開廷まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:09 UTC 版)
「アルベルト・シュペーア」の記事における「開廷まで」の解説
ニュルンベルク裁判でシュペーアは全ての訴因(第一訴因「侵略戦争の共同謀議」、第二訴因「平和に対する罪」、第三訴因「戦争犯罪」、第四訴因「人道に対する罪」)において起訴された。刑務所付心理分析官グスタフ・ギルバート博士から起訴状の感想を求められるとシュペーアは「裁判は必要である。独裁国家の官僚制度のもとでも、このような恐るべき犯罪に対して共通の責任がある」と述べた。 シュペーアは死刑を回避するには、ドイツの侵略・残虐行為や自分の責任を認めて懺悔し、それによってソ連を除く西側連合国の共感を得る必要があると考えていた。ギルバートもシュペーアの懺悔の態度に好感を持ち、「シュペーアは裁判が始まる前からナチ党政権を支持した罪を認めており、彼の『私はこの裁判で自分の命を救おうとは思っていない』という言葉は本心から出たもののようである」と書いている。この立場は検察側に頑強に抵抗したヘルマン・ゲーリングと対極的であったため、彼は注目を集める被告となった。 また、シュペーアは逮捕された後、アメリカ戦略爆撃チームに貴重な情報を進んで提供した。シュペーアは、アメリカは公然とは認めないが、その情報を日本への空襲に役立てていると確信していた。そのため開廷間近の1945年11月17日には「私は適切な関係者にだけ明かすべき、軍事技術に関するある情報を持っております。ドイツ軍との空中戦で米軍の犯した過ち、二度と繰り返すべきではない過ちを知っているのは私だけです。いかなる産業であれ永久に操業できなくさせる方法も私は知っています。私をソ連の手に渡すべきではありません。私の知識は米国側に留めるべきです。私が死刑になった場合には、その知識が全て消滅してしまう事になります」という手紙をアメリカ主席検事ロバート・ジャクソンに宛てて書いている。
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