国際平和への努力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:07 UTC 版)
第一次世界大戦による災厄の巨大さを目の当たりにしたことで、国際社会では厭戦感が広がることとなった。戦後の国際関係においては平和協調が図られ、1919年にウィルソン大統領の提唱により、人類史上初の国際平和機構である国際連盟が設立され、1925年にはロカルノ条約、1928年には主要国間で不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)が締結された。このほかにも主要列強間においてワシントン海軍軍縮条約(1922年)、ロンドン海軍軍縮条約(1930年)といった軍縮条約が締結された。 しかし、これら国際平和のための様々な努力も空しく、第一次世界大戦の原因と結果を巡る多くの戦後処理の失敗、戦後好景気の反動としての世界恐慌の発生とブロック経済化、社会主義の勢力拡大などで、それらに対抗する形でのイタリア王国のムッソリーニ率いるファシスト党、ドイツのヒトラー率いるナチスと、ファシズムが台頭していった。 戦勝国の日本では、日本のシベリア出兵や中国での排日やナショナリズム台頭と、それに対する日本軍の出兵拡大といった混乱の末、1930年代前半には関東軍主導により満州事変が起こされ、さらに数度にわたり軍事クーデターが起きたことで、第一次世界大戦後に日本に根付くかと思われた民主主義(大正デモクラシー、普通選挙)がわずか15年程度で途絶え、軍国主義が進むこととなった。 国際連盟は提唱国であるアメリカをはじめとした大国の不参加や脱退が相次いで十分な役目を果たせず、戦間期に発生した係争への介入を行うことが殆どできなかった。ヴェルサイユ条約成立後、フランスのフェルディナン・フォッシュ陸軍元帥は、「これは講和ではない。20年間の休戦にすぎない」と予言していた。イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、「ドイツ人など貧困にあえいでいればよいなどという考え方では、いつの日か必ず復讐されることになる」と条約を批判。アメリカのある上院議員も「この条約は先の大戦より悲惨な戦争を呼ぶものであると確信した」と述べた。そして彼らの予言通り、条約調印のほぼ20年後の1939年に、再び全世界規模の戦争となる第二次世界大戦が勃発することとなる。
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