開庫以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/20 06:42 UTC 版)
伊勢神宮における書庫の歴史は古く、皇太神宮(伊勢神宮内宮)には文殿(ぶんでん)が奈良時代(西教暦8世紀。下皆效此)から存し、外宮には鎌倉時代(13世紀)以前から神庫(しんこ)があって、共に内外両宮に関する図書記録文書の類を収蔵していたほか、鎌倉時代末から南北朝時代(14世紀)にかけて活躍した内宮禰宜の荒木田経延が宇治の岡田村(現伊勢市宇治今在家町一帯)に在した宿所に岡田文庫を構えていたが、室町時代には神宮の勢力も衰微し、殊に文明・延徳年間(15世紀末)に起きた宇治会合(内宮の神役人(下級祠官及び師職)を中心とした地縁的自治組織)と山田三方(外宮神役人を中心とする同様の組織)との闘争、いわゆる宇治山田合戦によって両宮共に兵火に罹るとその蔵書も焼失ないし散逸し、一に古記録悉滅という状態にまで至ったと伝えられ、江戸時代初め(17世紀初)には「古代よりの神書旧記は他国に分散し、或は古家に朽損」する有様で神宮祠官といえども学問に勉める者もなかったという。
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