ドイツとフランス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:30 UTC 版)
東フランク王国では、ザクセン人ハインリヒ1世の即位を通じてザクセン人が国制の中枢に入り込むと共に、東フランク王国の領域を比較的安定的に統治することに成功した。この王国の基本的な枠組みは、その後数世紀にわたり存続しその住民は徐々に共通の単一国家への帰属意識を醸成していった。そして彼らは最終的にフランク人、ザクセン人、バイエルン人、シュヴァーベン人などの要素を包括してドイツ人と他称され、更には自称するようになり、近代のドイツ人の形成へと繋がっていく。 一方の西フランク王国では、その後もフランクの名がそのまま継承された。西フランク王国の領域にある国家の現代の国名:フランス(France)は、フランクの発音が変化したものである。カペー朝以降の王家は「フランス人の王(rex Francorum)」を称号とした。この語はそのまま「フランク人の王」と訳すことも可能であり、どの時点において「フランク」が「フランス」になったと見做せるのかは必ずしも明瞭ではない。
※この「ドイツとフランス」の解説は、「フランク人」の解説の一部です。
「ドイツとフランス」を含む「フランク人」の記事については、「フランク人」の概要を参照ください。
- ドイツとフランスのページへのリンク