長崎商法の運営と弱点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 18:10 UTC 版)
「薩摩藩の長崎商法」の記事における「長崎商法の運営と弱点」の解説
天保9年(1838年)まで、長崎で販売された琉球貿易による唐物は、長崎に到着後、まず薩摩藩の蔵屋敷に搬入され、取り引き終了までそこで管理された。長崎会所の担当者は唐物到着後、蔵屋敷でチェックを行い、春と秋の年二回、会所との唐物取引を行った。この長崎会所担当者によるチェックによって、薩摩藩側が品目についての規定と取引限度額を守っているかどうかを判断した。 長崎会所担当者の唐物のチェック、会所との取引終了後、残りの唐物は会所担当者同席のもと薩摩藩担当者が商人たちに唐物の入札を行い、その後落札者に売却そして売上金の回収となった。なお長崎商法開始当初は、売上金回収まで薩摩藩担当者が行っていた。つまり長崎会所は薩摩藩が持ち込んだ唐物のチェック、入札の確認こそ行っていたものの、会所取引終了後の取り引きには直接関与していた訳ではないため、後述のように薩摩藩側から長崎会所役人等に多額の「手当」が渡されていた状況から考えて、現実問題として会所のチェック機能は十分に機能していなかった可能性が高い。 しかし当初、この長崎商法の運営方式には大きな弱点があった。会所による長崎貿易の不振と、経営基盤が脆弱で資金繰りに問題がある商人が入札に参加したため、売上金回収が思い通りに進まなかったのである。商業上の諸懸案の解決には事情に精通した商人の協力が不可欠であると判断した薩摩藩は、長崎で貿易関連の業務に進出していた、天草の豪商、石本家に問題解決を委ねることになる。
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