歴代バイエルン国王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/18 22:35 UTC 版)
「バイエルン国王」の記事における「歴代バイエルン国王」の解説
名前 肖像 称号 即位 崩御または退位 公的な君主名 備考 マクシミリアン1世 バイエルン国王 1806年 1825年 バイエルン国王マクシミリアン・ヨーゼフ陛下 ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト宮中伯フリードリヒ・ミヒャエルの息子。1795年から兄カール3世アウグスト・クリスティアンを継いでプファルツ=ツヴァイブリュッケン公、1799年から遠戚かつ義理の伯父カール・テオドールを継いでバイエルン選帝侯となる。ナポレオン1世と同盟を結び、有名無実の選帝侯の称号を捨て、1806年1月1日にバイエルン国王マクシミリアン1世として即位した。 ルートヴィヒ1世 バイエルン国王 1825年 1848年 バイエルン国王、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯ルートヴィヒ陛下 マクシミリアン1世の息子。1848年革命で退位。 マクシミリアン2世 バイエルン国王 1848年 1864年 バイエルン国王、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯マクシミリアン陛下 ルートヴィヒ1世の息子 ルートヴィヒ2世 バイエルン国王 1864年 1886年 バイエルン国王、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯ルートヴィヒ陛下 マクシミリアン2世の息子。“狂王”と呼ばれた。1871年にバイエルンをドイツ帝国の構成国とし、1886年に変死した。 オットー1世 バイエルン国王 1886年 1913年 バイエルン国王、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯オットー陛下 ルートヴィヒ2世の弟。精神に異常をきたしており、治世は摂政の許で行われた:ルイトポルト(1886年 - 1912年) ルートヴィヒ(1912年 - 1913年) 摂政ルイトポルト バイエルンの摂政 1886年 1912年 バイエルン、フランケン及びシュヴァーベン、ライン宮中伯の摂政ルイトポルト殿下 ルートヴィヒ1世の息子で、ルートヴィヒ2世とオットー1世の摂政。 ルートヴィヒ3世 バイエルンの摂政バイエルン国王 1913年 1918年 バイエルン国王、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯ルートヴィヒ陛下 摂政ルイトポルトの息子。1912年から1913年まで摂政を務めた。第一次世界大戦末期のドイツ革命で王位を失った。 ループレヒト バイエルン王太子 1913年 1955年 バイエルン王太子、バイエルン、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯ループレヒト・マリア・ルイトポルト・フェルディナント殿下 ルートヴィヒ3世の息子で最後のバイエルン王太子。
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