第一次世界大戦から第二次世界大戦期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:49 UTC 版)
「制空権」の記事における「第一次世界大戦から第二次世界大戦期」の解説
制空は、1916年のヴェルダンの戦いでドイツが戦場上空の制空獲得のために行った空中阻塞、駆逐戦法といわれた数層に戦闘機を配置した防御的阻塞幕を構成する方法などに現れていた。戦闘機の発達とともに敵機撃墜、航空優勢を獲得する戦法に発展し、空中アクロバット戦が展開されていったが、航続距離が短かったこともあり、侵攻して攻撃するような戦法は未熟だった。 イタリアの軍人ジュリオ・ドゥーエの著書『制空』(1921年)によって制空(英: Command of the air)の概念は注目された。『制空』は、航空戦力は攻勢を本質とするものであり、空中から敏速、決定的破壊攻撃を連続して敵の物心の両面の資源を破壊して勝利するというもので世界的に反響を呼んだ。ドゥーエの制空権獲得徹底第一主義は航空撃滅に終始して航空戦力を撃滅し、航空優勢の保持による地上作戦であった。ドゥーエやウィリアム・ミッチェルに代表される制空獲得、政戦略的要地攻撃重視するために戦略爆撃部隊の保持が好ましく、1930年代には技術的にも可能となり、列強は分科比率で爆撃機を重視するようになった。 当時は先制爆撃によって敵の航空基地を壊滅させ無力化し、制空権を獲得できると考えていたが、地上基地を無力化することが困難であることが分かった。1937年9月の南京空襲作戦で日本海軍の源田実参謀が戦闘機を主体的攻撃的に運用し、敵戦闘機を撃滅して制空権を獲得する「制空隊」を考案した。戦闘機を中心とする積極的な作戦で戦術思想としても画期的であった。 制空権を得るには航空撃滅戦が有力であり、海上では航空母艦の撃滅で決定的な成果がある。しかし陸上の航空基地を半永久的に使用不能にするのは困難で、また基地も広範囲に分散しているため、爆撃による航空撃滅では目的を達しえない。敵機を空地で撃滅し敵の勢力回復に支障を与え、文武に長けた人材を必要とし養成に時間のかかるパイロットの消耗を図ると効果が大きいため、戦闘機の積極的運用が最も効果的であった。
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