南宗画派(文人画派)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 02:37 UTC 版)
1720年(享保5年)に伊孚九が来舶し、長崎に南宗画を伝えた。池大雅・桑山玉洲などの多くの画家が私淑した。続いて1734年(享保19年)に来日した費漢源、張秋穀(1786年・天明6年)、江稼圃(1804年・文化元年)と合わせて来舶四大家と呼ばれる[要出典]。このほかにも宋紫岩・徐雨亭・陳逸舟など多くの清人が長崎に南宗画を伝えている。別系統で日本に伝わっていた南画と渾然一体となり、全国に広まっていった。長崎の南宗画派からは幕末に鉄翁祖門・木下逸雲などの文人画家を輩出した[要出典]。
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