ジョゼフ・ガリエニとは? わかりやすく解説

ジョゼフ・ガリエニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 04:21 UTC 版)

ジョゼフ・シモン・ガリエニ
Joseph Simon Gallieni
生誕 1849年4月24日
フランス共和国オート=ガロンヌ県
死没 (1916-05-27) 1916年5月27日(67歳没)
フランス共和国イヴリーヌ県 ヴェルサイユ
所属組織 フランス陸軍
軍歴 1868 - 1914
1914 - 1916
最終階級 師団将軍
指揮 陸軍大臣
パリ軍事総督
第14軍団長
戦闘 普仏戦争
第一次世界大戦
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ジョゼフ・シモン・ガリエニJoseph Simon Gallieni, 1849年4月24日 - 1916年5月27日)は、フランス軍人第一次世界大戦の直前に退役したが、大戦勃発に伴い復帰、1915年に陸軍大臣を務めた。フランスの南西部に位置するオート=ガロンヌ県の出身。

経歴

1849年4月24日、フランスの南西部に位置するオート=ガロンヌ県サン=ベア英語版で生まれた[1]。1870年7月にサン・シール陸軍士官学校を卒業し、少尉としてフランス海兵隊英語版に配属された[1]。ちょうど普仏戦争が勃発しており、ガリエニは参戦した[1]。 戦後、1873年に中尉、1878年に大尉に昇進し、1877年から1881年にかけてニジェール川上流への遠征に参加し、フランスの植民地拡大に貢献した[1]。1881年3月にはセグーを統治するアフマドゥ・タール英語版と条約を締結し、ニジェール川上流におけるフランスの貿易独占権を獲得した[1]。これによりパリ地理学会から金メダルを贈られた[1]。ガリエニは1885年にこの遠征に関する著作『Mission d’exploration du Haut-Niger, 1879–1881』を出版した[1]

1883年から1886年までマルティニークに駐留し、1886年6月24日に中佐に昇進、同年12月20日にオート=セネガル植民地総督に任命された[1]。総督として1887年にアフマドゥ・タールを攻撃して勝利し、サモリ・トゥーレとも条約を締結してニジェール川左岸を放棄させた[1]。1888年、レジオンドヌール勲章オフィサーを受章した[1]。ガリエニは1891年にこれらの戦役に関する著作『Deux Campagnes au Sudan français』を出版し、同年には大佐に昇進した[1]

1893年から1895年までフランス領インドシナトンキンに駐留し、このときの経歴について1899年に『Trois Colonnes au Tonkin』を出版した[1]。1896年にフランス領マダガスカルが成立すると総督を務め、現地住民の反乱を鎮圧した[1]。ガリエニは反乱を扇動したとして、1896年10月にメリナ王国王族のRatsimamangaと内相Rabezandrina Rainandriamampandryを処刑し、1897年にはラナヴァルナ3世英語版女王を亡命に追い込んだ[1]。一方でフランス以外のヨーロッパ人には寛容な政策を採った[1]。1899年にマダガスカル情勢について『Rapport d’ensemble sur la situation générale de Madagascar』を出版、1905年にマダガスカル総督を辞任した後は1908年に自身のマダガスカル統治を総括する『Neuf Ans à Madagascar』を出版した[1]

1906年にリヨン軍事総督および第14軍団フランス語版長に任命された[1]。1911年にフランス陸軍総司令官に任命されたが、老齢と健康の悪化を理由に辞退してジョゼフ・ジョフルを推した[2]。戦争最高会議には入ったが、1914年4月にその座をシャルル・ランレザック英語版に譲って引退した[3]

しかし直後に第一次世界大戦が勃発すると、8月にパリ軍事総督として復帰、9月のベルギーを突破したドイツ軍がパリに迫ると現役に復帰し、9月のマルヌ会戦マルヌ川を渡ろうとするドイツ軍に反撃した[2]。1915年10月には陸軍大臣に就任したが、翌1916年3月に病状が悪化したため辞任・退役し[2]、同年5月27日にヴェルサイユで死去した[4]。死後の1921年、フランス元帥号が贈られた[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Chisholm, Hugh, ed. (1911). “Gallieni, Joseph Simon” . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 11 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 418–419.
  2. ^ a b c “Joseph-Simon Gallieni”. Encyclopaedia Britannica (英語). 2025年6月26日閲覧.
  3. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1922). “Lanrezac, Charles Louis” . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 31 (12th ed.). London & New York: The Encyclopædia Britannica Company. p. 726.
  4. ^ a b ガリエニ」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』https://kotobank.jp/word/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%8Bコトバンクより2025年6月26日閲覧 

外部リンク

公職
先代
アレクサンドル・ミルラン
フランス陸軍大臣
1915年 – 1916年
次代
ピエール・ロック英語版




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