張秋穀とは? わかりやすく解説

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張秋穀

清代画家浙江省仁和生。初名は昆、のち莘。秋穀は字、西冷釣徒と号する幼少より画を好み、倪Dに山水を、呉鎮蘭竹を学ぶ。また南画南田様式実際彼の作品によって啓発されたものであろう弟子に顧西等。天明六年(1786)に来日しており、来舶四大家一人数えられる

張秋穀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 00:29 UTC 版)

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張 秋穀(ちょう しゅうこく、生没年不詳)は江戸時代長崎に来舶した人画家。日本に文人画の画法を伝える。来舶四大家の一人[1]

名は初め昆のち莘(しん)。は初め秋谷、後に秋穀に改めた。に露香・西冷釣徒・鋤雲館など。杭州府仁和県の人。

略伝

幼い頃より画を好み倪瓚呉鎮に私淑してそれぞれ山水図・蘭竹図を独学したという。

天明6年(1786年)に来日。天明8年(1788年)10月、春木南湖の訪問を受け費晴湖とともに筆談を交わし画法・書法を伝授している。

渡来時は秋谷(昆)と名乗ったが帰国後は秋穀(莘)に改称したと考えられる[2]。画風も一変し、秋谷は水墨画か稀に淡彩画で作品数も少なく、秋穀では主に彩色花鳥画となる。

秋穀の作は船載され、惲寿平の法に倣った没骨法を日本にもたらした。文人画家の渡辺崋山椿椿山は大きく影響を受けている。

脚注

  1. ^ 伊孚九費漢源・張秋穀・江稼圃を指す。
  2. ^ 馬場(1983年)

参考文献

  • 図録「花と鳥たちのパラダイス-江戸時代長崎派の花鳥図-」神戸市立博物館 1993年
  • 馬場強「張秋谷と張秋穀」(図録「長崎を訪れた中国人の絵画展」長崎県立美術館 1983年)
  • 春木南湖『西遊日簿』
  • 浅野梅堂『漱芳閣書画銘心録』


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