長崎在住時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:08 UTC 版)
雲泉の30歳以前の経歴はその墓碑銘にわずかに伝わるのみである。これによると宝暦9年(1759年)に島原藩藩士の子として肥前島原野田名(長崎県雲仙市)付近に生まれる。幼少より絵を好み、いつも神社の大きな石(雲泉の手習い石)に泥を塗って竹箆で絵を描いては衣服を汚して帰ったという。10歳の頃、雲仙一乗院の小僧となるが、ここでも暇さえあれば絵を描いていたという。その後、理由は明らかでなく期間も不明であるが、父に同行し長崎に遊学し、清国人について学問と南画の画法を学び華音にも通じた。このときの師は明らかではない。以来、董源や倪瓚・王原祁に私淑するようになる。また来舶した清人画家張秋穀にも影響された。父が没すると、一人万里の旅に向い山陽道から紀伊、淡路、四国の諸国を巡り歩いた。この間に讃岐で長町竹石と知りあい交友を深めた。その後、江戸に下向し居を構える。
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