ドイツの南極探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 15:16 UTC 版)
「ノイシュヴァーベンラント」の記事における「ドイツの南極探検」の解説
ヨーロッパの他国同様、ドイツ帝国も19世紀末から20世紀初頭にかけて科学調査目的での探検隊を南極圏に送っている。19世紀末の探検隊は南極海、サウスジョージア諸島、ケルゲレン諸島、クローゼー諸島へ、天文学・気象学・水文学の研究目的で派遣されており、他国の科学者たちや調査隊とも密接に協力し合っていた。19世紀が終わるころ、ドイツの調査隊は南極大陸に目を向け始めた。 最初のドイツ南極探検隊は、1901年から1903年にかけて行われたガウス号探検隊であった。北極探検のベテランで地質学者のエーリヒ・フォン・ドリガルスキーが率いており、南極で初めて熱気球を利用して空撮を行った。このときに到達した土地を、ドリガルスキーは探検に出資したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世にちなんでカイザー・ヴィルヘルム2世ラント(de:Kaiser-Wilhelm-II.-Land)と名付けている。 2回目のドイツ南極探検隊はヴィルヘルム・フィルヒナーが1911年から1912年にかけて行ったもので、南極が果たして一つの大陸なのか、複数の島の集まりなのかどうかを確認するため、南極横断を行うことを目的としていた。しかし、それまでの南極探検同様、この探検も最初の時点で失敗に終わった。探検隊は船上からルイトポルド・コーストおよびフィルヒナー棚氷を発見したものの、棚氷に設置した基地を氷の崩壊で失い、その後は流氷に船を閉じ込められて南極大陸に上陸することすらできずに帰還した。 1937年には大規模な捕鯨船団がドイツを発ち南極に向かい、1938年初頭に成功裏に帰還した。この成功により、北極探検の経歴やルフトハンザへの勤務経験をもつドイツ海軍のアルフレート・リッチャー(ドイツ語版)(1879年 - 1963年)が率いる、3回目のドイツ南極探検隊が計画された。
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