ドイツの公爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 03:49 UTC 版)
ドイツの称号で「公爵」と訳されるのはヘルツォーク(Herzog)である。これは初期の10世紀頃には君主に相当する最高位の貴族部族大公(Stammesherzog)のことだった。この時期のヘルツォークは「大公」と訳されるのが一般的である。次のものがある。 ザクセン公(大公) フランケン公(大公) バイエルン公(大公) シュヴァーベン公(大公) ロレーヌ公(大公) 13世紀に現れた選帝侯7人の中で公の称号を持つのはザクセン公のみだった。三十年戦争後にはバイエルン公もプファルツの選帝侯位が与えられる形で選帝侯に加わった。 ナポレオン戦争後、陪臣化などで諸侯の数が減らされ、ナポレオン失脚後のウィーン体制下でもその状態が維持され、ドイツ連邦には公爵が治める公国が以下の10個あった。 ブラウンシュヴァイク公 ホルシュタイン公 ナッサウ公 ザクセン=アルテンブルク公 ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公 ザクセン=コーブルク=ゴータ公 ザクセン=マイニンゲン公 アンハルト=デッサウ公(ドイツ語版) アンハルト=ケーテン公(ドイツ語版) アンハルト=ベルンブルク公 ナッサウ公国とホルシュタイン公国は普墺戦争後プロイセンに併合されて消滅し、ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公はエルネスティン諸公国再編の中で消滅し、アンハルト諸国はアンハルト公国として統合されたのでドイツ帝国加盟国として残った公国の公爵位はブラウンシュヴァイク公、ザクセン=アルテンブルク公、ザクセン=コーブルク=ゴータ公、ザクセン=マイニンゲン公、アンハルト公の5個だった。これ以外に統治領域がなくなっていた公爵としてロイヒテンベルク公、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公、ラチブシュ公、ウラッハ公などがある。 ドイツ革命後、ヴァイマル共和政になると貴族は法的根拠を失ったが、爵位を姓名の一部として私的に用いることは認められた。
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