ループレヒト_(バイエルン王太子)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ループレヒト_(バイエルン王太子)の意味・解説 

ループレヒト (バイエルン王太子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/22 08:23 UTC 版)

ループレヒト
Rupprecht
ヴィッテルスバッハ家
バイエルン様式の軍服を着るループレヒト

全名
称号
敬称 殿下
出生 (1869-05-18) 1869年5月18日
バイエルン王国ミュンヘン
死去 (1955-08-02) 1955年8月2日(86歳没)
西ドイツバイエルン州シュタルンベルク、ロイトシュテッテン城
埋葬 西ドイツバイエルン州ミュンヘン、テアティーナ教会
配偶者 マリー・ガブリエーレ
  アントニア
子女
父親 ルートヴィヒ3世
母親 マリア・テレジア
役職 陸軍元帥
第6軍司令官
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示

ループレヒト・フォン・バイエルンドイツ語: Rupprecht von Bayern, 1869年5月18日 - 1955年8月2日)は、バイエルンおよびドイツ王族軍人。最後の王太子バイエルン公ライン宮中伯ドイツ帝国陸軍の最終階級は元帥

生涯

1869年、バイエルン王子ルートヴィヒ(後のバイエルン国王ルートヴィヒ3世)とエスターライヒ=エステ大公女マリア・テレジアモデナ公フランチェスコ5世の姪)の長男としてミュンヘンに生まれた。

第一次世界大戦ではドイツ陸軍第6軍の指揮官を務め、1916年には元帥となった。

1919年に母のマリア・テレジアが死去したためジャコバイトの支持するイングランド王ロバート英語: Robert)、スコットランド王ロバート4世スコットランド語: Robert IV)となった。

1921年には父の死去によりバイエルン王家の家長となった。

1939年にイタリアに亡命したが、妻子をはじめとするバイエルン王家の人間がハンガリーに残留していたため、1944年に逮捕されザクセンハウゼン強制収容所ダッハウ強制収容所などに収容された。1945年のナチス・ドイツの降伏後に、ようやくミュンヘンに戻ることができた。1955年、シュタルンベルク英語版ロイトシュテッテン城ドイツ語版において86歳で死去した。

家族

1900年、ヴィッテルスバッハ家傍系の同族であるバイエルン公カール・テオドールの四女マリー・ガブリエーレと結婚。3男2女を儲けたが、成人したのは1人だけだった。マリー・ガブリエーレとは1912年に死別した。

  • ルイトポルト(1901年 - 1914年)
  • イルミンガルト(1902年 - 1903年)
  • アルブレヒト(1905年 - 1996年) - バイエルン王家家長。
  • 女子(死産、1906年)
  • ルドルフ(1909年 - 1912年)

1921年、ルクセンブルク大公ギヨーム4世の四女アントニアシャルロット女大公の妹)と再婚し、1男5女を儲けた。

  • ハインリヒ英語版(1922年 - 1958年) - 1951年にリュストラック男爵ジャンの娘アンヌ・マリー(1927年 - 1999年)と結婚。
  • イルミンガルト英語版(1923年 - 2010年) - 従兄のバイエルン王子ルートヴィヒ英語版と結婚。家長となった甥たちに跡継ぎの男子がないことから、その長子のルイトポルトがバイエルン王家家長となると目されている。
  • エーディタ(1924年 - 2013年) - ティト・トンマーゾ・マリア・ブルネッティと結婚、グスタフ・クリスティアン・シマートと再婚。
  • ヒルダ(1926年 - 2002年) - 1949年にフアン・ブラドストック・エドガル・ロケット・デ・ロアイサと結婚。
  • ガブリエーレ(1927年 - 2019年) - 1953年にクロイ公カール(1914年 - 2011年)と結婚。
  • ゾフィー(1935年 - ) - 1955年にアーレンベルク公ジャン=エンゲルベルトオランダ語版(1921年 - 2011年)と結婚。
アントニアとループレヒト



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ループレヒト_(バイエルン王太子)」の関連用語

ループレヒト_(バイエルン王太子)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ループレヒト_(バイエルン王太子)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのループレヒト (バイエルン王太子) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS