作風・評価
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コミカル・リリカル・シニカルの三拍子揃った描写が魅力とされる。その作風は中でも「リリカル」という単語で形容されることが多く、本人の人柄についても「リリカルな人」だと担当編集がコメントしている。独特の比喩表現がたびたび使われるのも特徴である。現代的な日常の世界からは少し離れた世界を舞台とした作品が多く、自分の存在に心もとなさを感じる主人公が導かれ、寄り道をしながらも前に進んで行こうとする姿を通じて、人ときちんと向き合うことに臆病になってしまう心の揺れや、外の世界と自分との距離感について悩む心の機微などが丁寧に描かれる。これらについては自分が上手くできないことなので、日々考えているテーマなのかもしれないと語っている。のちには、『タビと道づれ』や『すみっこの空さん』の一部の話を挙げて、自分の作品には読者の傷口を開いて治すような節があるため、一度傷が治ったら忘れてくれたほうがもう痛い思いをしなくてすむと評したこともあり、「カサブタみたいな漫画を描くこと」が自分の理想なのかもしれないとしつつ、カサブタが取れて忘れられてしまうと作家としても忘れられてしまい、生活していけなくなるので難しいと語っている。『タビと道づれ』の完結時は漫画家を辞めようとも考えたといい、『すみっこの空さん』の連載を始めたのは、自分以上に担当編集にきつい思いをさせてしまったため、いい思いをしてもらいたいという気持ちからだった。そのため、最終回を目前に控えた第54話の下書きを読んで担当編集が涙を流した際には、ようやく大願叶ったように感じたという。また、『恋の撮り方』のあとがきでは、夜道は街灯に照らされた部分の縁が世界の終わりのように思えるが、そこに立つとパッと次の街灯に照らされた部分が見えてくるとして、今回の作品で描きたいことは描いたと思うのに、そのたびに次の描きたいものが見えてきて、その繰り返しで今日まで漫画を描いてきたと語っている。
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作風・評価
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「ロベルト・ボラーニョ」の記事における「作風・評価」の解説
ボラーニョの小説は、それまでのラテンアメリカ文学をイメージづけてきたマジックリアリズムのような手法はほとんど使わず、比較的平易な文体で「売れない作家」のような人生の落伍者がもつ悲哀を、客観的な目線で冷静に描いたものが多い。また、探偵物のようなサスペンスに通ずる内容が多いことも特徴で、中編『はるかな星』、長編『野生の探偵たち』『2666』の大きなプロットは、いずれも「とある作家を探しに行く」というものである。短編集『通話』に収録された「刑事たち」はチリ・クーデターによって投獄された経験が元になっていたり、『野生の探偵たち』の第一部がアヴァンギャルド詩のグループが中心になっているなど、ボラーニョ自身の経験も作品に色濃く反映されている。 現在、ボラーニョはマリオ・バルガス・リョサ、ガブリエル・ガルシア=マルケス以来の成功を収めた、ラテンアメリカ文学を代表する作家の一人としての地位を確立している。しかし、近年では主に長編における散漫な箇所への指摘など、過剰なまでの評価が見直される動きもある。
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作風・評価
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「クリスチャン・ラッセン」の記事における「作風・評価」の解説
ハワイの海中風景やイルカなどの海洋生物を主要なモチーフに、南洋の自然をきらびやかな画風で描き、「マリンアート」と称される。空(そら)の部分などにはエアブラシも用いるという。 その作品は安価な版画やリトグラフ、ジグソーパズルとして大衆的人気を得た。日本での知名度向上に絵画商法が大きく関わっていたため、その販売戦略への反感からヒロ・ヤマガタ同様美術界の本流からは無視されてきた。奈良美智には「ああいう平和頭の理想的自然志向は理解できない」と批判されている。
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作風・評価
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「アンドレイ・プラトーノフ」の記事における「作風・評価」の解説
執筆した作品のジャンルは多岐にわたり、小説をはじめ、詩、論説、ルポルタージュ、戯曲、映画シナリオ、童話の翻訳・翻案などを手掛けている。 プラトーノフの作風は、時に文法的錯誤をも辞さない異様な文体的緊張感によって特徴づけられ、詩人ヨシフ・ブロツキーがアメリカで出版された『土台穴』に寄せた文章の中で、プラトーノフとフランツ・カフカ、ジェイムズ・ジョイス、サミュエル・ベケットを比較しながら、「プラトーノフは翻訳できない」とまで述べているのは有名である。
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作風・評価
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女性同士の恋愛(レズビアン)をテーマにした、切なくて純度の高い作品が多いのが特徴。初期の頃は過激な性描写とともにこのテーマを徹底的に追求する作品群で知られていた。しかし、『ケッヘル』以降、作品世界を広げ、女性同士の恋愛だけでなく、男女の恋愛や男性同士の恋愛、親子愛や広く人間愛をテーマとした作品も数多く発表している。作家自身は「ビアン作家」と呼ばれることを嫌悪しており、レズビアン小説の枠を超えた、骨太のストーリー性を有する、人間存在の根源に迫る意欲的な作品を発表し続けている。硬質で繊細な文章と、他に類を見ない濃密かつ切実な作風で知られ、極めて寡作ながら、読者の熱い支持を集めている。2001年の山本周五郎賞受賞以後、文学賞や文壇づきあいとは無縁で、マイペースな執筆活動を行っているため「孤高の全身恋愛小説家」と称されることが多い。
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作風・評価
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雲泉は中国南宗画を志向し続けた。山水画に名品が多く、比較的若描きのものに評価が高い。晩年の作は妙な重苦しさがあると評される。中国の画家の董源や倪瓚、張秋穀らの影響がみられ、気韻生動、筆墨淡雅で、超俗の趣を持つ。「居民に雲仙あるを説けども、邑に雲泉あるを知らず」と雲泉を敬慕した田能村竹田はその著『屠赤瑣瑣録』で嘆いている。金井烏洲『無声詩話』や森島長志『槃礴脞話』の「雲泉画譚」に雲泉の作が高く評価されている。慶応2年(1866年)刊の『南宗書画品価録』には池大雅に次ぐ一点3両の高額で売買されていたことが記されている。
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作風・評価
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バルトロメオの描く人物像は全般的に小さく、着衣の人物が多い。このことから彼の力量を低く評価する向きもあるが、彼は福音書記者聖マルコの堂々とした肖像(ピッティ美術館)や、裸体の聖セバスティアヌスの肖像も描いており、前述の画風は必ずしも彼の力量不足を示すものではない。聖セバスティアヌスは多くの矢に貫かれて殉教した姿がしばしば画題とされるが、バルトロメオの描いた聖セバスティアヌス像は聖人の苦悶を生々しく表現していたため、もともと飾られていた女子修道院の礼拝堂から撤去せざるをえなかった。バルトロメオの作品の大部分は祭壇画で、明暗法の駆使、繊細な色彩、衣服のひだの巧みな描写を特色としている。また、バルトロメオは人物のポーズ研究用の、関節が曲がるようにできた人形を用いた最初の画家とされている。
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作風・評価
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「アンドレイ・ヴォルコンスキー」の記事における「作風・評価」の解説
ヴォルコンスキーは、ソ連において十二音技法やセリー技法を試みた最初の作曲家であった。その作品群は仲間の作曲家に大きな影響を及ぼし、ロシアにおける音楽語法の真の再生や拡充をもたらした点でも重要なものとなる。当時このような音楽を作曲することは、勇気の要る行為だった。それはソヴィエト・ロシアにおける作曲家の義務や、それに付随して陰に陽に顕れる自由への抑圧に対する抵抗でもあった。故にヴォルコンスキーの作品が当局に白眼視され、演奏が禁圧されたことは驚くに当たらない。 「その翌日に私は作曲家同盟から追放された。私の演奏会はことごとくキャンセルされた。レコード会社は、私の録音は発売できないように指示されていた。」(本人の弁) 外国行きの許可を得るためにユダヤ人女性と偽装結婚を行い、出国できると離婚した。しかし、なかなか出国できなかった。無職のまま半年ずるずると待たされ続け、その間ヴォルコンスキーは、パスポートの発行を再三に渡って要求しながら、生計を立てるため、蔵書や楽譜を売りに出さなければならなかった。 「ソヴィエト当局は、とうとう知性と知恵をつけて、無用となった作曲家に(出国を)許す気になった。その作曲家は、ソ連でしか演奏されないような種類の音楽を作曲することができなかったからだ…。私はソヴィエト文化の大宮殿に付いた一片の染みでしかなかったというわけだ。」(本人の弁)
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作風・評価
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1981年のスペイン・フランスへの旅行を契機に1983年頃から発表し始めた「白い道」と、「安徳の心の深層にある憧れの街」を俯瞰構図で描き始めた「鳥のゆく午後」という100号の作品が1984年の第27回安井賞展、安井賞・賞候補となった。(参照:1984年第27回安井賞展カタログに賞候補写真掲載)以後「安徳の独特の俯瞰の技法」について美術関係者及び美術愛好家、詩人達から注視され始めた。(以下参照)1984年美術出版社刊行「具象絵画の現在・p78-P79」1986年視覚デザイン研究所編 「水彩・ノート・街 P114-P115」1988年 美術世界社企画 「洋画の現在と未来展」カタログ・P114」1988年サロンデボザール刊行 「月刊ボザール P2-P5,P10-P13」1988年(株)バーズ刊行「月刊ギヤラリー 表紙絵及びP20-P231990年詩誌「KASEN」P168-P174,1990年「詩と思想」表紙絵及びP149
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 00:41 UTC 版)
レーニの作風には、バロック期の巨匠カラヴァッジョの劇的な構図や明暗の激しい対比が見られるとともに、ルネサンス期の巨匠ラファエロ風の古典主義様式が見られる。代表作『アウローラ』に見られる、考え抜かれた構図、理想化された優雅な人物表現、柔和な色彩などはレーニの作風の典型を示すもので、古典研究の成果がうかがわれる。『アウローラ』の並列的な人物の配置には古代の浮き彫りの影響が見られるともいう。レーニは生前から「ラファエロの再来」と呼ばれ、ゲーテによって「神のごとき天才」とまで激賞された画家で、19世紀までの評価はきわめて高かったが、美術に対する人々の嗜好が変化し、古典主義的絵画の人気が下落した20世紀以降は不当に低い評価を得ていた。しかし、20世紀末頃からアカデミスム絵画再評価の動きとともにようやく正当に評価されるようになっている。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 15:14 UTC 版)
『新後撰和歌集』以下の勅撰和歌集に計71首が入集。『増鏡』作者(二条良基など諸説あり)は、「集にもやさしき歌多く侍るべし」(「『続千載和歌集』にも優美な歌が多く入集したようである」)と評している。中世和歌研究者の次田香澄は、「二条派風の優婉な歌風」と評している。 『昭慶門院御屏風押色紙和歌』の応安4年(1371年)4月6日奥書著者は、「歌人云。文才云。能書云。名誉之女房也」(「歌人でもあり、文才(漢学の素養を持った人物)でもあり、能書でもある。まさに名誉の女房(偉大なる女性)である」)と評している(#七夕)。 江戸時代後期の有職故実家である栗原信充が著した人物列伝『先進繍像玉石雑誌』正編(天保14年(1843年))においては、楠木正成や兼好法師といった同時代の錚々たる24人の有名人のうち、二条為子の列伝が最終巻を務める。しかも正編全9巻(全10冊)のうち、巻第9(第10冊)は為子(とその一族)だけで占められるという好待遇になっている。そして、為子を聖善慈訓の人であると理想の人間として称え、為子の皇子たちが文武両道の傑物に育ったのもそのおかげであるとし、為子への賞賛をもって正篇全9巻の締めくくりとしている。
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作風・評価
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「デイヴィッド・H・ケラー」の記事における「作風・評価」の解説
ケラーの作品中では時として右翼的な見解が呈されている(書誌学者のエヴリット・ブライラーは彼を「超保守的なイデオロギー」の持ち主と評している)。特にフェミニストとアフリカ系アメリカ人への敵意は顕著である。 彼の作品には、古びてしまったものや、あまりに単純で紋切り型であったため打ち捨てられた物も存在する。しかし多くは未来における技術の波及効果や、当時としてはタブーであった問題(例えばバイセクシャル)を扱っており、現代的であった。ケラーの作品が確立した複雑さは、同時代のパルプSFの大半から抜きん出ており、後のSF黄金時代に実現された「SF文学」の名に恥じないレベルであった。 またケラーは多くのホラーやファンタジー小説も書いている。批評家の中にはそれらの作品を彼のSF小説よりも優れていると見なす者もいる。最も著名なものは、1932年のホラー短編「地下室の怪異」("The Thing In The Cellar"、「地下室のなか」「地下室になにが」の訳題もある)である。ケラーには「コーンウォール物語」("Tales of Cornwall")と題された10編のファンタジーシリーズもある。これはヒューベレア(Hubelaire)という一族を描いた作品で、ジェイムズ・ブランチ・キャベル(James Branch Cabell)の影響の下に創作された。「コーンウォール物語」の一編「蟾蜍の城」(The Battle of the Toads)は、佐藤正明の訳により、『ミステリマガジン』1972年5月号(No.193)に収載されている。 1956年頃から、日本にクトゥルフ神話が伝わり、その後1990年代後半の18禁PCゲームの隆盛の中においてはホラーモノの定番のモチーフの一つとして用いられ、現在では、クトゥルフ神話及びその独自解釈、はてはパロディーや女体化させた萌え系作品等様々な要素を含んだ作品が数々生まれているが、クトゥルフを女体化させた最古の作品は、1949年にケラーによって発表された「最終戦争」(The Final War)が最古である。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 08:05 UTC 版)
ウィキクォートに川端茅舍に関する引用句集があります。 代表句は 金剛の露ひとつぶや石の上 一枚の餅のごとくに雪残る ぜんまいののの字ばかりの寂光土 約束の寒の土筆を煮て下さい 咳き込めば我火の玉のごとくなり 朴散華即ちしれぬ行方かな など。第一句集『川端茅舎句集』には巻頭に上記「金剛の」の句を含む26句もの露の句が並ぶ。他にも露を季題とすることが多かったことから「露の茅舎」とも呼ばれた。「寂光土」のように仏教用語を用いた句、あるいはキリスト教を背景とする句もしばしば作っており、病臥生活の苦悩の中から生まれたこうした句境は「茅舎浄土」とも称される。師・高浜虚子は茅舎の第二句集『華厳』の序文で茅舎を「花鳥諷詠真骨頂漢」と評し賞賛した。 また茅舎には「餅のごとくに」の句のように「ごとく」を使った比喩の句(「如く俳句」などと呼ばれる)を多く作っている。同時期に「ホトトギス」で活躍し茅舎の親友でもあった松本たかしも同様に「ごとく」の俳句を多く作ったが、持病のために能を諦めたたかしとは他にも作風に通じあうところが多かったため「句兄弟」と呼ばれた。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 16:55 UTC 版)
代表的な句に、 学問のさびしさに堪へ炭をつぐ(1924年作。『凍港』所収) かりかりと蟷螂蜂の皃(かほ)を食む(1932年作。『凍港』所収) ほのかなる少女のひげの汗ばめる(1932年作。『凍港』所収) 夏草に機缶車の車輪来て止まる(1933年作。『黄旗』所収) ピストルがプールの硬き面(も)にひびき(1936年作。『炎昼』所収) 夏の河赤き鉄鎖のはし浸る(1937年作。『炎昼』所収) 海に出て木枯帰るところなし(1944年作。『遠星』所収) 炎天の遠き帆やわがこころの帆(1945年作。『遠星』所収) などがある。初期には東大俳句会でともに学んだ水原秋桜子と同様、短歌の調べや叙情性を俳句に持ち込み万葉調の句を作った。第一句集『凍港』の前半は樺太の情景を叙情的に詠んだ句が多い。その後秋桜子が「後藤夜半論」(『ホトトギス』1929年12月)において、夜半は誓子より句材の幅が広いとしたことに発奮、近代的・都会的な題材を渉猟しはじめる。同時期に斎藤茂吉の連作短歌に影響を受けて連作俳句の試みを始め、これを後述する映画理論により補強。こうした過程で「や」「かな」といった切れ字を用いる文体に代わって、動詞の終止形・連体形による止めや口語の使用が定着し、素材の拡大とともに即物非情・知的構成と言われる作風を確立してゆく。『凍港』序で高浜虚子は「従来の俳句の思ひも及ばなかつたところに指をそめ、所謂辺境に鉾を進むるの概がある」と誓子を評した。 掲句のうち「かりかりと」「ほのかなる」「夏草に」「ピストルが」「夏の河」はそれぞれ連作として発表されたもののうちの一句である。連作俳句は同時期に水原秋桜子も多く試みているが、秋桜子の連作はあらかじめ全体の構成を考えて作句されるもので、絵巻物のように景が展開し設計図式と呼ばれる。これに対し誓子の連作は、特定の題材をもとに一句一句乗り移るように次々と独立の句を作りのちに取捨・編集するというものでモンタージュ式と呼ばれる。モンタージュは1920年代にロシアで登場した映画理論で、二つ以上のショット(一続きの映像)を組み合わせて一つのシーン(場面)を表現する技法である。当時寺田寅彦がすでに連句や発句における取り合わせと関連付けてモンタージュを論じていたが、誓子はこれに影響を受け、写生によって得た素材に知的操作を加えて世界の創造を行うという自身の「写生構成」論に援用した。都会的素材や連作俳句は新興俳句運動において後進に波及し、その中から無季俳句を作る流れも出てくるが、秋桜子と同様誓子も無季俳句からは距離を置いた。 戦後は病気療養や新興俳句弾圧、敗戦などの経験を経て、自然物との対峙によって己を確かめるような句風に変化。「天狼」では「酷烈なる俳句精神」を実現したいと表明し徹底して写生構成・即物具象を説いた。また「出発の言葉」の「俳句の深まりが、何を根源とし如何にして現るゝかを体得した。」(「天狼」創刊号)から「根源俳句」を提唱した。晩年は自身の俳句を芭蕉を継承するものとして、写生、取り合わせ、客観描写を強調した。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 01:54 UTC 版)
「オースティン・フリーマン」の記事における「作風・評価」の解説
一貫して推理小説に指紋や血痕の鑑識など当時最新の法医学や鑑識技術を取り入れ、一見不可能に見える出来事を科学的に解明する作風で読者の興味を誘った。ソーンダイク博士は犯罪捜査に科学技術を取り入れた探偵として、「シャーロック・ホームズ最大のライバル」と呼ばれ人気を得ている。また、犯行場面から描く倒叙形式の導入や科学的犯罪捜査の面白さなどで、推理小説の興味を「犯人当て」(フーダニット)から「どのように犯罪を行ったか」(ハウダニット)へ深化させたことが評価されている。しかし当時最新の知識を使ったがために、現代に読むと古くさく見えるという欠点も伴っている。 イズレイル・ザングウィルと並び、推理小説におけるフェアプレーの原則を最初に提唱した一人でもある。ある評論の中で読者に常にフェアでならないことを述べ、そのために犯罪場面をこと細かに描写したり、実際に指紋や血痕の写真に掲載したりすることで(フリーマンは作中のトリックが可能かどうか自ら家で実験を繰り返していた)読者に手がかりを与えた。一方で専門的知識がなければ解明できないことが多くその点でフェアプレーとは言い難いとも指摘される。 一般的に短編の方が評価は高く、長編は冗長で退屈だと評されることが多い。そんななかでも『証拠は眠る』やMr. Pottermack's Oversight(邦訳『ポッターマック氏の失策』)の評価は高い。アフリカ時代の経験や医者時代の苦労した経験が作品のあちこちに反映されている。推理小説以外では冒険小説も執筆している。 シャーロック・ホームズ譚がリアルタイムで雑誌に発表されていた短編探偵小説の黄金時代から活躍し、その後の長編全盛の時代には他の作家に互して死の前年まで精力的に長編を発表していた。全作品を通しての再評価はこれからである。 レイモンド・チャンドラーはハミシュ・ハミルトン(チャンドラーの著作を出版していたロンドンのハミシュ・ハミルトン書店の専務)へ宛てた1949年12月13日の手紙で以下のように書いている。 このオースティン・フリーマンという人間はすばらしい作家です。彼のジャンルでは彼に匹敵するものはなく、一般で考えられているよりもはるかにすぐれた作家です。くどくどしく、退屈のように思えながら、まったく思いもつかぬサスペンスをつくりあげているからです。彼が用いる文脈は退屈になりがちのものですが、彼は退屈ではないのです。彼のヴィクトリア時代調の恋愛描写には、ガス灯の魅力さえうかがえます。脚のながいソーンダイク博士が好人物で頭のはたらきのにぶいワトスン、ジャーヴィス医師にともなわれて、庭を散歩するようにロンドン中を歩きまわるすばらしい描写についても、おなじことがいえます。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 07:46 UTC 版)
田中優子は、「石牟礼さんはノーベル文学賞をとれるほど作家だったと思うのに、亡くなって残念だ」と述べている。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 05:58 UTC 版)
本作は王道な展開で描かれるファンタジーである。ライターの黒田順子によると、本作ではアジアンテイストの宮殿の装飾や衣装が美しく描かれており、それにより世界観が表されている。 2021年12月にReal Soundで紹介された、ライターの白石弓夏が選ぶ「2021年コミックBEST10」にて、本作は第6位を獲得している。 2022年5月、第46回講談社漫画賞少女漫画部門を受賞。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 16:20 UTC 版)
「ブライアン・デ・パルマ」の記事における「作風・評価」の解説
フィルムスクール出身のいわゆるニューハリウッド世代の代表的な映画監督のひとりに数えられるが、一方で作品の出来不出来が激しいと評価されている。さまざまなジャンルの映画を手がけているが、代表作と呼ばれるものの多くはサイコスリラーとアクション映画である。また、デ・パルマ作品の暴力的な内容はしばしば観客や評論家の非難の的となり、論争を繰り広げてきた。 アルフレッド・ヒッチコックに強い影響を受けていることで知られ、作品にはヒッチコック映画を模したシーンが散見される。その他、オーソン・ウェルズ(『Get to Know Your Rabbit』に出演)、ジャン=リュック・ゴダール、ミケランジェロ・アントニオーニ、アンディ・ウォーホル、メイズルス兄弟などにも影響を受けている。 分割画面や、長回し、スローモーション、目線アングルなどを使用し凝った画作りを行い、デ・パルマカットと呼ばれる独特な映像が注目され、熱狂的なファンがいることでも有名である。 自身が徴兵忌避者であることから反戦映画をいくつか手がけている。デ・パルマの作品において兵士の多くは、少女を強姦する(『カジュアリティーズ』『リダクテッド 真実の価値』)、意味もなくビルを爆破する(『ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN1・哀愁の摩天楼』)など、モラルに欠けた人間として描かれることが多い。 俳優のチャールズ・ダーニング、デニス・フランツ、マイク・スター、グレッグ・ヘンリー、撮影監督のヴィルモス・スィグモンド、スティーヴン・H・ブラム、プロダクション・デザイナーのジャック・フィスク、作曲家のバーナード・ハーマン、ピノ・ドナッジオ、エンニオ・モリコーネとよく組む。 クエンティン・タランティーノが初めて夢中になった監督にデ・パルマの名前をあげている。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 06:31 UTC 版)
「その着せ替え人形は恋をする」の記事における「作風・評価」の解説
本作ではコスプレを軸として、少年少女の成長と恋が描かれている。お色気描写も盛り込まれているが、本作の特徴としては、特にキャラクターの心理やコスプレ衣装の制作過程が丁寧に描かれていることが挙げられている。雛人形制作をはじめ、化粧やカメラワークに関する描写があるが、作者が直接「人形のまち」として知られるさいたま市岩槻区の人形工房等へ取材するなどし、人形職人やコスプレイヤーのリアルな実情がうかがえる作品となっている。また、当主が主人公の新菜のモデルとされ、作品のストーリー監修にも携わる「株式会社鈴木人形」(埼玉県さいたま市岩槻区)には、多くのファンが工房見学に訪れており、聖地化している。また、テレビアニメ第4話で登場した現代風雛人形は、実際に鈴木人形が「BELL'S KISS(ベルズキッス)」の商品名で制作・販売しており、同話数放送後に2022年シーズン用に用意した300セットが完売したほどであった。 出版取次・日本出版販売のコミック担当者は、本作について、「控え目な男子とギャルが仲良くなる」という話の流れなど、特に男性読者が感情移入しやすいつくりになっていると分析している。実際に2020年1月の時点では読者の約7割が男性であるが、一方で物語自体は女性も楽しめる内容であるため、女性の読者も増やすことに成功している。また、作者によるとコスプレイヤーなどが主人公とヒロインを見て趣味を続けることを肯定してくれる彼氏や彼女にしたとのこと。 本作の単行本はヤングガンガンコミックスレーベルより発売されている。テレビアニメ放送開始後は売れ行きが増加し、開始前の累計発行部数が350万部であったのが、2022年6月時点の累計発行部数は700万部を突破している。さらに、テレビアニメの公式ツイッターのフォロワー数が、開始前時点で5万人であったのが2022年3月時点で20万人を突破している。 また、本作は複数の漫画賞にノミネートされており、このうち一般投票型の漫画賞で好成績を収めている。2019年には次にくるマンガ大賞のコミックス部門で6位に入り、2020年には電子コミック大賞の男性部門賞を受賞している。同じく2020年には、全国書店員が選んだおすすめコミック(3位)、第4回みんなが選ぶTSUTAYAコミック大賞(6位)にランクインしている。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 18:10 UTC 版)
「黒岩メダカに私の可愛いが通じない」の記事における「作風・評価」の解説
コスプレイヤーのえなこによると、本作は「終始キュンキュンしっぱなし」な作品。 ラッパーの般若によると、「男子の心のど真ん中に突き刺さる」ような「男子の願望が詰まっている」作品である。本作の魅力は久世の絵にあり、「胸の描き方一つとっても、ただ巨乳なだけじゃなくて、ちゃんと柔らかそうなところがいい」と話している。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 14:57 UTC 版)
バイオレンス描写をはじめ、従来のヤンキー/アウトローを扱った漫画とは一線を画すような、リアルに痛みを感じさせる極度に暴力的な作風が特徴。また、その中で時々見せる叙情性も大きな特徴となっている。作品の中に多くのパロディやオマージュネタを含む。漫画家では鴨川つばめやつげ義春、大友克洋、土田世紀、歌手では町田町蔵や三上寛の歌詞などが作中に散見される。 カルト的な人気の一方で、『ガガガガ』の再開後に第2巻が発売された後も第1巻が絶版状態のまま再版されないなど、作家としては不遇な状態が続いている。その後、簡易製本のものをオンデマンド出版するという形で、2007年に全4巻で復刊された(ただし「Michao!」配信分は未収録)。現在、多くの作品が電子書籍の形で読めるようになり、また公式サイトおよびnoteでは作品化に至っていない幾つかのネームも閲覧することが可能である。 ペンネームは、『ガガガガ』第2巻発売にあわせて現在のカタカナ表記に変更している。 自身の社会生活における齟齬の経験をベースにしたと思われる、ヤンキーやパンク・ロッカー、ヤクザをはじめとするアウトロー/社会不適合者を登場人物の中心としていた作風は、普通の高校生を主人公に据えた『ラチェット・シティ』からかなりの転換が見られる。 キャリア初期より女性キャラクターの美しさには定評があったが、2015年以降『山下ユタカの接触不良!』で公開された『ガールズ&パンツァー』『君の名は。』などの美少女キャラを描いたイラストはファンを驚かせた。それらを受けてか、近年女性キャラの造形などは大きく変化し、現在noteで連載されている『METAL MACHINE MARMOT』では女子高生が主人公となっている。 漫画家が高く評価する玄人好みの漫画家として知られ、若杉公徳をはじめ、多くの漫画家が山下ユタカのファンであることを公言している。また、山下のアシスタントを経て、永野一馬やアダチケイジが漫画家としてデビューしている。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 08:41 UTC 版)
作風は主に時事ネタや、ブラックユーモア、風刺ギャグ、ナンセンス、スラップスティック、1980年代後半以降のアニメやゲーム、ドラマなどを元ネタとするパロディが特徴。こんな作風ではあるが、下ネタをあまり使っていないのが特徴。ポプ子とピピ美が平然と中指を立てる、いわゆるファックサインが出てくることもある。また、「クソ漫画」であることをたびたび自称しており、オチがなかったり、コマのコピーアンドペーストを繰り返したり、第四の壁を破ったりと、本来漫画ではタブーとされているようなことも頻繁に描かれる。中でも、出版元の竹書房社屋を殴って破壊したり、指定暴力団として揶揄する回は話題を呼び、検索サジェストで上位を記録するなどの影響を与えた。 2018年12月14日、ニコニコ大百科とピクシブ百科事典が主催する「ネット流行語100 2018」で大賞を受賞した。 まんがライフWIN、アニメ公式サイトのあらすじには、シェイクスピアの格言が記されている。 暗闇は無く、無知があるのみ。 — ウィリアム・シェイクスピア
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/16 01:23 UTC 版)
現実的でダークな世界の中で、夢や希望を追い求めるキャラクター達の群像劇を得意としている。 オリジナル作品では、物語の舞台となる世界観の設定に緻密な計算がされており、特に『みつめてナイト』の本編、ウィークリートピックス、用語集などを通して語られる世界観(箱庭世界)は、他に類似の作品を見つけるのが困難なほど完成度の高いものであった。 また、エゴイズムを人間の普遍的な性質として捉え、テーマとするといったような少々変わった作風も特徴である。 一緒に製作に関わったゲーム業界のクリエイターを含め、作風を高く評価する者は多い。 その反面、元来の毒の強い描写は拒否感を持たれる事が多かったのも事実である。 特に、他のライターが書いた既存のゲームシリーズの脚本を代行した場合にその傾向は顕著であり、批判に晒される事も多かった。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 09:14 UTC 版)
代表句に「人殺ろす我かも知らず飛ぶ螢」「雪解川名山けづる響きかな」などがある。雄大な自然を詠むことを得意とし、山岳俳句の第一人者として知られた。もともとは都会人であり若いころは江戸文芸に興味を持っていたが、家財を失って富山に移ってより、その陰鬱な風景や雄大な自然から影響を受け作風にも人生観にも変化を及ぼした。『春寒浅間山』は美しい日本の野山を詠った普羅の代表的句集で、その山岳俳句は飯田蛇笏などからも評価を受けている。 山本健吉は句柄の高さにおいて普羅を蛇笏と並ぶ作家と評価しており、「普羅の句には蛇笏の句のように醇厚さはなく、取材も狭く、句柄も痩せているが、その勁く鋭い響きは独特のものであり、その情熱の高さにおいて相拮抗している」と評している 。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 18:04 UTC 版)
フランスの詩人シャルル・ボードレールの影響を受けており、人間性の暗部を追求して感覚的、官能的、耽美的な詩を作り、夜をテーマにした詩が多い。また、幼少の頃から病気がちで、常に人生や生命について考えていたことが多少影響し、詩集『夜の聲』の導入部や「夜の聲」「黒いショールの女」「誘惑」はどこか陰鬱で死の影を落としている。 当時の鹿児島の女性詩人の中で、もっともつきつめた思考とすぐれた技巧を身につけていた。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 09:43 UTC 版)
ウィキクォートに松本たかしに関する引用句集があります。 チヽポヽと鼓打たうよ花月夜 春月の病めるが如く黄なるかな 海中に都ありとぞ鯖火燃ゆ 夢に舞ふ能美しや冬籠 水仙や古鏡のごとく花をかゝぐ 雪だるま星のおしやべりぺちやくちやと などが代表句。虚子からの教えを「只管写生」(ひたすら写生)であると唱えつつ、能で培った美意識に支えられた典雅で格調の高い句を作った。互いに傾倒しあった川端茅舎からは「生来の芸術上の貴公子」と評されている。茅舎とは境遇や作風に通じるものがあったことから「句兄弟」と呼ばれたが、たかしは茅舎に比べ耽美的、楽天的とも評されている。また茅舎とおなじく、たかしも「如く俳句」と呼ばれる比喩の句を多く作ったが、三村純也は「春月の」の句を指して、茅舎に比べたかしの「如く」はより感覚的であると評している。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 22:35 UTC 版)
写実的な背景にイラストタッチの女の子を組み合わせた作品は、独自の世界観をもつと評される。背景は緻密で丁寧に書き込まれたものからざっくりと塗られたものまで多様性をもち、表現は美しく繊細であるとされる。 Twitterアカウントのフォロワーは、KAI-YOU (2018b) によると17万人を、2021年4月27日現在で34万人を超えている。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 07:28 UTC 版)
1927年・1928年に行われた作曲コンクールの審査は、当時OSTでの主要人物であった武井・大沼哲・菅原の三者によって行われている。1927年に入賞した『舞曲「陽炎」』について、武井は次の通り批評している。 此曲の最美しく且優れて居る點は、ロンドとしてのフレーズの関係が美事に現はれて居る上に、力がある事である。若し轉調の技巧が之に加はるならば、更に効果が擧げられたであろう。楽器のキャラクター及メカニズムは有意義に用ゐられて居る。マンドラコントラルトの扱ひの如きは其例である。然しながらオーケストラの音性は決して成功とは云へない。音性の美しさの上に現はれる音色の美しさが足りない。色彩よりも調子の上に立てられたそれでなければならない。 ところが、翌年1928年に入賞した『「すべては去れり」による十の変奏曲』については、武井は次の通り解説し、高い評価を加えている。 主題となって居る「すべては去れり」は我邦に廣く知られて居る獨逸の民謡である。作家は此親しみ深い民謡を採り來つて、極めて廣範な彼の手法を活用し此大曲を書き上げた。此曲に於ける最注意すべき形式上の手法は十の全變奏に一回も拍子の變化を行はず、而も轉調さへ務めて避けて居る事である。更に驚くべきは全變奏が一の例外なく忠實に主題の小節數をさへ守つて居る事である。一見無知な此方法を以て彼は多くの變奏曲に有り勝な情想の不統一を避け、一貫した空氣を描く手段として役立たせて居る。 彼の音楽には强烈な官能がない。然しながらそれを覆ふてあまりある美しさと親しさとをもつて居る。純音樂の尠いプレクトラム合奏に此大曲が邦人の手に成つた事は吾人の最喜びとする處である。 本年度のコンコルソには昨年と等しく一等當選曲を欠き、二等當選曲二編を得たのであるが然し昨年度の當選曲に比して遙に優れたものである事は、やがて近く一等當選曲を生む事を豫想せしめるに充分である。 当時学生であった服部正はOSTの演奏会でこの曲を聴いて強い刺激を受け、OST主催の第3回作曲コンクールに応募、3位に入賞(1位2位該当作品無し)し、作曲家への道を歩むことを決意している。 それから、後期の作品について、当時のマンドリン界において指導的地位にあった松本譲は次の通り述べている。 このころの堀氏の作品はますます円熟味を帯び、師の菅原明朗氏の影響と思われるフランス近代作家の手法が随所に見受けられ、それが氏の作品を華麗なものにしている。そのオーケストレーションは巧みで、各楽器の長所短所をよく知り尽くしたものであり、特に管楽器、ピアノ等の使用によって効果を挙げている。氏がこの時代に目指したのはマンドリン・オーケストラにおける音色の貧弱さをレギュラー・オーケストラで使用する楽器を移入することによって補正することではなかっただろうか。加えて従来ギターのみに課していたリズムをピアノを加えることにより、打楽器群との相乗効果を目し、より一層高度なものとして完成することであったと思われる。(中略)マンドリン・オーケストラにおける管楽器の使用については相当な研究がなされたらしく、当時ドイツのマンドリン界において発表されつつあったコンラート・ヴェルキ(Konrad Wölki)氏による幾つかの序曲での管楽器の使用法については相当手厳しい批評を加えている。氏はこの問題について昭和12年(1937)発行の「マンドリン・ギター研究」誌に「エステュディアンテイナのための楽器編成法の一考察」と題する論文を寄せている。
※この「作風・評価」の解説は、「堀清隆」の解説の一部です。
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作風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 14:40 UTC 版)
成甲書房によれば鬼塚は超人的な読書量により常識を覆す数々の発見を繰り返した。国際情勢や経済動向、金相場などについて独特の見解を示し、リーマンショックを「八百長」と指摘するなどの論調でも知られる。思い切った意見を発表することがあり、熱烈なファンも多い。経済学者の藤岡惇は鬼塚の著書『原爆の秘密 (国外篇)』のジェームズ・F・バーンズの記述を「正確さに難がある」と評しながらも出典として評価している。 鬼塚の著書は紀伊國屋書店札幌本店(2008年11月10日から16日)の政治分野のベスト10、秋田県秋田市の加賀谷書店本店(2007年8月24日)のベスト10に入った。
※この「作風・評価」の解説は、「鬼塚英昭」の解説の一部です。
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