軍備拡張競争
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軍備拡張競争(ぐんびかくちょうきょうそう)、略称:軍拡競争(ぐんかくきょうそう)とは、各国家が自国の軍備(軍隊)を拡張し、他国よりも軍事面で優位に立とうとする争いのことを指す。軍備の拡張には兵員の増強、軍事技術の開発、装備の更新などが含まれる。
概要
アメリカの天文学者であり作家のカール・セーガンはかつて軍拡競争を「二人の男が腰の高さまでガソリンにつかり、一人が3本のマッチを持ち、もう一人が5本のマッチをもっている」状態に例えた。軍拡競争に絶対的なゴールはなく、あるとすれば他国よりも優位を保っているという相対的なものでしかない。
歴史
古来、国家は他国家に対して軍事的優位性を得ようと軍備の拡張に努めてきたが、軍拡競争の最たる例は西側諸国の盟主であるアメリカ合衆国と東側諸国の盟主であったソビエト連邦の超大国同士が鎬を削った冷戦期の核開発競争である。世界情勢に大きな影響力を持った米ソは、互いに相手を上回る核兵器の開発・改良に全力を注いだ。
第一次世界大戦

19世紀末から20世紀初頭のドイツ帝国では、宰相ビスマルクを更迭した皇帝ヴィルヘルム2世がそれまで親善関係にあったイギリスの3C政策に対抗する形でいわゆる3B政策を推進。積極的な海外進出を目的として海軍増強をはじめとする軍拡を企てたが、この動きは英・仏・露に事実上のドイツ包囲網である三国協商を形成させることとなり、結果として第一次世界大戦へとつながった。
冷戦
ソ連は独ソ戦の勝利で得た弾道ミサイル技術と、計画経済体制で得た資金を軍拡競争につぎ込み(実にGNPの13-18%が軍事費であった)、西側陣営に対して大きな脅威となる大陸間弾道ミサイル「R-36(SS-18サタン)」を1970年代後半に開発し、1980年に実戦配備した。これに対抗する形でアメリカは1983年、ロナルド・レーガン大統領がスターウォーズ計画を提唱。西側に比べ経済基盤が弱かったにもかかわらず軍拡の道を進んだソ連経済は疲弊し、結局、ソビエト連邦の崩壊の一因となった。 しかし米国も無事ではなく研究予算を軍事に割り当て続けた結果、相対的に民間企業の研究者が不足し軍事負担の少ない日本の家電メーカーの大躍進を許すこととなった。
ポスト冷戦
21世紀に入った現在、極東アジア地域においては軍備拡張の動きが盛んである。この地域は台湾問題及び朝鮮統一問題が焦点となっており、北朝鮮の核開発問題や海洋権益の争いが絡んで外交上の緊張関係を複雑化させている。さらに中国の急激な軍事力強化とロシアの復活により軍拡競争が広がっており、日本・台湾・韓国がそれぞれ大規模な軍備増強を実施し、世界的にみても有数の軍拡競争地域となっている。
関連項目
軍備拡張競争
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「英独建艦競争(英語版)」も参照 普仏戦争後の1871年にドイツ統一が成し遂げられ、ドイツ帝国が成立すると、ドイツの政治と経済力が大きく成長した。1890年代中期以降、ヴィルヘルム2世率いるドイツ政府はそれを基盤として莫大な資源を投入、アルフレート・フォン・ティルピッツ提督率いるドイツ帝国海軍を設立して、海軍の優越をめぐってイギリス海軍と競争した。その結果、両国は主力艦の建造でお互いを追い越そうとした。1906年にイギリスのドレッドノートが竣工、イギリス海軍の優勢を拡大させた。英独間の軍備拡張競争は全ヨーロッパを巻き込み、列強の全員が自国の工業基盤を軍備拡張に投入し、汎ヨーロッパ戦争に必要な装備と武器を準備した。1908年から1913年まで、ヨーロッパ列強の軍事支出は50%上昇した。
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「軍備拡張競争」の例文・使い方・用例・文例
- 超大国間の軍備拡張競争
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