ドイツにおけるラタインシューレ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 01:26 UTC 版)
「ラテン語学校」の記事における「ドイツにおけるラタインシューレ」の解説
ドイツでは中世からラテン語学校を意味するラタインシューレ(ドイツ語: Lateinschule)という名で呼ばれる学校があり、小規模だった私設学校(Winkelschule)ないしドイツ語学校(deutsche Schule:ラテン語学校に対してドイツ語で教育を施すことを踏まえた名称)とは異なり、そこに学んでラテン語を身につけた生徒は、聖職に進んだり、さらに学ぶために大学へ進学した。ラテン語学校は、司教座聖堂(大聖堂)や、都市部の教区教会に付設されることがよくあった。宗教改革を経て教会財産の世俗化(Säkularisierung)が行われたところでは、ラタインシューレが、領邦君主の庇護の下でフュルステンシューレ(Fürstenschule:「君主立学校」の意)や、市立学校に転換した例もある。かつてのラタインシューレは、今日では「ゲレールテンシューレ 」(「学者学校」の意)、「ギムナジウム」、「リゼウム (Lyzeum)」(フランス語の「リセ」と同根の語)などの名称で呼ばれている。 ラタインシューレは、19世紀中に、人文主義ギムナジウム(humanistisches Gymnasium)に転換し、現在のいわゆる古典語ギムナジウム(altsprachlicher Gymnasien)の前身となった。 ブルクの旧ラテン語学校 アールフェルトの旧ラテン語学校 ヴァイセンブルクの旧ラテン語学校
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