ドイツと南極
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 15:16 UTC 版)
「ノイシュヴァーベンラント」の記事における「ドイツと南極」の解説
ドイツは、結局ノイシュヴァーベンラントに対して公式な領有宣言は行わなかった。港湾も捕鯨基地も調査基地も作られることはなかった。ドイツがこの地に恒久基地を置いたのは、戦後の1981年になってゲオルク・フォン・ノイマイヤー(Georg von Neumayer)基地を設置したときが最初であり、現在はノイマイヤー3基地がこの地域に置かれている。 しかし戦後になってドイツの南極探検が明らかになったこと、ドイツ降伏直後の1945年夏にUボートが2隻、ドイツ本土から離れたアルゼンチンに到着し投降したことなどが憶測を呼んだ。また1946年から1947年にかけてアメリカ軍が南極大陸でハイジャンプ作戦と呼ばれる軍事演習を行ったこと、「1958年にドロンニング・モード・ランドでアメリカが核実験を行った」との説が流れたことから、「ドイツが南極に極秘のうちに基地を築いた」「Uボートはナチス幹部や財宝を南極基地に護送するために用いられた」「ハイジャンプ作戦はアメリカ軍によるドイツ秘密基地への侵攻」「核実験は全ての証拠を吹き飛ばすために行われたもの」「今でもナチス残党は南極に潜んでいる」などといった陰謀論や、ドイツのUFO開発や地球空洞説につながる荒唐無稽な説をも生み出すことになった。 米国政府はハイジャンプ作戦は南極観測であると同時に冷戦に備えた米軍の極地軍事演習という公式見解を貫いており、1958年に南半球で行なわれた核実験・アーガス作戦は南極大陸からはるか遠く離れた南大西洋上で行われている。
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