読売新聞 疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル

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読売新聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 08:43 UTC 版)

疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル

  • 1911年1月19日、小学校「日本歴史」教師用教科書の南北朝についての「容易にその間に正閏軽重を論ずべきにあらず」という記述を「大義名分を誤るもの」として社説で批判し、いわゆる南北朝正閏論問題に火を着けた。南北朝正閏論争は、大逆事件判決直後にとりあげられたため、桂内閣を弾劾したい人々による「正義の旗」に利用され、2月23日、立憲国民党は大逆事件とあわせ閣僚問責決議案を提出。桂内閣は、決議案否決のため、政府系会派「中央倶楽部」に大浦兼武を通じて朝鮮銀行から1万円もの資金を渡したという。2月27日、南朝北朝のどちらを正統とするか、勅裁をあおぐことを閣議決定。結局、南朝正統の勅裁が下り、北朝は「偽朝」に、現在の皇室の祖先である北朝の天皇は、『大日本史』の例にならい、「○○院」とすることが定められた。戦前期の南朝を正統とする歴史教育の端緒を作っただけでなく、大逆事件とあわせて、予防策としての教育や社会政策、警察による取締強化を招いた[39]
  • 1925年にラジオ欄の創設、1932年に「地方版」である「読売江東版」の刊行など、時代を先取りする紙面作りを行う一方、1927年ヌード写真を社会面に掲載し、「読売のエログロ主義」と呼ばれて批判も受けた[25]
  • 1930年代、毎日新聞朝日新聞などと同様、いわゆる「十五年戦争」「大本営発表」に全面的に協力し、大東亜戦争を煽りたてる報道を行った。ただし当時、同業者からは「新聞記事は創作するのが練達堪能の記者とされ、やがて幹部に出世する大道」[40]「外電と称して実は編集室の机上でニュースを創り上げる」[41]と見られており、1938年に捏造記事「揚子江上英米軍艦訪問記」で記者が処分されると驚きをもって迎えられた。また、営利主義的に親ナチヒトラー礼賛の紙面作りを行い、1941年の独ソ戦開始直後から「独軍の電撃的勝利」「赤軍の全面的崩壊」とやったため、年末になると収拾できなくなった。その姿は同時代から「昭和年代のお笑い草」[41]とされた。
  • 1948年昭電疑獄において、重要人物の召喚を次々と予告して的中させる、連続特大スクープをおこない、「朝起きたら読売を見る、自分の名前が出ていないのを確認して朝日を読む」といわしめるほどの報道をおこなった。このセンセーショナルな紙面作りを可能にしたのは、記者としての訓練をほとんど受けていない、入社3年目の駆け出し記者、24歳の立松和博である。立松和博の父・懐清は、朴烈事件の予審判事。そのため立松は、検察幹部に可愛がられ、「木内曽益 最高検次長検事―馬場義続東京高等検察庁次席検事河井信太郎東京地方検察庁主任検事」のラインに結びつくことに成功した。当時、GHQ内は、日本の占領統治をめぐって、右のチャールズ・ウィロビー少将と左のチャールズ・L・ケーディスが対立・分裂しており、ウィロビー少将は自由党の吉田茂を支持していた。「木内-馬場-河井」の検察ラインは、芦田均内閣を潰そうとするGHQの政治的思惑にそって、昭電疑獄をでっちあげて、検察が政治を支配する時代をつくりあげたのである。河井信太郎は、馬場の黙認の下、捜査情報を読売新聞にリークし続けた。検察は、読売新聞一社のみにスクープを独占・継続させることを通して、強烈なインパクトを各界にあたえ、芦田連立政権を崩壊させることに成功した。ただ、立松は、読売の連続スクープに息巻く他社の記者たちから、河井がネタ元であることを悟らせないようにするため、細心の注意を払わざるをえず、睡眠不足と疲労からヒロポンを打つほど心身がボロボロになり、ほどなくして休職に追いこまれることになる。1957年の売春防止法の読売新聞における大誤報事件は、取材体制の出遅れにあせった景山与志雄社会部長が、昭電疑獄時のエース記者、立松を病欠から呼びもどしたことからはじまった、という。なお、司法記者クラブが検事の家に夜討ち朝駆けをして「ネタ」を物乞いする習慣は、昭電疑獄から始まり、造船疑獄で定着、ロッキード事件ダグラス・グラマン事件リクルート事件では、検察関係者による報道機関に対するリーク、すなわち検察リークが猛威を振るうことになる。検事たちが思いあがり、報道機関が検察批判をすると、ただちに「出入り禁止」にする慣行は、三田和夫によれば、読売新聞による昭電疑獄・造船疑獄報道が原因、と、読売新聞の行為を厳しく断罪している[42]
  • 1950年6月1日に電波三法が施行されたのに伴い、米国の資金と技術によって放送通信分野の国内基幹網を建設し、公共団体保安隊へ貸与する構想が浮上した事で騒動が起きた。1952年9月4日の読売新聞には、正力松太郎が中心的役割を担うマイクロ波中継構想が公表された。構想は二転三転したが、最終的に1954年暮れの参議院通信委員会決議により決着した。
  • 1954年3月、第五福竜丸被曝以降、読売新聞は、社主にして自民党議員、正力松太郎の政治力拡大と原発利権掌握の思惑から、CIAとの協力をえて、原子力平和利用を奨める『日本の原子力発電所建設』のため、積極的なキャンペーン記事を行った。ただ、日本の再軍備のため、独自に核兵器の開発能力を期待して、原発を推進した正力とCIAの思惑は一致せず、CIAが協力するにとどまったことが、有馬哲夫『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史』により明らかにされている。
  • 1957年10月18日、朝刊社会面トップ記事は、前年に成立した売春防止法をめぐって、反対運動を行っていた赤線(公認売春)組織から宇都宮徳馬・福田篤泰両代議士が収賄していた、というものであった。これは法務省刑事課長・河井信太郎のリークであったが、読売に情報を漏らす法務省関係者をあぶりだすため、検察が法務省に仕掛けたガセネタであった。読売新聞は、ただちに両代議士から事実無根と告訴され、執筆者の立松和博記者も逮捕された。当時、後に検事総長になる伊藤栄樹たち東京地検特捜部の検事たちは、前任の事務次官・岸本義広によって法務研修所の教官にとばされた河井信太郎が、馬場義続・法務事務次官によって法務省の刑事課長に呼びもどされ、やがては特捜部長に返り咲くのではないか、と憂えていた。とても法律家とは思えない、 造船疑獄における河井の強引な捜査手法に危惧の念を抱いたからにほかならない。岸本東京高検検事長の検事総長就任をめぐって、検察庁内の岸本派と馬場派の感情的対立は頂点に達した。岸本派の集う東京高検は、馬場たち赤レンガ派の昭電疑獄以来の読売新聞への河井のリーク疑惑を確認するため、あえて法務省にガセネタをあげたのである。河井信太郎は、法務省にあげられた容疑濃厚な5名の代議士の内、宇都宮徳馬福田篤泰のみ、イニシャルではなく実名での報道を立松に認めた。これは、当時もっとも汚い汚職とされた売春疑獄において、選挙に強くない東京2区の宇都宮、東京7区の福田を読売に名指しさせることで落選させて、大物新人として当時総選挙に出馬予定であった、藤山愛一郎外務大臣(東京2区)と、後の参議院議長安井謙の実兄、安井誠一郎東京都知事(東京7区)の当選を確実にし、 岸内閣のために便宜をはかることが狙いだった、とみられている。小島編集局長は、ニュースソースである河井信太郎を隠匿するため「検察庁筋」と答えたとものの、検事総長は両氏の容疑と情報漏れを完全否定。衆議院法務委員会の証人喚問の動きに対して、原四郎は他紙への根回しのうえ、誤報にもかかわらず、全紙をあげて東京高検攻撃に出た。結局、正力松太郎の調停もあって、12月18日、謝罪広告を出し、立松記者は懲戒休職処分となった。読売「社会部王国」終わりの始まり、とされるスキャンダルであった。
  • 1960年代、読売新聞は、朝鮮民主主義人民共和国を礼賛し、在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業を積極的に推し進めた。1960年1月9日、読売新聞は、ピョンヤン発の特派員電で、「北朝鮮へ帰った日本人妻たち」「夢のような正月」という記事を掲載し、金日成首相に招かれて新年の宴会に出席してることや、正月用にお餅やおせち料理が特配される豊かな生活ぶりを伝え、日本人妻をふくめた在日朝鮮人の帰国熱をあおりたてた。そして、「夫の祖国に帰った日本人妻たちはみんな喜びと幸福にひたっています。新潟を出港するまでの不安や心配は、国あげての大歓迎にすっかり消しとんでしまったようです」「日本で貧困と、ときには屈辱の生活をおくっていた妻たちには夢のようなお正月。まだ日本で帰国をためらっている同じ境遇の人たちに『早く来るように伝えてほしい』と口をそろって語っている」「記者が見たすべての日本人妻が、朝鮮にきてほっと解放されたかのような安らぎをみせ」「みんなが希望にあふれて前方を見つめている」とのべ、多くの日本人の犠牲者をつくりだす原動力となった。読売新聞や産経新聞が在日朝鮮人とその日本人妻の北朝鮮帰国事業を煽りながら、社民党や朝日新聞を攻撃するだけで、自らの過去の言論をまったく反省しない姿に対しては、「目糞鼻糞を笑う」とまで厳しく批判されている[44]
  • 1966年12月24日、朝刊一面トップで「総選挙にかける」という特集記事が組まれ、「黒い霧の審判 歓迎されぬ首相の応援」「史上最低の不人気内閣」「(支持率)二五パーセントの不人気首相」と、渡辺恒雄記者による佐藤内閣への批判キャンペーンがおこなわれる。1961年以降、旧大蔵省関東財務局国有財産局であった「国有地の払い下げ」問題がこじれたためであった。跡地は日比谷通りに面した一等地のため、100社以上の応募が殺到。読売新聞は、49番目の応募だったが、「角さん、俺のとこに社屋の土地をよこせよ」(渡辺恒雄の田中角栄への直談判の時の発言)と、熾烈な政界工作を展開。1963年、読売への払い下げが決定された。ところが水野成夫産経新聞社長の巻き返しで、1966年夏、払い下げは白紙撤回。そのため1966年12月22日、業を煮やした務台光雄副社長は、読売新聞本社部長会の席上、「大手町の国有地を払い下げるとはっきり約束した。この約束が反故になったら日本の政治はもうおしまいだ。道義は地に墜ちてしまう。そうなったら内閣と一戦交えるしかない」と発言。12月24日朝刊記事は、国有地を読売にわたさない佐藤内閣へ、解散総選挙を利用した圧力であった。1966年12月27日、「黒い霧解散」で衆議院が解散される。12月29日、務台光雄と佐藤栄作は、首相官邸で会談をおこなう。読売新聞は、460万部の部数をバックにして、大手町の国有地を手に入れることに成功した。[28]
  • 1969年10月8日、読売新聞と報知新聞は、西鉄ライオンズの永易選手による暴力団と絡んだ八百長事件を報じ、「黒い霧事件」報道の先鞭をつけた。ところが、当時、読売ジャイアンツでは、コーチと暴力団の癒着が騒がれていた。読売ジャイアンツと暴力団の癒着という疑惑から世間の注意をそらすため、読売グループがこの事件を意図的にフレームアップした、と囁かれた[45]
  • 1974年から1975年にかけて、読売新聞は名人戦騒動をおこした。1961年から始まった旧・名人戦は、高度成長期に14年間も、2500万円前後に契約金が据えおかれた。そこで日本棋院は、1億円の契約金を提示した朝日新聞に名人戦主催権を移すことを表明。あわてた読売新聞は、「金目当て」「信義がない」と激しいバッシングをほぼ1年にわたって囲碁界全体に加え、裁判にまで発展した。1975年末、「最高棋士決定・棋聖戦」創設(1976年から開始)という形で落ち着いたものの、日本棋院のプロの卵である院生の数は激減。日本囲碁界の凋落と中国・韓国の台頭の一因となった[46]
  • 1978年、ドラフト会議前日に協定の隙を突いて、プロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツと作新学院法政大学出身(のち阪神タイガース読売ジャイアンツ、解説者)の投手江川卓が入団契約を結んだ事件、いわゆる空白の一日。これは栃木選出の代議士である船田中議員らが関与したとも言われ、その経緯は「実録たかされ」(原作:江川卓、作画:本宮ひろ志)などに詳しい。この事件は読売の100年史においてもその記載をどうするかで論議されたが、結局掲載を見送られるなど、読売社内においても一種のタブー扱いになっていた。しかし、2005年日本テレビのスポーツ番組においてこの事件が取り上げられるなど、近年では内部での扱いが変化しつつある。
  • 1986年12月5日夕刊では、「よみうり寸評」差し替え事件がおきた。「よみうり寸評」では、中曽根政権の売上税導入の決定に対して、「朝三暮四のもう一つの意味、詐術を用いて人を愚弄する点も、今回は当てはまる。(略)中曽根首相は七月の同日選のとき、『大型間接税は導入しない』と選挙民に約束した」と批判。渡邉恒雄主筆1985年6月就任)の展開した「売上税は中型間接税だから公約違反ではない」という売上税導入キャンペーンにそぐわぬためで、夕刊3版から急遽差し替えられた。「よみうり寸評」で1981年の日本記者クラブ賞を受賞した村尾清一記者は、1987年6月、出版局顧問に退いた[28]
  • 1987年11月29日、大韓航空機爆破事件では、「大韓航空機の墜落確認 タイ奥地」(11月30日夕刊)と報道した。墜落したのは、ベンガル湾上空であった。またこの事件では、11月30日、日本人に背乗りした偽造日本国旅券を使った人物が、中東バーレーンで逮捕されそうになり服毒自殺をした。12月2日付夕刊で読売新聞は「墜落大韓機自殺の男 宮本と同一人物か」と、自殺した男性が宮本明(李京雨)と同一人物と報じた。実際は金勝一で、他紙は「自殺男性 宮本と別人か」(同日毎日新聞夕刊)と報じていた。また翌3日、夕刊一面トップは、「「宮本」に逮捕状」の見出しが踊り、「3日、公文書偽造などの容疑で逮捕状をとった」と報道した。しかし、実際は、翌4日朝刊「「宮本」逮捕状請求は見送り」であり、完全な誤報であった。「韓国筋」「公安筋」に頼りすぎた結果の、誤報続出であった[47]
  • 1989年8月17日、夕刊一面トップで、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者「宮崎のアジトを発見」と報道した。記事ではアジトの様子が語られており、アジト付近の地図まで載っていたが捜査本部は全面否定し、全くの虚偽であることが判明。翌日には「おわび」を出したものの、「検証」記事に2ヶ月もかかり、その内容も具体性に欠けるものであった。この虚偽報道事件は、珊瑚損傷記事捏造(『朝日新聞』同年4月20日夕刊)やグリコ・森永事件の犯人取り調べ捏造(『毎日新聞』同年6月1日朝刊)とならぶ一大スキャンダルであったが、朝日新聞のサンゴ事件の影に隠れてほとんど話題にされず、読売新聞は処分の内容も、記事を書いた記者の名前も明らかにしなかった。
  • 1990年5月6日、子供の日翌日の朝刊社会面トップは、「雨の日の5日午前2時幼い2人置き去り 歩道とぼとぼ 保護 親の名言わず」と、「豊かな時代」の「子捨て」を報道し、「親の身勝手から依然として後を絶たない」と批判した。しかし実際は、父に黙って深夜に外出して保護されただけであり、記者の早とちりであった。ところが、訂正・お詫び記事を出さなかったどころか、「同署では"兄妹は大人たちに囲まれ、緊張感と警戒心で自宅がすぐ近くにあることさえ口に出せなかったのだろう"と同情している」(5月7日夕刊)と書き、読売新聞は誤報の責任を子供になすりつけた。
  • 1991年12月1日朝刊は、1990年5月におきた足利事件を報道した。読売は、朝日・毎日と異なり、「捜査本部は、これまでの調べで、男性が少女を扱ったビデオソフトや雑誌を愛好している」と、犯人をロリコンとする独自記事を掲載。翌日の朝刊でも、「ロリコン趣味の45歳」と見出しをつけ、「週末の『隠れ家』でロリコン趣味にひたる地味な男」「『週末の隠れ家』には、少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌があるといい、S容疑者の少女趣味を満たすアジトとなったらしい」と、あたかも宮崎勤事件かのようにセンセーショナルに煽りたてた。菅家容疑者の家宅捜索が12月3日におこなわれ、少女向けアダルトビデオは一切発見されなかったにも関わらず、続報として触れるにとどまり、一切謝罪しなかった。読売新聞は、2009年6月8日、菅家受刑囚の釈放後最初の単独インタビューを掲載した後になって、菅家容疑者に対する一連のロリコン報道について検証をおこなう(2009年6月26日)。その検証でによれば、「記事は、県警担当の記者が菅家さん逮捕の約1週間前、県警幹部から取材をした情報がもと」と警察リークであることを白状した。だが検証では、逮捕の日(12月2日)前日にロリコンと報道としていたにも関わらず、「別の複数の捜査幹部からも『逮捕できるだけの直接証拠ではないが、状況証拠の一つだ』との感触を得ていたことから、菅家さんの逮捕直後に記事にした」と『逮捕直後』の報道とするなど、事実関係を偽っていて、まったく検証になっていない。また「菅家さんについての予断や偏見を読者に与えた可能性はある」と『可能性』に矮小化するなど、真摯な反省・謝罪はまったくおこなわれていない[48]
  • 1994年3月25日、朝刊一面に「『グリコ・森永』に有力容疑者 大阪の男、一部供述」という見出しがおどった。内容は、「グループ8人か」「捜査本部一斉聴取へ」「江崎勝久グリコ社長誘拐に始まった一連の事件について関与を示唆するような供述」「末端の実行犯の可能性」「『しゃべれば、殺される』などと供述」「当時の行動を再現させるなど、確認作業を始めた」「時効まで残すところ二ヶ月余りという局面で最大のヤマバをむかえる」というもの。しかしその後進展はなく誤報であることが分かった。読売新聞は6月2日朝刊一面の「グリコ・森永事件『アベック襲撃』も時効」と伝えたことを受けての社会面記事、「悔しい時効」の一節にあわせて掲載した「大阪社会部『グリコ・森永事件』取材班」の署名入り記事「性急だった本紙報道」の中で「情報の検証に甘さがあったことは否めない」と釈明した[47]
  • 松本サリン事件において、6月28日付でマスメディアが報じた「薬剤の調合をまちがえた」「農薬混合」とされた「毒ガスの正体」が、7月3日になって農薬ではなく調合では精製できない化学兵器の『サリン』と判明したものの、1994年7月15日夕刊では「薬剤使用をほのめかす 事件直後に会社員」と、会社員・河野義行を犯人視させる報道をおこなっている。なお読売新聞は1995年5月12日になってから河野に対し紙面で謝罪をおこなった。
  • 1995年2月14日、東京協和信用組合の前理事長・高橋治則が行った、元・中曽根派代議士山口敏夫のファミリー企業への法定限度額をこえた過剰融資と癒着を報じた記事は、編集局次長の業務命令で差し替えられた。12版・13版まで掲載された記事が14版(東京都内)で消えた背景には、旧・大野派の番記者として、山口敏夫や彼の父と親しかった渡邉恒雄社長(当時)への、編集局幹部たちの過剰な配慮があったとされた[49]
  • 1995年3月28日、地下鉄サリン事件の報道が過熱する中で、朝刊一面にトップに「入院の男 容疑者と断定」「小伝馬町駅 サリン車内に置く」「目撃情報で突き止める」「回復次第 取り調べ」と題した記事を掲載した。内容は、営団地下鉄日比谷線の電車の3両目車内に、サリン発生源である新聞包をおいたコート姿のサングラスの男は、サリンを浴びて入院している男と同一人物であることが、目撃情報によって突き止められた、というものである。しかし同日夕刊の続報では、社会面で「犯行とは無関係」と、朝刊特ダネを完全に否定した。容疑者と断定した人物についての謝罪・顛末説明は行われていない。
  • 2001年から2002年にかけて、読売新聞は田中眞紀子外相更迭の旗振り役をになう。2001年6月2日付社説では、「機密費問題などに見られる外務官僚の閉鎖的体質を改めるのは大事なことだ。だが、いたずらに省内に混乱を生じ、外交を弱めるようでは本末転倒」と、田中外相の外交感覚を危惧。8月3日、4日付社説では、事務次官人事の混乱に基づき、田中外相の更迭を要求した。これは、「9・11」以後噴出する田中外相批判の先鞭となり、2002年1月29日の外相更迭につながっている。しかし2002年2月以降、機密費横領・水増し詐偽・組織的裏金作り・私的流用・「鈴木宗男疑惑」などが噴出すると、一転して「『政と官』の不明朗な関係が批判されているにもかかわらず、外務省幹部の意識が一向に改まっていない」(2002年2月24日付社説)と批判した。
  • 2002年4月、個人情報保護法案と人権擁護法案の国会審議入りに際して、日本新聞協会(会長・渡邉恒雄)は、表現・報道の自由を侵すとして廃案・出直しをもとめ、緊急声明まで出して反対姿勢を示していた。しかし読売新聞は、個人情報保護法については、メディアを含めて守らなければならない基本原則のうち「透明性の確保」を報道分野だけ除外する、などを柱とした「「報道の自由」と両立を/修正試案を本社提言」を5月12日付1面で掲載した。5月13日、小泉首相は、読売試案を参考にして修正協議に入るように山崎幹事長に指示。事前了解済みを疑わせる怪しい動きに、ほとんどのメディアがこの読売試案に反発。「特定の大新聞がよければ「青信号」を出せるような法案ではない」(『北海道新聞』)「読売案は<歴史の汚点>」(月刊『文藝春秋』)と強い批判を浴びた。
  • 2002年9月18日、小泉訪朝による日朝首脳会談では、政治部長署名記事で、「北朝鮮軍事独裁国家である限り、経済協力などできるものではない」と啖呵をきった。しかし、1962年から1965年朴正煕政権との日韓国交回復交渉において、金鍾泌と日韓国交回復に反対していた党人派大野伴睦を引き合わせるなどして、軍事独裁国家に対する経済協力を実現させた黒子役は、読売新聞の渡邉恒雄記者(当時)であった[28]
  • 2003年3月、米英によるイラク戦争の開始にあたって、「湾岸戦争から十二年後の今もなお、大量破壊兵器の廃棄義務を履行していない」(3月9日社説)「大量破壊兵器を廃棄した、というフセイン政権の主張は、まだ立証されていない」(3月14日社説)「問題の本質は、イラクの大量破壊兵器がテロリストの手に渡る危険性をどう排除するか、である」(3月19日)など、イラク攻撃に賛成する論陣を張った。しかし2004年の米政府調査団による最終報告にて、大量破壊兵器がイラクに存在しなかったことが結論付けられた[50]
  • 2004年4月8日に起こったイラク日本人人質事件報道において読売新聞は、「三人の行動はテロリストの本質を甘く見た軽率なもの」(4月9日)「三人にもこうした事態を招いた責任がある」(4月10日)「人質の家族の言動にもいささか疑問がある…政府や関係機関などに大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である」(4月13日)等、人質とその家族を批判する「自己責任論」の火付け役となる。また4月19日付社会面では、本人の日本帰国費用のほか、政府自治体関係者の活動費まで細かく算定して「自己負担論」を唱えた。だが読売新聞は、自衛隊イラク派遣サマーワから記者を撤退させた際、「現地の治安が悪化し、外務省から航空自衛隊の輸送機で撤退を求められたため、利用」(4月15日)した事実を公表したが、帰国費用や政府自治体関係者の活動費を「自己負担」したかどうか、未だ明らかにしていない。
  • 2004年5月26日、「アル・カーイダ幹部新潟潜伏」の見出しで記事を掲載。新潟で会社を経営しているバングラデシュ国籍の男性が、国際テロ組織アルカーイダと関連があるかのように報道した。警察の捜査の結果、男性はアルカーイダとは無関係と判明。男性は名誉を傷つけられたとして読売新聞東京本社に330万円の損害賠償を求めた。読売新聞側は「記事は警察当局の見方や方針を報じたもの」などと主張したが、1審、2審では読売新聞側の裏付け取材が不十分なうえ、記事の見出しは原告がアル・カーイダ幹部であると読者に誤解させるものと判断、原告の名誉棄損を認めた。2008年11月25日、最高裁は読売側の上告を棄却したため読売新聞に220万円の支払いを命じた2審判決が確定した。
  • 2005年デンマークの新聞「ユランス・ポステン」が、預言者ムハンマドに関する風刺画12枚を掲載、イスラム教徒の反発と抗議行動を招いた。ヨーロッパの新聞が、風刺画を転載するなど、「表現の自由」を訴える中で、2006年2月11日、読売新聞は、社説「風刺漫画騒動 『表現の自由』には責任が伴う」の中で、「風刺漫画という表現方法で、権力者や社会事象などを皮肉るのも、報道の範疇だろう。だが、それによって、敬虔な信仰心を傷つける権利までは表現の自由にはない」とし、これ以上信教の自由を侵してはならないという論陣をはって、どのような風刺画だったのかを一切明らかにしなかった。一見、「信教の自由」を重視したようにみえるが、実は、イスラム教徒の暴力やテロを極度に恐れた日本新聞協会日本雑誌協会による、風刺画を転載しない申し合わせに従っただけにすぎないことが明らかにされており、暴力への弱腰が厳しく批判された[51]
  • 2007年2月16日、アサヒビールサッポロホールディングスに経営統合を提案したとの報道がなされたが、両社ともにそのような事実は無いとして否定した[52][53]
  • 2007年6月2日、朝刊の連載小説「声をたずねて、君に」の同年5月28日掲載分について、挿絵が雑誌に掲載された写真を無断使用して描かれていたことが判明。即座に挿絵の掲載を中止し、他にも無断利用がないか調査した結果、7月2日には新たに35点に著作権侵害の疑いがあることが判明した。挿絵を担当したのはイラストレーターの中島恵可であり、写真の無断使用を認めている。使われた写真は高知新聞に掲載された32点と読売新聞に掲載された3点。高知新聞の掲載写真のうち、13点は共同通信、5点は時事通信、2点は主婦と生活社の配信であり、読売新聞社は各社に謝罪した[54]
  • 2007年11月、自民党民主党の間で大連立内閣を組む構想が持ち上がったが、読売新聞主筆の渡邉恒雄が仲介役として関与していたことが読売新聞以外の各紙報道により伝えられた。読売新聞自体も大連立を推進する報道を行い、構想頓挫について民主党を批判する報道を行った。
  • 2008年1月27日、石川県版に掲載されたある大学教員の学位を巡る記事に対して、大学から「取材を受けていないのにコメントが掲載されている」という抗議があり調べたところ、金沢支局の記者が大学側に取材を行わず他紙の報道や大学、文部科学省の公表資料などを参考にして記事を執筆し、コメントも「土曜日で電話がつながらなかったから」という理由で捏造していたことが発覚。記者は休職1カ月の懲戒処分となった[55]
  • 2008年7月28日、青森県版に掲載された全日本吹奏楽コンクール青森県大会関連の記事で、掲載された八戸市代表楽団長の談話は“岩手県中部の地震被災地関連の記事が必要だ”と考えた青森支局の記者が、楽団名を検索エンジンで調べて執筆した捏造記事だった(コメントした団長は先任者で楽団とは既に無関係)[56]。元団長本人からの指摘で発覚。談話部分は取り消され、執筆記者は休職3ヶ月、伊藤学支局長は譴責の懲戒処分となった。取消・謝罪は「青森版」のみに掲載された。なお、謝罪会見は行われず、執筆者も明らかにされていない。
  • 2009年3月以降、小沢一郎民主党代表(当時)をめぐる西松建設の西松建設事件では、検察リークにもとづき小沢批判を紙面で展開する一方、批判に対しては徹底した検察庁擁護をおこなった。2009年6月11日付けの朝刊社説では、「検察・報道批判は的外れだ」とタイトルをつけ、批判を一蹴。「小沢氏に持たれた疑惑の核心部分はもっと別のところにある。秘書が西松建設幹部と相談し、ダミーの政治団体からの献金額や割り振り先を決めていたとして、検察当局は悪質な献金元隠しと認定した」と断定したが、「ダミーの政治団体」であることは、西松事件の公判で否定された。もちろん、読売新聞は謝罪・訂正を一切していない。このような、一方的な報道姿勢については、元・読売新聞大阪社会部記者の大谷昭宏からも、「現状では小沢氏を罪に問える材料は何もなく、事件取材をしている現場記者たちは、無理筋だとわかっている。だから、これまでの犯罪報道なら『贈収賄』や『闇献金』という具体的な容疑で書くのが原則のところを、『政治とカネ』という漠然とした言葉にせざるを得ない。とにかく小沢氏に疑惑をかぶせて批判したというだけの恣意的な報道です。ある現場の記者は、『デスクなど上司からは小沢の悪い記事を書けと要求されるが、何も容疑がないのに何故悪く書けというのか。上司の感覚の方がズレている』と嘆いていた」と批判されている[57]
  • 2009年5月22日、20日付朝刊のスポーツ面に掲載された記事が中国新聞からの盗用であることが発覚。読売新聞大阪本社の運動部記者が容疑を認めたため、中国新聞社に謝罪した[58]。後日、その他の盗用の有無を調査した結果、同じ記者が執筆した4月16日付朝刊のスポーツ面においても、中国新聞の2008年9月11日付のスポーツ面の記事と酷似した表現が数カ所発見され[59]、最終的に8本の記事で盗用が確認された[60]
  • 2009年7月23日付け世論調査記事『「比例は民主」42%、優勢維持…読売世論調査』で、麻生太郎鳩山由紀夫のうち総理大臣にふさわしいのはどちらかを比較するグラフを掲載したが、菅原琢・東京大学特任准教授(先端科学技術研究センター、博士(法学))は作為的に(基準軸を操作して)麻生の横ばい評に対し鳩山は大きく下落しているように表現したとし、「メディアの信頼性を毀損するもの」と批判している[61]
  • 2010年1月20日付夕刊では、「石川知裕衆院議員が東京地検特捜部の調べに、(中略)小沢氏に報告し、了承を得ていたと供述していることが、関係者の話でわかった」と、陸山会の虚偽記載について報告し了承を小沢氏から取った、ことを一面でスクープ。新聞・テレビによる「陸山会の『虚偽報告書』問題」報道をリードした。また2010年10月8日朝刊では、「ブレなかった石川供述」と題し、「小沢氏の公判では、石川議員が供述を翻すことも考えられる。その場合、保釈後も崩れなかった石川供述が再び意味を持つことになる」と、自社のスクープをもちあげ、検察審査会は、「強制起訴議決」の有力な根拠に石川供述を挙げるほどであった。だが、担当検事による「供述の捏造」が指摘され、東京地裁は石川供述の採用を却下。すると、2012年3月2日朝刊一面トップで、「地検が問題発覚の約1年前にこの事実を把握しながら、十分な調査を行わず放置していたことがわかった」と、今度は自社のスクープを否定するスクープを報道。読売新聞による2010年1月20日以降の「(虚偽記載について)小沢先生への報告・了承を求めた」の報道についての釈明・訂正・謝罪はなく、その余りのマッチポンプな報道ぶりで呆れさせた[62]
  • 2010年1月25日の夕刊で、民主党幹事長小沢一郎の政治資金管理団体陸山会による政治資金収支報告書に関する虚偽・不記載疑惑に関連し、「東京地検特捜部が押収した(元事務担当の)石川議員の手帳には、水谷建設の元幹部らが5000万円を渡したとする04年10月15日の欄に、授受の場所とされるホテル名が記されていた」という記事を掲載した。また、「特捜部はこの手帳の記載を、水谷建設の当時の幹部と面会したことを示す証拠として重視している」と続けた。しかし、実際に手帳に書かれていた数字は「04年」ではなく「05年」であり、さらにホテル名が記載されていた時期も4月だった。読売新聞は翌26日朝刊に訂正記事を掲載し、記事と見出しの当該部分を取り消した[63]
  • 2010年10月5日付朝刊社説は、検察審査会による小沢一郎強制起訴議決に賛成する論陣を張った。社説では、村木厚子をめぐる障害者郵便制度悪用事件で証拠を改竄した大阪地方検察庁特別捜査部主任検事前田恒彦が、陸山会事件大久保元秘書の取り調べを担当し、調書を作成していたことに対して、ほとんど触れなかっただけではなく、「大阪地検特捜部検事による証拠改竄事件が検察の審査に与える影響も懸念されたが、『強制起訴』議決は改竄疑惑が発覚する前の先月14日だった。無責任な検察審批判は慎むべきだろう」と、改竄の発覚前の議決だから、検察審批判をしてはいけない、という論陣をはり、一部から批判された[64]
  • 2011年3月11日、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の被災に対して、原発推進派で多額の広告料を東京電力からもらっていた読売新聞は、放射能被害を少なく見せかける虚偽の報道を繰り返した。2011年3月16日には、「『黒い雨』『うがい薬飲め』のデマ」と題して、「放射性物質が雨に溶け込んで降ってくるというのは考えにくい」という原子力安全技術センターのコメントをのせるなど、放射性物質を含んだ雨水によるホットスポットによる被曝を否定をつづけた。ところが、2011年10月22日、千葉県柏市の私有地では、毎時57.5マイクロシーベルトの高い放射線量が検出され[65]、10月23日、文科省は「原発事故が原因の雨水」とみとめることとなる[66]。あろうことか、この事件について読売新聞は、2011年5月16日、「チェーンメールで放射能のデマ拡散」と題して、ホットスポットとはデマである、と以下のように主張している。
福島第一原発の事故に関連して、千葉の柏市、松戸、流山と埼玉県の三郷の計4市で、飛び地のように放射線観測地が高くなる「ホットスポット」が発生しているといううわさがチェーンメールやツイッター、ネット掲示板で広がっている。…… 日本データ通信協会迷惑メール相談センターは「公的機関や報道機関などの根拠のある情報を確認してほしい」と注意を呼びかけている

なお、コメントを引用された原子力安全技術センターは、「読売さんが当時どのように取材したのかわからないため答えようがない」としており、東電との癒着だけでなく、取材方法、報道姿勢も問題視された[67]

  • 2011年5月20日の朝刊一面トップで、「東電社長に築舘氏」との見出しで、同社の清水正孝社長が退任し、常任監査役の築舘勝利が社長に就任すると報じたが[68]、実際は西沢俊夫常務取締役が社長に就任した[69]。この誤報については、「『ああ、新聞ももう絶望的だな』と思った」「社長にならない人を社長になるって書いちゃった。それもマヌケだけど、この期に及んで社長人事が1面トップ、特ダネだと思っているような人たちが新聞を作っている。それが何よりもマヌケなんです」(烏賀陽弘道)「ワカメや昆布からヨウ素131が10万ベクレル以上検出されたというほうが世界的大ニュースですからね。しかも食べているのは日本人なんです。でも新聞はそれをやらない。感覚がズレている」(上杉隆)「いや狂っていると言ったほうがいい」(烏賀陽弘道)などと、批判を浴びている[70]
  • 2011年9月2日野田内閣発足の際、同日付けの朝刊の1面トップで「財務・岡田氏」と乗せ、岡田克也が財務大臣に内定したと報じたが[71]、実際には岡田は入閣せず、誤報となった[72]
  • 2011年10月20日、読売新聞東京本社編集局社会部次長の恒次徹記者は、自由報道協会で行われた小沢一郎衆議院議員の記者会見において、事前に了解していたはずの「参加者は司会者の指示に従う」というルールを守らず、上杉隆岩上安身と衝突した取材態度が問題視された。恒次記者は、会見の席上、司会者が静止しているにも関わらず繰り返し質問をおこない、ゲストが答えている最中に声をかぶせて持論を展開。主催者側では、動画中継されている記者会見自体を妨害する行為と判断。そこでたしなめた所、恒次記者が「対話がしたいもので…」「小沢さんがきちんと答えない。私たちはこれまでも数々の会見に出席し、追及してきた」と反論したばかりか、公平性を重視し外部のフリーアナウンサーを司会に起用しているにも関わらず、「司会者の司会が不当な場合もある」と司会に責任転嫁したからである[73]。主催者側の上杉と岩上は激怒。恒次徹社会部次長の「失笑」ものの「不規則発言」「露骨な決めつけ」もあって、ネットでは大いに話題となった[74]。2011年10月27日、読売新聞は、検証記事「本紙記者へ激しい抗議 自由報道協会」で「ルール違反と過剰に騒ぐことは、会見者を追及から守ることにしかならない」と反論。寄付金で賄われ、ボランティアが運営する記者会見に出席しても、あたかもルールなど守る必要はない、という見解を示して、さらなる自由報道協会側の反発をまねいた[75]。なお、この事件については、「読売新聞の記者が、国民、つまり読者を見ていないから起きたのです。要するに『会社の方針』だから、そのために一所懸命、取材をやって紙面化してる。…、自説の開陳なんて、本来、会見でやることではない」(佐藤優[76]などの意見が出されており、読売新聞側を支持する人は、とりわけネット上では2割にとどまるなど、厳しい批判にさらされている[77]
  • 2012年3月15日付『朝日新聞』の朝刊一面トップは、読売巨人軍が新人選手へ1億円をこえる契約金を裏金で支出していた、とする報道であった。読売新聞は、同日、朝日新聞の報道にあわせて、ただちに反論記事を掲載。新人選手への1億円以上の契約金の支出禁止は、2007年1月までは、目安に過ぎなかったとした。だが、この反論記事は、「04年に横浜西武が1億円を超えて払っていたことが大きなニュースになって、コミッショナーに厳重注意を受けて、西武なんか上層部が責任をとった」「あれは何なの? 野間口も同じ04年ですよ。その時になんで巨人さん、バックアップしてくれなかったのよ。『ルールじゃないんだよ』と。そう思うじゃないですか」(小倉智昭)という反発をうけただけではない。報道各社に「朝日がこんな取材をしているが」と反論文書を配る、読売新聞の「報道のモラル」に反した振る舞いも厳しく批判された。とりわけ、読売新聞の反論の中で失笑を買ったのは、「いま球団が一丸となって東日本大震災を支援しようとする時に、10年も前のことを持ち出すのはいかがなものか」と、東日本大震災の復興への支援をダシにして、朝日新聞を批判し、裏金報道を封じこめようとする態度であった[78]
  • 2012年3月27日、読売新聞は、記者をシンガポールに派遣し、「『管理会社』実体なし」との見出しで、2ちゃんねるの管理会社がペーパーカンパニーであると報道した。なお、2011年10月に就任した片桐裕・警察庁長官は、すでに生活安全部畑出身の樋口建史・警視総監に指示し、警視庁生活安全部に約20人からなる『2ちゃんねる特捜班』を設置。2011年11月以降、覚醒剤売買の書き込みを放置した麻薬特例法違反幇助容疑で、2ちゃんねるの関係先を捜索している。ただ、「そもそも掲示板の管理人がすべての削除依頼に目を通すことなど不可能。そこで2ちゃんねるでは、複数の人が自警団的に削除をしてきた。犯罪が起きたのは残念だが、一部のユーザーの不届きな行為で、掲示板自体を潰そうとすれば言論統制、表現の自由の侵害といわれても仕方がない」(ITジャーナリストの井上トシユキ)。週刊ポストは、捜査当局が描く「2ちゃんねる=悪」というストーリーを補完するためだけの、警視庁と読売新聞の二人三脚による、警察リーク記事ではないか、読売新聞はそもそも報道機関ではない、という批判があると報じている[79]
  • 2012年7月25日~26日の夕刊「夏の連ドラ記者座談会」[80]は、大きな話題をよんだ。「 1位の『トッカン』は、何と言っても、『お金になんて、殺されないで』というセリフ、キャッチコピーがいいね。市井の市民が税金に追いまくられる姿を描いた、メッセージ性のあるドラマだよ」「 このセリフはビシッと決まったね。僕は映画のような映像にはまった。井上真央も頑張っている」などと、同じ読売グループ内の日テレの連続ドラマについて、なにが良いのかよく分からない「礼賛」がおこなわれたばかりか、連続ドラマとして取り上げた11作品中、テレビ朝日の作品が1つしか含まれない、異常に偏った連続ドラマ紹介が行われていたためである。当時、テレビ朝日と日テレは、激烈な視聴率争いを展開していた。そのため、読売新聞が日テレに異常な配慮をしたのではないか、と問題視された[81]
  • 2012年平成24年)10月11日付の朝刊一面トップ記事にて『iPS心筋移植 - 初の臨床応用』の見出しを付けた記事を一面と三面に掲載。ハーバード大学客員講師・東京大学客員研究員の森口尚史が、iPS細胞を利用して心筋細胞を作成し、特殊な注射器心臓の30箇所に注入し手術が成功した、という記事を書いた。しかし2日後の10月13日の一面記事にて『iPS移植は虚偽』と見出しを出し「おわび」を掲載。10月11日朝刊と夕刊・一部地域の12日朝刊の関連記事に誤りがあったとして、お詫び文を掲載し誤報を認め、検証記事を10月13日朝刊8面に掲載し、事実上の虚報を認めた。
  • 2013年(平成25年)5月19日付朝刊1面および8面にて、東京電力柏崎刈羽原子力発電所1号機と7号機の運転再開を原子力規制委員会に申請する方針を固めたと報道。YOMIURI ONLINEにも同内容の記事を掲載した[82]。これに対し東京電力は、そのような事実は無いとして、読売の報道内容を否定した[83]
  • 2017年に福島県楢葉町長の発言談話を捏造したと報道された。楢葉町長が「避難先から帰還しない職員は昇格・昇給させないようにする」と発言したという内容だったが、実際は締め切りが迫った記者が取材せずに文面を捏造した。読売新聞は当該記者を懲戒処分にするとお詫びした。[84]
  • 2018年(平成30年)1月11日付にて、着物販売レンタル会社「はれのひ」の店舗が突如閉鎖され、多くの新成人が成人式振袖を着られなかった問題で、横浜市が被害者を対象にやり直しの成人式を開催することを検討していると報道[85]。しかし、横浜市教育委員会信用調査会社データ・マックス」の取材に対し、「そのような事実はない」と否定し、「現状では被害の把握に努めている段階。市として何をできるか、何かするかどうかも含めて未定」と明言した[86]
  • 2019年(令和元年)10月25日付朝刊富山版にて、富山県内の自治体のソーシャル・ネットワーキング・サービスに関するコメントを掲載。直後に自治体のコメントは、記者が捏造したものと判明し、同月29日付け富山版にて記事に関するおわびが掲載された[87]



注釈

  1. ^ 2019年4月度ABC部数の最も大きい減少は読売新聞で、1ヵ月約6万部、1年約42万部減である。[1]
  2. ^ 社長就任前は、横浜税関の翻訳官を務め、『横浜毎日新聞』の記者でもあった。
  3. ^ 1951年8月に朝刊に移動。
  4. ^ 報道協定を参照
  5. ^ a b 夕刊のスクリーントーンは夕刊創刊時〜1993年11月30日までは東京本社、および東京本社傘下の北海道・北陸両支社版のみで、バックに灰色と白の縦じまを入れていたものであった。1993年にカラー化が本格的に進むと、同年12月1日付より大阪本社・西部本社を含めて夜をイメージする薄い青紫色に白の縦じまを入れたトーンが採用された。題字へのトーン廃止後は発行所(札幌、東京、高岡、名古屋、大阪、福岡)を記載する欄にトーンの配置を変更。朝刊は黄土色、夕刊は薄い青紫色のバックを使っている
  6. ^ 2009年5月31日付までは西部本社管轄の北九州工場で印刷されていたが、輸送上の問題から大阪本社管轄の尾道工場の印刷に切り替えた。
  7. ^ 全国紙では産経新聞東京本社管内で2002年3月末、毎日新聞北海道支社管内で2008年8月末、朝日新聞西部本社管内で2010年3月末に佐賀県と大分県、2012年3月末に福岡県山口県のそれぞれ一部で夕刊を休廃止した例がある。また朝日新聞は名古屋本社管内の土曜日付夕刊発行を2012年10月中旬で休止した。
  8. ^ 川鉄・川重とも登記上本店は神戸市である。なお川鉄はその後NKKと統合、JFEスチールとなって以後、登記本店を東京都千代田区に移している。
  9. ^ 実際に川崎重工がチームの広告看板スポンサーに就いたこともあった。現在はヴィッセル神戸の広告看板スポンサーに就いている。
  10. ^ なお、当時のヴェルディ川崎が本拠地を置いていた川崎市は他に富士通サッカー部東芝サッカー部(いづれもJFL=当時のJリーグの2・3部に当たる組織)が本拠地としていたが、前者は「富士通川崎FC」を経て現在の川崎フロンターレとなり1999年にJリーグに加盟。東芝は1996年に本拠地を北海道札幌市に移し、北海道コンサドーレ札幌となって、1998年にJリーグに加盟している。
  11. ^ 1995年で解消。その後は横浜市にホームタウンを統合
  12. ^ 1998年に横浜Fが横浜Mに吸収される形で統合され、現在は横浜F・マリノスである。なおフリューゲルスのサポーター有志により、改めて横浜FCが設立。JFL(当時のJリーグの3部に当たる組織)への特例参加を経て2001年にJリーグに参加している。
  13. ^ 2020年3月までは岩手日日新聞社の関連会社「青森高速オフセット」への委託だったが、運営会社の事業譲渡により同4月から読売新聞東京本社に移譲。10月に社名を変更し事実上の直営化となった。
  14. ^ 凸版印刷系の工場で印刷
  15. ^ 十勝毎日新聞の工場にて印刷。
  16. ^ a b 岩手日日新聞社の関連会社の工場(仙台高速オフセット、栃木高速オフセット)で印刷
  17. ^ a b アサガミプレスセンターの工場で印刷
  18. ^ a b 光村印刷の工場で印刷
  19. ^ 朝日プリンテック船橋工場にて印刷。
  20. ^ 新潟日報社黒埼本社内にある印刷センターにて印刷。
  21. ^ 北日本新聞・創造の森 越中座」にて印刷。2011年3月21日に、それまで高岡工場(北陸支社内)で印刷していた石川富山両県発行分の印刷を引き継いだ(それと同時に最終面左下隅での表記も「北陸」から「富山」に変更となった)。
  22. ^ 宮崎日日新聞社佐土原センターにて印刷。2019年7月から、これまで鳥栖工場で印刷していた宮崎鹿児島両県発行分の印刷を引き継いだ。
  23. ^ その他の全国紙では、産経新聞東京本社管内の夕刊が2002年3月30日に、毎日新聞北海道支社管内の夕刊が2008年8月30日にそれぞれ休廃止された例がある。また朝日新聞名古屋本社管内の土曜日の夕刊発行が2012年10月13日をもって休止された。

出典

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  95. ^ 裁判員法:抵触か 奈良の裁判員に読売記者が取材
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  97. ^ 裁判員を取材 読売新聞に抗議
  98. ^ 読売に地裁が抗議文 裁判員取材「誠に遺憾」
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