ドイツ保護領カメルーンとは? わかりやすく解説

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ドイツ保護領カメルーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 08:45 UTC 版)

カメルーン
Kamerun (ドイツ語)



1884年 - 1916年

国旗 国章

緑:ドイツ保護領カメルーン
薄緑:その他のドイツ植民地
公用語 ドイツ語
言語 ドゥアラ語
バサ語
ベティ語
首都 ドゥアラ(1884年-1910年)
ブエア(1910年-1916年)
元首等
1884年 - 1884年 グスタフ・ナハティガル
1887年 - 1906年 イェスコ・フォン・プットカマー英語版
1912年 - 1916年 カール・エバーマイアー英語版
変遷
設立 1884年
解体 1916年
通貨 金マルク
現在  カメルーン
 中央アフリカ共和国
 チャド
 ガボン
 ナイジェリア
 コンゴ共和国
1901年から1972年におけるカメルーンの領域の変遷
  ドイツ領カメルーン
  イギリス領カメルーン
  フランス領カメルーン
  カメルーン共和国
提案された国旗

ドイツ保護領カメルーン(ドイツほごりょうカメルーン、ドイツ語: Kamerun)は、ドイツ植民地帝国の一部として、1884年から1916年にかけて現在のカメルーンを中心とする地域に存在した国家である。国土にはガボンの北部、コンゴ共和国の北部、中央アフリカ共和国の西部、チャドの南西部、ナイジェリアの極東部が含まれた。

歴史

1868年、ハンブルク貿易会社のC. Woermannがカメルーン川(ウォリ川英語版)デルタのドゥアラ地区に郵便局を設置した。

1874年、Woermann はリベリア担当のWilhelm Jantzenと共にジャンセン&トーミエン英語版を設立した。 これにより、ハンブルクとドゥアラが海路と空路で結ばれた[1]。 現地の首長から土地を買い上げ、バナナ等のプランテーションを開始した。 全ての西アフリカ会社を代表するAdolph Woermannは、本国の外務相に「保護」を請願した[2]

1884年アフリカ分割の中でドイツ保護領カメルーンが設置された。 この際グスタフ・ナハティガルが大きく貢献した。 ハンブルクやブレーメンを拠点とする何十ものドイツ企業がカメルーンに進出した[3]

本国の支出により、港町のドゥアラに向けて2本の鉄道が引かれた。 北線はマネングバ山英語版までの160kmを、南線はニョング川英語版マカク英語版までの300kmを結んだ[4]。 郵便や電信、河川交通が発達し、沿岸部と内陸部を結んだ。

1911年第二次モロッコ事件の後に結ばれたフェス条約によって、ドイツは新カメルーンを獲得し、これを保護領に併合した。

1914年第一次世界大戦が勃発した、フランスベルギーイギリスカメルーン戦線英語版によってドイツ保護領カメルーンを征服した。

1916年、北部のモラ包囲戦英語版が終結し、ドイツは完全に駆逐された。

1919年ヴェルサイユ条約が結ばれ、この地域はイギリスとフランスが分断して委任統治を行った。

1961年フランス領カメルーンイギリス領カメルーンが統合し、現在のカメルーン共和国になった。

写真

関連項目

脚注

  1. ^ Washausen, Hamburg und die Kolonialpolitik, p. 68
  2. ^ Washausen, p. 116
  3. ^ By 1911 the total volume of trade reached over 50 million gold marks [Haupt, p. 64].
  4. ^ This line was later extended to the current Cameroon capital of Yaoundé.

参考資料




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