第一次世界大戦とは?

だい いちじ せかいたいせん 【第一次世界大戦】

三国同盟独・墺・伊)と三国協商英・仏・露)との間の帝国主義対立民族的対立などを背景として,ヨーロッパ中心に起こった最初世界戦争1914年6月サラエボ事件発端となり,ドイツ・オーストリア・トルコ・ブルガリアなどの同盟国と,イギリス・フランス・ロシア・日本アメリカおよび三国同盟破棄したイタリアなどの連合国とが対戦18年11月ドイツ降伏同盟国側が敗北し,翌年パリ講和会議ベルサイユ条約締結された。第一次大戦

【第一次世界大戦】(だいいちじせかいたいせん)

World War 1.
三国同盟(独・墺・伊)と三国協商(英・仏・露)を背景に起こった、人類史最初世界規模大戦争

ビスマルク外交と世界政策

1870年代ヨーロッパ列強資本の安全や市場資源確保のために帝国主義のもと、獲得した植民地政治的軍事的に支配するようになった

そして1880年代普仏戦争後にドイツ統一を果たした宰相ビスマルクは、屈辱的敗北を喫したフランスからの復讐恐れていた。
そこでフランス孤立させ、ロシア接近友好を結ぶことを外交としていた。
しかし、ロシア小麦国内に入ることに反対する地主層軍部からの不満が高まった。
またビスマルクは、社会政策皇帝ヴィルヘルム2世対立深め1890年総選挙敗北し、辞職した。
こうしてドイツ皇帝の下、資本主義の急速な発展背景に、「世界政策」の名の下に積極的な植民地市場拡大を進め、世界植民地支配を広げていたイギリス対抗し、海軍増強がはかられ(建艦競争)、ナショナリズム運動も強まった。
しかし、当時イギリス海軍世界最強で、ドイツイギリス対抗し得る海軍力備えられるまでの道のりあまりにも遠く、この建艦競争泥沼化することとなった。

「同盟」対「協商」

1882年ビスマルク外交の下、フランス孤立目的ヨーロッパ各国との同盟外交一環としてオーストリア・イタリアと「三国同盟」を締結した。
そして1900年以降の「世界政策」はアフリカ大植民地を得ること、バルカン半島中近東など南東ドイツ勢力拡大するという2つの方向性行われた。
後者はドイツ・オーストリア・バルカン半島同盟を結んで、経済的統一体を作ることを目指していた。
その象徴となったのがバグダード鉄道とそれによる「3B政策(3B=ベルリン(Berlin)・ビザンティウム(Byzantium)、現:イスタンブール・バグダード(Baghdad)。)」であった。
同時に3C政策(3C=カイロ(Cairo)・ケープタウン(Capetown)・カルカッタ(Calcutta)現:コルカタ)。」を展開していたイギリスドイツ対抗して、1904年フランスと「英仏協商」を結び、日露戦争後に変化したアジア情勢に対応し、1907年に「露仏協商」を結んだ。
そして1891年の「露仏同盟」と合わせてドイツ包囲する「三国協商」が成立した。
こうして起きた協商同盟との対立は、国際的緊張高めていった

バルカン半島

オスマン帝国中東からアジアヨーロッパにまたがる巨大国家だった。
しかし度重なるロシアとの戦争衰退し、1878年79年の「露土戦争」ではヨーロッパにおける領土半分以上を失うという大敗を喫した。

1908年オスマン立憲政治などの近代化目指す青年トルコ人革命」が起こると、革命直後混乱に乗じ、オーストリア=ハンガリー帝国皇帝直轄二重帝国共通大蔵省通じ施政権下にあったボスニアヘルツェゴビナの2州を併合
これにセルビアならびにモンテネグロ猛反発し、英露協商締結後にバルカン半島に再び目を転じたロシアオーストリアとの対立激化させた。
ロシアセルビア人などバルカンスラヴ系民族影響力拡大ようとするパン・スラヴ主義」を展開する一方オーストリア背後にあったドイツゲルマン民族影響力拡大しようと「パン・ゲルマン主義」を展開し、その動き強めた。

こうして1912年、ギリシャ・ブルガリア・モンテネグロ・セルビアのバルカン諸国オスマンとの間で「第1次バルカン戦争」が勃発
オスマン帝国敗北領土を失う一方勝利したバルカン諸国獲得した領土配分をめぐり分裂
ブルガリアは他のバルカン諸国との対立深め1913年に「第2次バルカン戦争」を引き起こした。
この戦争で、バルカン諸国全てを敵にまわしたブルガリア孤立無援になり、敗北
領土縮小されたブルガリアオスマンとともにドイツ・オーストリアに接近した。

こうして列強対立バルカンの諸民族対立絡み合いバルカン半島緊張一気に高まった。

戦争勃発

このバルカン半島緊張状態のなか、大事件発生した。
1914年6月オーストリア皇太子フェルディナンド皇太子夫妻南スラヴ統一目指すセルビア人青年によってサラエボ暗殺された。(サラエボ事件

1ヵ月後、皇太子暗殺されたオーストリアセルビアに対し宣戦布告、さらに同盟を結んでいたドイツ参戦、さらにセルビア助けてロシア・イギリス・フランスが連合してドイツに対し宣戦布告
そして日英同盟により、日本ドイツ宣戦布告した。

こうしてバルカン半島での紛争1914年11月、「第一次世界大戦」という世界規模大戦争へと発展した。

戦争緒戦

ドイツでは19世紀後期時点で、対ロシア・フランス侵攻作戦シュリー・フェン・プラン」が立案され、緒戦はその戦争計画踏襲して戦闘が行われた。

また戦争が始まると、参戦国は国内国家総動員令を発した。
徴兵制を採っていたドイツ成年男子ほぼ全員兵士として組織し、志願制とっていイギリスでも、さかんに国民に対して軍隊参加呼びかけが行われた。

当時ヨーロッパは、40年以上も戦争から遠ざかっており、当時若者には戦争記憶はもはやなかった。
戦争続いて半年クリスマスまでには終わる」という見通し兵士から指導者にいたるまで共有されていた。
また当時ナポレオン戦争以来大砲による砲撃の下、騎兵歩兵突撃して即座に決着をつけるという戦法定着しており、騎兵による突撃伝統的かつ栄誉ある戦法として最も大切にされていた。

しかし戦場登場したのは機関銃という意外な武器であった。
西部戦線ではイギリスビッカース社、フランスホッチキス社が作り上げ機関銃ドイツ騎兵苦しめた。

そして「マルヌ会戦」でドイツ英仏連合軍前進を阻まれ、「シュリー・フェン・プラン」で計画していた対フランス戦の早期終結は望めなくなり、長期化へ向かった。

一方ロシア対峙する東部戦線ではドイツポーランド併合し、必死巻き返しを図るロシアに対し、機関銃のため前進することができず、戦場はこう着状態が続いていた。

植民地の動員と社会の変化

戦争が長引くにつれ、さらに多く物資人員が必要になった。
イギリスなどの植民地帝国植民地からヨーロッパ動員開始した。
また、兵士効率よく戦場に送るため、イギリスフランスから二階建てバスタクシー動員され、フランス陸軍至ってルノー社製のタクシー600台を動員した。

戦場で消耗する多く軍需物資生産するため、各国軍需工場フル稼働し、労働時間長くするため夏時間制度が作られたのもこのときである。
また、運転士土木作業など、これまで男性仕事であった分野にも女性進出するようになり、さらに軍隊においても女性兵士登場するなど、女性社会進出が促された。

日本の参戦

ヨーロッパからはるか東方日本も、イギリスと結んでいた「日英同盟」により連合国側として参戦した。

1914年9月2日日本陸軍イギリス軍連合してドイツ権益地の山東省青島(チンタオ)に上陸
一方10月日本海軍南洋諸島ドイツ要塞次々攻略ていった

また、地中海におけるドイツ海軍通商破壊戦に対応するため「第二特務艦隊」が編成されて送り込まれた。

塹壕戦

開戦からわずか1ヶ月戦場で戦法大きく変わった
西部戦線ではマルヌ会戦のあと、独仏両軍機関銃から砲弾から身を守って敵に近づくため、フランス北東部塹壕構築し、突撃戦から持久戦移行した。
両軍は敵の塹壕の裏に回ろうとして新たな塹壕を掘り、その塹壕の裏をかくためにまた新たな塹壕を掘り…、という事繰り返し挙句、2ヵ月後にはフランス・スイス国境から北海にまで達す長大塹壕線ができることになった。

また雨が降ると、塹壕泥まみれになり、長期戦でその冷たい泥水に浸かっていた足が一種凍傷水虫になる「塹壕足」という新たな症状兵士の間で蔓延した。

1915年

当初クリスマスまでには終わる」と思われていた戦争は、解決糸口を見出せないまま2年目迎えた。
そんな最中西部戦線では4月22日毒ガスドイツ軍によって初め実戦使用された。
この時、ドイツ軍120tの塩素ガス使用し、5000人の死傷者出した。
この毒ガス兵器開発運用に携わった科学者中には、後に原子爆弾開発携わることになった者もいた。

また、ドイツ軍毒ガス兵器使用前の2月イギリス向け商船に対してUボートによる「無制限潜水艦作戦」を開始した。
この作戦途上5月7日イギリス豪華客船ルシタニア」がUボートによって撃沈された。
これにより乗客乗員1,198名が死亡したが、この中に128名ものアメリカ人観光客が含まれていたことで、当時孤立主義」で中立立場とっていアメリカ世論は反ドイツ傾き1917年アメリカ参戦のひとつの伏線となった。
この事件第一次潜水艦作戦はわずか半年中止された。

5月23日イタリアオーストリア宣戦布告した。
当時イタリア三国同盟によって名目上はドイツ・オーストリアと同盟を結んでいたが、いわゆる未回収のイタリア」でオーストリア領土問題抱え、仏伊通条約局外中立宣言していた。
しかしイギリス・フランスの働きかけ大戦終結後の「未回収のイタリア返還約束した「ロンドン密約」に調印し、三国同盟離脱
連合国としてオーストリア宣戦布告した。

5月31日ドイツ飛行船ツェッペリン」がロンドン戦略爆撃を行った。

1916年

2月21日ドイツ軍戦況打開のために目標首都パリに続く街道にあるヴェルダン定めた。(ヴェルダンの戦い
ドイツ軍ヴェルダンフランス軍大量損害与えて、フランス戦争継続できなくなるよう企図した。
ここには環状分派という形式要塞があり、その要塞中核となる都市や町の周囲多数堡塁をめぐらせていた。

ドイツ軍火炎放射器やジホスゲンガスを用いて順調に作戦を進めたが、次第消耗戦に転じ、両軍ともに師団クラス大部隊を泥沼式に投入したため多大損害出した。
また、ブルシーロフソンムでの攻勢が始まると、ドイツ軍はそちらに戦力を回さなければならなくなったため、7月16日ドイツ軍攻撃中止し、フィリップ・ペタン率いるフランス軍ヴェルダン死守成功した。

ヴェルダン要塞攻防のさなかの7月1日、フランス・ソンム河畔戦線会戦が展開された。(ソンムの戦い
かつての攻勢計画フランス軍主体だったが、ヴェルダン要塞攻防莫大人的損失出したため、イギリス軍主導権を握る形で戦闘開始された。
結果、イギリス・フランス・ドイツ各軍合せて100万人以上の多大損失出し膠着状態になったが、ドイツ軍ヴェルダン攻略頓挫させることに成功し、イギリス軍はこの戦闘において初め戦車マークⅠ)を投入した。


海で主力艦同士決戦がおきた。
1916年5月デンマークユトランド沖でイギリス本国艦隊ドイツ大洋艦隊交戦。(ユトランド沖海戦
結果ドイツ戦術勝利イギリス戦略的勝利に終わったが、イギリス制海権揺るがず、ドイツ巻き返しを図るべく無差別潜水艦戦を再び決意
1917年2月ドイツ英仏周辺および地中海全域対象全船標的無警告攻撃無制限潜水艦作戦実施宣言した。

ロシア革命

東部戦線では、3年もの間一進一退続いていたが、ロシア異変が起きる。

ロシア当時工業生産力が低く、開戦後わずかな期間で武器弾薬備蓄が底をつきはじめたが、3年目になると兵士戦線放棄するほど事態深刻化
国家経済破綻し、国民の間で不満が高まった。
またドイツウラジーミル・レーニンなどの革命家帰国手伝ったために、ロシア革命が起きた。
1917年2月23日ペトログラード(現:サンクトペテルブルク)で労働者暴動が起き、この暴動兵士合流
各地評議会ソビエト)が作られ、全国波及
結果皇帝ニコライ2世退位し、ロマノフ王朝滅亡
帝政崩壊後は自由主義者ブルジョワ)とメンシェヴィキ社会革命党中心の「ソビエト」によって構成された「ロシア臨時政府」がつくられた。(ロシア二月革命

やがて社会革命党アレクサンドル・ケレンスキー臨時政府首相就任し、立憲政治戦争継続主張
しかし労働者農民の不満は強く次第ボリシェヴィキ勢力増大する。
ボリシェヴィキ指導者レーニンロシア帰国し、「すべての権力ソビエトへ」と主張したいわゆる四月テーゼ」を発表した。

ボリシェヴィキかねがね暴力革命唱えており、10月24日影響下にあったペトログラードソビエト軍事革命委員会を作らせ、その下にボリシェヴィキ軍隊赤衛隊を作った。
そしてペトログラード臨時政府施設占拠開始し、25日に臨時政府打倒宣言発表
26日には政府中枢の冬宮制圧され、臨時政府メンバー逮捕された。(ロシア十月革命
結果国権はすべてボリシェヴィキ集中し、1918年1月世界史上初の社会主義国家であるプロレタリア独裁ソビエト政府成立させた。
革命波及恐れアメリカ日本イギリスフランス革命干渉し、シベリア出兵
一方でソビエトは赤衛隊を基に労農赤軍設立し、これに対抗した。

このような反革命包囲網の中、ソビエトレフ・トロツキー中心にドイツ和平交渉入り1918年3月に「ブレスト=リトフスク条約」を締結
ドイツ単独講和したロシア・ソビエト政府は、早々に戦争から離脱した。

最後の戦い

ロシア革命東部戦線自然に消滅し、負担軽くなったドイツ軍勢力一気西部戦線へ注ぐ。
しかし、ユトランド沖海戦後の「無制限潜水艦作戦」によって、1917年4月アメリカ参戦を招いた。
1918年3月ドイツ軍ソンム大攻勢をかけ、一時パリに迫る勢いだったが、7月指揮系統再編した英仏連合軍総兵210アメリカ軍登場で、ドイツ軍西部戦線において一気劣勢になった。

戦争終結

1918年11月ドイツではキール軍港水兵反乱に端を発し、革命運動が広がった。
いわゆるドイツ革命である。
これによって皇帝ウィルヘルム2世退位し、ドイツ帝国消滅
11月9日新たにヴァイマル共和国」が成立した。

また、同盟国先にブルガリア1918年9月29日連合国との休戦協定署名し、トルコ10月30日降伏
オーストリアハンガリーは秋の帝国崩壊時点ですでに別々の休戦協定署名した。
そして11月11日パリ郊外コンピエーニュの森に置かれた「2419D食堂車車内で、ドイツ連合国との休戦協定署名し、同日中に軍事行動停止された。

講和

1919年1月18日パリ講和会議が開かれ、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン提案したいわゆる十四か条の平和原則」が講和原則とされたが、結局英仏などの戦勝国利害優先された。

ドイツではウィルヘルム2世オランダに亡命し、皇帝一家はじめとする王侯貴族追放された。

そして、パリ・ヴェルサイユ宮殿においてヴェルサイユ条約調印された。
この講和条約ドイツ軍備制限された上にドイツ歳入25倍にあたる多額賠償金要求された。
また海外植民地のほか、アルザスロレーヌなどの多く領土を失った。

こうしてつくられた戦後国際秩序を「ヴェルサイユ体制」とよぶ。

戦争がもたらしたもの

この戦争ヨーロッパにおける君主制消滅をもたらし、かつての世界秩序破壊された。
またロシア革命きっかけとなり、20世紀社会主義世界を座巻する契機となった。
また兵器として戦車飛行機機関銃そして毒ガスなどが使われ、20世紀戦争システムが作られた。

一方で、これらによって引き起こされた凄惨な人的物的被害から、「戦争そのものを『非合法化』することで抑止しよう」という思想芽生え、「国際連盟」や「不戦条約」といった、国際協調によって戦争抑止する活動戦後に起こることになった。

しかしこの国際和へ努力むなしく大戦原因と結果をめぐる多く戦後処理の失敗世界恐慌による経済危機で、共産主義勢力を得、これに対抗しナチズム・ファシズムが台頭することになり、第二次世界大戦につながっていく。


第一次世界大戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/28 05:54 UTC 版)

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、: World War I)は、1914年大正3年)から1918年(大正7年)にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。ヨーロッパが主戦場となったが、参戦した先進国家群が帝国主義時代において世界中に植民地を持つ状況において、本国だけでなく植民地も戦場となる状況下、戦闘はアフリカ中東東アジア太平洋大西洋インド洋にもおよび世界の多数の国が参戦した。海底ケーブルの覇権を握るイギリスは、切断・停止・検閲の合戦において各国を圧倒した。無線でもイギリスが優位であった[注釈 1]




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脚注

  1. ^ ロシア帝国の旗 ロシア帝国は1917年3月12日に帝政崩壊、ボリシェヴィキ政府が12月15日に休戦、1918年2月9日にブレスト=リトフスク条約によって講和したが、ヴェルサイユ条約によってこの講和は無効とされた。ボリシェヴィキ政府の承認問題も絡んでロシアの扱いは保留のままとされていたが、独露間では1922年のラパッロ条約によって相互の請求権放棄が行われ、外交関係が復活した。
  2. ^ Evans, David. Teach yourself, the First World War, Hodder Arnold, 2004, p.188
  3. ^ 山室信一『複合戦争と総力戦の断層』―日本にとっての第一次世界大戦 (レクチャー第一次世界大戦を考える)p.17、人文書院、2011
  4. ^ タックマン『八月の砲声』
  5. ^ 北欧の外交、p27 - p35。少数のスウェーデン士官のフィンランド白軍への参加を黙認している。
  6. ^ 北欧史、p310 -p313。大戦中、様々な妨害を受けつつも、中立は維持された。1917年にもクリスチャニアで再び中立の維持を確認した。
  7. ^ NHKスペシャル「映像の世紀第2集『大量殺戮の完成』」の中からツヴァイク著「昨日の世界」より
  8. ^ 樺山紘一・木村靖二・窪添慶文・湯川武(編集委員)「クロニック世界全史」P.935 1914年7月28日「オーストリアがセルビアに宣戦布告 第1次世界大戦勃発,人類初の総力戦に」(講談社、1994年 ISBN 4-06-206891-5
  9. ^ 瀬戸利春『歴史群像No.77 カイザーシュラハト』pp.66-68。ドイツがロシアとの早期講和をしなかったため訓練中だったアメリカ軍の実戦投入を許し、また広大な占領地に28個師団(約100万)を駐屯させる羽目になったために西部戦線への転出兵力が少なくなったと述べている。
  10. ^ Clifford Kinvig, "Churchill's Crusade: The British Invasion of Russia, 1918-1920", Hambledon Continuum (2007)
  11. ^ http://www.bbc.co.uk/news/world-12785695
  12. ^ John Smith, "GONE TO RUSSIA TO FIGHT: The RAF in South Russia 1918 to 1920", Amberley (2010)
  13. ^ Hopkirk, Peter (1990): The Spy Who Disappeared, Victor Gollancz
  14. ^ Hopkirk, Peter (1994): On Secret Service East of Constantinople, Oxford University Press
  15. ^ George Frost Kennan, "Russia Leaves the War: Soviet-American Relations, 1917-1920, Vol. I", Princeton University Press (1989)
  16. ^ George Frost Kennan, "The Decision to Intervene: Soviet-American Relations 1917-1920, Vol. 2", Princeton University Press (1989)
  17. ^ William S. Graves, "America's Siberian Adventure", 1931.
  18. ^ Peter Hopkirk, 「東方に火をつけろ(Setting the East Ablaze: Lenin's Dream of an Empire in Asia)」, 1984
  19. ^ イーゴリ・アレクサンドロヴチ・ラティシェフ, ロシア金塊の行方―シベリヤ出兵と銀行 いかにして日本はロシアの金塊を横領したか, 新読書社(1997)
  20. ^ 村上 隆, "北樺太石油コンセッション 1925‐1944", ISBN 4-832-96471-2
  21. ^ 牧野雅彦 2009, pp. 43.
  22. ^ 第一次世界大戦:不発弾1億発、処理に700年…フランス”. 毎日新聞 (2014年8月1日). 2014年9月7日閲覧。
  23. ^ a b 内藤泰朗 (2014年8月3日). “「地中海で戦ったこと忘れないで」甦る日本艦隊への評価 地中海の小国マルタ 第一次大戦開戦100年”. 産経新聞. http://sankei.jp.msn.com/world/news/140803/erp14080318000002-n1.htm 2014年8月4日閲覧。 
  24. ^ [1]
  25. ^ 地上戦最後の生き残り死去 第1次大戦の元英兵 - 47NEWS”. 2011年2月9日閲覧。
  26. ^ 独、第1次大戦の賠償金完済 終結から92年後に - 47NEWS”. 2012年2月10日閲覧。
  27. ^ 第1次大戦参加最後の米兵死去 フランク・バックルズ氏 - 47NEWS”. 2012年2月10日閲覧。
  28. ^ クロード・チョールズ氏死去、第1次世界大戦で戦闘に参加した最後の生存者 110歳 - AFPBB News”. 2012年2月10日閲覧。
  29. ^ F・グリーンさん死去=第1次大戦最後の従軍者 - 時事ドットコム”. 2012年2月10日閲覧。
  30. ^ “EU首脳、ベルギーで第一次大戦100年記念式典”. MSN産経ニュース (The Sankei Shimbun & Sankei Digital). (2014年6月27日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/140627/erp14062709580004-n1.htm 2014年6月29日閲覧。 
  31. ^ “人類平和と共存へ誓い 第1次大戦の教訓胸に サラエボ事件100年で式典”. MSN産経ニュース (The Sankei Shimbun & Sankei Digital). (2014年6月29日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/140629/erp14062901550003-n1.htm 2014年6月29日閲覧。 

注釈

  1. ^ 1914年8月、グリエルモ・マルコーニの会社で働いていたC・S・フランクリンとH・C・ラウンド二人の技師がフランスに赴き、電波の「風向き」を推定する最初の基地局を建設した。英仏で共同研究が進められ、前線で使える水準にまで通信技術が向上した。基地局と傍受網により、敵の飛行機や地上無線局の座標を特定できるようになった。一方、技術的に未熟なドイツ軍は無線通信に暗号文と地の文を混ぜるような手ぬかりを繰り返して、そのたびに英仏へ解読の機会を与えた。そもそも先の8月に貨物船ホバートがオーストラリア軍に拿捕されてしまい、Uボートツェッペリン飛行機で使われていた暗号帳を三部も奪われていた。HVB 暗号とよばれるこの記録帳は複製されてイギリスに送られた。また、1916年9月英国上空でツェッペリンが撃墜され、その残骸から暗号資料が持ち去られてAFB 暗号までも解読されてしまった。
  2. ^ ライト兄弟の台頭から飛行機の開発がすすみ、ドイツ帝国は戦争に臨んで史上初の独立空軍を創設した。塹壕戦が主体とはいえ、多少は立体戦も展開された。
  3. ^ 史上一位は太平天国の乱である
  4. ^ 「ウィリーとニッキー」書簡として知られる。
  5. ^ ドイツとの建艦競争と植民地を巡る対立から、ベルギーの中立に関わらずイギリスの参戦は不可避だったとの意見も存在するが、これは誤りである。首相ハーバート・ヘンリー・アスキスの書簡により、もしドイツ軍がベルギーの南部だけに侵攻したならば参戦はしなかったが、全面侵攻により具体的な閣議の討論を伴い参戦を決意したことが確認されている。アスキスのこの書簡集(と言うより不倫相手に当てたラブレター集)は出版もされている。
  6. ^ この日を各国では「休戦記念日」と呼び祝っている。
  7. ^ 但し、後述の英語版存命者リストに於いてはポーランド・ソビエト戦争を第一次世界大戦の範疇に含めており、この場合、オーストリア=ハンガリー帝国領ウクライナ出身でポーランド第二共和国軍人として同戦争への従軍経歴を持つ、ユゼフ・コワルスキー両陣営従軍者で史上最後の生存者であったと見做される事となる。







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