国際師範時代
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1998年、テコンドー創始者崔泓熙ITF総裁が直接審査官を務める審査会にて4段審査を受け、公認国際師範となる。 2001年、日本国際テコンドー協会 普及担当理事に就任。 2002年、アジアテコンドー選手権大会 (モンゴル)日本ナショナルチーム監督を務める。 2003年6月、第13回 世界テコンドー選手権大会 (ギリシャ) 日本ナショナルチーム・コーチを務める。 2003年9月、5段に昇段 (審査官: ITF技術委員長 パク・チョンス師賢)。同年、ITF・テコンドー創始者崔泓熙没後、ITFがチャン・ウン派とトラン派とに分裂。 2004年、チャン・ウン派ITF傘下組織となった日本国際テコンドー協会 (ITF-JAPAN) を離脱。チャン・ウン派ITFを主導する朝鮮テコンドー連盟は、統一戦線部傘下にあった。 2004年6月、海外の多くのITF師範達に同調し、オーストリア・ウイーンでトラン派ITFへ正式登録。国内に一般社団法人日本ITFテコンドー協会を発足。 事務局長に就任。同年、第1回 ワールドカップ (アメリカ・フロリダ) 日本代表選手団監督。 2005年、第14回 世界選手権 (ドイツ・ドルトムント) 日本代表選手団監督・直系弟子の豊永誠史が最も選手層の厚い1段型の部で初の世界チャンピオンとなる。同年、国際インストラクターセミナー (IIC) (フィリピン・アンヘレス) 修了。 2006年、第2回 ワールドカップ (スペイン・ベニドルム)日本代表選手団監督。 2007年、ITFコリア (韓国・釜山) 指導。同年、第15回 世界選手権 (カナダ・ケベック)日本代表選手団監督、一般社団法人日本ITFテコンドー協会理事長就任。 2008年、第3回 ワールドカップ (イタリア・リーヴァ・デル・ガルダ)日本代表選手団監督。 2008年10月、イタリアにて6段に昇段(審査官: ITF総裁 トラン・トリュ・クァン師賢)。 2009年11月、第16回 世界選手権 (アルゼンチン・マルデルプラタ) 日本代表選手団監督。 2011年3月、第17回 世界選手権 (ニュージーランド・ウェリントン)日本代表選手団監督。 2012年10月、第4回 ワールドカップ (イギリス・ブライトン) 日本代表選手団監督。
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