開廠、発展とは? わかりやすく解説

開廠、発展

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 09:21 UTC 版)

豊川海軍工廠」の記事における「開廠、発展」の解説

1939年昭和14年12月15日に、当時宝飯郡豊川町牛久保町八幡村の2町1にまたがる594,400坪(約200ヘクタール)の地に5番目の海軍工廠として開廠する。開廠当初機銃部、火工部と総務部会計部からなり従業員約1,500であった1940年昭和15年)から南東側土地買収敷地を更に拡張した太平洋戦争では航空機戦闘主役一つとなり、航空機用機銃対空機銃需要高まり工廠急速に発展した1945年昭和20年2月時点での従業員職員400名、工員10,000名、徴用工員40,000名、動員学徒6,000名、計56,400名となり東洋一規模となった。また工廠周辺には電気ガスの供給設備男女工員寄宿舎それぞれ10所以設置するなど、それらを含めると広さ330ヘクタールにも及んだ 工廠では主に機銃弾丸信管製造行い工廠南部2/5機械工場が建てられ北部3/5火薬類扱い火工作業場とされた。1944年昭和19年)度の生産実績機銃が25mm17,602、13mm1,000航空機用30mm510、20mm8,500、13mm8,250挺などとなっている。また機銃弾薬生産量1945年昭和20年4月頃で月産450となっていた。 道路については愛知県道5号姫街道本坂通))が拡張され豊橋市抜け愛知県道400号築造された。また鉄道工廠への引き込み線豊川鉄道西豊川支線、1943年昭和18年)に鉄道省買収)が1942年昭和17年5月12日に、西豊川駅開業して10月1日推定)より工員輸送列車の運転を開始した。また工廠への通勤のために名古屋鉄道1945年昭和20年1月27日(『鉄道要覧』によると2月18日)に国府駅 - 市役所駅(現諏訪町駅)間の軌道路線開通させた。正門前に自転車置き場用意されていた。この工廠発展により1943年6月1日国府町含めた3町1合併して豊川市成立する契機となった

※この「開廠、発展」の解説は、「豊川海軍工廠」の解説の一部です。
「開廠、発展」を含む「豊川海軍工廠」の記事については、「豊川海軍工廠」の概要を参照ください。

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