田島象二とは? わかりやすく解説

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田島象二

読み方たじま しょうじ

著述家東京生。号は任天居士・酔多道士行成山房主人等。『団々珍聞』の記者になり、狂文狂画発表して名声博した。のち名古屋に赴き、『扶桑新聞』『新愛知』等の記者となる。漢文長じ磊落、酒を嗜み達筆揮った。著多数晩年東京住。明治42年(1909)歿、57才。

田島象二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/19 14:12 UTC 版)

田島 象二(たじま しょうじ、嘉永5年(1852年)- 1909年(明治42年)8月30日)は、明治時代記者読売新聞主筆。号は任天居士、粋多道士、行成山房主人。

生涯

江戸において生まれる。本姓は伊達氏明治維新後の新政府の政治に憤り、雑誌『団団珍聞』(まるまるちんぶん)の記者となり、狂文や狂画の滑稽風刺文を発表して評判を得た。のちに名古屋に赴き、『扶桑新聞』や『新愛知』などの記者となる。

1882年読売新聞主筆となる。漢文に長じ、磊落で、酒を嗜み、達筆を揮ったという[1]。著作は『耶蘇一代弁妄記』『花柳事情』などがある。

明治42年8月30日死去。行年58歳。[2]。墓所は池上本門寺

脚注



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