エジンコート_(戦艦)とは? わかりやすく解説

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エジンコート (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 08:49 UTC 版)

エジンコート (HMS Agincourt) は、イギリス海軍弩級戦艦で、45口径12インチ(30センチ)連装砲塔七基(計14門)と6インチ砲20門を備えている[1]超弩級戦艦と表記した事例もある[注釈 1]。艦名の由来は、百年戦争でイギリスが大勝したアジャンクールの戦い (Battle of Agincourt) の英語読み。


注釈

  1. ^ a b 伯國軍艦賣却[2] 土耳古國にては伯西兒國の新超ド級艦リオドヤネロ(アームストロング會社にて近く竣成)速力二十二節排水二萬五千噸を購入せりとの報あり(緋也納十一日發)
  2. ^ a b 電報欄 ●外國電報[3](中略)○倫敦、十一月三十日 現今英國に於て建造中のブラジル國軍艦リオ、デ、ジアネイロ號は先に日本政府或は英國等に賣却の噂ありしも今回伊太利海軍にて購入する」に決定せり(以下略)
  3. ^ 倫敦電報(五日發)(中略)●英國軍艦買収[7] 英國海軍省は土耳古の注文により英國に於て建造中の戰艦二隻(一隻は殆ど竣工せり)を買収し直ちに一隻はアンジンコート、一隻はソエリンと命名したり、共に英國の有名なる海軍将官の名に因みたるものなり/●驅逐艦も買収 英國海軍省は英國に於て建造中の智利驅逐艦二隻を買収しフオールクネルブ.ローチロと命名したり(記事おわり)
  4. ^ a b c トルコは已に八月一日に於て、ドイツとの秘密の同盟條約を結び、ロシヤが戰爭に参加せば、相互の間に應援義務の發生すべきを定めたり。同日午後ロシヤが戰爭に加はるに至り、同盟條約の實施條件が備はるに至れり。オースストリヤも亦トルコとの同盟條約に加盟せり。該條約は嚴に秘密に付せられ、トルコの参戰の準備成るの日に至る迄、トルコは中立の維持を装ふべきことと爲せり。』聯合軍側に於て、八月一日のドイツ、トルコ間の秘密同盟條約の成立を確知し得ざりしより、トルコに對して種々の提議を爲し、之をして中立を維持せしめんと計れり。』ヨーロッパ大戰開始の頃、八月三日に於て、イギリス内閣は、國内の造船所に於てトルコ政府の爲めに製造中なりし二隻の軍艦の徴發を行ひ、トルコ政府の憤怒を招けり。ドイツ、イギリス間の開戰あるや、ドイツ軍艦ゲーベン號及びプレスラウ號の二隻がボスフォラス海峡に竄入し、トルコは是等のドイツ軍艦を購入せりと稱し、イギリス政府は、國際法違反の故を以て、之に關して抗議を提出せり。[8](以下略)
  5. ^ a b ○希土兩國ノ軍備現況(大正三年六月十九日附報告)[9](中略) 二、土國海軍 土國海軍ノ製艦計畫ハ希國ノ計畫程ニ大規模ナラサルモ大艦ヲ多ク含ムニ於テ之ニ優レルモノアリ即チ先ツ最大級「ドレットノート」型戰闘艦三隻ヲ算シ内一隻Reshadieh號ハ客年九月進水シテ目下武装中ニ属シ第二ハ即チ伯剌西爾政府ノタメニ英國ニ於テ建造シタル前記「リオ・デジャネロ」號ニシテ客年十二月末ヲ以テ購入目下武装中ニシテ第一ト共ニ本年中ニ竣功スヘシ亦第三ハ近ク英國Vickers會社ニ注文セラルヘシ
    更ニ製艦計畫ハ輕巡洋艦二隻及水雷驅逐艦十八隻ヲ含ミ内驅逐艦十二隻ヲ佛國Normand會社ニ注文シタル外他ハ何レモ英國Armstrong-Vickers「シンジケート」ニ建造契約ヲナセリ現在海軍力ハ戰闘艦五隻 甲装巡洋艦二隻 水雷砲艦二隻 水雷驅逐艦八隻 水雷艇八隻ニシテ詳細ヲ表示スルコト次ノ如シ(以下略)
  6. ^ 倫敦電報 廿二日着(中略)▲土耳古の戰艦購入[15] 土耳古政府はアルヘンチーナ國の注文に依り目下米國に於て建造中の戰艦一隻購入を二十日契約せり土國軍艦購入は多島海問題に對し尠からず希臘を威喝しつゝあり(記事おわり)
  7. ^ ●智利の軍費[17](中略)今や智利では二万六千噸の戰闘艦三隻も造つてるが愈々是が同國の海面に浮ぶ様になつたら軍事費の増加は益々甚だしくなつて國家財政の基礎を危なくしなければよいかと餘計な心配もしたくなるが、或は噂の通り出來立の軍艦を他國に賣渡す様になるかも知れぬ(記事おわり)
  8. ^ 最終的に、エルメス・ダ・フォンセカ英語版大統領が「リオデジャネイロの保有は財政的に困難」としてキャンセルを決断した[19]
  9. ^ イギリス海軍からギャンブル提督(1909年2月~1910年3月)、ウィリアムズ提督(1910年4月~1912年4月)、リムパス提督(1912年5月~1914年9月)が派遣され、オスマン帝国艦隊総司令官(艦隊指揮官/コモンドン・ド・ラ・フロット)[30]に任命されていた。
  10. ^ 土國の軍艦建造[32] 倫敦十八日發 本日土耳古政府と英國エルスウイツクの造船會社バロー及びクリデバング兩會社の間に戰艦二隻、巡洋艦一隻建造の契約成れり右は土耳古海軍基礎とも稱すべき重要なる戰艦にして會社の受負價価は一千五百万弗なりと云ふ(記事おわり)
  11. ^ ▲土耳古と日本海軍々人[36] フオッシセ、ツアイツング紙亞典通信員の發電に依れば土耳古政府は今回購入の弩級型戰闘艦に乗組しむべく日本海軍将校及下士官卒若干名を傭聘せんとする希望を有せりと(記事おわり)
  12. ^ 1914年5月、サゾーノフ外務大臣は駐英大使に「イギリス製の新鋭戦艦がオスマン帝国に渡れば、ロシア黒海艦隊を六倍近く上回る破壊的な海軍力となる。」「黒海でロシアの優位が失われれば、どれほど悲惨な結果になるかは明白だ。」と語った[37]
  13. ^ ○英土國交斷絶顚末ニ關スル英國政府白書摘要(大正三年十一月二十一日附報告)[38] 獨佛露ノ開戰ト共ニ英國政府ハ八月三日駐土代理大使ヲシテ土國カ「アームストロンク」會社ニ注文中ナル「オスマン」一世ヲ英國政府ニ引取ルヘキ旨ヲ土國政府ニ申入レシメタルニ土國總理大臣ハ土國カ戰爭ニ加ハラサルニ英國政府カ此ノ如キ行動ニ出タルハ友好的ナラストテ不滿ノ意ヲ表シ且ツ今次ノ戰亂ニ際シ土國ハ嚴正中立ヲ守ルヘク動員實行ノコトニ決定シタルトモ右ハ其完成ニ數箇月ノ時日ヲ要シ将來萬一ノ場合ニ備フルノ必要已ヲ得サルニ出タルモノナルコト並ニ獨逸軍事顧問ノ在任ハ何等政治上ノ意味ナキモノナルコトヲ明言セリ 英國政府ハ土國軍艦ノ引取ニ對シテハ不本意トスル所ナルモ右ハ此際ノ危機ニ際シ英國ニ在ル使用シ得ヘキ軍艦ヲ保有スルノ必要ニ迫ラレタルニ因ルモノニシテ土國カ受クル金錢上其他一切ノ損害ニ對シテハ英政府ニ於テ十分ノ考量ヲ加フヘキ旨ヲ土國政府ニ申入レタルカ土國人民ノ敵愾心ハ本件ノ爲メ頗ル熾盛トナレリ(以下略)
  14. ^ Q.E級戦艦の6番艦は1914年から1916年の予算で発注されたが、世界大戦勃発により建造中止になった[41]
  15. ^ 接収時の状況を、新戦艦配属予定だったラウフ・オルバイが自伝『地獄の石臼』で回想している。
  16. ^ なおチリ海軍向けにイギリスで建造されていたアルミランテ・ラトーレ級戦艦も英海軍に接収され、1番艦アルミランテ・ラトーレ (Almirante Latorre) は戦艦カナダ (Canada) と改名されて[42]、ユトランド沖海戦では第4戦艦戦隊所属だった[43]。2番艦アルミランテ・コクレーン (Almirante Cochrane) は航空母艦に改造されて空母イーグル (HMS Eagle) になった[44]
  17. ^ 是等の事件ありたるに拘はらず、聯合諸國はトルコ政府に對して種々の提議を爲せり。聯合諸國は先づ、トルコにして中立を維持し、エジプトが平穏なるときは、ゑジプトの政治上の地位を變更せざるべきをトルコ政府に説き、次に、若しトルコが中立を嚴守せば、協商側の諸國が總ての攻撃に對してトルコの獨立及び領土保全を指示すべきを説けり。トルコ海軍大臣が領事裁判制度の即時の撤廢を求むるや、イギリス外務大臣は、フランス及びロシヤの承諾することを條件として、現代の状態に適する制度がトルコに行はるるに至る際、イギリスが領事裁判制度に關する其権利を抛棄すべきを約せり。イギリス王も親書をトルコ帝に贈り、曩にイギリスに於てトルコの爲に製造中なりし二隻の軍艦を、止むを得ずして徴發せることにつき、遺憾の情を表し、戰爭終らば之を囘復すべきを約せり。』[8](以下略)
  18. ^ a b トルコ當局は敵諸國大使に對し、軍艦ゲーベン及ブレスローの入航は、トルコが之を買上たるによるものなり、との説明を與へ、兩艦を以てかねて英國に於て建造中なりしトルコの新建造艦ズルタン・オスマン及レシャト五世の二隻が開戰と同時に、英海軍に徴發せられたるを以て其の代艦たるものなり、と主張せり。茲に於て英國はトルコに對し、戰後同價値なる代艦を引渡すべしと誓約したるにも拘はらず、トルコは兩艦はトルコの所有に轉じたりとの口實を設けて敢て動かざりき。兩艦は八月十六日トルコ旗を掲げ、同日首都の沖合に投錨し、トルコ人士官及兵員若干を配乗せしめたる後、海軍大臣は艦上に嚴粛なる儀式を擧げて兩艦の虚構なる移管を行ひ、軍艦ゲーベンにはヤブス・ズルタン・ゼリムなる艦名を ブレスローにはミデイリなる艦名を與へ、戰隊司令官ズーホン提督を、トルコ海上諸艦艇の指揮官に任命せり[45]。(以下略)
  19. ^ ◎土國獨逸軍艦購入[47] 土耳古政府は地中海にて英國艦隊のために追ひ廻されつゝある獨乙巡洋艦隊ゴエベン及ブレスロー二隻を購入した旨發表せり恐らく英佛兩國は右に對し土國に其説明を要求すべし(巴里發)
  20. ^ 小型軽巡ブレスラウ (SMS Breslau) は[49]ミディッリ (Midilli) と改名した[50]
  21. ^ (中略)[38] 八月十一日獨國軍艦「ゲーベン」「ブレスラウ」ガ「ダーダネルス」ニ入ルヤ英國政府ハ直ニ土國政府ニ對シ獨國軍艦ヲシテ海峡ヲ通過セシメサルヘキコト、二十四時間内ニ立去ルカ然ラサレハ武装ヲ解除セシムヘキコトヲ申入ルヘキ旨ヲ駐土代理大使ニ訓令シタルニ之ト行違ニ土國政府ハ英國政府ニ對シ前記二艦ヲ買入タルコト其乗組員ハ總テ獨逸本國ニ歸還セシムヘキコト並ニ右二艦ノ購買ハ英國注文中ノ軍艦ニ代ハルモノニシテ多島海問題ニ關シ希臘ト折衝上互角ノ地歩ヲ占ムルノ必要ニ出テ敢テ露國ニ對抗スルノ考ニ出テタルニ非ル旨ヲ申入レタリ 而シテ土國海軍大臣ハ英國海軍顧問「アドミラル、リムパス」ニ右二艦ノ艤装方ヲ依頼シ且之ヲ同提督ノ麾下ニ置クヘキ旨ヲ約束シタルニ拘ラス數日ヲ出テスシテ同提督以下英國海軍将校ノ轉職ヲ命シ土國将校ヲ以シ之ニ代ヘ之レカ説明トシテ八月十六日總理大臣ハ英國代理大使ニ對シ土國ハ中立ヲ嚴守スヘク且「ゲーベン」「ブレスラウ」ハ土國将校ニ於テ之カ操縦ニ不便ヲ感スルヨリ若干獨逸将校ヲ乗組マシメ置クノ必要アリ英國提督ノ下ニ土獨兩國ノ将校ヲ置クハ不便ナルヲ以テ餘儀ナク提督以下ノ轉職ヲ見ルニ至リタル次第ナリト辯解セリ(以下略)
  22. ^ 對土協約議定書の調印[57](中略)次ぎに、賠償問題に就いては、土耳古が獨墺兩國の中央銀行に寄託せる五百萬土耳古磅の金貨と、土耳古が英國に注文せる軍艦手附金五百英磅の金貨とを聯合國に提供し、之にて土國と聯合國間の一切の損害を相殺する事に一旦協定せるを、其の後、英國は、内政上の理由により、右の手附金を聯合國間に分配しがたき事となりし爲め、其の代りとして、軍艦購入資金として英國にて募集せる土耳古の國際證券九十三萬土耳古磅に相當する額の提供を申出て、依つて、更に聯合國間の意見纏まり次第、賠償分配協約が聯合國間に調印せらるべき決せり。其他經濟篇、交通篇等も、別段の難問題なく解決せられたり。(以下略)

脚注

  1. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 160aブラジル、RIO DE JANEIRO リオデジャネイロ(英戦艦エジンコート)
  2. ^ Shin Sekai, 1913.10.12”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年9月1日閲覧。
  3. ^ Andesu Jihō, 1913.12.15”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 03. 2023年9月1日閲覧。
  4. ^ Andesu Jihō, 1914.06.15”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年9月1日閲覧。希臘新艦購入 土耳古國にて伯西兒國の新造軍艦を購入せるに對抗の爲め希臘國にては智利國の注文にて英國に於て建造中の新ド級戰艦を購入するの計劃なり(緋也納五日發)〕
  5. ^ a b 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 161a“ABC三国”の弩級戦艦をめぐる建艦競争
  6. ^ a b 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 11–12.
  7. ^ Nan’yō Shinpō, 1914.08.07”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。
  8. ^ a b 立博士外交史論文集 1946, p. 357原本六九〇-六九一頁
  9. ^ #大正3、希土軍備 pp.1-2
  10. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, pp. 166–167「ドレッドノート」が火をつけた建艦競争
  11. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 150a南米建艦競争に火をつけた「ミーナ・ジェライス」
  12. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 18a-19ブラジル、ミナス・ゲラス級
  13. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, pp. 150b-151米国建造のアルゼンチン弩級戦艦「リバダビア」
  14. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 16–17アルゼンチン、リバダビア級
  15. ^ Nan’yō Shinpō, 1914.01.23”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。
  16. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 18b-19チリ、アルミランテ・ラトーレ
  17. ^ Andesu Jihō, 1914.06.15”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 05. 2023年9月1日閲覧。
  18. ^ a b 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 161b.
  19. ^ a b c d e f g 宮永 (2015), p. 21.
  20. ^ Chōsen Shinbun, 1913.10.19”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。 〔 特電/◎伯國の新造戰闘艦と日本 伯剌西爾國にては建造中の戰闘艦一隻を日本政府に譲渡すことに決せり 〕
  21. ^ 池内、サイクスピコ協定 2016, pp. 54–56クリミア併合で蘇るロシアの「南下政策」
  22. ^ 池内、サイクスピコ協定 2016, pp. 59–61.
  23. ^ 池内、サイクスピコ協定 2016, pp. 62–65「東方問題」の発生
  24. ^ 夢遊病者たち(2) 2017, pp. 507–513ボスポラス海峡のドイツ人
  25. ^ トルコ近現代史 2001, pp. 145–152第一次大戦とオスマン帝国の崩壊
  26. ^ ハワード、第一次世界大戦 2014, pp. 15–20対抗同盟
  27. ^ 夢遊病者たち(2) 2017, pp. 513–514.
  28. ^ 欧洲動乱史論 1915, p. 260(原本485頁)獨逸より多數の高級将校を傭ふ
  29. ^ a b c ハワード、第一次世界大戦 2014, p. 71.
  30. ^ a b 夢遊病者たち(2) 2017, pp. 518–519.
  31. ^ a b 夢遊病者たち(2) 2017, pp. 515–517.
  32. ^ Shin Sekai, 1910.03.20”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。
  33. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 152aドイツから購入した「ヤウズ・スルタン・セリム」
  34. ^ a b c 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 152b.
  35. ^ Nippu Jiji, 1914.02.16”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。
  36. ^ Nan’yō Shinpō, 1914.01.24”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。
  37. ^ a b c 夢遊病者たち(2) 2017, pp. 722–723.
  38. ^ a b c d #大正4、英土国交断絶 p.1
  39. ^ a b トルコ近現代史 2001, p. 146.
  40. ^ a b ハワード、第一次世界大戦 2014, p. 72.
  41. ^ ウォースパイト 1998, p. 29.
  42. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 161cチリ、ALMIRANTE LATORE アルミランテ・ラトーレ(英戦艦カナダ)
  43. ^ a b 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 16ジュットランド海戦に参加した戦艦・巡洋戦艦
  44. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 151bチリ戦艦「アルミランテ・ラトーレ」の長い道のり
  45. ^ 地中海戦隊 1928, p. 41(原本49頁)
  46. ^ a b 欧洲動乱史論 1915, pp. 262–263(原本488-490頁)獨逸二戰艦遁入事件
  47. ^ Nichibei Shinbun, 1914.08.14”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。
  48. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, pp. 126–127巡洋戦艦モルトケ
  49. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 36aドイツ/小型巡洋艦「マクデブルク」級 MAGDEBURG CLASS
  50. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 72a〔戦利・貸供与艦〕トルコ/小型巡洋艦「ミディリ」MIDILI
  51. ^ Nichibei Shinbun, 1914.08.15”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。
  52. ^ a b 宮永 (2015), p. 22.
  53. ^ 主力艦の代換及廢棄 英帝國 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  54. ^ 通俗的世界全史、17巻 1928, pp. 351–353, 353–355.
  55. ^ 池内、サイクスピコ協定 2016, pp. 42–44.
  56. ^ ハワード、第一次世界大戦 2014, pp. 193–196オスマン帝国
  57. ^ 通俗的世界全史、17巻 1928, pp. 355–357(原本665-669頁)


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