ドイツの侵略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 23:17 UTC 版)
「ドイツ領トーゴラント」の記事における「ドイツの侵略」の解説
1884年、アフリカ分割の末期にドイツ帝国が侵略した。2月、ドイツ軍がアネホ町の首長を誘拐し、保護条約締結を強制した。ロメ地方ではドイツ保護領カメルーンと同様にグスタフ・ナハティガルが侵略を主導した。7月5日、ナハティガルは現地のムラパ3世と保護条約を結び、ベニン湾の奴隷海岸に領土を獲得した。 1888年、行政府は25人のハウサ人から成る歩兵隊(Polizeitruppe)を組織し、内陸部の侵略に用いた。 1890年、ドイツ人役人の人口は12人だった。 社会基盤はアフリカの最高水準に達した。内陸の山脈に向かって道路や橋が建設された。 1894年、Polizeitruppeは144人に拡大し、クパンドゥ(英語版)等の「トーゴ中央の抵抗都市」は完全に破壊された。住民の財産は没収され、200~1110金マルク/人の罰金が科された。 1895年、首都ロメの人口はドイツ人31人と先住民2084人だった。 1899年、ドイツはイギリス帝国からトーゴ中立地域(イェンディ(英語版)とヴォルタ・トライアングルを獲得し、ドイツ領サモアと北ソロモン諸島(英語版)、トンガを割譲した。 行政府はカカオや珈琲、綿の栽培を導入した。 1905年、ロメとアネホを結ぶ鉄道が開通した。 1907年、ロメとパリメを結ぶ鉄道が開通した。 1910年、建設された道路が1000kmを超えた。 1911年、ロメとアタクパメを結ぶ鉄道(後背地線)が開通した。 1913年までに、ロメの人口はドイツ人194人(内女性が33人)と先住民7042人に増加した。トーゴラント全体ではドイツ人は316人で、その内女性が61人、子供が14人だった。第一次世界大戦直前には、ロメは「西アフリカで最も美しい都市」になった。
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