第一次世界大戦から記念艦となるまで
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「イェロギオフ・アヴェロフ (装甲巡洋艦)」の記事における「第一次世界大戦から記念艦となるまで」の解説
第一次世界大戦開戦時、ギリシャ王国は中立を宣言したが連合国は納得せず、ギリシャ海軍はフランス海軍の管理下に置かれた。フランスによって整備されたアヴェロフ以下ギリシャ艦隊は、ギリシャ参戦後の輸送作戦で海上護衛に従事した。同大戦後の希土戦争 (1919年-1922年)において、本艦は黒海のトルコ領を艦砲射撃する作戦に従事し、ギリシャ陸軍を支援した。しかし、トルコ軍の攻勢に戦線が維持できなくなってからは、本艦を含むギリシャ艦隊はイズミルからギリシャ本国へ脱出する避難民を乗せた船団を護衛する任務に就いた。 その活躍もあり、1925年から1927年にかけてフランスで近代化改装が行われ、簡素な三脚式マストは前後同じ高さであったが、艦橋の基部を大型化したのに伴い、前部マストのみ大型で強固な物と更新され、頂上部にフランス式射撃方位盤を収めた円筒形の方位盤室と「X」字状の信号ヤードが設けられて現代の姿に近くなっている。武装関連では旧態化した魚雷発射管を全撤去し、水雷艇迎撃用の7.62 cm(40口径)速射砲の搭載数を8基に半減し、浮いた重量で7.62cm単装高角砲4基や各種対空火器を増備した。また、老朽化した機関を換装して近代化改装を終えた本艦は再びギリシャ艦隊の中核としてエーゲ海で活発な活動を行った。 オスマン帝国にはゲーベン追跡戦によりドイツ帝国海軍より購入した巡洋戦艦ゲーベン(ヤウズ・スルタン・セリム)があったが同艦は1918年10月から1923年まで連合軍に抑留されており、トルコ共和国に返還後も連合軍の眼が光っており、ダーダネルス海峡から出ようとしなかったので問題は無かった。だが地中海は相変わらず不安定だった。海軍休日時代、ギリシャの脅威は本艦を建造したイタリア王国と同国海軍、すなわち高性能巡洋艦を多数保有し、弩級戦艦(カブール級、ドゥイリオ級)すら高速戦艦に改造しつつあったイタリア王立海軍 (Regia Marina) になっていた(未回収のイタリア、コルフ島事件、アビジニア危機と第二次エチオピア戦争など)。1937年、本艦はギリシャ政府の代表を乗せてイギリスに赴き、5月20日のジョージ6世戴冠記念観艦式に参加した。この戴冠記念観艦式にイタリア海軍は参加していない。 1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、1940年6月10日にはイタリア王国が枢軸陣営として参戦、地中海攻防戦が始まる。ギリシャは中立を守っていたが、地中海戦線はバルカン半島にも拡大しつつあった。8月10日には、宣戦布告前にも拘らずイタリア王立海軍の潜水艦デルフィーノ(英語版、イタリア語版)により、ギリシャ軽巡エリが撃沈された。 10月28日にイタリア王国がギリシャ侵攻を開始してギリシャ・イタリア戦争が始まった(バルカン戦線)。1941年4月、ギリシャに対するドイツの侵攻により、連合国は敗北する(ギリシャの戦い)。前線崩壊後、ギリシャ海軍はドイツ軍に鹵獲されるのを防ぐために自沈を要求したが、本艦(イタリア建造艦)の乗組員は命令に背いてクレタ島スーダ湾(en:Souda)に向けて出航した。制空権を握る枢軸空軍(ドイツ空軍、イタリア空軍)の脅威下、4月23日にクレタ島へ到着した。枢軸陣営はクレタ島侵攻を準備しており、本艦は空挺作戦が始まる前にクレタ島を脱出する。イギリス地中海艦隊の本拠地アレキサンドリアに向けて出航し、現地で連合国に組み込まれた。 1941年8月から1942年の終わりまで、本艦はインド洋のボンベイやポートサイドを基地として船団護衛任務と哨戒任務に割り当てられた。1944年10月17日に本艦は自由ギリシャ海軍の旗艦として、連合軍により解放されたアテネに凱旋した。 1947年2月10日、イタリア共和国とパリ条約および平和条約が締結され、賠償の一環として傭兵隊長型軽巡のエウジェニオ・ディ・サヴォイア (Eugenio di Savoia) が譲渡された。ギリシャ海軍は同艦を2代目のエリ (Έλλη) と命名し、1951年から1964年にかけてギリシャ艦隊旗艦とする。アヴェロフは1952年に除籍されるまで艦隊本部として使用された。本艦は1956年から1983年にかけてサラミスにあり、1984年から1986年にかけて記念艦へと改装されて現在もピレウス港にて公開中である。
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