川で多数の兵を溺死させた。真田氏が大名となる転機となったこの戦いは神川合戦とも呼ばれる。
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